携帯を探す
2005年12月29日20:01
今までずっとPHSばかり使ってきました。 もう使い始めて10年ちかくたちます。 料金も携帯より安いですし、音も携帯よりもいい、PCのメールチェックできるし、特に不満はありません。
ですが、もう4年近く使っていますので、ちょっと壊れてきちゃいました。 つかないランプとかあるし...。 でも 連続使用時間は堂々の1週間以上。 しかも普通にメールしたり通話したりしても1週間は持ちます。フル活用してそれです。 携帯なんて足元にも及びません。
でも、壊れちゃっているので新機種が出たら買い換えようと思っていたんですが、今のPHSの新機種は非常に高性能になってるので、携帯と同じくらい電池を消耗するようになってしまいました。 そして、種類が少ないので選択の幅が小さいのです。
ということで、ひょっとしたら携帯の方がいいかも...。
そんなこんなで、今日仕事の合間にぶらぶらと携帯を見ていたんですが、特にAUなんかはデザインが素敵で、機能がどうとかそういうの抜きでいいなーとか思ってしまいました。
で、ふと、気がついたんですが、僕は、今まで、そういう外見がいいから買いたい!とかそういうエモーショナルが抑圧されていたんです。 それをはっきりと意識して避けてきました。何故だかはわからなかったんですが ...
最近色々あったので自然にそういうこともするようになりましたが、昔は絶対しませんでした。
今日... 何故だか思い出しました。
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それは、昔の思い出なんです。 まだパソコン黎明期のころの話、当時もいまと同じようにゲームとかが流行していました。 ですが、市場は非常に小さく、プレーヤーはパソコンマニアくらいなものでした。
そんななか結構ハド○ンなんかが幅をきかしていたんですが ... その時代のクソゲーの多さときたら、今のクソゲーマニア垂涎です。 クソゲーマニアにとっては実に恵まれた時代でした(^_^;。 そういうクソゲーに限って素敵なパッケージに包まれて、いかにも人が欲しがるような面白そうな絵が描いてありました。
そして、当時小学生だった僕は、そんなクソゲーのひとつをそれと知らずに、なけなしの小遣いをはたいて買ってくるわけですが、家に帰ってロードしたときの、あの戦慄に近い感覚はいまだに忘れられません。
「なんじゃこりゃー」です。 全然イメージと違うわけです。
そういうトラウマに近い経験を何度も繰り返しているうちに「外見なんか意味ねぇ」という硬派な思想が育ったのだと思います。
パソコン買うときなんかもそうでした。 発売されているソフトの互換性なんかを、よ~く研究して、正しい選び方をしないと、すごい損をしてしまうような罠がいたるところに仕掛けてありました。 特にデザインなんかで選んでしまうと、発売されているゲームと全然互換性がないないなんてことは珍しいことではありませんでした。
だから、僕は、外見で選ぶ、っていう享楽を意識して捨ててきたんです。
今では、さすがにそういうことはないでしょうから、パッと感覚的に選んで買っちゃっていいんだな~と気がついて、ちょっと感銘を受けました。
ですが、もう4年近く使っていますので、ちょっと壊れてきちゃいました。 つかないランプとかあるし...。 でも 連続使用時間は堂々の1週間以上。 しかも普通にメールしたり通話したりしても1週間は持ちます。フル活用してそれです。 携帯なんて足元にも及びません。
でも、壊れちゃっているので新機種が出たら買い換えようと思っていたんですが、今のPHSの新機種は非常に高性能になってるので、携帯と同じくらい電池を消耗するようになってしまいました。 そして、種類が少ないので選択の幅が小さいのです。
ということで、ひょっとしたら携帯の方がいいかも...。
そんなこんなで、今日仕事の合間にぶらぶらと携帯を見ていたんですが、特にAUなんかはデザインが素敵で、機能がどうとかそういうの抜きでいいなーとか思ってしまいました。
で、ふと、気がついたんですが、僕は、今まで、そういう外見がいいから買いたい!とかそういうエモーショナルが抑圧されていたんです。 それをはっきりと意識して避けてきました。何故だかはわからなかったんですが ...
最近色々あったので自然にそういうこともするようになりましたが、昔は絶対しませんでした。
今日... 何故だか思い出しました。
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それは、昔の思い出なんです。 まだパソコン黎明期のころの話、当時もいまと同じようにゲームとかが流行していました。 ですが、市場は非常に小さく、プレーヤーはパソコンマニアくらいなものでした。
そんななか結構ハド○ンなんかが幅をきかしていたんですが ... その時代のクソゲーの多さときたら、今のクソゲーマニア垂涎です。 クソゲーマニアにとっては実に恵まれた時代でした(^_^;。 そういうクソゲーに限って素敵なパッケージに包まれて、いかにも人が欲しがるような面白そうな絵が描いてありました。
そして、当時小学生だった僕は、そんなクソゲーのひとつをそれと知らずに、なけなしの小遣いをはたいて買ってくるわけですが、家に帰ってロードしたときの、あの戦慄に近い感覚はいまだに忘れられません。
「なんじゃこりゃー」です。 全然イメージと違うわけです。
そういうトラウマに近い経験を何度も繰り返しているうちに「外見なんか意味ねぇ」という硬派な思想が育ったのだと思います。
パソコン買うときなんかもそうでした。 発売されているソフトの互換性なんかを、よ~く研究して、正しい選び方をしないと、すごい損をしてしまうような罠がいたるところに仕掛けてありました。 特にデザインなんかで選んでしまうと、発売されているゲームと全然互換性がないないなんてことは珍しいことではありませんでした。
だから、僕は、外見で選ぶ、っていう享楽を意識して捨ててきたんです。
今では、さすがにそういうことはないでしょうから、パッと感覚的に選んで買っちゃっていいんだな~と気がついて、ちょっと感銘を受けました。
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