価値と評価は違うのではないか
2005年12月12日01:32
今日思ったんです。
生産とは価値ある物を生み出すことだと高校で習いましたが、価値とはそもそもなんだろうかと。 経済学を紐解くといろいろなことが書いてありますが、僕にはよくわかりません。
普通、価値とは値段の事ではないでしょうか。 価値が高ければ 値段もあがります。 希少価値なんて使われ方もします。 そういう場合希少価値が高ければ、値段も非常に高いものです。
逆に、たとえば株価が高い会社はすごい会社=価値の高い会社であるといわれたりもします。 値段が高いブランド製のバッグを持っていると人にえばれます。
ほかにも色々な例があると思いますが、一般的にいって価値が高いと値段も高い、値段が高いと価値も高いと考えられていると思います。
僕は当たり前の事を言っているのかもしれません。 ですが、価値と値段は違うものではないでしょうか。
よく考えてみれば、値段というのは『評価』のことではないでしょうか。 価値って言うのは人によって違うものです。 ある人が1000円のラーメンを高いと思っても、ラーメンが好きな人は安いと思うかもしれません。 当たり前ですが、その人がラーメンをウマいと評価していれば 1000円払うでしょうし、ラーメン自体好きでなければ1000円は払わないと思うのです。 つきつまるところ、価値というのはその人の考え方感じ方次第でいくらでも変化する物なのではないかと思います。
このように、他人の作ったモノを自分の価値に照らし合わせて評価した結果、値段が決まるのではないでしょうか。
だから、そのこだわりラーメン職人が最高だと思ったラーメンがその地元の人の好みにあわなくて安く評価されてしまうということはありそうです。 逆にそのこだわりラーメン職人が「どうよこれ」っていう感じのラーメンでも、地元の人に受け入れられて 高い売上をマークするということもありえます。経済の言葉を使うと『マーケットに受け入れられる』なんていうんでしょうか。
でも、僕は思うんです。
ラーメンの売上は、あくまでも*多く*の人から受け入れられた結果であって、一人のラーメン好き中年男性の心にどれだけ深く響いたかを、あらわしていないのではないかと。 本当のラーメンの価値基準は絶対に人によって違うはずです。
意外と誰でも一軒くらいは行きつけの汚いラーメン屋さんがあったりしないものでしょうか。 こういうラーメン屋は、売り上げは小さいかもしれませんが、ある人にとっては、かけがえのない心の拠り所であるかもしれません。
「売れてるラーメン屋」が、すなわち「良いラーメン屋」だとはいえないのではないでしょうか。
当たり前なことかもしれません。 ですが、このことはあちらこちらで忘れられてはいないでしょうか。
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しかし、時は変わってインターネット時代です。 インターネット時代での商売では『ニッチ』という言葉がキーワードなんだそうです。
先ほどのラーメン屋さんの話ですが、キチンと努力して研究して理想のラーメンに誠実に作ってさえいれば、きっと食べる人の心に届く筈です。 そう信じて努力します。 しかし、世の中そんなに甘くはありません。 そんな誠実なラーメン屋さんが常に繁盛するとは限りません。 恐らくは、うまくいかない理由は、地元民の支持を得るか得られないかの違いでしょう。 どんなにおいしくても、関西で関東風重厚な鰹ダシを前面に打ち出したにもかかわらず意外とあっさりラーメンを提供しても無駄でしょう。
場所が変われば地元も変わり、地元民の好みも変わりますが、問題はそう簡単に引越しすることが出来ないことです。
インターネットを使うと、つまり、こういうラーメン屋さんが簡単に毎日違う場所に一瞬にして引越しできるのと同じ状態になるという意味ではないでしょうか。
この事実は、日本の文化に大きな影響を与えると思います。
こうやって距離がなくなった世界では、いとも簡単に競争が発生します。 インターネット以前では、遠くのウマいラーメン屋も、インターネットの出現により簡単に競争相手になってしまいます。 こういう距離のない世界では、他と同じことをしていても簡単に比較されてしまうため、トップ以外は全て淘汰されてしまうという非常に厳しい状況に陥るでしょう。
しかし、状況はそれほど悲観的ではありません。むしろ楽観的ですらあります。 なぜでしょうか。
それは、IT革命により、ますます参入障壁が下がるからです。 今はまだまだ過渡期ですが、これまでは大規模な「会社」という組織を作らなければ実現できなかったような高度システムが、ソフトウェアの発達と低価格化により、簡単に個人レベルで構築できるようになります。
こういう世界では、むしろ独自性が強く求められることになります。これまでの日本伝統的な、他人の評価を気にする『協調』よりも、より自分らしくという『個人』という思想が適しているといえます。
つまり、インターネット以降は、「自分を押し殺し会社に尽くす」滅私奉公の社会とはまったく逆の、自分が考えて自分が感じた通りに行動する『自分になりきれた個人』が勝者となる社会に変化すると思います。
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とかく日本では、単純に「売上が大きい」=「価値が高い」と みなされがちです。 ですが、そういう相対的な評価である『値段』を『価値』とみなしてそれだけを追い求めると、無知で無責任な評価に振り回されてしまい、本当の意味での価値が生み出せないのではないかと、僕は考えます。
(失礼かもしれませんが、日本のソフトウェア業界の惨状、面白くない日本ジャズ界の原因は、まさにここにあるような気がします。)
インターネット時代では、そういう売上を超えた本当の意味での価値を追い求める純粋さが求められている様な気がします。
当然その価値観は人によって異なるでしょう。 それこそが、本当の意味のニッチであり、インターネット時代で提供される商品の本当のあり方だと思います。
生産とは価値ある物を生み出すことだと高校で習いましたが、価値とはそもそもなんだろうかと。 経済学を紐解くといろいろなことが書いてありますが、僕にはよくわかりません。
普通、価値とは値段の事ではないでしょうか。 価値が高ければ 値段もあがります。 希少価値なんて使われ方もします。 そういう場合希少価値が高ければ、値段も非常に高いものです。
逆に、たとえば株価が高い会社はすごい会社=価値の高い会社であるといわれたりもします。 値段が高いブランド製のバッグを持っていると人にえばれます。
ほかにも色々な例があると思いますが、一般的にいって価値が高いと値段も高い、値段が高いと価値も高いと考えられていると思います。
僕は当たり前の事を言っているのかもしれません。 ですが、価値と値段は違うものではないでしょうか。
よく考えてみれば、値段というのは『評価』のことではないでしょうか。 価値って言うのは人によって違うものです。 ある人が1000円のラーメンを高いと思っても、ラーメンが好きな人は安いと思うかもしれません。 当たり前ですが、その人がラーメンをウマいと評価していれば 1000円払うでしょうし、ラーメン自体好きでなければ1000円は払わないと思うのです。 つきつまるところ、価値というのはその人の考え方感じ方次第でいくらでも変化する物なのではないかと思います。
このように、他人の作ったモノを自分の価値に照らし合わせて評価した結果、値段が決まるのではないでしょうか。
だから、そのこだわりラーメン職人が最高だと思ったラーメンがその地元の人の好みにあわなくて安く評価されてしまうということはありそうです。 逆にそのこだわりラーメン職人が「どうよこれ」っていう感じのラーメンでも、地元の人に受け入れられて 高い売上をマークするということもありえます。経済の言葉を使うと『マーケットに受け入れられる』なんていうんでしょうか。
でも、僕は思うんです。
ラーメンの売上は、あくまでも*多く*の人から受け入れられた結果であって、一人のラーメン好き中年男性の心にどれだけ深く響いたかを、あらわしていないのではないかと。 本当のラーメンの価値基準は絶対に人によって違うはずです。
意外と誰でも一軒くらいは行きつけの汚いラーメン屋さんがあったりしないものでしょうか。 こういうラーメン屋は、売り上げは小さいかもしれませんが、ある人にとっては、かけがえのない心の拠り所であるかもしれません。
「売れてるラーメン屋」が、すなわち「良いラーメン屋」だとはいえないのではないでしょうか。
当たり前なことかもしれません。 ですが、このことはあちらこちらで忘れられてはいないでしょうか。
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しかし、時は変わってインターネット時代です。 インターネット時代での商売では『ニッチ』という言葉がキーワードなんだそうです。
先ほどのラーメン屋さんの話ですが、キチンと努力して研究して理想のラーメンに誠実に作ってさえいれば、きっと食べる人の心に届く筈です。 そう信じて努力します。 しかし、世の中そんなに甘くはありません。 そんな誠実なラーメン屋さんが常に繁盛するとは限りません。 恐らくは、うまくいかない理由は、地元民の支持を得るか得られないかの違いでしょう。 どんなにおいしくても、関西で関東風重厚な鰹ダシを前面に打ち出したにもかかわらず意外とあっさりラーメンを提供しても無駄でしょう。
場所が変われば地元も変わり、地元民の好みも変わりますが、問題はそう簡単に引越しすることが出来ないことです。
インターネットを使うと、つまり、こういうラーメン屋さんが簡単に毎日違う場所に一瞬にして引越しできるのと同じ状態になるという意味ではないでしょうか。
この事実は、日本の文化に大きな影響を与えると思います。
こうやって距離がなくなった世界では、いとも簡単に競争が発生します。 インターネット以前では、遠くのウマいラーメン屋も、インターネットの出現により簡単に競争相手になってしまいます。 こういう距離のない世界では、他と同じことをしていても簡単に比較されてしまうため、トップ以外は全て淘汰されてしまうという非常に厳しい状況に陥るでしょう。
しかし、状況はそれほど悲観的ではありません。むしろ楽観的ですらあります。 なぜでしょうか。
それは、IT革命により、ますます参入障壁が下がるからです。 今はまだまだ過渡期ですが、これまでは大規模な「会社」という組織を作らなければ実現できなかったような高度システムが、ソフトウェアの発達と低価格化により、簡単に個人レベルで構築できるようになります。
こういう世界では、むしろ独自性が強く求められることになります。これまでの日本伝統的な、他人の評価を気にする『協調』よりも、より自分らしくという『個人』という思想が適しているといえます。
つまり、インターネット以降は、「自分を押し殺し会社に尽くす」滅私奉公の社会とはまったく逆の、自分が考えて自分が感じた通りに行動する『自分になりきれた個人』が勝者となる社会に変化すると思います。
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とかく日本では、単純に「売上が大きい」=「価値が高い」と みなされがちです。 ですが、そういう相対的な評価である『値段』を『価値』とみなしてそれだけを追い求めると、無知で無責任な評価に振り回されてしまい、本当の意味での価値が生み出せないのではないかと、僕は考えます。
(失礼かもしれませんが、日本のソフトウェア業界の惨状、面白くない日本ジャズ界の原因は、まさにここにあるような気がします。)
インターネット時代では、そういう売上を超えた本当の意味での価値を追い求める純粋さが求められている様な気がします。
当然その価値観は人によって異なるでしょう。 それこそが、本当の意味のニッチであり、インターネット時代で提供される商品の本当のあり方だと思います。
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