Re: 音のはなし、続き。
2005年11月29日17:02
またものすごくながくなってしまったのでこっちに書きました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=58830752&owner_id=899448
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>日本でも音大だと「知的」と評価された曲を演奏したり研究すると喜ばれます(笑)。あんまりロックとかはいい顔されないので切ない。
正直、この話聞いて切なくなりました。
極端な言い方かもしれませんが、ジャズの世界だと 知的と評価される曲(モード系とか)を演奏すると、それだけで敬遠されます。 今では少し違うのかもしれませんが、そういう傾向は絶対あります。
そういう演奏をすると、セッション屋の奥からこだわりジャズ親父が出てきて、「お前の音はジャズじゃない云々」始まって、怒りはじめます。 彼らは音がデカければそれで満足なんではないか、とすら思ったときもあります。
実際、彼らは、Willow Weeps For Me とか大好きです。 僕だってウェスモンゴメリの演奏もありますし、大好きな曲の1つです。嫌いでは絶対に無いんです。 ですが、テナーサックスがグロールで唸る、コテコテのビバップばっかりやるのは、ぶっちゃけ、演歌みたいでイヤなのです。
なんで、アメリカでやっているみたいに肩肘張らずに普通に音楽が出来ないんだろう。
僕は日本で起こっている、これらのことについては、本当にいろいろ、色々な視点から、色々な事に関して、思うところがあります。
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以前別なところで書いたのですが、秋葉原のコンデンサ屋さんの話です。 秋葉原には電子パーツ屋さんが沢山あるのですが、コンデンサというのはアンプを作るうえで音色を決める非常に重要なファクターということで、色々な特徴を持つお店が軒を並べています。
所詮コンデンサーなんて原価数百円のものですが、古いコンデンサーは、独特で味のある音色を出しやすいということがあって、中古コンデンサーが結構な値段で売られていたりします。 こういうお店に行くと感じのよい店員さんが色々と教えてくれたり、親切に対応してくれます。
ところで、こういうコンデンサー屋さんの中に、「オーディオ」と頭につくコンデンサー屋さんがあるんです。 こういうお店に行くと、普通のコンデンサ屋さんとまったく同じものを売っていますが、店員に『うるさい親父』がいるという、大きな違いがあります。
恐らく彼らは店長であると思われるのですが、すぐにわかる特徴的な点は「お前はわかってない」という内容の発言と、あからさまに見下した態度です。 何度か、僕は、「彼ならばガラスケースの向こうから引きずり出して表に連れ出して殴っても構わないな」と感じたことがあります。
頭に「オーディオ」とつくと、売り物は全く同じであるにもかかわらず、どういうわけか 大きな違いがあります。
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何故こういうことになるのか、と考えたことがあるのですが、これは音楽に答えが無いからではないでしょうか。 あたりまえなんですが音楽はこれが一番良いという答えがないじゃないですか。
これがどういうことなのか考えるためには、スポーツと比べるのが一番良いと思います。 当たり前ですが、スポーツでは勝てばオッケーなのです。点を1点でも多く入れたもの、その点を入れることに寄与した者が評価されます。
見方を変えると、点を入れた人がどんなに嫌な奴でも、言っていることがどんなにデタラメでも、問題ありません。 どんなにその人が感じが良くても結果が出せなければ問題外な訳です。
例えば、田中さんが吉田さんを毛虫の様に嫌っているとします。 ですが、もし吉田さんが高い成果を出していたら、田中さんがどんなに吉田さんを憎んでいたとしても 評価する以外にありません。 そういう潔さが、スポーツにはあります。
ここが音楽と大きく異なる点です。
音楽は、音楽よりも、音楽を聞くことによって発生する精神状態(=きもちいい感じ)の方が重要なわけで、人によってどうやってその精神状態に達するのかは違うわけです。
これは、個性な訳ですから、人のことを考えて、どう気を使っても、どうしても違ってしまうわけで、人によって違うということを認めて、相手の個性を尊重する以外にないのです。
僕は思うんですが、日本人はここに*何故か*勝ち負けの価値観を持ち込んでしまうんです。 かくして、「お前はわかってる」「お前はわかってない」の不毛な闘争が発生するんだと思います。
その、老舗オーディオ屋の親父は、きっと、「お前は!30年もオーディオをいじっているのにそんなことも聞き取れないのか」という批判の矢面にしばしば立たされたんだと思います。 そういう不毛な攻撃に対する防衛手段として「お前はわかっていない」というフレーズが開発されたのではないでしょうか。
このことを考えると、バークリー音大のそばの喫茶店でセッションをやっていたところに潜入したときのことを思い出します。
ここは、ニューイングランドコンサバトリーの劇ウマ大学院生ミュージシャンと、バークリーの駆け出しミュージシャンが混在していました。 バークリーの駆け出し生徒が失敗して演奏が崩壊しても、誰も文句言わないどころか、きちんと対等に扱っていましたし、それぞれみんな自己責任という感じで自分の演奏に集中していたのが、日本人的にはものすごく印象的でした。
きっとそういう「人がなんていおうと構わない」という精神的な自立も重要なファクターなんだと思います。 と、同時に他人のことをとやかく言わない成熟した社会も必要条件だということを忘れてはいけません。
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僕は、アメリカには3ヶ月しかいたことは無いんですが、第一印象はとにかくラクチンでした。 日本にいると独特の疲弊感をいっつもかんじます。 自立できない人と、自立を許さない社会がペアになって足を引っ張り合っているように感じます。
そういうと、お前は社会に適応できないだけだ! お前は不器用な奴だ! がんばれ!と絶対に言い出す人がでてくるんです。それは絶対に違います。 この人間関係の独特なめんどくささは日本の大きな特徴だと思います。
これも他で書きましたが、タイも結構 日本と似ているんです。ですが、それほど面倒くさくありません。 昔からのアジアを守っているせいだと思うんですが、僕がまだよくわかっていないだけかもしれないので、わかりません。
これは推測なんですが、西洋化したアジアの国がそういう傾向がある様な気がします。僕は香港の事は良く知っているわけではないのですが、日本とかなり近い印象は持ちました。 これはもうちょっと良く調べてみないといけないと思っています。
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>多分、もう一昔前の日本人はこういうことをしていたんじゃないかと思うのですが
そうなんです。 ここが、凄く難しくて、では 日本がそういう抽象的な考えを「全く」持っていないか、というそうではないんです。 数学者 岡 潔とか 物理学の湯川秀樹とか偉大な人もいっぱいいますし、日本の車産業とか、アニメ産業とかは、どう考えても、凄いんです。
この話はこのあたりからさきは、僕もまだわからないんです。知っている人がいたら嬉しいんですが...
僕は、最近では、僕が結果を出して この考えが正しいという事を証明する以外にはないんだな、と思っています。 今もそうやって地道に行動しているんですが、まだまだ道のりは長そうです。
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なんといっても、日本人は 音楽みたいに価値観が人によって相対的に変化していく文化に弱い。 すぐいじめっ子が出てくる。
他にも いっぱい意見を述べたい点 --- 音楽の価値観は色々許されているんだけど、にも関わらず方法論にはきちんと一貫性があることとか --- はあるんですが...
さすがにこれは絶対に長すぎたので今回はこのあたりで...。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=58830752&owner_id=899448
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>日本でも音大だと「知的」と評価された曲を演奏したり研究すると喜ばれます(笑)。あんまりロックとかはいい顔されないので切ない。
正直、この話聞いて切なくなりました。
極端な言い方かもしれませんが、ジャズの世界だと 知的と評価される曲(モード系とか)を演奏すると、それだけで敬遠されます。 今では少し違うのかもしれませんが、そういう傾向は絶対あります。
そういう演奏をすると、セッション屋の奥からこだわりジャズ親父が出てきて、「お前の音はジャズじゃない云々」始まって、怒りはじめます。 彼らは音がデカければそれで満足なんではないか、とすら思ったときもあります。
実際、彼らは、Willow Weeps For Me とか大好きです。 僕だってウェスモンゴメリの演奏もありますし、大好きな曲の1つです。嫌いでは絶対に無いんです。 ですが、テナーサックスがグロールで唸る、コテコテのビバップばっかりやるのは、ぶっちゃけ、演歌みたいでイヤなのです。
なんで、アメリカでやっているみたいに肩肘張らずに普通に音楽が出来ないんだろう。
僕は日本で起こっている、これらのことについては、本当にいろいろ、色々な視点から、色々な事に関して、思うところがあります。
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以前別なところで書いたのですが、秋葉原のコンデンサ屋さんの話です。 秋葉原には電子パーツ屋さんが沢山あるのですが、コンデンサというのはアンプを作るうえで音色を決める非常に重要なファクターということで、色々な特徴を持つお店が軒を並べています。
所詮コンデンサーなんて原価数百円のものですが、古いコンデンサーは、独特で味のある音色を出しやすいということがあって、中古コンデンサーが結構な値段で売られていたりします。 こういうお店に行くと感じのよい店員さんが色々と教えてくれたり、親切に対応してくれます。
ところで、こういうコンデンサー屋さんの中に、「オーディオ」と頭につくコンデンサー屋さんがあるんです。 こういうお店に行くと、普通のコンデンサ屋さんとまったく同じものを売っていますが、店員に『うるさい親父』がいるという、大きな違いがあります。
恐らく彼らは店長であると思われるのですが、すぐにわかる特徴的な点は「お前はわかってない」という内容の発言と、あからさまに見下した態度です。 何度か、僕は、「彼ならばガラスケースの向こうから引きずり出して表に連れ出して殴っても構わないな」と感じたことがあります。
頭に「オーディオ」とつくと、売り物は全く同じであるにもかかわらず、どういうわけか 大きな違いがあります。
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何故こういうことになるのか、と考えたことがあるのですが、これは音楽に答えが無いからではないでしょうか。 あたりまえなんですが音楽はこれが一番良いという答えがないじゃないですか。
これがどういうことなのか考えるためには、スポーツと比べるのが一番良いと思います。 当たり前ですが、スポーツでは勝てばオッケーなのです。点を1点でも多く入れたもの、その点を入れることに寄与した者が評価されます。
見方を変えると、点を入れた人がどんなに嫌な奴でも、言っていることがどんなにデタラメでも、問題ありません。 どんなにその人が感じが良くても結果が出せなければ問題外な訳です。
例えば、田中さんが吉田さんを毛虫の様に嫌っているとします。 ですが、もし吉田さんが高い成果を出していたら、田中さんがどんなに吉田さんを憎んでいたとしても 評価する以外にありません。 そういう潔さが、スポーツにはあります。
ここが音楽と大きく異なる点です。
音楽は、音楽よりも、音楽を聞くことによって発生する精神状態(=きもちいい感じ)の方が重要なわけで、人によってどうやってその精神状態に達するのかは違うわけです。
これは、個性な訳ですから、人のことを考えて、どう気を使っても、どうしても違ってしまうわけで、人によって違うということを認めて、相手の個性を尊重する以外にないのです。
僕は思うんですが、日本人はここに*何故か*勝ち負けの価値観を持ち込んでしまうんです。 かくして、「お前はわかってる」「お前はわかってない」の不毛な闘争が発生するんだと思います。
その、老舗オーディオ屋の親父は、きっと、「お前は!30年もオーディオをいじっているのにそんなことも聞き取れないのか」という批判の矢面にしばしば立たされたんだと思います。 そういう不毛な攻撃に対する防衛手段として「お前はわかっていない」というフレーズが開発されたのではないでしょうか。
このことを考えると、バークリー音大のそばの喫茶店でセッションをやっていたところに潜入したときのことを思い出します。
ここは、ニューイングランドコンサバトリーの劇ウマ大学院生ミュージシャンと、バークリーの駆け出しミュージシャンが混在していました。 バークリーの駆け出し生徒が失敗して演奏が崩壊しても、誰も文句言わないどころか、きちんと対等に扱っていましたし、それぞれみんな自己責任という感じで自分の演奏に集中していたのが、日本人的にはものすごく印象的でした。
きっとそういう「人がなんていおうと構わない」という精神的な自立も重要なファクターなんだと思います。 と、同時に他人のことをとやかく言わない成熟した社会も必要条件だということを忘れてはいけません。
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僕は、アメリカには3ヶ月しかいたことは無いんですが、第一印象はとにかくラクチンでした。 日本にいると独特の疲弊感をいっつもかんじます。 自立できない人と、自立を許さない社会がペアになって足を引っ張り合っているように感じます。
そういうと、お前は社会に適応できないだけだ! お前は不器用な奴だ! がんばれ!と絶対に言い出す人がでてくるんです。それは絶対に違います。 この人間関係の独特なめんどくささは日本の大きな特徴だと思います。
これも他で書きましたが、タイも結構 日本と似ているんです。ですが、それほど面倒くさくありません。 昔からのアジアを守っているせいだと思うんですが、僕がまだよくわかっていないだけかもしれないので、わかりません。
これは推測なんですが、西洋化したアジアの国がそういう傾向がある様な気がします。僕は香港の事は良く知っているわけではないのですが、日本とかなり近い印象は持ちました。 これはもうちょっと良く調べてみないといけないと思っています。
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>多分、もう一昔前の日本人はこういうことをしていたんじゃないかと思うのですが
そうなんです。 ここが、凄く難しくて、では 日本がそういう抽象的な考えを「全く」持っていないか、というそうではないんです。 数学者 岡 潔とか 物理学の湯川秀樹とか偉大な人もいっぱいいますし、日本の車産業とか、アニメ産業とかは、どう考えても、凄いんです。
この話はこのあたりからさきは、僕もまだわからないんです。知っている人がいたら嬉しいんですが...
僕は、最近では、僕が結果を出して この考えが正しいという事を証明する以外にはないんだな、と思っています。 今もそうやって地道に行動しているんですが、まだまだ道のりは長そうです。
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なんといっても、日本人は 音楽みたいに価値観が人によって相対的に変化していく文化に弱い。 すぐいじめっ子が出てくる。
他にも いっぱい意見を述べたい点 --- 音楽の価値観は色々許されているんだけど、にも関わらず方法論にはきちんと一貫性があることとか --- はあるんですが...
さすがにこれは絶対に長すぎたので今回はこのあたりで...。
コメント一覧
かおたん 2005年11月30日 20:28
>あたりまえなんですが音楽はこれが一番良いという答えがないじゃないですか。
この言葉、かなりジャズミュージシャンらしい気がします。
この言葉、かなりジャズミュージシャンらしい気がします。
チエ 2005年12月05日 08:40
時間があいてしまいました……;
>日本人は 音楽みたいに価値観が人によって相対的に変化していく文化に弱い。
相対的な価値の社会にいて、本来なら得意分野のような気もするのですが、そうもいかないのかな(笑)。夏目漱石が「西洋が数百年かけて行った近代化を日本は数十年でやろうとしてて、そこに無理がある」と書いていたのを思い出しました。こうした考えも結局西洋に世界が傾いていることの証明ではありますけれども。
一昔前の日本人と洋楽受容に関しては渡辺裕さんの本がおもしろかったです。宮城道雄の話とか、興味深いです。
>日本人は 音楽みたいに価値観が人によって相対的に変化していく文化に弱い。
相対的な価値の社会にいて、本来なら得意分野のような気もするのですが、そうもいかないのかな(笑)。夏目漱石が「西洋が数百年かけて行った近代化を日本は数十年でやろうとしてて、そこに無理がある」と書いていたのを思い出しました。こうした考えも結局西洋に世界が傾いていることの証明ではありますけれども。
一昔前の日本人と洋楽受容に関しては渡辺裕さんの本がおもしろかったです。宮城道雄の話とか、興味深いです。