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2005年10月27日木曜日

プログラマはマッドサイエンティストなのか (mixi05-u459989-200510270615)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
プログラマはマッドサイエンティストなのか
2005年10月27日06:15
5:50 2005/10/27

プログラマはマッドサイエンティストなのか

昨日見たニュースサイトの改ざんを行った「犯罪者」の言った言葉が忘れられない。

「これくらいなら、シロウトさんでもすぐに出来ますよ」

シロウトさん。 不思議な言葉だな、と思った。

彼の技術レベルは赤ちゃんのよちよち歩きと同じで全く幼稚だ。彼が行ったサイトの改ざんという作業は誰でも出来る。 基礎技術だからだ。 技術という言葉を使うことすら違和感がある。 医者に例えれば、患者の服の脱がせ方みたいな物だ。 初歩にもあたらない。

その彼が「シロウトさん」という言葉を使った。 これはどういう意味なのだろう。

世の中は、シロウトさんとクロウトさんに別れていて、クロウトさんが作ったものをシロウトさんが甘受する。 シロウトさんは何も出来ないので、クロウトさんがシロウトさんに何を作るかに関して責任を負う。 そんな意味が暗に示されているような気がしてならない。

今のところ、情報を発信することが出来る人はコンピューターの知識が一定レベル以上に達している人だけに限られている、いわゆる「クロウトさん」のみが許される行為だ。 ブログの出現によって個人が情報発信できるようになった、といわれるが、とはいえ、やはりある程度コンピューターの知識がある人に限られているのではないだろうか。

だが、これは非常に近い将来間違いなく解決される。 これはインターネットの性質(というかコンピューターのデータの性質)の基本なので、難しいことではないからだ。

そうなったら、どうなってしまうのだろう。

誰でも高いクオリティーをもって情報を発信できる。 誰でも信頼性の高いかっこよいデザインでニュースサイトを構築できる。 誰でも実に簡単に情報の発信が出来るようになるのだ。情報発信という特権がこれまで一般市民の羨望の的だった「マスコミ関係者」から剥奪される事を意味する。

マスコミが発信する情報に偏りがあって不完全であるということが指摘されたのは今に始まったことではなく、昔から、マスコミに対する批判は、小説家やミュージシャン知識人等によってなされてきた。 だが、今や批判する時代は終わったのだ。 インターネットを使えば簡単に行動で示せる。

ネットとテレビの融合が必要だ、といわれて久しいが、恐らくそれは実現しないだろう。 何故ならば、実現する必要が無いからだ。 情報の発信という行動に対するコストが価格破壊を起こしている為、特権として機能しなくなっている。 マスコミの世界で安泰としてあぐらをかいていた人達は特権を剥奪され、淘汰されて消えていく運命にあるのだ。

従来、情報発信には高価な機材やスタジオ等の資源が必要だった。 それは、これら情報発信する資源にアクセスできる人達は限られていた、という事を意味する。

だが、今やインターネットのみならず、デジタル録音録画機器の高性能化と低価格化によって誰でもクオリティーの高いデータを作成できる。 またソフトが充実していくことによって恐らく人員コストも削減されることだろう。 つまりは、全部一人で出来るということなのだ。

録音機材を例を挙げると最高のデジタル録音機材でも3~40万円でそろえることが出来る、といえばそのインパクトがお分かりいただけるだろうか。そこそこのレベルで構わなければ10万円もあれば全てそろう。 それでも従来の機材よりもはるかに高性能なのだ。

こういう状況下が実現すると、これまでの会社というシステムを通らずにクオリティーの高いニュース、音楽、映像、小説といった情報を作り出していく個人が表れることは間違いない。

シロウトさん。 クロウトさん、というナンセンスな区分はもうやめよう。

テレビの世界で高価な報道機材にアクセスできる人が限られていた様に、コンピュータが得意な人だけが情報発信する時代は終わる。

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テレビに出ていたニュースの解説者は「こういう人が現れると非常に困るんですよ」といっていた。 ホームページの改ざんなんて高度な技術をもった人がウソを付くなどという反社会行為を行うのは困る、という文脈だった。 だが、ホームページの改ざんは技術と呼べるような難易度の高い要素を持った行為ではない、という事はすでに指摘した。

今のところ、プログラミングの知識を持たない個人が簡単に情報を発信できるようなシステムを作っている人は、幸か不幸か表れていない。

実は、僕はそれを作ろうとしているのだが、何となく日本でそれをやると、僕は逮捕されてしまうのではないだろうか、という気がしてきた。

ホームページの改ざんを禁止したら、世の中のホームページ作成技師は仕事が出来なくなってしまう。 標準的なホームページ作成ソフトDreamWeaverには、それを自動化する機能すらある。 ホームページの改ざん自体に悪はない。 結局その技術を使って何をするのか、それが問題なのだ。

例えば、車は悪だろうか。 車は移動手段として優れた装置だが人を殺すことも出来る。 現に先日商店街を狂人がトラックで暴走して数人が亡くなったり怪我をしたりした事件があった。

だからといって、トラックを開発した会社が責任をとるわけはない。「トラックを禁止しろ」とは誰も言わない。 それと同じではないのか。

ホームページの改ざんを自動化して一瞬のうちに何十万というオリジナルのホームページを生成することは可能だ。 流行しているブログもそういったシステムの一つだ。

だが、これを使って偽のホームページを大量に生成した人が現れたとしたら、今の日本社会が持っている文脈から行くと、恐らくそのシステムの開発者が責任を問われるだろう。

インターネット上で大量の複製を作るということは、技術ではなくてインターネット上で当然可能なことなのだ。 だが日本の社会には「作れるからといって作っていいものと悪いものがある」という視点が醸成されているような気がしてならない。

プログラマはマッドサイエンティストではない。

そもそも、プログラミングとサイエンティストが決定的に違うことは、サイエンティストが未知の物を研究するのを生業としていることに対して、プログラマは既知のものを単に利用している、と言うことだ。 プログラマが作るものは既に有るものなのだ。インターネット上で大量のデータを複製するソフトを作った人がいたとしても、インターネットが長い時間かけて開発されたなかのほんの最後の1歩を作業しただけといえる。

誰かが、ソフトウェアエンジニアが作ったソフトウェアを利用して反社会行為と思しき行為を行った時、社会(というか今の現行のマスコミ)は、その現象がどういう性質のものなのかを考えることが面倒なのでそこで思考停止してしまっている。 そして、それを理解できるソフトウェアエンジニアに責任の全てを押し付けている。

そんな気がしてならない。
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出展 2005年10月27日06:15 『プログラマはマッドサイエンティストなのか』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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