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2005年8月15日月曜日

ミクシやってたら話しかけられた (mixi05-u459989-200508152016)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
ミクシやってたら話しかけられた
2005年08月15日20:16
家にインターネットがなくなったので、最近はインターネットカフェやホットスポットで ミクシしています。

横浜のモスバーガーが一番近いホットスポットなので、結構良くいくのですが、ミクシやってたら、なんか隣の女の子達に「ミクシやるんですかー?」って話しかけられました。

それで、その子達と10秒位話したら さっと 表情に氷が張ったようになって、話は終わった。 明らかに避けられているようでした。

はい。 確かに、僕は 変なヤツです。 すみません。
人の話も聞かない。 ごめん! ○| ̄|_
そのとおりです。



でも、僕は、この反応は絶対日本独特だと思うんです。

恐らく、その子達はちょっと話して、この人は違うと感じたんだと思うのです。 それは、いいんです。 そう思った時、日本以外の国だと、自分とどう違うのかという話になる事が多いのですが、日本だと単純に無視して避けようとする気がするんです。

大人だから出来ない、教育がなってないから出来ない、子供だから出来ない、東洋人だから出来ない、という事はないと思います。 出来る国では子供でもやっているからです。

僕は、シンガポール人の友達で12歳の女の子がいるけど、普通に会話して意見交換できます。 ハンガリーのチャット友達の女の子も12歳だけどムチャムチャしっかりしてる。 歴史も詳しいし 社会情勢も 詳しい。



では、日本人は頼りないのかというと、絶対そうじゃないとおもうのです。絶対に違うと思うのです。 それは、日本では自分の意見を主張する事は、ワガママ=絶対悪だからだと思います。

そんななかで誰も本当の事をいえず、理解されなくて孤独だと思うのです。

どんどん複雑になる日本人。 もっと、日本人自身が日本人を許していかないと、日本の人間関係、将来は非常に辛いものがあると思うんですが、どう思いますか?
コメント一覧
禅   2005年08月16日 00:20
難しいね~
まやや   2005年08月19日 11:59
横浜のモスですか? ジョイナスのとこ?
今度ミクシやってる人見かけたら話かけてみよう。

私が帰国する頃、あちしは海の外かしらん。。。

どこにいても、身体は大事にするんだぞ。
おかあつ   2005年08月19日 22:04
そうです。相鉄ジョイナスです。
おぬし!ジョイナスを知っているとはタダ者ではないな!
まややさんて、微妙にご近所ですねー?

>私が帰国する頃、あちしは海の外かしらん。。。
いつ帰国するんですか?
うちのおかん   2005年08月29日 23:50
おぎゃーと生まれてから日本人ばかりで単一民族の国で育ち、
自己主張が好まれない文化で教育され異質なものは避けられてしまうのだよね
うちのおかん   2005年08月29日 23:52
おぎゃーと生まれてから日本人ばかりで単一民族の国で育ち、
自己主張が好まれない文化で教育され異質なものは避けられてしまうのだよね
おかあつ   2005年08月30日 00:43
キタ━━━━ (゚∀゚)━━━━━ 私の好きなタイプの書き込み!

実は僕はそれは違うと思うんです。

それはなぜかというと、日本は小さい国だけど、地域格差や年代格差が 他の国より大きいからです。 だから、そうした違いを、もともと違うものだという前提で話し合っていかないとコミュニケーションは成り立たないはずなんです。

例えば同じ日本人でも戦後のヤミイチでカッパライでも何でもして生きてきた世代と、コンビニで万引きをする世代というのは、同じ窃盗でも、文脈がぜんぜん違います。

同じジャズを聴くにしても、戦後のアメリカ文化の流入の流れの一つとして貧困の中で聞いたジャズと、今のおしゃれな物としての認識が固まっているジャズでは、ぜんぜん文脈が違うとおもうのです。

そういう時に、「いや、ほら、僕の時代は終戦直後だったから、ああいうのが 今のアムロナミエみたいに、はやり物だったんだよねー」 「ああそうなんですか、僕の時代はもうだいぶ一般化していたので、大分意識が違いました」 見たいな会話を僕はしたい!

だけど、こういう話になると、日本は、とかく、どちらが正しいか、という話になりがちです。 それが、僕は悲しい。

「僕の時代は終戦直後だったから」 -- 「オヤジくさくて暗いんだよねー。モレには良く判らん」
とか
「僕の時代はもう大分...」--- 「理屈ばかりならべおって。最近の若いモンは苦労を知らんからじゃ」 みたいな。

元々違うんだから、共通を前提としたコミュニケーションは無理なんです。 これは、たまたま、ジェネレーションギャップの例ですが、地域差、世代格差、学歴、家庭環境、等々色々なケースで、色々なパターンがあると思います。


現代日本では、みんなが同じでなければいけないという大前提があって、同じでないものは排除しても構わない、という暗黙のルールがあるのだと思います。

僕が言いたいのは、その「共通の価値観」が既に崩壊しているので、それを基盤にしたコミュニケーションはもう成り立っていないということです。 もともと違うんだ、ということを前提にした より合理的なコミュニケーションが求められていると思うのですが、 それは、これまでのルールを違反しているので、どうしても 移行できない。

僕はこれを「半アジアの限界」と呼んでいます。

これは、日本特有の問題ではなくて 近代化したアジア国家では 結構良く起こっている問題だと思います。 なんでかっていうと、香港に行ったとき、友達が全くおんなじようなことで悩んでいたからです。

... と、言ってみるテスト。
 
出展 2005年08月15日20:16 『ミクシやってたら話しかけられた』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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