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2020年6月13日土曜日

東京人は歩くのが遅い (oka01-vuvapfggkhfreryk)



僕は江戸っ子だ。東京の江戸っ子は実は少数派だ。東京にいる人のほとんどの人は東京出身ではない。…と同時に僕は関西人だ。東京人の大半(特に都心)は関西人だ。 僕の親族は関西と関東の両方がまざっている。江戸っ子であり関西人でもある僕は『東京は歩きにくい』と毎日思っている。みんな流れを見ていないので、すぐに人混みで立ち尽くしたり人の鼻先を横切ったりする。

ブログ『大阪で標準語使うと嫌われるとゆーこととエスカレータの棲み分け

大阪には、街中の人の流れは、川の水と同じく、滞らせてはいけないという共通認識があると思う。街中で歩くとは、その流れに乗ることだ。その流れが、大阪の場合、至ってランダムで未整理である。複数の流れが渦を巻かないぎりぎりの線で錯綜している。だから、街を歩く行為は、自分がその中のどの流れに乗るか見極めることから始まるので、他都府県の方々が、大阪の街は歩きににくいと言うのも無理はない。でも、慣れればかえって歩きやすい街だ。


基本的に僕も同感だ ─── 同感なのだが僕は東京を歩く人を見ていて、歩くのが下手糞な人の大半が関西人であることも思うのだ。僕は関東人・関西人・東北人の全てが混ざっているので、関東人・関西人・東北人の区別が大まかにつく。だからわかるのだが都内でボケっと歩いている人はしばしば関西人だ。関東人は基本的に漁師なので運動神経・視力は基本的に良い。また非常に気が短く歩くのも速い。

─── 僕は何故こういう矛盾が生まれるのか考えるのだが、こういうことではないかと思っている。



歩くのが下手糞な東京人の正体

東京は物価が高いので東京に住むためにはある程度学歴が高くないといけないだろう。東京在住で定期的な収入なしでアルバイトのみで生計を立てるのはとても難しい。だが定職に付くためには資格・学歴・技能などが必要だ。だから東京に出てくる関西人は勉強が得意な人が多いのではないだろうか。

勉強が得意なタイプはしばしば視力が悪く運動神経も悪い。だから歩くのが遅い。そういう「あまり関西っぽくない関西人」が東京には多いのではないか、と思う。

僕がもうひとつ気付いた事に、東京在住の大阪人のことがある。大阪人はいわゆる関西っぽい人がいない。人前で大声で関西弁を話したり、関西弁を喋らない人を攻撃したり…といった所謂関西人の様な大阪人を僕は独りも知らない。大阪人といえば丁寧に標準語を喋り、とても丁寧な言葉遣いで勉強が得意で仕事をバリバリこなしている人がほとんどだ。

僕は東京人で基本的に江戸弁を第一言語として喋るが、人前で江戸弁を大声で喋ることなどほとんどない。「テメェ!バカヤロウ!コンチクショウ!」が連発するそれを大きな社会で喋るということは反社会的なことだ。江戸弁とは基本的に非常に失礼な言語だ。失礼なだけでなく意味が通じないことも多い。江戸弁には案外と独特な表現が多く、慣れていないと聞き取れないことも稀でない。また東京には色々な人がいるので、自分の文化を他人に押し付けても仕方がない  ─── それと同じことを大阪人も思っているのではないか…と思う。多様性の高い社会で育てば、多様性に柔軟に対応しなければ痛い目にあう…とそういうことを当然思うものだ。

僕は歩くのが非常に速いのだが、僕は東京を歩いていて人々の歩く速度の遅さ、反応の遅さにいらだちを感じない日はない。 歩けば1日に最低2人は反射的に蹴飛ばしたくなる様な人と出会う。よそ見運転のママチャリ・暴走老人・酩酊中年等々・スマホ注視少女、もはや自殺行為といえるような通行方法をしている人が大勢いる。だがそれは日常茶飯事であり、いちいち怒っていたら切りがない。東京には色々な人がおり、運動神経が良い人もいるし、運動神経が悪い人も同様にいる。みんなが苦手なところを補完しあって助け合うことができるのが東京という場所のメリットではないか。

周りを見ていないので人の目の前を平気で横切る。どちらに避けるのかも判別がつかない。そもそも彼らは、右によければ必ず右に来るし、左に良ければ必ず左に来るし、運動神経が悪い人というのはどうやっても避けることは不可能だ。必ずぶつかる。僕が立ち止まれば向こうも立ち止まる。どうやってもぶつかりそうになるのが彼らの性分なのだ。彼らはぶつかりたいのだ。 忙しい時などはその立ち止まった足を猫足立にしてそのまま前回し蹴りを入れてなぎ倒したくなる衝動にすら駆られるが、それが彼らの性分なので許して受け入れなければいけない。

僕はやむを得ず立ち止まって彼らをやり過ごす。 彼らはこちらに目もくれずそのまま自分の進行方向を一切変えず通りすぎてゆく。 僕は心の中で自分にこう語りかけている ─── 「カーン!カーン!カーン! 電車が通過します! ご注意ください! カーン!カーン!」ここで敢えて踏切の警報機の真似をすることにより自分の笑いを誘い出し、自分の怒りを抑えているのだ。

─── そういう苦しい時期が長く続いたのだ。だが既に悟りを開いた僕はもうその程度のことで心が波が立つことはありえない。

しかしそうやって必死に歩くスピードを落としている僕のもとへの新たな挑戦者が表れる。

「なんやこの東京モンは!歩くのおっそいおっそいわ。うざ! 少しくらい蹴飛ばしたったれや、どうせきづかへんわ!」

残念なことに僕には、前を歩いている人だろうが後ろを歩いている人だろうが、それが関西人がそうでないかくらい即座に判別がつく。歩き方が違うからだ。

急いでいるのは僕も同じ。貴様に道を譲らなければいけない理由は何もない。

それにほら ─── 君は既に僕を蹴飛ばしてしまったではないか。

そう。回し蹴りの生体練習台の登場である。

「正当防衛だな」…僕はニヤリと笑った。

結論

東京というのは色々な人がいる。感覚の合う人も合わない人も大勢いる。それぞれみな良い所も悪い所もある。癖も人それぞれ。東京都はそもそも、人の違いを柔軟に受け止めながら協力しあうことで夢のある大きな仕事を実現する場所ではないか。

東京に来たら、東京人は歩くのが速いとか歩くのが遅いとか、そういう田舎者みたいなことを言ってはいけないのだ。

つかだいたいみんな東京人じゃないし。

そもそも歩くのが本当に速い人は、他人に文句を言う前に自分が黙って避ける。

他人に文句を言って避けていない段階で歩くのが本当に速いのか疑問である。


著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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