2003年5月1日
今日(5/1)某ジャズのコラムを読んでいたら、ジャズは大別して二種類あると言う趣旨の話があった。大きく分けて立派じゃないけど面白い・立派だけど面白くない物があるという話だった。それで僕の大好きなジャズピアニスト・スティーブ・キューンを引き合いに出して立派だけど面白くないと言われていたのでなんだかなぁと思った。
しかしながらこれは今のジャズの世界では、極めて一般的な価値観だと思う。
カーリンクローグもスティーブキューンもいわゆるヨーロッパジャズスタイルだ。ヨーロッパジャズといっても様々ある。一般的にヨーロッパジャズとは、独特の透明感と独特なタイム感を伴って演奏され、即興が重視しされており、フリージャズの要素を含んでいる場合も多い。地味で音量は小さく美しい。
僕は、こういう音楽を美しいと思い、また、面白いとも思う。これは、これで一つの音楽だ。
日本では一般的に音量が小さいとつまらないとされがちだ。別にそれがいけないとは言わない。しかし、ほとばしるビバップライン、叫ぶサックスブキー!ドラムもドガシャーン!という感じで、汗がほとばしり、ドシャーンと盛り上がって、オシマイというパターンが好まれる。
(お前はそれが嫌いなのかというと実は僕はそれはそれで結構好きなんですが。)
しかし、どことなく、「盛り上がらないとつまらない」という傾向が、どこかあると思う。
ただここで問題だと思うのは好みの傾向ではなくて、好みの傾向と異なる物に対して、良い音楽ではないというネガティブな印象を持っている事が多い、という事だ。
世の中いろんな音楽があって勿論その中で好みに合う物もあれば合わない物もある。これは視点を変えると、その音楽が表現している世界が、その音楽を聴いているリスナーの世界に含まれているかいないか、といういい方も出来ると思う。
自分とは違う世界観の人に出会った時、それを否定せずに、自分とは違うひとつの世界として、素直に「ああ、あなたにはその世界があるんですね...私にはないんです」という様な、理解する側、される側、お互いに尊敬をもってコミュニケーションを取ると言う事は、創造的な活動を行ううえで非常に重要な前提だと思う。
だが、一般的には「どちらが良い悪い」や、あるいは「勝ち負け」の話しになりがちで、どうしても、違いを認め合うという方向に行き辛くはないか。
何故こうなのか、もうずいぶんと長い亊考え続けているけども、日本では全ての人がほぼ同じ価値観を持っている事を暗黙の前提としてコミュニケーションをしており、そういう健全な対立が完全に抑圧されているからなのかな、と漠然と思う。
世の中おんなじ価値観の人間なんていない訳で育った環境も能力も価値観も違うなかで、お互いに多様性を認め合っていたほうが結果的に円満だと思うんだけど...。
2003年5月1日
2013/8/21 ... 編集中の余談コメント
ジャズ批評家は言う。
「ジャズは大別して二種類ある。立派じゃないけど面白いジャズマンと、立派だけど面白くないジャズマンだ。」
確かにその通りかも知れない。
だが、ジャズ批評家も大別して二種類ある事にも注意が必要だ。
2013年度版おかあつは言う。
「ジャズ批評家には大別して二種類ある。立派で面白いジャズ批評家と、立派じゃなくしかも面白くない批評家だ。」
さて、2013年のおかあつと比較すると、2003年のおかあつは、極めて真面目だった。真っ直ぐ目的に進む強さを持っていた反面、矛盾や弱さをいたわりつつ、不満を皮肉やギャグにこめて、やんわりと相手に伝える器用さがなかったことを思う。 ─── だが2013年のおかあつは、皮肉やギャグばかり言って、真っ直ぐ目的に突き進む強さと行動力を忘れてはいないか。
ジャズ批評家は言う。
「ジャズは大別して二種類ある。立派じゃないけど面白いジャズマンと、立派だけど面白くないジャズマンだ。」
確かにその通りかも知れない。
だが、ジャズ批評家も大別して二種類ある事にも注意が必要だ。
2013年度版おかあつは言う。
「ジャズ批評家には大別して二種類ある。立派で面白いジャズ批評家と、立派じゃなくしかも面白くない批評家だ。」
さて、2013年のおかあつと比較すると、2003年のおかあつは、極めて真面目だった。真っ直ぐ目的に進む強さを持っていた反面、矛盾や弱さをいたわりつつ、不満を皮肉やギャグにこめて、やんわりと相手に伝える器用さがなかったことを思う。 ─── だが2013年のおかあつは、皮肉やギャグばかり言って、真っ直ぐ目的に突き進む強さと行動力を忘れてはいないか。
更新記録
公開 8/21/13 8:00 PM