現代のネットについて思ったこと(独り言メモ)
2007年03月01日11:32
問題⇒
最近、検索しても面白いと思える情報にヒットしなくなった。
考察⇒
本 : 本であれば、本を出版するのは費用がかかったし、時間をかけて原稿を書いて校正もする必要もあるので、敷居が高い。 ⇒ 結果的にその敷居の高さが書いているもののレベルを上げていた。
ブログ以前(2000年ごろ) : この時代は、ホームページを作るのは、本を出版するほど費用的に難しくはないにしろ、非常に高い技術を必要としたので、それなりに敷居が高かった。 ⇒ 本と同じ様に、結果的にその敷居の高さが書いているもののレベルを上げていた。
ブログ時代(2005年ごろ): ブログが一般的になった。 ウェブサービスも盛んになった。 ホームページを作るのは、非常に簡単なことになった。 ⇒ その情報のクオリティーの高さを担保するものが何も無くなった。
現在(2007年): 混沌状態:誰もが「日記」「論文」「雑誌」「読み物」「手紙」「メモ」「本」「作文」「草稿」レベルの文章をネット上にアップロードできるようになった。 その情報のクオリティーはまちまちである。グーグルが考えた、リンクの数で情報のクオリティーを担保する、という考え方自体が破綻しつつある。
僕は、今のシステムに欠如しているのは、本質的に「情報のクオリティーを担保する機能」だと思う。
その機能が欠如しているために、本来システム上だけで自立しているべきものであるにもかかわらず、テレビ・大企業・国などの、ウェブシステム以外の要素に依存する形で、情報のクオリティーを担保している。
◇
また、以前は、一部の人間のみが知りえたウェブアプリケーション開発技術も世の中で一般的な知識に近づきつつあるため、ウェブアプリケーションも乱立状態である。 殊にSNSで、その傾向が強い。
この様に、統一されないアプリケーションが乱立する状況というのは、実は歴史的に見ても珍しくない現象なのだが、これは一種のアンチパターンである。 それぞれが独自のシステムを勝手に作り、それらの間のデータの互換性が無いということは、長期的に見てネット全体の発展の大きな障害となっていると考えられる。
◇
本当に正しい事、本当に重要な事というのは、目立たずに、ひっそりと、しかし、すっくとそこに立っているものである。
そういう埋もれた価値ある情報をきちんと整理して、誰もが簡単にアクセスできるようにしたい。
今のネットは余りにも混沌としすぎている。
◇
余談:
この文章を書いている時、アンチパターンという言葉で検索をかけたが、ヒットする件数の少なさには、非常に驚いた。
http://www.google.com/search?q=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3+%E8%82%A5%E6%BA%80%E5%85%90++%E7%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%A5%BC%E9%96%A3+%E7%84%A1%E8%83%BD%E9%9B%86%E5%9B%A3%E5%8C%96&btnG=Search&hl=en&safe=off
これは、存在するのに到達できないというネットの混沌を表すのか、単にシステムの破綻に気付いている人の少なさを表すのか...。 いずれにしても、とても良くない兆候ではないか。
とはいえ、この人の読書感想文はとても良いと思った。
http://www.kaimei.org/note/book_out/anti_ptn.html
最近、検索しても面白いと思える情報にヒットしなくなった。
考察⇒
本 : 本であれば、本を出版するのは費用がかかったし、時間をかけて原稿を書いて校正もする必要もあるので、敷居が高い。 ⇒ 結果的にその敷居の高さが書いているもののレベルを上げていた。
ブログ以前(2000年ごろ) : この時代は、ホームページを作るのは、本を出版するほど費用的に難しくはないにしろ、非常に高い技術を必要としたので、それなりに敷居が高かった。 ⇒ 本と同じ様に、結果的にその敷居の高さが書いているもののレベルを上げていた。
ブログ時代(2005年ごろ): ブログが一般的になった。 ウェブサービスも盛んになった。 ホームページを作るのは、非常に簡単なことになった。 ⇒ その情報のクオリティーの高さを担保するものが何も無くなった。
現在(2007年): 混沌状態:誰もが「日記」「論文」「雑誌」「読み物」「手紙」「メモ」「本」「作文」「草稿」レベルの文章をネット上にアップロードできるようになった。 その情報のクオリティーはまちまちである。グーグルが考えた、リンクの数で情報のクオリティーを担保する、という考え方自体が破綻しつつある。
僕は、今のシステムに欠如しているのは、本質的に「情報のクオリティーを担保する機能」だと思う。
その機能が欠如しているために、本来システム上だけで自立しているべきものであるにもかかわらず、テレビ・大企業・国などの、ウェブシステム以外の要素に依存する形で、情報のクオリティーを担保している。
◇
また、以前は、一部の人間のみが知りえたウェブアプリケーション開発技術も世の中で一般的な知識に近づきつつあるため、ウェブアプリケーションも乱立状態である。 殊にSNSで、その傾向が強い。
この様に、統一されないアプリケーションが乱立する状況というのは、実は歴史的に見ても珍しくない現象なのだが、これは一種のアンチパターンである。 それぞれが独自のシステムを勝手に作り、それらの間のデータの互換性が無いということは、長期的に見てネット全体の発展の大きな障害となっていると考えられる。
◇
本当に正しい事、本当に重要な事というのは、目立たずに、ひっそりと、しかし、すっくとそこに立っているものである。
そういう埋もれた価値ある情報をきちんと整理して、誰もが簡単にアクセスできるようにしたい。
今のネットは余りにも混沌としすぎている。
◇
余談:
この文章を書いている時、アンチパターンという言葉で検索をかけたが、ヒットする件数の少なさには、非常に驚いた。
http://www.google.com/search?q=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3+%E8%82%A5%E6%BA%80%E5%85%90++%E7%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%A5%BC%E9%96%A3+%E7%84%A1%E8%83%BD%E9%9B%86%E5%9B%A3%E5%8C%96&btnG=Search&hl=en&safe=off
これは、存在するのに到達できないというネットの混沌を表すのか、単にシステムの破綻に気付いている人の少なさを表すのか...。 いずれにしても、とても良くない兆候ではないか。
とはいえ、この人の読書感想文はとても良いと思った。
http://www.kaimei.org/note/book_out/anti_ptn.html
コメント一覧
おかあつ 2007年03月01日 11:47
http://pon-s.tea-nifty.com/blog/2005/08/anti_pattern.html
http://pon-s.tea-nifty.com/blog/2005/08/anti_pattern2.html
ネット上というのは、ものすごい色々な文脈の人がいるので、ブログで文章を書くとすぐ荒れる様な気がする。 mixi がいいところはそこだとおもう。 読む人の文脈を高い精度で予想する事ができるからだ。
2005年、僕は、ブログを立てた。 次の日から、毎日毎日色々な文脈の人に丁寧に反論する必要が出たことに気が付いた。 それは、ある場合においてはすごく有意義だと思うのだけど、一日の時間のほとんどを、それに費やし始めてもいた。それはさすがにいきすぎではないか。
僕が一番やるべきことは、プログラムを組んで結果を出す事であり、合理的な反論の技術を高めることではない。 だから、やめてしまった。
僕はやめてしまったが、でも、それを、とても真面目に続けている人もいるのだな、と今知った。
http://pon-s.tea-nifty.com/blog/2005/08/anti_pattern2.html
ネット上というのは、ものすごい色々な文脈の人がいるので、ブログで文章を書くとすぐ荒れる様な気がする。 mixi がいいところはそこだとおもう。 読む人の文脈を高い精度で予想する事ができるからだ。
2005年、僕は、ブログを立てた。 次の日から、毎日毎日色々な文脈の人に丁寧に反論する必要が出たことに気が付いた。 それは、ある場合においてはすごく有意義だと思うのだけど、一日の時間のほとんどを、それに費やし始めてもいた。それはさすがにいきすぎではないか。
僕が一番やるべきことは、プログラムを組んで結果を出す事であり、合理的な反論の技術を高めることではない。 だから、やめてしまった。
僕はやめてしまったが、でも、それを、とても真面目に続けている人もいるのだな、と今知った。
HN 2007年03月01日 15:37
アンチパターン知らなかったです。
こういう議論が方々で勃発するって事は、プログラムの世界も『少数精鋭・専門家が作る技術工芸品的分野』から『有象無象の大多数が関わる建築的分野』に変わったんでしょうか。
プログラム周辺の業界で働いた事がないので、自分の中ではまだ少数精鋭的なイメージがあるんですが…
そのうち、大企業がソフトウェアな案件をコンペするようになって、ソフトウェアプランナーとかソフトウェアデザイナーとかいう肩書きの人が個人事務所を作りはじめて…みたいな流れになるんですかねぇ。
合理的な反論の技術が必要な「丁寧に反論する仕事」(と営業)を任せられるなら、それはそれで良いかも、とか思っちゃう自分がいるorz
プログラムの世界まで肩書きが幅を利かせるように(情報のクオリティーの根拠として肩書きが利用されるように)なって欲しくは無いもんです。
ps
どーでもいいんですが、アンチパターンの『根本原因』ってキリスト教の七つの大罪っぽいですね。
こういう議論が方々で勃発するって事は、プログラムの世界も『少数精鋭・専門家が作る技術工芸品的分野』から『有象無象の大多数が関わる建築的分野』に変わったんでしょうか。
プログラム周辺の業界で働いた事がないので、自分の中ではまだ少数精鋭的なイメージがあるんですが…
そのうち、大企業がソフトウェアな案件をコンペするようになって、ソフトウェアプランナーとかソフトウェアデザイナーとかいう肩書きの人が個人事務所を作りはじめて…みたいな流れになるんですかねぇ。
合理的な反論の技術が必要な「丁寧に反論する仕事」(と営業)を任せられるなら、それはそれで良いかも、とか思っちゃう自分がいるorz
プログラムの世界まで肩書きが幅を利かせるように(情報のクオリティーの根拠として肩書きが利用されるように)なって欲しくは無いもんです。
ps
どーでもいいんですが、アンチパターンの『根本原因』ってキリスト教の七つの大罪っぽいですね。
おかあつ 2007年03月01日 17:54
>そのうち、大企業がソフトウェアな案件をコンペするようになって、ソフトウェアプランナーとかソフトウェアデザイナーとかいう肩書きの人が個人事務所を作りはじめて…みたいな流れになるんですかねぇ。
これは、空想ではなくて、実際そういう流れに変りつつあるんではないかという気がします。 僕が業界から足を洗う前後の話ですが、実際に、そうやってデザインだけで仕事をしている知人が居ました。
でも、僕は、今の混沌とした状況は、すごく新旧どちらともつかない過渡的状況だと考えているので、いずれ、すごく驚くような技術が出て、違う方向で落ち着くのではないかと思っています。
> psどーでもいいんですが、アンチパターンの『根本原因』ってキリスト教の七つの大罪っぽいですね。
いや、これは、実際に、わざと似せてギャグっぽく書いているんだそうです。 僕もよく知らないけど...
中で出てくるいろんなかわった表現は、キリスト教文化圏の人にとっては、ニヤリとしてしまうような言葉なんだそうです...。
これは、空想ではなくて、実際そういう流れに変りつつあるんではないかという気がします。 僕が業界から足を洗う前後の話ですが、実際に、そうやってデザインだけで仕事をしている知人が居ました。
でも、僕は、今の混沌とした状況は、すごく新旧どちらともつかない過渡的状況だと考えているので、いずれ、すごく驚くような技術が出て、違う方向で落ち着くのではないかと思っています。
> psどーでもいいんですが、アンチパターンの『根本原因』ってキリスト教の七つの大罪っぽいですね。
いや、これは、実際に、わざと似せてギャグっぽく書いているんだそうです。 僕もよく知らないけど...
中で出てくるいろんなかわった表現は、キリスト教文化圏の人にとっては、ニヤリとしてしまうような言葉なんだそうです...。