(メモ) 紛争下で交流を続けるイスラエルとレバノンのブロガーたち
2006年07月31日14:41
[WSJ] 紛争下で交流を続けるイスラエルとレバノンのブロガーたち (1/2)
「“敵国民”同士が紛争中に会話するのは、歴史上これが初めてではないだろうか」――イスラエル・レバノン紛争勃発後も、ブログやIMを通じた市民レベルの交流が続いている。
2006年07月31日 10時17分 更新
ニューヨーク(ウォール・ストリート・ジャーナル)
レバノンとイスラエルの間でミサイルと敵意に満ちた発言が飛び交う中、両国のブロガーらは互いに話し合っている。
カナダ生まれでテルアビブ在住のイスラエル人ブロガー、リサ・ゴールドマン(39)氏は最近の書き込みで次のように述べている。「“敵国民”同士が紛争中に会話するのは、歴史上これが初めてではないだろうか」
レバノンとイスラエルのブロガーたち――現地にいる人もいれば、世界のどこかで情報を発信している人もいる――が、自分たちの経験をリアルタイムに更新し、互いの意見にコメントし合ったり、時には、国境の向こうのブログにリンクを張ったりしている。
今回の戦争勃発以前から、レバノンとイスラエル両国民が連絡を取り合う手段はほとんどなかった。このためこのブログを通じた「対話」は、極めて珍しい現象だ。レバノンの法律ではイスラエル国民の入国を禁じており、両国間には電話回線が通じていない。
この小さなブログ集団は、その大半が西側で教育を受けた人々によるものだ。出身大学は同じでも、交流するのは互いのブログのコメントスレッドを通じてが初めてという人々もいる。もちろん、ブログ上では書き込んだ人が実際に爆撃で被災したベイルート近辺にいるのか、あるいは米国のアパートの一室で書いているのかを知ることは難しい。最近では、この小さなコミュニティーに参加する多くのレバノン人ブロガーが、自国からシリア、欧州、米国などに逃れている。
だが今、国境を超えたこの風変わりな新しいコミュニティーの存続が、最近両国間で起きた紛争によって試されている。交流を止めた人もいれば、まだ連絡を取り続けている人もいる。
インターネットは、「ベイルートとテルアビブ間におけるリアルタイムのオンラインインスタントメッセージング(IM)チャット」を可能にした、とリサ・ゴールドマン氏は自らのブログ「On the Face」で記している。「まさに2~3日前の晩に、わたしとあるブロガーの間で実際に起こったことだ。彼は、ベイルートのアパート屋上からイスラエル軍機が彼の街に爆弾を投下する様子を、チャットを通じて伝えてくれた。彼は同時に別のイスラエル人ともオンラインで対話していた」
「Lebanese Political Journal」というブログを開設しているこのレバノン人は、イスラエル人とのオンラインチャットは背信行為にあたると考えているため、身元を明かしていない。同氏は電子メールで次のように語っている。「戦争中にレバノンからイスラエル人とチャットすることは危険極まりないことだ」。だが「国境がどこにあるかに関係なく、わたしたちは同じ人間であることを忘れてはならない」(同氏)
交戦のさなかのIMについて同氏は次のように記している。「ヒズボラがイスラエル北部をミサイル攻撃したことに対する恐怖を知ることもできた。公共と民間の掩蔽壕(えんぺいごう)についても学んだ。また彼らは、レバノンに防空壕がないことを知った。レバノンでは避難者を階段の吹き抜けに連れて行くのだ。わたしの周りで爆撃音が鳴り響いた時、わたしはアパート最上階にある自分の部屋の窓ガラスの前にいた」
ゴールドマン氏は、数カ月前にLebanese Bloggersブログでベイルートにあるシナゴーグ(ユダヤ教徒の礼拝所)破壊に関する書き込みを読み、ラジャというもう1人のレバノン人ブロガーと連絡を取り合うようになった。ラジャは紛争が始まったころベイルートにいたが、現在は、最近修士号を取得した米ジョンズ・ホプキンズ大学があるボルティモアに戻っている。レバノンから逃れる途中、ラジャはシリアに立ち寄った。「シリアではものすごく怖い思いをした。『イスラエルからこんにちは』という件名の電子メールが来たからだ。『ああ、何てことだ』と思ったよ」。それから、彼はシリアで電子メールのチェックを止めたという。ラジャの家族はシリアに一時滞在しており、彼がイスラエル人と交流していることは家族に危険を及ぼすと心配している。「レバノンで、イスラエルに対する政治的に正しい見方は『敵』だということを理解して欲しい」
自らの政治見解を「複雑だ」と表現するフリーランスジャーナリストのゴールドマン氏は、あちこちで交わされるこうした危険なやりとりを見守っている。素早い外交も展開する。ある時、イスラエルに怒りをぶつけるあるブロガーに対してはこう記した。「イスラエル人もレバノン人も嘆き悲しんでいます。わたしたち全員が。だから、狂信的な信者がわたしたちの平和の夢を破壊されるのを見て嘆くときは、わたしたち全員――中東諸国でたった2つの民主国家であるレバノンとイスラエルの国民――のために嘆いて欲しい」
その翌日、別のブロガーが反論してきた。「パレスチナ自治政府(PA)だってレバノンとイスラエルと同じように民主主義だ」。ゴールドマン氏はこれに迅速にこう応えた。「あなたの意見はまったく正しい。わたしの不注意でした」。同氏のブログには、レバノン人ブロガーのフォーラムがリンクを張り、ヒズボラ擁護派のチャットボードが同氏のサイトの1項目にリンクしており、意見のやり取りはさまざまな方向に飛ぶ。同氏はサイトにイスラエルのニュース番組 Channel 10 Newsの写真を掲載し、この番組をヒズボラ系TV局アル・マナールが同時放映していることを伝えた。
このサイトで交わされる対話は、延々と続く政治議論から、短気で怒りっぽいやり取りまで多岐にわたる。例を挙げてみよう。
─────────────────────────────
Rorok86:「ヒズボラが正しいことをやっていると言っているのでない! もう1度言うが、レバノン市民を皆殺しにし、この国を壊滅状態に陥れたイスラエルの反応は論理的ではない。わたしたちの祖国は一体誰が建て直すんだ?」
Nir:「待って、わたしはイスラエル人だが、レバノン人の死傷者の数がイスラエル人のそれの10倍という事実は、自分たちの愛する人が犠牲になった場合はまったく無意味だ。忘れてならないのは、そもそもはすべてヒズボラの行動から始まったことだ。もし君がイスラエル人だったらどうする?」
Ainat:「イスラエル人だったらどうするかって? わたしはレバノン人だ。君の質問に答えよう。当然、ヒズボラを潰したいさ。だからシリアとイランを標的にする。けれども市民、インフラ、工場、救急車は絶対に狙わない。そこに武器はないからだ」
ゴールドマン氏は、数カ月前から幾人かの別のレバノン人とイスラエル人と通信し合うようになった。同氏によると、彼女のブログにコメントを寄せた Perpetual Refugeeと名乗るレバノン人の多国籍企業幹部に実際に会ったという。2人はPerpetual Refugeeが5月にテルアビブを訪れた際に会い、バーやカフェに行った。その後オンラインでサッカー・ワールドカップの感想を述べ合ったりした。 Perpetual Refugeeは、爆弾が投下開始された日にベイルートにいた。その後、このブロガーの語調が変わったという。イスラエル軍がレバノンへの爆撃を始めて間もなくゴールドマン氏に送られた投稿の題名は「レバノンのホロコーストへようこそ」というものだった。「彼はこの戦争が始まってから180度態度を変えた」とゴールドマン氏は取材で語った。
Perpetual Refugeeに電子メールで取材を申し込んだが、本稿掲載時までに返答を得られなかった。イスラエル人とレバノン人とのやり取りについて意見を求めたゴールドマン氏への返答として、Perpetual Refugeeは最近次のように記している。「わたしたちは国外の圧制者と戦うべく1つになった。内政は、この国の統治権が保障されてからの話だ。残念ながらこれが現実だ。だが現実は現実だ。君の安全を願っている。世界は君のような人々をもっと必要としている。今でも君を友人と思っている。しかしイスラエルには二度と行かないだろう」
「わたしにとって本当に悲しい出来事だった」とゴールドマン氏。「このことは、この戦いで最も耐え難いことの1つだった。まだ不安定で新しいコミュニティーが、ゆっくりと偏見で覆われようとしているのだから」
ゴールドマン氏によると、かつて同氏とレバノン側のブロガーたちは、テルアビブとベイルート間の地中海沿岸を一緒にドライブすることを夢見ていたという。両都市間は車で約3時間の距離だ。だが状況は変わった。「わたし個人に対してではないが、怒っていると言う人もいる。しかし自国が潰されようとしている人々に、十分に寛大で穏やかになって欲しいなど望むべくもない」(同氏)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/31/news015.html
「“敵国民”同士が紛争中に会話するのは、歴史上これが初めてではないだろうか」――イスラエル・レバノン紛争勃発後も、ブログやIMを通じた市民レベルの交流が続いている。
2006年07月31日 10時17分 更新
ニューヨーク(ウォール・ストリート・ジャーナル)
レバノンとイスラエルの間でミサイルと敵意に満ちた発言が飛び交う中、両国のブロガーらは互いに話し合っている。
カナダ生まれでテルアビブ在住のイスラエル人ブロガー、リサ・ゴールドマン(39)氏は最近の書き込みで次のように述べている。「“敵国民”同士が紛争中に会話するのは、歴史上これが初めてではないだろうか」
レバノンとイスラエルのブロガーたち――現地にいる人もいれば、世界のどこかで情報を発信している人もいる――が、自分たちの経験をリアルタイムに更新し、互いの意見にコメントし合ったり、時には、国境の向こうのブログにリンクを張ったりしている。
今回の戦争勃発以前から、レバノンとイスラエル両国民が連絡を取り合う手段はほとんどなかった。このためこのブログを通じた「対話」は、極めて珍しい現象だ。レバノンの法律ではイスラエル国民の入国を禁じており、両国間には電話回線が通じていない。
この小さなブログ集団は、その大半が西側で教育を受けた人々によるものだ。出身大学は同じでも、交流するのは互いのブログのコメントスレッドを通じてが初めてという人々もいる。もちろん、ブログ上では書き込んだ人が実際に爆撃で被災したベイルート近辺にいるのか、あるいは米国のアパートの一室で書いているのかを知ることは難しい。最近では、この小さなコミュニティーに参加する多くのレバノン人ブロガーが、自国からシリア、欧州、米国などに逃れている。
だが今、国境を超えたこの風変わりな新しいコミュニティーの存続が、最近両国間で起きた紛争によって試されている。交流を止めた人もいれば、まだ連絡を取り続けている人もいる。
インターネットは、「ベイルートとテルアビブ間におけるリアルタイムのオンラインインスタントメッセージング(IM)チャット」を可能にした、とリサ・ゴールドマン氏は自らのブログ「On the Face」で記している。「まさに2~3日前の晩に、わたしとあるブロガーの間で実際に起こったことだ。彼は、ベイルートのアパート屋上からイスラエル軍機が彼の街に爆弾を投下する様子を、チャットを通じて伝えてくれた。彼は同時に別のイスラエル人ともオンラインで対話していた」
「Lebanese Political Journal」というブログを開設しているこのレバノン人は、イスラエル人とのオンラインチャットは背信行為にあたると考えているため、身元を明かしていない。同氏は電子メールで次のように語っている。「戦争中にレバノンからイスラエル人とチャットすることは危険極まりないことだ」。だが「国境がどこにあるかに関係なく、わたしたちは同じ人間であることを忘れてはならない」(同氏)
交戦のさなかのIMについて同氏は次のように記している。「ヒズボラがイスラエル北部をミサイル攻撃したことに対する恐怖を知ることもできた。公共と民間の掩蔽壕(えんぺいごう)についても学んだ。また彼らは、レバノンに防空壕がないことを知った。レバノンでは避難者を階段の吹き抜けに連れて行くのだ。わたしの周りで爆撃音が鳴り響いた時、わたしはアパート最上階にある自分の部屋の窓ガラスの前にいた」
ゴールドマン氏は、数カ月前にLebanese Bloggersブログでベイルートにあるシナゴーグ(ユダヤ教徒の礼拝所)破壊に関する書き込みを読み、ラジャというもう1人のレバノン人ブロガーと連絡を取り合うようになった。ラジャは紛争が始まったころベイルートにいたが、現在は、最近修士号を取得した米ジョンズ・ホプキンズ大学があるボルティモアに戻っている。レバノンから逃れる途中、ラジャはシリアに立ち寄った。「シリアではものすごく怖い思いをした。『イスラエルからこんにちは』という件名の電子メールが来たからだ。『ああ、何てことだ』と思ったよ」。それから、彼はシリアで電子メールのチェックを止めたという。ラジャの家族はシリアに一時滞在しており、彼がイスラエル人と交流していることは家族に危険を及ぼすと心配している。「レバノンで、イスラエルに対する政治的に正しい見方は『敵』だということを理解して欲しい」
自らの政治見解を「複雑だ」と表現するフリーランスジャーナリストのゴールドマン氏は、あちこちで交わされるこうした危険なやりとりを見守っている。素早い外交も展開する。ある時、イスラエルに怒りをぶつけるあるブロガーに対してはこう記した。「イスラエル人もレバノン人も嘆き悲しんでいます。わたしたち全員が。だから、狂信的な信者がわたしたちの平和の夢を破壊されるのを見て嘆くときは、わたしたち全員――中東諸国でたった2つの民主国家であるレバノンとイスラエルの国民――のために嘆いて欲しい」
その翌日、別のブロガーが反論してきた。「パレスチナ自治政府(PA)だってレバノンとイスラエルと同じように民主主義だ」。ゴールドマン氏はこれに迅速にこう応えた。「あなたの意見はまったく正しい。わたしの不注意でした」。同氏のブログには、レバノン人ブロガーのフォーラムがリンクを張り、ヒズボラ擁護派のチャットボードが同氏のサイトの1項目にリンクしており、意見のやり取りはさまざまな方向に飛ぶ。同氏はサイトにイスラエルのニュース番組 Channel 10 Newsの写真を掲載し、この番組をヒズボラ系TV局アル・マナールが同時放映していることを伝えた。
このサイトで交わされる対話は、延々と続く政治議論から、短気で怒りっぽいやり取りまで多岐にわたる。例を挙げてみよう。
─────────────────────────────
Rorok86:「ヒズボラが正しいことをやっていると言っているのでない! もう1度言うが、レバノン市民を皆殺しにし、この国を壊滅状態に陥れたイスラエルの反応は論理的ではない。わたしたちの祖国は一体誰が建て直すんだ?」
Nir:「待って、わたしはイスラエル人だが、レバノン人の死傷者の数がイスラエル人のそれの10倍という事実は、自分たちの愛する人が犠牲になった場合はまったく無意味だ。忘れてならないのは、そもそもはすべてヒズボラの行動から始まったことだ。もし君がイスラエル人だったらどうする?」
Ainat:「イスラエル人だったらどうするかって? わたしはレバノン人だ。君の質問に答えよう。当然、ヒズボラを潰したいさ。だからシリアとイランを標的にする。けれども市民、インフラ、工場、救急車は絶対に狙わない。そこに武器はないからだ」
ゴールドマン氏は、数カ月前から幾人かの別のレバノン人とイスラエル人と通信し合うようになった。同氏によると、彼女のブログにコメントを寄せた Perpetual Refugeeと名乗るレバノン人の多国籍企業幹部に実際に会ったという。2人はPerpetual Refugeeが5月にテルアビブを訪れた際に会い、バーやカフェに行った。その後オンラインでサッカー・ワールドカップの感想を述べ合ったりした。 Perpetual Refugeeは、爆弾が投下開始された日にベイルートにいた。その後、このブロガーの語調が変わったという。イスラエル軍がレバノンへの爆撃を始めて間もなくゴールドマン氏に送られた投稿の題名は「レバノンのホロコーストへようこそ」というものだった。「彼はこの戦争が始まってから180度態度を変えた」とゴールドマン氏は取材で語った。
Perpetual Refugeeに電子メールで取材を申し込んだが、本稿掲載時までに返答を得られなかった。イスラエル人とレバノン人とのやり取りについて意見を求めたゴールドマン氏への返答として、Perpetual Refugeeは最近次のように記している。「わたしたちは国外の圧制者と戦うべく1つになった。内政は、この国の統治権が保障されてからの話だ。残念ながらこれが現実だ。だが現実は現実だ。君の安全を願っている。世界は君のような人々をもっと必要としている。今でも君を友人と思っている。しかしイスラエルには二度と行かないだろう」
「わたしにとって本当に悲しい出来事だった」とゴールドマン氏。「このことは、この戦いで最も耐え難いことの1つだった。まだ不安定で新しいコミュニティーが、ゆっくりと偏見で覆われようとしているのだから」
ゴールドマン氏によると、かつて同氏とレバノン側のブロガーたちは、テルアビブとベイルート間の地中海沿岸を一緒にドライブすることを夢見ていたという。両都市間は車で約3時間の距離だ。だが状況は変わった。「わたし個人に対してではないが、怒っていると言う人もいる。しかし自国が潰されようとしている人々に、十分に寛大で穏やかになって欲しいなど望むべくもない」(同氏)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/31/news015.html
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