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2017年5月10日水曜日

東京者は東京をしらない (oka01-lsjtuqccasulyslg)


東京者なら、東京のことをよく知っている、と思われるだろうか ─── それはむしろ逆で、しばしば東京者は、東京のことを何もわかっていない。


東京者は、東京で育ったというだけの話で、東京のことを何も知らない ─── 実をいうと僕は、東京から出て海外に滞在した10年間での経験を元に、「ひょっとしたら東京者は東京のことを何も知らないのではないか」と予想していた。東京に戻ってきて、久しぶりにあちこちを見て歩いているうちに、その予想は確信へと変わってきた。

僕は、タイでタイ社会を見ているうちに、「タイで起こっている社会現象は大抵、日本でも起こっている」という法則に気付いたのだが、バンコクで、バンコク出身のバンコク人は、バンコクのことをほとんど何も知らない…ということを見ているうちに、「ひょっとしたらこれは、東京者も同じことではないか」と思うに至った。

僕は、東京出身だ。三十路も超えた頃、大きな転機があり、海外移住することを決断した。それからタイとラオスを往復する生活を始めた。そんな生活を10年続けた結果として、タイの方言事情にとても明るくなり、自分も方言が話せるようになった。

僕は主にタイ奥地で過ごしていたが、タイの首都バンコクの場末をあちこち歩きまわるのも好きだった。僕は、タイの東北方言、通称『イサーン方言』を話すことができるが、これがバンコク歩きをしているあいだ、とても面白い経験をさせてくれた。

タイの場末には、イサーン方言を話すタイ人がたくさんいる ─── むしろイサーン語を話すタイ人しかいない、と言って過言ではない。イサーン方言が話せると、行動範囲がとても広くなる。イサーン方言を話していれば、みんなが助けてくれる。どんな奥地のローカル路線でも乗ることができる。どんな場末の市場でも、どんな一見さんお断り的な呑み屋でも入っていける。イサーン語が話せないと、こうはいかない。そんな場末には、タイ語が話せるだけでは入っていけないのだ ─── 外人はもちろんのこと、タイ人ですらも。

バンコクにいるタイ人の8割くらいはイサーン地方出身(東北出身)のタイ人だ ─── もっとも、これは飽くまでも、僕が個人的にバンコクを歩きまわっているなかで感じた印象だ。この比率について、はっきりした公式な調査結果が公開されている訳ではない。しかしバンコクで実際に生活する上で出会う人の大半は、実はイサーン地方の出身者だ。

タイの東北地方は、一般的に(実際にそうかは別にして)「ものすごく田舎」と考えられているので、あまり人前で、彼が東北出身だということをカミングアウトしたりすることはない。だから、日本人がバンコクで生活していても、「イサーン出身」と気付くことは稀かも知れない。 だが実は、イサーン地方出身者には風貌やアクセントに強い特徴があるので、言わなくても大抵の人は、東北出身だということに気付いている。

バンコク在住者の大半が東北出身ということになると、東北出身と隠しているほうも東北人なら、東北出身と見抜くほうも東北人だという、奇妙な状態ではある。

そういう地方人だらけのバンコクで、むしろ逆に目立ってくるのは、バンコク人だ。タイのテレビドラマでは、連日きらびやかなバンコク人の生活が描かれている。豪邸・豪華な車・豪華な衣装・豪華な食事・・・そんな美化されたバンコク人を見ていると想像も付かないことだが、バンコク人は実に貧乏だ。

バンコク人は、バンコク出身だから、大抵の人はバンコクに土地を持っている。だがバンコクの中心部に住んでいることは極めて稀だ。バンコクの中心部に住んでいる人は大抵、熱心にビジネスをやっている華僑の末裔で、いわゆるバンコク人ではない。バンコク人は大抵、バンコクの郊外に住んでいる。そして小さな薄汚れた商店をやっていたり、汚いバイク修理屋を経営していたり、運河沿いのあばら屋に住んでいたりする。

彼らと話してみると、彼らは、しばしば僕の東北訛りのタイ語に強い嫌悪感を示す。彼らは方言が嫌いだ。よってそんなに長い時間、話しあったりすることはできないのだが、それでも世間話をしたりする程度はできる。それでわかることは、『僕が知っていること』は何も知らないということだ。

僕は、外人であるにも関わらず、一般的なバンコク人よりも行動できる範囲が広い。何故なら、僕は、タイ語の方言=東北イサーン語が話せるからだ。

バンコクは、東北人だらけと言ってよい。あちこちに東北人が入り浸っている市場・飲み屋・料理屋などが軒を並べている。そんな東北人が入り浸っているような場所では、みなタイ語が混じらない純粋な東北イサーン語(正式にはラオ語という)で話している。こういう場所にバンコク人が来ても、何を言っているか皆目見当がつかないので、普段バンコク人は、こういう場所に入っていかない。だが、僕は理解できるので、こういう場所にでも普通に入っていける。

もちろんバンコク地元人は、バンコクの地理事情には非常に詳しい。奥まった場所にある有名な店などは、とてもよく知っている。だが、彼らバンコク人には、地元バンコクなのに、なかなか入っていけない場所があちこちにある。何故ならバンコクは、東北人で埋め尽くされているからだ。

バンコクでバンコク人は、むしろマイノリティーなのだ。



このような感じで僕は、バンコクの複雑な民族事情のなかで長い年月揉まれてきたのだった。そういう中で僕は徐々に「ひょっとしてこれは、東京も同じなのではないか…」と思うようになってきた・・・つまり、東京に住む人の大半は、地方から上京した人たちで、東京地元人は、マイノリティーなのではないか。

このことを日本語で説明するためには、紹介すべき視点が2つある。

ひょっとして、この文章を読んでいる方が地方出身ならば、前述のことは既に自明のこととして理解しているかも知れない。 だがこれは、東京地元人にとっては、全く理解を超えてしまっている。東京人である僕が、東京人に向かって、この謎の正体を言葉を尽くして説明しても、東京人は、まず理解できない ─── 東京を出たことがない限りは。

ひょっとして、この文章を読んでいる方が東京出身ならば、(もちろん人にもよるだろうが)恐らくここまで説明しても、その内容をほとんど理解していない筈だ ───  それが正に、東京地元人と地方出身者の意識の差に他ならない。



そして、この2つの視点の間には、もうひとつの見えない大きな齟齬がある。それは、もしこの文章を読んでいる方が地方出身ならば、ひょっとしたら貴方は、東京地元人を見たことすらないかも知れない… ということだ。見たことがあるのは、東京人ではなく、実は東京人のふりをした東京人=『エセ東京人』かも知れない ─── 現実の東京地元人とは、そんなに威張れるような素晴らしいものではないのだ。

僕が知る限りだが、東京地元人は非常に保守的で、行動範囲が狭い。これだけ東京の交通網が発達していても、電車・バス・マイカーを使って都内中を飛び回っている…という東京地元人はとても稀で、たいていの人は、自分の家から自転車で10分以内に移動できるエリアから外には出ない。

また、あまり社会参加に積極的でないタイプが多く、家の近所で小さな商売をやったりしてほそぼそと暮らしているタイプが多い ─── いわゆる『東京っぽい』生活=大きな会社に入って、綺麗なオフィスに勤務して活躍するようなタイプの人は、あまりいない。というのも僕自身が、大きな会社に入って働いている時に、東京地元人をほとんど見たことがなかったからだ。もちろん、皆無ではない。だが、地方から上京した人と比較してしまえば、明らかに少数派だ。

大きな会社で働く人たちは、しばしば地方出身の方々だ。例えば、高学歴で地方にいる間に都内の企業で内定を決めて就職と共に上京した方々、あるいは、大学入学と共に上京してそのまま都内で就職した方々、人材派遣業などのサービスを利用して就職を決めてから上京した方々などが、これに含まれる。

地方から来た方々は、身なりがきちんとしている。だが東京地元人は、しばしばヨレヨレのスーツを着てダラダラと出社する様なタイプの方々が多い。もちろん人にもよる。だが地元で働いているという気の緩みが、東京地元人の一挙手一投足そこかしこから溢れている─── そう感じるのは僕だけだろうか。

ひょっとしたら、東京地元人を見たことがない人は、東京地元人を見ても、それが東京人だと気付かないかも知れない。東京地元人は、実際に見てみればわかるが、案外と特徴的だ ─── あまりよくない意味で。

では、貴方が見ている東京人は、一体何者なのか。ひょっとしたら、それは「エセ東京人」かも知れない ─── もし仮に、貴方が西日本出身で、東京で生活するなかで『5人中1人くらいが西日本人だ』と感じていたとしたら、恐らく、その西日本人を除いた残り4人中3人は、東京人のふりをしているエセ東京人ではないか ─── なお、そのエセ東京人は、西日本出身ではない、とは限らない。

東京には色々な人が集まっている為、東京者という匿名性に隠れて、色々な悪いことをすることができる。東京出身のように振る舞ってさえいれば、いちいちそれを疑う人はいない。だから、虫が好かない人に多少いやがらせをしたとしても、復讐される恐れは少ない。「東京者は冷たい」というステレオタイプがそれを吸収してくれる。



東京地元民は、大きく分けると、江戸時代からいる人たち・戦前に上京した人たち・終戦直後に上京した人たち…に分かれる。また東北から来たか、或いは近畿・四国・九州から来たかによっても、分かれる。そして、上京した時期と出身によって、住む地域に偏りがある。

例えば、戦後高度成長時代に上京した人たちは、しばしば村単位でまとまって上京する場合が多かったという。このように、同じような状況で上京した人たちは、同じ地域にまとまって住むことが多いようだ。

東京でも東京地元人が多い地域とそうでない地域がある。世田谷・豊島・港・などの山手線圏内に住んでいる人たちは、必ずしも地元人ではない。山手線圏内に住む人は、考え方が垢抜けており、経済力を持っている人たちが多いかも知れないが、こういう人たちは必ずしも、東京地元人ではない。

東京地元人は、むしろ山手線圏外に住んでいる。都内に土地を持っている為、あくせく働かず、比較的のんびり暮らしている… という場合もある ─── 場合によっては、ちょっと東京人というイメージからは想像がつかないほど、貧乏な暮らしをしている。

僕が知る限りだが、東京湾沿岸に東京地元人は多い。これは江戸時代に移住した開拓者が海沿いに住み着いたことによるらしい。

羽田 大鳥居と検索

東京湾に面する羽田は、江戸時代に羽田にやってきた開拓者が当地を切り開いたことから歴史が始まる。日本の敗戦時に、米軍が当地を暴力的に接収したことにより、町は消滅した。羽田空港の広大な駐車場の真ん中にポツンと立っているこの奇妙な鳥居は、その開拓者が作った町の名残だ。

一説では埼玉も、数百年前に移住した開拓者が多く住む、という。海沿いに移り住む人は多くは漁師(海洋民族)だろう。だが埼玉などの内陸に移り住む人は恐らく漁師ではなく、またぎなどの山歩きに慣れている人たち(大陸系の民族)だったはずだ。

僕が知る限りだが、僕が住む東京南部の某所は、東北出身の方々が多く、今でもはっきりと東北訛りを残す人も多い。こういう人は、飽くまでも僕の個人的な印象だが、東京の北部に行けば行くほど、減っていく。

一方、都内の中央線沿線は、近年になって西日本から上京した方々が多く、西日本的な雰囲気がある。だが、これも僕が知る限りだが、この辺りは、戦前に東北から上京した方々が多く移住した経緯があるらしい。僕が見ている限り、この辺りは、年配の方ほど東北の方が増える様に感じる。一方、若い人のほとんどは、派手な都会ぐらしが好きな西日本人だ。

この様に、東京でも地域によって、移住者が集まった経緯が異なるので、その地域の雰囲気も漠然と異なったものになる。だがそれは、東京外の「県民性」の様に、地域によってはっきりとことなる、というほどはっきりした違いにはならない。

東京地元人とつきあう上で、東京地元人のバックグラウンドを正しく理解することは、大切だ ─── そして東京地元人は、しばしば自分自身のバックグラウンドを忘れてしまっている。

このような東京の郷土史についてよく知っている東京地元民は、稀だ。大抵は、自分の祖先がどこの地方から来たかすら知らない。

東京地元民は、日本の反差別教育の真ん中にいるので、差別感情がないばかりでなく、地方による違いがある、地方と中央で違いがある、という意識自体がない。だから他人の出身に興味すら持たない。よって、東京に地方人が多い、ということ自体に気付いていない。場合によっては、収入の多さによって人間の違いが生じる(社会階層がある)という意識すらもない。

逆に言うと、そういう差別感情を持っている人は、高い確率で地方出身者だ… と見ることも可能
ではないだろうか。つまり、地方出身者だと見るや、鬼の首を取ったように意地悪をする、あなたの知っているあの『東京人』は、ひょっとしたら『エセ東京人』なのかも知れない。






更新記録:
・関連記事表示の自動化を行った(Tue, 11 Jul 2017 02:31:24 +0900)

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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