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2000年11月20日月曜日

マイ・イデアル (oka01-zoqnhkvypfbfpyfb)

自分の理想について。



2000年11月20日

今日、こういうことを考えた。

ある程度の年齢になると、周りの人もだんだん忙しくなってきてなかなか会えなくなって来る。前は、ジャズにせよバイクにせよ自分よりも長けている猛者達の中に飛び込んでいって、自分を磨く事が出来たがそれが難しくなってくる。

そうすると、何かこう言い訳がしやすくなってくる。「今ではこうしているけど、昔は僕こんな凄かったんだよ…」と言うような猛者達に聴かれたら殺されてしまうような事を周りの人に話しても、「ああ、そうなんだ」と納得させる事ができてしまう。だから、自分でもああ、これでいいのかな…と思えてきてしまう。

これは、非常に危険だ。自分を事実以上に高く評価してしまっている。これを考えた時とっさに、「身の回りの人と自分を比べるのではなく自分の理想と自分を比べるべきだ。」と考え付いた。

昔の僕は、非常に頑固だった。人の意見を取り入れなかったし、そもそも耳を貸さなかった。わがままだ...という風にもいわれた。それが少しずつ代わっていって、今ではすこしは人の意見をきくようになった。それは成長だったと思うし、その考え方を身に付けられたおかげでたくさんの人生にとって大切な事も知る事が出来たと思う。だが、昔の自分は頑固すぎたにしても、少なくとも人と自分を比べるような事はしていなかったな...と思う。

そもそも、「自分の理想と自分を比べると言う作業が重要」と言う考え方は僕の好きな考え方の一つだった。だが、「人の意見を取り入れる」という事を学んでいくうちに、どこかで忘れてしまったのかな…と思う。

僕の大好きなGP500レーサーの片山敬済がこういう事をいっていた。

「隣の奴より速く走れたら、それで満足なのかひょっとしたら、隣の奴は実はものすごく遅い奴なのかもしれない。本物のGP500レーサーは人と自分を比べたりなんかしない。彼らは、自分の理想と比べるのだ。自分の理想を目指して努力を続けたらいつの間にかチャンピオンになっていた…日本人にはこういうビジョンで乗っている奴が非常に少ない…」

この話は、片山敬済の本に書いてあった。僕はこの話が大好きでバイクに乗る乗らないは別にして、何かを目指す者はこうあるべきだ…とよく自分に言い聞かせた。

片山敬済はこうも言っていた。

「新しいテクニックを覚える。それはある人にとってベストかも知れない。だが、体格も個性も違う自分にとってはベストじゃないかもしれない。」

片山敬済の話に一貫しているのは、「自分にとっての理想的な状態は何なのか。」という事だと思う。

では...僕の理想は何だったのだろう。

2000/11/20

更新記録
公開 2013-08-21T19:10:00+09:00

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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