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2013年4月16日火曜日

日本語断食の奨め (oka01-bnhjkbacfvtgofjx)

確実に外国語が上達する恐ろしい必殺技がある。その必殺技は、むしろ必須条件といっても良い。しかも、その必殺技は誰でも簡単に実行できる。にも関わらず実践している人は少ない。その必殺技とは。

最近ネット上で、よいコンピューター技術の記事をあまり見かけなくなった。不景気なども関連しているのだろうか。僕がウェブプログラマの駆け出しだった2000年頃は、ネット上のあちこちで、なかなか面白い技術情報・解説記事を書いている人を見かけたものだったが、近頃はとんと見かけなくなった。

2000年頃と比べると、今のネット技術は格段に複雑だ。複雑なだけでなく、当時と比較して変化が恐ろしく速い。2000年頃ですら「近頃は技術の変化のスピードが速くなった」などと言われたものだが、今はそれを更に超えたスピードで変化している。

コンピューター技術を推し進めているコミュニティーも変化した。以前は技術革新を担っていたのは、マイクロソフト・ボーランド・サンマイクロシステムズ・その他の大手企業だったが、大手企業が率先して技術を広める時代は終焉を迎えつつある。今は殆どの技術がオープンソフトウェアのコミュニティーによって開発される様に変化しつつある。かつて大手企業は、その開発したシステムを企業に売るだけでなく、そのシステムを使いこなすための知識ノウハウを、技術書やビジネススクールの様な形で売買していた為、情報はお金さえ払えば入手することが出来た。  一方、オープンソフトウェアのコミュニティーで作られた技術は、その全ての情報が公開されており、討論内容・決定事項などはインターネット上で無料で自由に閲覧することが出来る。

資料を無料で閲覧出来るということは実に素晴らしいことだが、一方で英語が苦手な日本人に取ってはデメリットでもある。何故なら、英語で書かれたオープンソフトウェアコミュニティーから出てくる情報を、誰も日本語に翻訳してくれないからだ。かつて大手企業が技術革新を担っている時代は、大手企業が率先して技術関連書を日本語に翻訳していた。翻訳者は専門家が多く精度の高い翻訳が得られた。 だがオープンソフトウェアコミュニティーの場合、原本が無料である以上翻訳もお金を取れず、翻訳作業はボランティアベースに限られ粗悪な翻訳が多く翻訳ペースも遅い。 加えて、要約されることなく現状ベースで出てくるオープンソフトウェアコミュニティーの情報は、量・速度共に膨大で、そもそもそれらを全て翻訳する事が難しいということもあるだろう。

残念なことに、日本人は大抵の場合日本語しか話せない。これは仕方ないことだ。中国語・タイ語・ベトナム語を母国語として話す人達は、少し勉強するだけで英語で日常コミュニケーション程度は取れる様になるが、日本人は長年に渡って英語の教育を受けているにも関わらず、日常コミュニケーションすら困難なままの場合が多い。 これは日本語が「膠着語」と呼ばれる、英語タイ語ラオ語中国語などにない特徴を持つかわった言語だからだ。

現在、日本の情報技術のレベルは、下がりつつある。世界的に見ても低いレベルにとどまっている。アジアの中でのトップすら既に危ういか、あるいは既に追い越されてている。 もし今の日本が情報産業の分野で成功を納める為には、もっと翻訳を充実させるべきであろう。だが、今の沢山の問題を引きずったまま解決の問題すら見えてこない日本で、新たな投資を行うのはもはや不可能ではないだろうか。

英語は読めない。翻訳も出来無い。どうすれば良いのだろうか。

こんな時こそ、敢えて攻めの「英語の強化」というのは、いかがだろうか。



日本人の英語コンプレックスは、強烈だ。 「血のにじむような恐ろしく厳しい訓練をしたのに、英語が喋れる様にならなかった。」「莫大なお金を投資して学校に通ったのに、話せるようにならなかった。」 そんな悪夢のようなトラウマが走馬燈のように脳裏を駆け巡る。

日本は島国だ。日本人は古来から海に守られてきた。元寇・ロシア侵攻などが来ても、海は日本人を守ってくれた。一方、日本は海に囲まれた監獄でもある。ひとたび日本に生まれ落ちたら、日本から外に出ることは出来無い。海の向こうがどうなっているのか、知る事は出来無い。

孤立している理由は地理的な理由だけではない。大航海時代が過ぎ去り、航空機時代の現代になっても、隔離された状況はさほど変化がないのは、言葉の壁があるからではないだろうか。日本人にとって苦手な言語は、英語だけではない。日本人は、スペイン語・ポルトガル語・ラオ語・タイ語・中国語・スワヒリ語・アラビア語・ヒブルー語、どれを学んでも結局苦手である。

この様に日本は、言葉の壁と地理な壁というふたつの巨壁に守られた、世界の文化的ガラパゴス島である。古来から何千年もの間、日本だけに住み日本を出たことがない日本人に0取って、日本の外に住むということ自体に、高い技術が必要だ。技術が無ければ外に出られない。出られなければ技術は得られない。

地理的壁・言語的壁。この巨大な双璧をどの様に乗り越えるのか。



確実に外国語が上達する恐ろしい必殺技がある。その必殺技は、むしろ必須条件といっても良い。しかも、その必殺技は誰でも簡単に実行できる。にも関わらず実践している人は少ない。その必殺技とは。それは日本語を話すことを止めるということだ。人は、一度に一つの言語しか話すことが出来無い。

外国語を話そうとしているのだから、日本語を話すことを止めなければいけないのは当然である。二ヶ国語話すというと、我々はしばしば同時通訳を思い出すが、同時通訳とは二つの言語を習得した上で、同時に二つの言語を操る為の長く厳しい訓練が必要な芸当であり、初学者には到底真似できることではない。初学者は、まず日本語を話す事を止める事が必須だ。人は、話さなければ生きていけない。日本語を話さなければ、外国語を話すことになるのは必然だ。日本語を話しながら外国語を話すことは出来無い。

外国語を学ぶなら、この「日本語を話さない・日本語を耳にしない」環境で、日本語を話すことを禁止し、外国語のみを聞き話す経験が必要だ。頭の中で使う言語もその外国語のみで考える。だが、日本に生まれ日本で育ち日本語しか話したことがない多くの日本人にとって、日本語を話さないという事は死に値する苦しみを伴う。だが必ず通過しなければならない。日本語を話さず、日本語以外の言語を聞き話す行為のことを、ここで日本語断食と呼ぼう。もしも外国語を学ぼうとしたら、最低3ヶ月、日本から出て、どこの国でも良いので、この日本語断食を済ませてしまう事が大切だ。

日本語断食を行う国は、どこでも良い。「英語の本場アメリカ」である必要はない。 日本語断食を、日本よりも物価が安い国で行えば、費用的に日本語断食の期間を長く取れるので、より効果的だろう。 幸運な事に日本は世界で最も物価が高い国なので、日本以外の国は大抵日本より物価が安い。例えば、アジアの多くの国は、日本から近く物価は日本よりも安い。そして忘れずに日本語禁止の語学学校に通うこと。
 
日本人が日本を出るにあたって、いきなりドイツやアメリカというのは敷居が高い。まず日本から出て「日本」が無くても大丈夫な状況に少しずつ身体を慣らしていくことが大切ではないか。「アジアは嫌いだ」という方には、東ドイツなど如何だろうか。ドイツ人の多くの人は片言の英語を話す上、ドイツ人の対日感情は良好だ。加えて生活費が案外と安いのも特徴だ。 東ドイツは、筆者が滞在した2008年頃だが、生活費は日本の半分程度の感覚だった。学費も日本の半額程度だ。

日本人にとって日本を出るというのは、大変な勇気のいる事だ。出来れば日本を出ないで外国語の学習を済ませたい。多くの日本人はそう考えるだろう。筆者もそうだった。だが、日本というのは何か特殊な磁力を持った領域で、日本に居るとこの磁力に引きつけられて、外国語が話せなくなってしまう。日本に居ると外国語の学習はとても難しい。筆者は、現在五ヶ国語が話せるようになったが、日本に帰ると改めてそのことを痛切にそう思う。

この磁力の正体は一体何なのだろう。筆者は長年考えているが、未だに答えは見つかっていない。これは筆者が持っている根拠のない推測ではあるが、近年の日本の政治状況は、日本の磁力と関係しているのではないだろうか、とも思う。 近年、日本政府(政府・マスコミ・司法)が実は日本人の見方でないという事が明らかになるような事件が続いた。 残念なことに、日本国内の方が国外よりも危険であるという、これまで日本人が想像もしなかった逆転現象が起こりつつある。 日本人は、日本を出て自分自身の身の安全を確保すると同時に、日本の外から客観的に日本という国を眺めて、自分たちの置かれた立場を冷静に分析する事が必要ではないだろうか。日本を愛すがゆえに日本を一度出る。そういう姿勢もあって良いのではないだろうか。 日本に居ると、この不思議な磁力に絡め取られ、物が見えなくなる。 そうでなくともはっきり見えなかった自分自身が置かれた立場が、更に不明瞭になる。

どうしても日本を出ることが難しいという場合であっても、日本語を止めるチャンスは少ないながら存在する。 例えば、外国人が接待してくれるバー、通称「外パブ」は、語学の練習としてみた時、常識的に想像するよりもずっと有益である。外パブに行くと日本語が通じない。外パブで働いているお姉さん(或いはお兄さん)を口説く為に、やむを得ず日本語を話すことを一旦ストップし、外国語のみを話す事を余儀なくされる。筆者などは、仕事の傍ら外国語を学ぶという崇高な目的を達成するべく、やむを得ず連日連夜外パブに通い、筆者の無欲無心の語学に対するあまりの熱心さに打ちひしがれた知人から「語学仙人」などと呼ばれていた程であるが、過去の栄光にしがみつく行為は、決して褒められたことではない為、これを読んでもこの話はそっと心に止め、是非とも口外なさらぬ様お願いしたい。

日本人は語学が苦手な民族だが、一方武道や禅の古い伝統文化がある。 語学は学問ではない。一つの「道」だ。語学を知識と考え勉強するといつまで経っても身につかないものだが、語学を「武道」と考えて修練に励むと、いつのまにか見に付き、意識しなくとも自然と体から動いてくるものである。武道は、競うものではない。ひとつの人の生き方だ。結果的にその人の技能の高い低いはあらわれるが、高い低いに関わらず、常に精進する事が大切だ。その精進する姿勢こそが武道の本質である。得意だから続けるのではない。苦手だから続けるのだ。 語学も同じではないだろうか。これが、この「日本語断食」の極意だ。

日本語を断食する。つまり日本語以外の言語を使って考える。物事に対する姿勢が一番大切なのであって、苦手であるという事実はさほど重要でない。



(2012-08-19T19:57:38.525+09:00 に執筆後、御蔵入り。2013/4/16 に加筆訂正し公開した。)