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2011年12月12日月曜日

取り敢えず一言 (mixi05-u459989-201112121428)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
取り敢えず一言
2011年12月12日14:28
「自分がこれほど無価値とは」 転職で想定外の苦戦 40代・惑いの10年
http://www.nikkei.com/life/living/article/g=96958A90889DE1E4E5E4E6EBE2E2E0E7E3E3E0E2E3E38588EAE2E2E2

先日、綺麗な湖のそばにアパートを借りて引っ越した。家賃12000円。 僕が新聞配達時代に住んでいたトイレ共同・風呂なしの新宿・下落合のアパートが3万円だったが、それよりずっと安い。

今日は徹夜明けなのだが、寝ないで夜まで起きていようと思う。 朝、湖まで歩いて行き、そのまま湖のほとりを散歩してきた。 湖は朝日をさんさんと浴びてキラキラ光っており、眩しかった。湖のそばにはウドンタニー駅(タイ東北の辺境都市の中央駅)があり、線路の引き込みがある。華僑の潮州式お寺を横目で眺めながら「太陽にほえろ」の場面の様に、ポケットに手を突っ込みつつ、線路をまたいで渡った。そこは最近出来たばかりのショッピングモールになっている。 そのまま出来たばかりのマクドナルドに入ろうと思ったら、いつも夜コーヒーを飲みに行くコーヒースタンドが既に店を開いている事を発見し、いつも見慣れた女の子からコーヒーを買って、マクドナルドの前のブランコに座ってコーヒーを飲んで、同じ道を歩いて帰ってきた。 湖は一周2~3kmあって、1時間では一周できないかも知れない。今度時間がある時、一周しようと思った。

僕は、あちこちに書いているが、中卒である。 90年代に中卒で社会に出るという事は、大変なリスクを伴うことだった。 とにかくスキルが必要だった。たった3ヶ月の英語語学留学のチャンスを得られたのを最大限に生かして死にものぐるいで英語を学んだ。 加えて、元々特技だったプログラミングを磨き始めた。 今のようにネットがある時代でなかったので、金のある限り本を買いつくした。 働いて手に入ったお金は全て本題やCD代と消えていった。 夜学にも通った。 そうやって数学も学んだし、語学も加えて学んだ。

だけど働きながらの学習というのは、とにかく時間的な制約が厳しすぎる。一日の睡眠時間が4時間を切って、疲労で朝、体が動かないという事も少なくなかった。夜学に通いながら仕事もして、ジャズギターの演奏も続けていた。一時期は二社分の仕事を同時に掛け持ちしていたこともあった。仕事はかなり精神力を必要とする仕事だったので、仕事が終わった後は精神的にあまりゆとりがなく、眠い状態で勉強しても捗らない。 そういうギリギリの中で、英語やロシア語・コンピューターサイエンス・ジャズギターなどを学んだ。 時間があれば何でも出来ると思った。とにかく時間の欠乏はどうにもならなかった。

そのあと色々あって、僕は時間を手に入れた。 生活費がかからないタイに行こうと思ったのが2005年。本当はアメリカに行きたかったのだが、二度アメリカに行った経験上、何も武器を持たずにアメリカに行っても絶対に対等に闘えない手応えを持っていたので、とにかく国際経験を積みたかった。経験を積む時間が欲しかった。だから生活費が安く時間を稼ぎ易いタイにした。 その決意から、6年経った。

僕が日本を出たのは30も過ぎていたが、言葉は日本語以外話せなかった。 今僕は中国語とタイ語・ラオ語・英語が話せる。特にイサーン語(ラオ語)に関しては、一言でも話せば少なくとも三十路過ぎの日本人が勉強したイサーン語だとは絶対に思われないレベルに来た。 その間、プログラミングに関しても、じっくり腰を据えて暗号理論やデータベース設計理論などを学んだので、以前の僕とは別人と言える知識量を持っている。

… 別に僕の苦労節を聞かせようという訳ではない。

どうも、僕の六年前の決断は、色々な面から見て、正解だった様だ。その後、日本は長いデフレに入った。リストラが横行。学歴が高くても仕事が簡単に見つかるとは限らなくなった。

夜間大には実は2つ通ったが、どちらも卒業せず中退した。実は夜間高校も六年間通ったのだが、これも卒業出来※なかった。時間が足りなかった。(※時間を省く為、高校は大検合格の足がかりとするのみで卒業しなかった。大検合格しても、僕に親切にしてくれていた先生が在学継続許可する手続きを取ってくれると話をつけてくれたが、中退を選んだ。)

卒業の心残りは今でも僕の心に重くのしかかている。 今でも夢に出てくる。夢の中で、僕は教室に居る。 これから四年間この大学で過ごす事になった。だが本当に四年間を大学で過ごしても良いのだろうか。 だが今までみんな中途半端で終わってどれひとつとして卒業していないではないか。ここで腹をくくって卒業しなければ…だが四年後にはもう40も超えている。それまで大学の勉強などしている暇は本当にあるのか。本当に僕はそれで後悔がないのか。 答えはNOだった。 心のどこかで何かが叫んでいる。大学で学ぶような知識では、生きていけないと。そんな役に立つかどうかも分からない知識を四年間もの時間を投資して学ぶリスク。 そんなジレンマを感じながら、あぁ、あと四年間学校に通わなければいけないのか…と考えている夢。

僕は大学を卒業しない事を選び、学歴に頼らずに自分の力で生きるスキルを身につける事を選んだ。この選択が、僕の予想もしなかった様な形で、役立ち始めている。

加えて、3月22日・地震で、原発事故が起こった。 仕事はおろか、日本で生きていく事自体、困難になってしまった。 … そういえば、かつて22歳の時、結婚しようとしていた女が居た。両親に「学歴も無いような男と結婚させる訳にはいかない」と言われ、無理やり別れさせられた。 その子の地元が柏の葉だったのだが、今やホットスポットである。当時工事中だったつくばエクスプレスの開通を見越して、投資として柏に家を買っていたが、値段も大分落ちたろうな。 今頃、どうしているだろうか。

「つくば学園都市」とか「終身雇用」とかそういった日本が持っていた全ての幻想が色あせて、厳しい現実の灰色に戻りつつある。 僕はどういう訳かそういう幻想に乗って楽しむチャンスがあまりなかったので、自力で生きる道を探すしかなかったのだが、この選択が、僕の予想を超えた形で、必要なものへと変化しつつある。日本を出る予行演習として学んできた事が、思いがけずサバイバルスキルへと変貌した。 もっとも、未だに道を掴みきれたとは言い難い。まだ全力で走らなければ、今渡っている橋は今にも崩れ落ち、僕は死んでしまうかも知れないが。



結婚しようとした時、恋愛と結婚は違うと断言された。 僕は恋愛の対象ではあるが、結婚の対象ではないと断言された。 もう別にその女に未練は無いし、どうせ結婚するなら当時22歳で現在36歳のおばさんでなく、もっと若い子の方がいいとは思う。だけどこの時言われた言葉を思い出すと、今でも腸が煮える様な怒りを感じる。 もっとも、この考え方は戦後の段階ジュニア世代では非常に一般的な考え方ではある。 いちいち腸を煮えくり返らさせていたら、人付き合いなど無理である。 僕はその考え方を受け入れた。

とはいえ、この日経新聞のコラムに出てくる様な、お金が無くなった途端「女房が泣き崩れ、娘に『暗い顔をするな』と蔑まれる」そんな家族を僕は欲しかっただろうか。 お金は無くても、一緒に過ごして幸せだ、という方が幸せではないだろうか。いや、本来それが本当の家族愛ではないか。


  押すと3億円もらえるけど夫が即死するボタン
  http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/ms/1295354914/
  http://uraura007.blog84.fc2.com/blog-entry-414.html


僕が今住んでいるラオの農村地域は、物々交換がまだ生き残っていて、お金のない社会というものが残っている。 そういう中で生活して、そもそも人間はどうやって暮らしていたのかを目の当たりにするチャンスに恵まれた。 しかも僕はそこの言葉が話せる幸運に恵まれ、ラオの狩猟採集社会での、色々な人生のこぼれ話をたくさん教えてもらうチャンスも得られた。

それで今、僕は色々思う。本当に色々な事を思う。叫びたい思いがある。ニート・引きこもり・登校拒否・いじめ・リストラ・原発事故・国外脱出という話を聞くと、僕の往く場の無い怒りが蘇り、僕の経験、僕の思いを掴んで、叫びたい様な激しい感情が呼び覚まされる。

だけど、これには大変なボリュームがあり、しかも複雑で、まだきちんとした日本語に出来無い。 表現方法もまだ確立されていない。

まだ暫く修行が必要だと思う。


本当はもっと添削して言葉を尽くしたいのだけど、今はこのままにしておく。
本番は、僕が今作っているコンピュータープログラムが出来上がってからだ。
コメント一覧
よっちゃん@Chonburi   2011年12月12日 15:07
紹介しておこうと思ったら「イイネ」がありましたね(笑)
まだお二人にはお目にかかっていないし、来月の機会に一度一緒に会いたいものですね。
モダン・ペイズリー   2011年12月12日 19:26
働く世代の生活保護受給者は10年前の4倍に膨れ上がっています。

私の弟の同級生は高校入学後にお父さんを亡くし、病弱なお母さんと妹たちがいたので退学し就職しましたが、学歴でかなり苛められ、しかし、歯を食い縛りスキルを積み上げながら踏ん張り、今は妻子を持ち社内でもベテラン管理職に就いています。

父の葬儀の際も弟は受付を依頼していました。


学歴は本当に関係ない。
大切なのはその人の人生の歴史ですよね。
かつお   2011年12月12日 20:16
『人生は一度しかないから好きなようにすればよい』。 これは取引先の社長がいつも言っています。未曾有の国難の時代、海外経験者は強みだと思います。
MIO   2011年12月12日 23:18

ずっと前に行った美容院の美容師さんが、
一番頭がいい人って、中卒の人なんですよね、
ってサラっと言ってたの思い出した。

中卒といってももちろんひとそれぞれだけど、
多数派の人よりは、深い人生を歩んできてるよね。

だから味があるんだよね。

苦労だけが味になるわけではないけど、
苦労というのはもの凄く深い味わいに繋がるんだろうな。

風我   2011年12月13日 00:28
アラブの格言に「飢えた人を殺そうと思うなら魚料理を食わせてやれ、助けようと思うなら魚の釣り方を教えてやれ」というのがあります。おかあつさんは正に「苦労を買って出て」ご自分で魚の釣り方を覚えた方です。今年の震災でこれまで「王道を走ってきた人」が大勢滅びることでしょう。残念ながら「弱者」は必ず自然淘汰されていくものですから。そこで生き残った女性と結婚してください。日本の将来、頼みまっせ!
 
出展 2011年12月12日14:28 『取り敢えず一言』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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