多民族の歌
2011年11月01日07:58
明け方、仕事が煮詰まって外にタバコを吸いに行った。 タバコを吸っていたら、どこからともなくハーモニカの音が聞こえてきた。 ふとそちらを見てみたら、色の黒いラオっぽいおっちゃんが、荷台付きの三輪自転車をこぎながら、ハーモニカを吹いていた。 メロディーを聞いてみると、明らかに、中国のメロディーで、ラオのメロディー(ラム)ではなかった。でも顔を見ると、明らかにラオの人だった。 顔はラオだけど心は潮州。 この街には、こういう人がたくさん住んでいる。
僕が住んでいるウドンタニー市街部には、ラオと潮州のハーフの人がたくさん住んでいる。ラオ人と潮州人は、基本的に仲が悪く、敵同士だ。だけど、敵同士が混ざり合って、ひとつの街に住んでいる。
ウドンタニーはバンコクから500km以上離れており、辺境だが、潮州人の華僑がたくさん移住している為、経済は栄えている。 だが、その市街地からたったの20km離れるだけで、未だに物々交換が中心のラオの村がある。 お金というものは、価値観の総本山の様なものだが、これほどに価値観が異なる人が、同じ地域にごちゃまぜになって住んでいる。
こういう街に住んでいると、物事を善悪で二分して考えることの儚さを思わざるを得ない。 お父さんは潮州人で、お母さんはラオ人というのは、どういうことか。 潮州人とラオ人は往々にして敵同士だが、こういうカップルが無数に住んでいる。
お父さんを善人と見ると、お母さんは必ず悪人になる。 お母さんを善人と見れば、お父さんが悪人になる。 善悪の価値観を超え、自分の立場を超えて、物事を見ることが出来なければ、必ず争いに発展する。 自分の立場を棚上げして譲り合う、それが出来無いその果てにあるのは、大げさではなく、殺し合いだ。 実際、この街で起こる殺人事件は、そういう民族が持っている価値観の違いの衝突から来るものが多い。
自分の立場に固執し、相手を糾弾する。 挙句の果てには殺人事件に発展する。 そして大切な人を失う。失って、初めて自分の立場に固執する虚しさを知る。 これは若干大げさな言い方かも知れないが、この街に住むためには、自分の価値観に固執する虚しさを学ばなければならない。 自分の立場から離れて相手の立場を理解する柔軟性を学ばなければならない。
僕は何故か、縁あって、そういう複数の民族が入り乱れている街、ウドンタニーに住んでいる。僕自身、日本人という立場で、この街に入り、最初は地獄の苦しみを味わった。だけど、この街に携わるようになって既に6年目に入る。 気がつけば、何か居心地の良さすら、感じる。 思い起こせば、無数の苦境を乗り越えてきた様な気もする。 今はもう何とも思っていないだけで。
この街には、言葉すら複数存在する。 もちろんタイ国内なので、標準語はタイ語なのだが、多くの人は、タイ語がネイティブではない。 タイ語にも人によってたくさんの方言があり、同じ言葉とはとても思えないようなバリエーションがある。 そういう中では、相手の方言に出来るだけ歩み寄って話すことが、相手に対する一番の思いやりとして考えられている。
この街には、主に潮州人とラオ人が住んでいるが、ベトナム戦争の影響でイギリス人も多く、そこにベトナムからの難民も多く住んでいる。加えて、インド系の移民も多い。だから、相手の顔を見て、潮州系の人だと思ったならば、標準タイ語(+潮州訛り)で話し、ラオ人だと思ったらラオ語に切り替えて、イギリスハーフの人であれば、英語で話してみたり、ラオ語で話してみたり、相手の言葉を探りながらコミュニケーションする。 それがこの街の常識だ。
◇
さて、最近、おかあつが、ミクシで知り合った人に、 nhatさんという、中国各地を旅して少数民族の言語を研究している、中国民主化運動に近い考え方を持っている日本人と、トモミさんという、日本語がペラペラで中国統一民族主義に近い考え方を持っている中国人がいる。
僕から見ると、この二人はとても似ている。 ともに、語学に卓越しており、歴史をよく勉強しており、切磋琢磨されいるため、尋常な人ではない。ところが、ふたりは、欠点も共通している。 ずばり言ってしまうと、自分の立場に固執して他人の立場で物事を見れないところだ。 非常によく似ている。
運悪く、このふたりは、全く違うイデオロギーを持っている。 おかげで、僕の日記で喧々囂々の討論というかケンカが起きた。 ふたりから、それぞれメールが来た。 トモミさん曰く「あいつは何だ!ネットウヨか!」 ある日、nhatさんからメールが来た。 「あいつは何だ! ネットウヨか!」 言っていることまで笑ってしまう程に同じだった。まるで鏡を見ている様だ。
僕から見ると、この二人は、お互いの欠点を保管しあう様な、実は非常に仲良くなる可能性を秘めていると感じる。だけど、どうも上手く行かない。
ウドンタニー住民である僕から見ると、このふたりには色々思う。 自分の立場が可愛いのは、誰でも一緒だ。 自分の立場を一時棚上げし、相手の立場に立って物事を見ることの重要性は、いくら強調しても足りないほどなのだ。だが、二人共、あまり得意でない。 ウドンタニーの人であれば、誰もが出来ることなのだが、この二人は残念ながら、出来ない。
◇
自分を善と見れば、相手は必ず悪だ。 だからこそ、自分を悪とすれば、相手は必ず善なのだ。 自分を悪として買ってでることが出来る、おおらかさを持っていることが、ウドンタニークオリティーである。ウドンタニーでは出来て当たり前な技術だ。自分の価値観に主観的であるのは、誰でも一緒だ。 他人の価値観に対してこそ、主観的になることが大切だ。 それが出来ないと、この街には住めない。 他人に客観的なままでは、命の危険すらある、そういう街だ。
こういう「他者に対する主観性の獲得能力」というのは、人によって大きな差がある事を今までたくさん観察してきた。 今まで色々な語学達人にあったけど、出来る人はどんなに語学が下手でも出来た。出来ない人はどんなに語学が卓越していても出来なかった。
敢えて、この文章をふたりが読める様な状態にしておこうと思う。
わかるかなぁ。 わからねぇだろうなぁ。
怒るかな? 怒るだろうな。きっと。
今更だけど、ラブ アンド ピースって感じ?
ユメーセー アイムドリーマーって感じ?
立場を乗り越えられないと、殺し合いしか残らないんだよ。
この二人が仲良くなって、お互い切磋琢磨出来る様になることを祈って一曲。
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
僕が住んでいるウドンタニー市街部には、ラオと潮州のハーフの人がたくさん住んでいる。ラオ人と潮州人は、基本的に仲が悪く、敵同士だ。だけど、敵同士が混ざり合って、ひとつの街に住んでいる。
ウドンタニーはバンコクから500km以上離れており、辺境だが、潮州人の華僑がたくさん移住している為、経済は栄えている。 だが、その市街地からたったの20km離れるだけで、未だに物々交換が中心のラオの村がある。 お金というものは、価値観の総本山の様なものだが、これほどに価値観が異なる人が、同じ地域にごちゃまぜになって住んでいる。
こういう街に住んでいると、物事を善悪で二分して考えることの儚さを思わざるを得ない。 お父さんは潮州人で、お母さんはラオ人というのは、どういうことか。 潮州人とラオ人は往々にして敵同士だが、こういうカップルが無数に住んでいる。
お父さんを善人と見ると、お母さんは必ず悪人になる。 お母さんを善人と見れば、お父さんが悪人になる。 善悪の価値観を超え、自分の立場を超えて、物事を見ることが出来なければ、必ず争いに発展する。 自分の立場を棚上げして譲り合う、それが出来無いその果てにあるのは、大げさではなく、殺し合いだ。 実際、この街で起こる殺人事件は、そういう民族が持っている価値観の違いの衝突から来るものが多い。
自分の立場に固執し、相手を糾弾する。 挙句の果てには殺人事件に発展する。 そして大切な人を失う。失って、初めて自分の立場に固執する虚しさを知る。 これは若干大げさな言い方かも知れないが、この街に住むためには、自分の価値観に固執する虚しさを学ばなければならない。 自分の立場から離れて相手の立場を理解する柔軟性を学ばなければならない。
僕は何故か、縁あって、そういう複数の民族が入り乱れている街、ウドンタニーに住んでいる。僕自身、日本人という立場で、この街に入り、最初は地獄の苦しみを味わった。だけど、この街に携わるようになって既に6年目に入る。 気がつけば、何か居心地の良さすら、感じる。 思い起こせば、無数の苦境を乗り越えてきた様な気もする。 今はもう何とも思っていないだけで。
この街には、言葉すら複数存在する。 もちろんタイ国内なので、標準語はタイ語なのだが、多くの人は、タイ語がネイティブではない。 タイ語にも人によってたくさんの方言があり、同じ言葉とはとても思えないようなバリエーションがある。 そういう中では、相手の方言に出来るだけ歩み寄って話すことが、相手に対する一番の思いやりとして考えられている。
この街には、主に潮州人とラオ人が住んでいるが、ベトナム戦争の影響でイギリス人も多く、そこにベトナムからの難民も多く住んでいる。加えて、インド系の移民も多い。だから、相手の顔を見て、潮州系の人だと思ったならば、標準タイ語(+潮州訛り)で話し、ラオ人だと思ったらラオ語に切り替えて、イギリスハーフの人であれば、英語で話してみたり、ラオ語で話してみたり、相手の言葉を探りながらコミュニケーションする。 それがこの街の常識だ。
◇
さて、最近、おかあつが、ミクシで知り合った人に、 nhatさんという、中国各地を旅して少数民族の言語を研究している、中国民主化運動に近い考え方を持っている日本人と、トモミさんという、日本語がペラペラで中国統一民族主義に近い考え方を持っている中国人がいる。
僕から見ると、この二人はとても似ている。 ともに、語学に卓越しており、歴史をよく勉強しており、切磋琢磨されいるため、尋常な人ではない。ところが、ふたりは、欠点も共通している。 ずばり言ってしまうと、自分の立場に固執して他人の立場で物事を見れないところだ。 非常によく似ている。
運悪く、このふたりは、全く違うイデオロギーを持っている。 おかげで、僕の日記で喧々囂々の討論というかケンカが起きた。 ふたりから、それぞれメールが来た。 トモミさん曰く「あいつは何だ!ネットウヨか!」 ある日、nhatさんからメールが来た。 「あいつは何だ! ネットウヨか!」 言っていることまで笑ってしまう程に同じだった。まるで鏡を見ている様だ。
僕から見ると、この二人は、お互いの欠点を保管しあう様な、実は非常に仲良くなる可能性を秘めていると感じる。だけど、どうも上手く行かない。
ウドンタニー住民である僕から見ると、このふたりには色々思う。 自分の立場が可愛いのは、誰でも一緒だ。 自分の立場を一時棚上げし、相手の立場に立って物事を見ることの重要性は、いくら強調しても足りないほどなのだ。だが、二人共、あまり得意でない。 ウドンタニーの人であれば、誰もが出来ることなのだが、この二人は残念ながら、出来ない。
◇
自分を善と見れば、相手は必ず悪だ。 だからこそ、自分を悪とすれば、相手は必ず善なのだ。 自分を悪として買ってでることが出来る、おおらかさを持っていることが、ウドンタニークオリティーである。ウドンタニーでは出来て当たり前な技術だ。自分の価値観に主観的であるのは、誰でも一緒だ。 他人の価値観に対してこそ、主観的になることが大切だ。 それが出来ないと、この街には住めない。 他人に客観的なままでは、命の危険すらある、そういう街だ。
こういう「他者に対する主観性の獲得能力」というのは、人によって大きな差がある事を今までたくさん観察してきた。 今まで色々な語学達人にあったけど、出来る人はどんなに語学が下手でも出来た。出来ない人はどんなに語学が卓越していても出来なかった。
敢えて、この文章をふたりが読める様な状態にしておこうと思う。
わかるかなぁ。 わからねぇだろうなぁ。
怒るかな? 怒るだろうな。きっと。
今更だけど、ラブ アンド ピースって感じ?
ユメーセー アイムドリーマーって感じ?
立場を乗り越えられないと、殺し合いしか残らないんだよ。
この二人が仲良くなって、お互い切磋琢磨出来る様になることを祈って一曲。
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
コメント一覧
モダン・ペイズリー 2011年11月01日 08:57
イマジンが多民族の歌
素晴らしく素敵
素晴らしく素敵
ちえぞう 2011年11月01日 11:27
仲良くなったらお互い楽しそうだなと思いますねー
努力して報われてきた人には、人の気持ちになって考えられない人が多い気がします。
ちょっと言い方が小学生みたいですが。
そりゃ勿論、本当に相手の考えてることを完璧に汲める人なんていないけど。
議論と喧嘩は違う。
喧嘩が良くないとも思わないけど、どうせなら何かを吸収するべきだと思う。
ラブ&ピース万歳
努力して報われてきた人には、人の気持ちになって考えられない人が多い気がします。
ちょっと言い方が小学生みたいですが。
そりゃ勿論、本当に相手の考えてることを完璧に汲める人なんていないけど。
議論と喧嘩は違う。
喧嘩が良くないとも思わないけど、どうせなら何かを吸収するべきだと思う。
ラブ&ピース万歳
nhat 2011年11月01日 19:37
>中国民主化運動に近い考え方を持っている日本人
いや、これは誤解ですよ。
「中国民主活動家は 中国政府が中国人民をいじめてることについては批判できるが 彼らは中国がチベットを植民地化していることを批判しない。中国民主活動家は中国の独裁には反対しているが 中国の帝国主義には反対せず、むしろ中国民主活動家は彼ら自身が中華帝国主義者である。」という話をしたはずですが、理解できませんでしたか?
それと ぼくは別に中国の民主化を支持してるわけでもありませんよ。反対してるわけでもないですけど。
ぼくは中国の帝国主義に反対しているだけで、中国の独裁に反対しているわけではありません。
つまり チベット・ウイグルの独立を支持しますが、中国がチベット・ウイグルの独立を認め これらの土地を手放したならば 別に残りの小さくなった中国で中国共産党が独裁政治をすることに反対してるわけではありません。中国人民が「中国共産党に支配されていても構わない」と思っているなら 別にぼくが反対する理由はないですよ。
反帝国主義と反独裁は違います。
いや、これは誤解ですよ。
「中国民主活動家は 中国政府が中国人民をいじめてることについては批判できるが 彼らは中国がチベットを植民地化していることを批判しない。中国民主活動家は中国の独裁には反対しているが 中国の帝国主義には反対せず、むしろ中国民主活動家は彼ら自身が中華帝国主義者である。」という話をしたはずですが、理解できませんでしたか?
それと ぼくは別に中国の民主化を支持してるわけでもありませんよ。反対してるわけでもないですけど。
ぼくは中国の帝国主義に反対しているだけで、中国の独裁に反対しているわけではありません。
つまり チベット・ウイグルの独立を支持しますが、中国がチベット・ウイグルの独立を認め これらの土地を手放したならば 別に残りの小さくなった中国で中国共産党が独裁政治をすることに反対してるわけではありません。中国人民が「中国共産党に支配されていても構わない」と思っているなら 別にぼくが反対する理由はないですよ。
反帝国主義と反独裁は違います。
おかあつ 2011年11月02日 00:11
nhatな。 理屈に矛盾がないと、説明ってびっくりするほど簡単になるんだよ。
これだけ理屈を重ねるっていうことは、やっぱりどっかに矛盾がある証拠なんだな。
他人を疑う前に、まず自分を疑ってみな。
自分の矛盾点を自分で見つけられないっていうのは、人間として子供だ。
俺は大人しか相手にしないからな。
これだけ理屈を重ねるっていうことは、やっぱりどっかに矛盾がある証拠なんだな。
他人を疑う前に、まず自分を疑ってみな。
自分の矛盾点を自分で見つけられないっていうのは、人間として子供だ。
俺は大人しか相手にしないからな。
さい 2011年11月02日 12:07
ちえぞうさんの話すごいわかります。
努力で報われた人ほど、人の気持ちになって考えられない人が多いという。
怨節と呪いの言葉ばかりで、苦労人に関わってもロクなことにならない。
努力で報われた人ほど、人の気持ちになって考えられない人が多いという。
怨節と呪いの言葉ばかりで、苦労人に関わってもロクなことにならない。
おかあつ 2011年11月02日 14:05
努力で報われなかった人ほど優しくなれるものか。
言われてみれば、確かにそうかも知れないな。
努力で報われたのは、実は幸運ではなかったのかもな。見方を変えると。
いやぁ…この見方は、色々な人に当てはまる気がするな…。
僕にもガッツリ当てはまるな。
言われてみれば、確かにそうかも知れないな。
努力で報われたのは、実は幸運ではなかったのかもな。見方を変えると。
いやぁ…この見方は、色々な人に当てはまる気がするな…。
僕にもガッツリ当てはまるな。
おかあつ 2011年11月02日 14:12
若い内に成功した人ってコケると長く立てなくなる気がする。
若い内に失敗した人は、何度でも立ち上がるよな。
若い内に失敗した人は、何度でも立ち上がるよな。
おかあつ 2011年11月02日 14:14
本当は、厳しく努力し、報われて、かつ、その苦労を忘れず、努力して報われなかったのと同じような姿勢でいられる筈なんだよな。 これは難しいことだよな。
さい 2011年11月02日 14:46
そうありたいよね。とても難しいけど。私は頭悪くて勉強するのがすごい大変だったから、何も知らないのに色々偉そうに聞いてくる人を見ると、どうしても腹立たしくなる。
ちえぞう 2011年11月02日 15:09
難しいけど、頭の良い人ほどそうあって欲しいですねー
モダン・ペイズリー 2011年11月02日 18:28
わぁ
皆さんのコメントを読んでかなり反省
成功した事は無いけど、ついつい自分の苦労話をしちゃってます
最近はそれでも
耐性力は強い~弱いの幅がかなりあるんだと、50歳ぐらいになってようやく気づいたので、消化し受容できる様に量を加減してるんですが・・・。
皆さんのコメントを読んでかなり反省
成功した事は無いけど、ついつい自分の苦労話をしちゃってます
最近はそれでも
耐性力は強い~弱いの幅がかなりあるんだと、50歳ぐらいになってようやく気づいたので、消化し受容できる様に量を加減してるんですが・・・。
nhat 2011年11月02日 18:36
>お父さんを善人と見ると、お母さんは必ず悪人になる。 お母さんを善人と見れば、お父さんが悪人になる。 善悪の価値観を超え、自分の立場を超えて、物事を見ることが出来なければ、必ず争いに発展する。 自分の立場を棚上げして譲り合う、それが出来無いその果てにあるのは、大げさではなく、殺し合いだ。
1950年に中国は「チベットはダライラマなどの反動封建領主が支配しているから 我々がチベットを救ってあげるんだ!」と言いながらチベットを「解放」しました。
そして中国は、現在でもダライラマのことを「悪魔」と呼び、中国共産党がチベットの解放者だといっています。
たしかにダライラマが正しいとは限りません。反動地主だったという側面も あるかもしれません。
昔も今も中国人からの立場から見れば「ダライラマは悪で、中国共産党が正義」なのでしょう。
しかしチベット人の立場からみても「ダライラマが悪で、中国共産党が正義」なのでしょうか?
チベット人から見ても「中国共産党は解放者」なのでしょうか?
中国が1950年にチベットを「解放」したのは、そして今でもその統治を続けているのは、自分の善悪の価値観・正義を隣人に適用し 親切の押しつけをする 「争いを生む行為」には当たらないのでしょうか?
そもそも1950年に中国がチベットを「解放」なんてしなければ チベット人と中国人の民族対立は起きなかったのではないでしょうか?
チベットで民族の対立が起きている問題は「チベット独立派やそれを支援している大国が正義を振りかざし争いの種をまいてるのであって 中国側のほうは自分の立場に固執し相手を糾弾する事をしていない」と考えているのでしょうか?
この問題ではチベット独立派側だけが譲歩し 中国側は譲歩しなくても良いと考えているのでしょうか?
おかあつさんの意見をぜひ聞きたいです。
1950年に中国は「チベットはダライラマなどの反動封建領主が支配しているから 我々がチベットを救ってあげるんだ!」と言いながらチベットを「解放」しました。
そして中国は、現在でもダライラマのことを「悪魔」と呼び、中国共産党がチベットの解放者だといっています。
たしかにダライラマが正しいとは限りません。反動地主だったという側面も あるかもしれません。
昔も今も中国人からの立場から見れば「ダライラマは悪で、中国共産党が正義」なのでしょう。
しかしチベット人の立場からみても「ダライラマが悪で、中国共産党が正義」なのでしょうか?
チベット人から見ても「中国共産党は解放者」なのでしょうか?
中国が1950年にチベットを「解放」したのは、そして今でもその統治を続けているのは、自分の善悪の価値観・正義を隣人に適用し 親切の押しつけをする 「争いを生む行為」には当たらないのでしょうか?
そもそも1950年に中国がチベットを「解放」なんてしなければ チベット人と中国人の民族対立は起きなかったのではないでしょうか?
チベットで民族の対立が起きている問題は「チベット独立派やそれを支援している大国が正義を振りかざし争いの種をまいてるのであって 中国側のほうは自分の立場に固執し相手を糾弾する事をしていない」と考えているのでしょうか?
この問題ではチベット独立派側だけが譲歩し 中国側は譲歩しなくても良いと考えているのでしょうか?
おかあつさんの意見をぜひ聞きたいです。
おかあつ 2011年11月02日 21:07
さい
>何も知らないのに色々偉そうに聞いてくる人を見ると、
>どうしても腹立たしくなる。
僕は人の話を聞かないとよく怒られていたからか、人の話を聞かない人が一番我慢できないかな。
>何も知らないのに色々偉そうに聞いてくる人を見ると、
>どうしても腹立たしくなる。
僕は人の話を聞かないとよく怒られていたからか、人の話を聞かない人が一番我慢できないかな。
おかあつ 2011年11月02日 21:08
ちえぞう
>難しいけど、頭の良い人ほどそうあって欲しいですねー
どういうわけか頭のいい人ほど、その傾向強いけどね…。
>難しいけど、頭の良い人ほどそうあって欲しいですねー
どういうわけか頭のいい人ほど、その傾向強いけどね…。
おかあつ 2011年11月02日 21:15
ともサキ*共咲*さん、
>耐性力は強い~弱いの幅がかなりあるんだと、
本当に、人によってずいぶんと違いますよね…。
>耐性力は強い~弱いの幅がかなりあるんだと、
本当に、人によってずいぶんと違いますよね…。
さい 2011年11月02日 22:17
聞くっていうかね、自分で考える代わりに質問してこられるのが、腹立たしい。他人の時間を横取りして、自分だけうまく出し抜かれる感じがして。
モダン・ペイズリー 2011年11月03日 01:31
さいさん
対話力否定論っぽい気がして感動しました
相手に質問して考えさせ言葉を引き出すのが、日本人に足りない対話力だと言われていますが、それが腹ただしいという意見は、清々しいですねぇ
なるほど
対話力否定論っぽい気がして感動しました
相手に質問して考えさせ言葉を引き出すのが、日本人に足りない対話力だと言われていますが、それが腹ただしいという意見は、清々しいですねぇ
なるほど
ちえぞう 2011年11月03日 01:50
所謂「勉強のできる頭の良い人 」に多いですよね。
逆に言うと勉強しかできない人。
自給自足するなら問題ないけど、他人と関わると不快な人が多いですね。
その頭の良さをもっと建設的なことに使ってくれ!と頭の良くない自分は思うのです。
逆に言うと勉強しかできない人。
自給自足するなら問題ないけど、他人と関わると不快な人が多いですね。
その頭の良さをもっと建設的なことに使ってくれ!と頭の良くない自分は思うのです。
おかあつ 2011年11月03日 02:03
>相手に質問して考えさせ言葉を引き出すのが、日本人に足りない対話力だと言われていますが、それが腹ただしいという意見は、清々しいですねぇ
彼女はしばらく研究者みたいな事をやっていたんですが、あの世界って結構ずるい人が多くて、本来自分で考えるべきことなのを、わかってて、省力化を目的に他人に質問する人は多い気がします。 人がいいと、どんどん時間を吸い取られてしまうというか。
彼女はしばらく研究者みたいな事をやっていたんですが、あの世界って結構ずるい人が多くて、本来自分で考えるべきことなのを、わかってて、省力化を目的に他人に質問する人は多い気がします。 人がいいと、どんどん時間を吸い取られてしまうというか。
おかあつ 2011年11月03日 02:13
> 自給自足するなら問題ないけど、他人と関わると不快な人が多いですね。
空気読める人ほど、非論理的で、空気読めない人ほど、論理的な気が僕はします。 頭の良さを発揮する場所が違うと言うか…。 「お前、何で金の事になるとそんな頭がよくまわんの?」みたいな。^^ 「その才能、もっと役に立つ他のこと使えんの?!」みたいな。
教育が高い人は、頭がいいっていうか、ある意味、何か捨ててる人多いよね。でその失った何かの代わりに劣等感の裏返しの優越感が強くて、人を見下してばかりいてね。
でも、本当に教育が高くて頭のいい人は、誰にでも親切でいい人であるような気もするしな。
空気読める人ほど、非論理的で、空気読めない人ほど、論理的な気が僕はします。 頭の良さを発揮する場所が違うと言うか…。 「お前、何で金の事になるとそんな頭がよくまわんの?」みたいな。^^ 「その才能、もっと役に立つ他のこと使えんの?!」みたいな。
教育が高い人は、頭がいいっていうか、ある意味、何か捨ててる人多いよね。でその失った何かの代わりに劣等感の裏返しの優越感が強くて、人を見下してばかりいてね。
でも、本当に教育が高くて頭のいい人は、誰にでも親切でいい人であるような気もするしな。
さい 2011年11月03日 10:59
頭がよくて感じも良くて親切な人は、最初はとても多いです。親切にすることは快感です。しかし、し続けることで大多数の人が痛い目にあい、親切にするのをやめます。だから、年をとっても頭良くて親切な人でいるのは奇跡です。どのような過程をたどるとそうなれるのか、とても興味深いです。美しく老いるのはとても難しいことです。