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2011年9月2日金曜日

この記事は最悪だ。文章もへたくそで、内容が理解出来ない。 (mixi05-u459989-201109021937)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
この記事は最悪だ。文章もへたくそで、内容が理解出来ない。
2011年09月02日19:37
上から目線、身の程知らずで、文章もへたくそ。 自分を何様だと思ってるんだよ。何で人をレベルで分けんだよ! 人にレベルなどあるのかよ!                     


人は事実を目の当たりにすると怒り猛って否定する。この僕が書いた上のエサに引っかかった人は、実際、この文章に「自分の問題をうまく言い当てられた」と、感じたからこそ、腹立たしく思い、引っかかったのだろう。

その事実を素直に認めてもいいのではないか。 往々にしてそれは自分だけが原因ではない。問題を社会のせいにしてはいけない、と人は言うが、今日本の社会が持っている問題は、誰もが気軽に解決できる簡単な問題ではない。 努力が足りないと言う人は、無責任だ。


人は本質的に平等だ。人の価値など比較できるものではない。これは絶対に変わらない普遍的な事実だ。 だが、何かひとつの価値観に絞って固定して考えた時に限って、人の価値は簡単に比較出来る。

例えば「100mを一番速く走った人間が一番エライ」と決めた場合、今のところボルトンが一番偉い。どれくらい偉いかというと、ボルトンのフライングのせいで、100m走のルールが改正されてしまう位、偉い。

「人を時間内に殴り倒した人が一番エライ」という風に決める物もある。 そこでは、ファイティング原田とかガッツ石松とかが偉い。(ちと古いが)

「芝生の上に居る間、ゴールにボールが入った数が一番多い人がエライ」などという決め方もある。 直接シュートに携わっていない人を上手に評価するよいルールだ。

おそらくビジネスの世界では、会社を安定して経営させることが出来る人が一番偉いのだろう。

ここで、「人の価値はそんな簡単に決められるものではない」と主張して、人と人を比べる事を止めてしまったら、とても面白くない。 世の中勝ち負けがあるから、面白い。 馬券を買っても、勝ち負けを決めず「みんなに平等に分配しましょう」となっていたら、こんなにやる気が出ないゲームはない。

だが、人生はゲームではない。

現実の世界はスポーツではない。 何をしたら、一番偉いという定義はそう簡単に決められるものではない。 勝てば幸せ、ということもない。 負けて不幸ということもない。 劣等感に燃えて他者を徹底的に叩きのめし、勝利を勝ち取ったあと、虚無だけが残った、という例は枚挙に暇が無い。 負けてあげて、幸せになった、ということだって多いではないか。 子供相手に本気でゲームをするような大人は子供から嫌われる。 人生は複雑だ。 そもそも勝ち・負けというルールの決め方からしてスポーツの様に単純ではない。

ギターの演奏などよい例だ。 うまいギターが感動的だろうか。 指が速く動いて、大きい音が出て、インパクトがあって、間違いがない、うまい演奏。

だが、ギター演奏は曲芸ではない。うまい演奏が感動的かといえば、往々にしてそうではない。

ボロボロの弦で、指が動かなくて、間違いだらけで、引きつった腕で、かすれる様な声で、自分の思いを正直に歌った歌の方が、心を動かす事の方が圧倒的に多いのではないか。



僕等は、絶対に負けるインチキなバクチの胴元が運営する世界に居て、「あぁ俺が悪いんだろ、わかっているよ」とクサクサしている。 社会の問題を自分のせいにしてはいけない。 かといって、努力を止めてもいけない。

平等な競争が出来る世界が、この世には存在する。

勝ち負けが重要な場面で、人生の複雑さを持ち出してはいけない。 複雑な人生を、勝ち負けで断罪するようなことをしてはいけない。

僕は、冒頭に書いたひねくれた虚言エサに引っかかる様な人間が、一番好きだ。 こういう虚言に引っかかる人が、実は一番まっすぐな気持ちを持っている。 世の中のウソに打ちひしがれて、こうやってこの日記にたどり着いたひねくれものが、一番いいヤツだ。




と、いうわけで、この日記にグッと来たらRT ^^
https://twitter.com/share?text=%E3%81%93%E3%81%AE%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%80%81%E6%B3%A3%E3%81%91%E3%82%8B%E2%80%A6%20%20%E3%82%8F%E3%81%91%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%8B%EF%BC%81%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%81%8C%EF%BC%81&via=ats4u





目の前の人はあなたの等身大の姿

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1728961&media_id=40
 「自分はこんな職場で終わるはずじゃない!」と焦るものの、上手くいかない。私の観察では、こういう人は特に30代半ばまでの会社員に多い。それより上の年になると、多数の人が「まあ、仕方がない。これが自分の人生」とあきらめていくものだ。

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 今回は、30代半ばまでで志は高いが、思い描いたように進まない人に参考になる事例を紹介したい。結論から言えば、他人とか会社、上司うんぬんに不満を述べるよりも、まずは自分の力を上げることが最優先。力が上がれば、次第に周囲の環境は変わっていくことを伝えたい。

 そんなことを痛感した経験を紹介しよう。私は先日、新宿の居酒屋で25人が参加する懇親会を開いた。そこには、取材でお世話になっているコンサルタントや社会保険労務士、さらに同業者であるライターや漫画家などが参加した。さらにFacebookで知り合ったデザイナーやダンススタジオの経営者、会社員などが加わった。

●会社員が勘違いしやすいこと

 こういう場を通して互いに知り合うことで、さらなる仕事やプライべートなどに結び付けてほしいと願い、企画した。ただし、誰でもいいから呼ぼうとは思っていなかった。むしろ、厳しくセレクトした。職業は、コンサルタントや個人事業主にあえて絞った。会社員は、管理部門や営業など経営に直結している部署に籍を置く人にした。実はそれ以外からもエントリーがあったが、断った。

 さらには、それぞれの参加者のフェーズ(成長のステップ)が重なることを意識した。私の持論なのだが、人と人とがビジネスにしろプライベートにしろ、付き合いが上手くいくためには、力とか実績などの釣り合いが絶対に必要だと思う。

 例えば、コンサルタント20年目の人とわずか数年の人とではなかなか上手くはいかない。表向きは親しく話をしても、いざ仕事をすると、双方の経験や知識、ノウハウに差があり、スムーズに進まない。そのような現実を見すえることなく仕事を続けると、大体、人間関係のトラブルに発展する。

 ……ということを、コンサルティング会社の経営者などから耳にする。そこでコンサルタントでいえば15~25年目くらい、個人事業主もそのくらいの人に絞った。会は3時間だったが、比較的、スムーズに進んだように思えた。

 多くの読者は「そんなことはできる。社内の忘年会で幹事をした」「異業種交流会を開き、50人を集めた」などと反論するかもしれない。実は私は会社員のころ、それと同じような考えだった。

 私が会社を離れ、フリーになったのは2005年の暮れ。その前年(2004年)に、会社の経費で会を開き、25人が集まる会を催した。その人たちは、当時の取引先だった。私は30代半ばだったが、「幹事として25人を集めるのは簡単」と思った。社内で人を集められない人を見ると、「要領の悪い奴」と思っていた。

 それから7年が過ぎた。自信を持って言えるが、こういう考えは思い上がりだ。視野の狭い、幼稚な会社員の典型でしかない。当時25人集まったのは、私の人望ではない。そのメンバーは私が勤務していた会社と取引があるから、忘年会に来ただけのこと。当時の自分は勘違いしていた。それを理屈では理解していても、本当の意味では分かっていなかったのだ。

●空しく悲しくなる思い

 その後フリーになり、その翌年(2006年)に懇親会を開こうとした。しかし、人が集められない。5月に8人くらいで集まり、酒を飲んだ。8人のうち、ネット上で知り合った人たちが6人。その中には職がない人たちもいた。彼らが話す内容は、自分の愚かさを棚上げした安易な会社批判。私は一応、幹事だから、酒をついだりした。だが、トイレに行き、大きな鏡で顔を見ると、泣きそうな表情だった。

 2007年の暮れには、自分が教えていた専門学校の受講生15人ほどと忘年会を開いた。平均年齢は30代前半。その大半が「迷い」の中にいる社会人だった。会社員をさしたる意味もなく辞めて無職であったり、わずか数年で転職を繰り返す人たちだった。話す内容は10歳若い大学生と変わらない。「結婚は早いが、仕事は遅い」。職場でこんな具合にバカにされている感じの人たちだった。

 私は、ここでも空しい思いになった。「なぜ、自分の前にはこのレベルの人しかいないのだろう」と不満を募らせた。1人になると、「もう、こういう物書きの仕事をやめようか」とも考えた。

 しかし、そのころから次第に自分が読者数の多いサイトで連載を書くようになったり、実績のある人事雑誌で記事を頻繁に書くようになったりした。自分でも「死ぬんじゃないか」と思うほど、大量に記事を書いた。疲れ切っていたが、「もう、あとがない」という背水の陣の思いだった。それにともない、もっと優秀な学生が集まる学校で教えたり、意識の高い聴衆が集まる会で講師をするようになった。

 すると、想像さえしていなかった変化が起きた。私のところに来るメールは、それまでの学生の内容は意味が分からなくて解読できなかった。だが、新しい学校の受講生は意味が分かる内容になっていた。さらに、講演を終えて話し合う人たちも明らかに社会的な地位が3~5ランク、高い人になっていた。取材をする人も、キャリアや実績が豊富な人になっていった。こういう状況になると、次第に自分の心も満たされていく。数年前に不満の塊であったはずが、毎日が楽しくなる。

 すると、ここでまた大きな変化が起きる。目の前に現れる人が一段と、レベルの高い人になっていく。仕事も次第にその分野で名が通った会社のものになっていった。私の心は、ますます満たされたものになる。多少なりとも余裕が生まれ、親しい人にもこの思いを味わってほしいと思い始める。冒頭で述べた懇親会も、その一環だった。

 みんなが話し合っている様子をじっと見ていると気持ちがいいくらいに、洗練されたタイプの人が集まった。その多くは、それぞれの分野で相当な実績がある人たちだった。実は、その懇親会の店は、私が会社員のころ、幹事として使用したところだった。7年後には、会社員のころに集めた25人よりもはるかにレベルの高い人たちが集まった。それを見ていると、飛び上がりたくなるなど、うれしく感じた。

 仮に自分が死んだりした後も、この25人が「ああ、あのときの懇親会で知り合ったね」といった話し合いがなされ、次のステージに双方が進んでいくことを願った。そのような潜在的な可能性のある人を選んだ。

 こういう経験を経てつくづく思うのだが、優秀な人や一流と言われる人との関係を作ろうとするならば、まずは自分を磨くことに尽きる。目の前に現れる人の大多数は、自分の鏡でしかない。10の力ならば、10の力の人が現れる。5の人には、せいぜい6くらいの人が精一杯だ。自分の力を上げることなく、相手には高いものを求めるのは思い上がりもはなはなだしい。2006~2008年のころに、みじめな経験をしたのは要は自分のレベルが低かったということでしかない。

 これは会社員にも言えることだ。自分の能力を上げることなく、仕事への姿勢を変えることなく、「会社が悪い」「上司がダメだ」というのは甘い考えでしかない。きっとその考えでいる限り、浮かばれない。自分が経験してきたからこそ、自信を持って言える。

 あなたの目の前にいる人は、あなたの等身大。どのような人がいるのだろう。

【吉田典史,Business Media 誠】

コメント一覧
おかあつ   2011年09月03日 01:04
あまりの感動的な日記に、twitterに続々批難の声が集まっております。ううむ...。
bobcat   2011年09月03日 20:11
> 「自分はこんな職場で終わるはずじゃない!」

そーゆー人には「あんたはその程度ですよ」とゆーてあげます。
「Business Media 誠」って,ときどきトンチンカンなこと書いてますよw
おかあつ   2011年09月03日 23:58
> bobcatさん僕もその程度と言われ続けてきたけど、僕は、その程度だったかなあ...。人間現状を認めたらそれまでだし、僕はこんな会社で終わらないと思っていたが、みんなはまた言ってるしとか冷めていた。で、実際辞めようとすると辞めさせてくれないのね。他人の勇気や信念を破壊するのは楽しいけど、建設的なことでは少なくともないよね。僕は会社を辞めるときひとつも外国語を話せなかった。その時僕に「お前はその程度」と言っていた人はその時まさか僕が5ヶ国語も話せるようになるとは思っていなかっただろうと思う。その人が潜在的に持っている可能性は他人には見えない。だからそう言うことをいってはいけないのではないだろうかと思う。
bobcat   2011年09月04日 00:17
> 僕もその程度と言われ続けてきたけど、

え? ウソ??
自分を客観視できなくて(する気が無くて)自我が肥大化してる「お客さん」ばっかりいつも勤め先で見てるからねぇ,私。
建設的に,自分なりに前向きに生きてるおかあつさんとは違いますよ,私の言ってる人種とは。

おかあつ   2011年09月04日 00:43
僕は変なのかも知れない。 実際 bobcat さんがいう様な変な人もいっぱいいるしなぁ。 でも、何かその人の潜在的な能力の存在を信じたいんだよな…。

そういえば、何か叩き上げ社長の面倒を見る社員の苦労というのをどこかで読んだ覚えがあるな。叩き上げど根性社長は、どんなダメ人間にでも手を差し伸べようとするので、その社長の意向でダメ人間と付き合うことになった社員が、ダメ人間に振り回されて苦労するという話だった。苦労人ってダメ人間をダメ人間と断罪できないというアンチパターンがある、という話だった。

わからないけど。

僕は自分を苦労人だとは思ってないけど、そのフシあるかも。
 
出展 2011年09月02日19:37 『この記事は最悪だ。文章もへたくそで、内容が理解出来ない。』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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