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2011年7月28日木曜日

寝言の研究 (mixi05-u459989-201107281256)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
寝言の研究
2011年07月28日12:56
僕が外国文化についてどんなに物事の本質を深く抉り取る様なことをしても絶対に誰もほめない。一方僕にとっては物事のほんの表層をちょろっと引っ掻いただけの人がみんなからもてはやされてほめられまくる。不公平を感じない訳ではない。だけどそれは仕方がないことだと思う。それが日本の敗戦国という政治的立場なのだ。

日本は敗戦国だ。みなその事を忘れている。日本では政治的な武器になる様な危険な国際知識は存在自体がない様に扱われる。当然大学でそれについて教えるような事は絶対にない。あくまでも存在しないかの様に扱われる。もしも学者学生がその存在しない世界について研究しようとすれば、査読が通らない。査読というものは本来論文のクオリティを維持するためのものだが、それは隠然と政治的な偏向を受けており、検閲としても機能している。日本は敗戦国という立場上、他国の弱味を嗅ぎ回るようなことを公式にすることは出来ない。

僕は言うことのほとんどはその「存在しない世界」での出来事だ。日本の一般的な教育を受け、学校で教わったことを基盤として考える人たちにとって僕は、寝言を言っている様に見えるだろう。もしも物事の本質を知ろうとしたら、学校で教わったことに基づかず、自分の力で全てを根本的に考え直す原理主義的な姿勢が必要になる。当然国から研究費が支給されることは絶対に無く、全てを私費で研究することになる。普通そういう損なことは人はやらないものだ。

日本は島国だ。だから外国からの知識は必ず文章という形で入ってくる。しかし文章というものは意図せず(多くの場合意図的に)間違いが混入しているものだ。タイや中国の様な大陸であれば、文章に間違いが混入していても、すぐにその間違いを指摘できる。何故なら海に囲まれた日本と違って、陸続きの大陸国では、外国人というものは歩いてどんどん国境をわたってくるからだ。外国人は興味深い研究対象ではない。防いでも防いでもどんどんと入ってくる邪魔な敵である。嫌でも他国の文化の現実を知っているのだ。

不思議なもので一度日本の教育を受けると、留学やフィールドワークなどで現地で実物を見ても認識すら出来なくなるようだ。目の前で明らかに自分の視点と矛盾する事象を観察しているのに、それが存在しない様に見えるらしい。僕はそういう奇妙さに気がついて、彼らに目の前で見ている事柄について感想を求めつつ疑問を投げ掛けるのだが、その質問自体が寝言の様に見えるらしく話が噛み合わない。

変わった研究をしていると自負している人間などもっと不思議な感じになる。彼らは奇をてらってアトランダムに視点を設定しているつもりでも、その全てが見事なまでに本質を外していることが観察出来る。

この教育と外国文化に対する盲目性の相関関係は、タイの都市部でも観察出来る。高い教育を受けている人ほど隣国に対する強い錯覚や偏見を持っている。教育レベルが低い人ほど、外国文化に対する感受性が損なわれない。タイの辺境、カンボジア国境やラオス国境で起こっていることを、低学歴な人たちは当然のように知っている(時として現地の言葉を話すことも出来る)が、都市部に住むの人はその事を何も知らないことが多い。

民族研究は、研究と言えば聞こえがいいが、本来政治的な諜報活動(つまりスパイ活動)と紙一重だ。日本の民族研究は、その大半を占めるこの諜報の要素を完全に削ぎ落とされている。

僕が研究しているタイ東北イサーン語は、タイ語と似た言語だが、実際には隣国の公用語であるラオス語の方言だ。外務省の影響が非常に強いらしい東京外語大の先生は、著書のラオス語の教科書で「ラオス語はメコン川の向こうタイでも話されているようです」と述べている。「ようです」というのはいささか白々しいと思わざるを得なかった。というのも、ラオス語の方言であるイサーン語の話者人口は本家ラオス語の話者人口の倍以上居るからだ。加えてそのイサーン語話者人口は東南アジア最大の主権国家のひとつタイ国の公用語タイ語を第一言語として話す話者人口を遥かにしのぐ。これは「他国の政権転覆に使えるネタ」そのものなのだ。実際、タイを追放になったタイの有力な政治家であるタクシンは、タイの伝統貴族層を相手に、この点を鋭く突くことで反撃している。この知識は、強大な軍隊にも匹敵する政治力を持っている。この様に毒にも薬にもなる強力な力を持った知識だからこそ、日本では隠然と研究が禁止されているのだろう。

日本は敗戦国なのだ。諜報の無い軍隊など盲目の闘牛の様なものだ。いかに自衛隊が強大であろうと諜報がない以上他国の脅威にはならない。この様に日本は、日本人が気がつかないように武装解除されている。

その事自体に僕は悔しさや怒りといった感情的な感想を実は持っていないのだが、その事実を隠すために色々な嘘がはびこっているのは気持ち悪いとは思う。

僕は、僕の研究が寝言と思われようが構わない。元々イサーン語の研究は、遊びで始めた趣味のライフワークだ。これを収入の糧にしようとは思わない。嘘を信じて面白おかしく生きるより、事実を追求して疑問を感じずスッキリ爽やかに過ごしたい。
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出展 2011年07月28日12:56 『寝言の研究』