平穏な毎日
2011年04月09日18:14
ここ何日か日記を書かなかった。 それは何故かというと、毎日変化のない毎日だったからだ。 これはどちらかというと僕にとっては良い事だ。 僕が今しなければいけないことは、プログラムを組むことで、変化のない毎日がないとプログラムが組めない。
僕は、今回2011年3月8日から始まった中国旅行で、北京・天津・上海・深圳・広州・昆明と徐々に南下し、ラオスに入国し、2011年3月30日夜半過ぎ、長年の憧れの地だったラオスはルアンパバーンに到着した。
気がつけばもう10日上もルアンパバーンにいる。 そんなに時間が経っているとは思わなかった。 ルアンパバーンマジックだ。 毎日、昼前ぐらいに起きて、近所の定食屋でラオ飯を食べて、喫茶店に行ってプログラムを作るふりをしながらミクシで日記を書いて、20時前サウナに行って、日本に電話して、ぶらぶらして寝る。
最初は方言に慣れなくて何言っているかわからなかったけど、だいぶ慣れた。 激しい客引きで有名なトゥクトゥクの運転手から相手にされなくなった。 多分、顔を覚えられたのだと思う。 ラオ飯屋の人も、僕がラオ語でご飯を注文してもいちいちビビらなくなったし、普通に無視してくれるようになった。 これも顔を覚えられたのだと思う。 これでいい。
僕が泊まっているゲストハウスの一番偉いおばあちゃんには、息子さんが二人居て、いつも店の前でビール飲んでるだろ?あいつが息子だよ、といっていた。 だから、その人がゲストハウスでビールを飲みながらギターで「サオチェンマイ」を弾いているのを見たとき、その息子さんだと思った。
昨夜、僕はゲストハウスに泊まっていた日本人韓国人連中とビールを飲んでいたのだが、そのギター弾きに「ま!ま!ビールでも!」と言ってビールを勧めたら仲良くなって、話をした。 息子さんではなくて、チェンライから来た旅行者なのだそうだ。 てっきりここの人だと思っていた。
チェンマイの山の上で少数民族の子供の先生をしているのだそうだ。 遊びにくるか?という。ダイヤイ・カレン・メオ・ワ・ダイルー、みんな居るという。 非常に興味がある。 チェンライというのは横に長いのだが、チェンライの右の方はほとんどイサーン語みたいな言葉を話すし、チェンライの左の方はチェンマイ語の様な言葉を話すという話を聞いたことがあるのだけど、この人は、左の方から来たそうだ。
ラオに遊びにくるタイの人は、それだけで普通の人ではない。 相当なお金持ちだったり、知識人だったりする。知識人と言っても、国策によって裕福になった人ではなく、反政府活動などをしているような、非常にアナーキーな感じの知識人が多い。
チェンライのおじさんは、ラオの伝統弦楽器・ピンのチューニング方法を教えてくれた。 ギターをピンのチューニングにして弾くと、それだけで非常にラオっぽい響きになった。 かなり練習しないといけないが、非常に興味深く、練習するきっかけを与えてくれた。
◇
今日の昼すぎ、歩いていたらこの人が近くのゲストハウスでたくさん女の子が居る中でチェンライのおじさんが御飯を食べていた。 声をかけてくれた。 朝市で黒いもち米を買ってきたと言う。 僕にもご馳走してくれた。とてもおいしかった。
チェンライのと、ゲストハウスの人と話していたら、このチェンライのおじさんが言ったら、ゲストハウスの人がわからなくて「は?」 となっていた事があった。 ไม้ (maai) (低子音字+第二声調記号) だ。 この言葉は、イサーン・チェンライと、ラオで声調が逆になる。 ネイティブの人が話しても通じないことがあるんだな、と思った。 僕も どおりで僕が言っても通じない訳だ、と思った。
◇
プログラムは遅々として進んでいない。 頭がすっかり「外向モード・語学モード」に入ってしまっていて、プログラムにまったく集中できない。 プログラムを書こうとすると日記が出来上がってしまう。 これではいけない。 僕は、闘うプログラマである。 こうして毎日睡魔と闘っている。
僕は、今回2011年3月8日から始まった中国旅行で、北京・天津・上海・深圳・広州・昆明と徐々に南下し、ラオスに入国し、2011年3月30日夜半過ぎ、長年の憧れの地だったラオスはルアンパバーンに到着した。
気がつけばもう10日上もルアンパバーンにいる。 そんなに時間が経っているとは思わなかった。 ルアンパバーンマジックだ。 毎日、昼前ぐらいに起きて、近所の定食屋でラオ飯を食べて、喫茶店に行ってプログラムを作るふりをしながらミクシで日記を書いて、20時前サウナに行って、日本に電話して、ぶらぶらして寝る。
最初は方言に慣れなくて何言っているかわからなかったけど、だいぶ慣れた。 激しい客引きで有名なトゥクトゥクの運転手から相手にされなくなった。 多分、顔を覚えられたのだと思う。 ラオ飯屋の人も、僕がラオ語でご飯を注文してもいちいちビビらなくなったし、普通に無視してくれるようになった。 これも顔を覚えられたのだと思う。 これでいい。
僕が泊まっているゲストハウスの一番偉いおばあちゃんには、息子さんが二人居て、いつも店の前でビール飲んでるだろ?あいつが息子だよ、といっていた。 だから、その人がゲストハウスでビールを飲みながらギターで「サオチェンマイ」を弾いているのを見たとき、その息子さんだと思った。
昨夜、僕はゲストハウスに泊まっていた日本人韓国人連中とビールを飲んでいたのだが、そのギター弾きに「ま!ま!ビールでも!」と言ってビールを勧めたら仲良くなって、話をした。 息子さんではなくて、チェンライから来た旅行者なのだそうだ。 てっきりここの人だと思っていた。
チェンマイの山の上で少数民族の子供の先生をしているのだそうだ。 遊びにくるか?という。ダイヤイ・カレン・メオ・ワ・ダイルー、みんな居るという。 非常に興味がある。 チェンライというのは横に長いのだが、チェンライの右の方はほとんどイサーン語みたいな言葉を話すし、チェンライの左の方はチェンマイ語の様な言葉を話すという話を聞いたことがあるのだけど、この人は、左の方から来たそうだ。
ラオに遊びにくるタイの人は、それだけで普通の人ではない。 相当なお金持ちだったり、知識人だったりする。知識人と言っても、国策によって裕福になった人ではなく、反政府活動などをしているような、非常にアナーキーな感じの知識人が多い。
チェンライのおじさんは、ラオの伝統弦楽器・ピンのチューニング方法を教えてくれた。 ギターをピンのチューニングにして弾くと、それだけで非常にラオっぽい響きになった。 かなり練習しないといけないが、非常に興味深く、練習するきっかけを与えてくれた。
◇
今日の昼すぎ、歩いていたらこの人が近くのゲストハウスでたくさん女の子が居る中でチェンライのおじさんが御飯を食べていた。 声をかけてくれた。 朝市で黒いもち米を買ってきたと言う。 僕にもご馳走してくれた。とてもおいしかった。
チェンライのと、ゲストハウスの人と話していたら、このチェンライのおじさんが言ったら、ゲストハウスの人がわからなくて「は?」 となっていた事があった。 ไม้ (maai) (低子音字+第二声調記号) だ。 この言葉は、イサーン・チェンライと、ラオで声調が逆になる。 ネイティブの人が話しても通じないことがあるんだな、と思った。 僕も どおりで僕が言っても通じない訳だ、と思った。
◇
プログラムは遅々として進んでいない。 頭がすっかり「外向モード・語学モード」に入ってしまっていて、プログラムにまったく集中できない。 プログラムを書こうとすると日記が出来上がってしまう。 これではいけない。 僕は、闘うプログラマである。 こうして毎日睡魔と闘っている。
コメント一覧
MIO 2011年04月09日 20:55
私がしたいこと、感じたいこと、置いてきてしまったこと、
逃したチャンス、そういうのをおかあつさんがしてくれてるような気がする。
でもいつか私もその地点に戻って、また自分の旅の続きを始めたいな。
何年後になるだろうか、それはわからないけど。
それがわたしのやりたいこと、感じたいことなんだ。
うん。
ありがとう。
ヂャガー 2011年04月09日 21:16
この日記を読んでいて、なんだかほのぼのしました。日本人が忘れてしまった童心。ゆったりと過ごす時間。競争しながらも、敗者をしいたげない姿勢。もっとみんなが、ゆとりのある人生を歩んでいければ素晴らしいと感じました。