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2011年3月23日水曜日

金が無いのも人生の楽しみのひとつ (mixi05-u459989-201103230021)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
金が無いのも人生の楽しみのひとつ
2011年03月23日00:21
現在、中国広東省はシンセンに居る。 今朝到着した。 今来たばかりだが、もう出発することにした。 何というかどこに行っても大差ないという思いが強い。 恐らく奥地まで行けば違いがたくさん見えるだろうが、それぞれの省はタイと同じかそれ以上の大きさがあり、ひとつひとつ詳細に見ていくことは不可能だ。元々、タイに滞在した5年間、ひとつの場所しか見ていないという反省から、細かな場所を詳しく見ていく前に一度全体を俯瞰してからにしようという思いがあった。その為に、最初にこうしてあちこちを見て回っている訳で、その目的は果たしたと思う。 だから、シンセンを出発することにした。

実は、シンセンには小学生時代からの友達が住んでいてビジネスをやっている。 今日は彼に連絡してみた。 久しぶりに電話で話した。 予定が合えば会ってみたかったが、僕も突然やってきたし、彼も忙しいので会うことは無理だった。 それでも長電話で久しぶりに長いこと話した。

色々な話をしたが、仕事もしないで長らく何をやっているのだ、という。 イサーン語の研究をしたり、プログラムを組んだりしているが、実際まだ結果は何も出ていないので、何も言い返せない。

だが、彼が言った言葉が面白かった。
「金がないのも人生の楽しみのひとつだ。」

何か非常にすがすがしいものを感じた。

金が無いから仕方がなく社会にコミットしていく物を作っていくのであって、制約の中で作っていくという過程が一番楽しいことなのだ、という風に僕は解釈したが、どうだろう。

プログラムというのは往々にして時間が迫ると妥協が増えていくもので、しかも設計上の妥協による構造問題が徐々に深刻化していくのが常だ。 もちろんある程度の部分で妥協して、精度はともあれ完成させていくことも大切なのだが。 だけど僕は何というか出来るだけ最初の段階で発生する問題をよく考えて、その対策を設計上のポリシーとして組み込んでおきたい、という思いがある。 プログラミングとは、最初の設計方針が全てだ。 そこで未来の全てが決まる。 設計が固まって発射した後に方向修正を図るのは困難だ。

発射して時間やコスト的な妥協に晒されても耐えうる設計に仕上げたいと思うが、本当に可能だろうか。 僕もわからない。 それは賭けだ。

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出展 2011年03月23日00:21 『金が無いのも人生の楽しみのひとつ』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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