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2011年3月19日土曜日

音楽は言葉だ (mixi05-u459989-201103190124)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
音楽は言葉だ
2011年03月19日01:24
僕はおとついから、上海に居る。 おとつい夕方到着し困憊状態で睡眠。 昨日は上海の二日目だった。 昨日は用を済ませて軽く大学めぐりをした後で、少しだけ散歩をしてきた。 今日はもう少し本気で大学めぐりをしてきた。 上海大学・上海外国語大学・同済大学・済経大学と見たあと、ブラブラしていたら万达广场(ワンダー広場)という場所に付いたので、そこでブラブラして帰ってきた。

上海大学は、何というか実に普通な大学だった。 上海外国語大学もこれといって特色のない普通の大学だったし、同済大学は外からチラッと眺めただけで、済経大学に至っては工事中でよくわからなかった。 中国で大学に行くと100%迷う。 北京の大学は、少ないがまだ案内板が準備されていたので、なんとかたどり着く事が可能だったけど、上海はまったくないこともあったりして極めて不便だった。 僕は大学に行くとまず留学生課に向かうのだけど、大学構内は巨大で誰に聞いても留学生課がどこにあるかわからない。 しかも「留学生課」と言っても聞き取ってくれない事も稀ではなく、面倒極まりない。 済経大学に至っては、建物が取り壊し中で、建物が見当たらなかった。 入り口の警備員のおじさんは、物凄く訛りが強くてコミュニケーションが物凄く困難で、どうしてこういう風になっているのか聞いても要領を得ない。 謎だ。

ワンダー広場は物凄い巨大な商業施設で、巨大な電飾がビカビカ光っていて、スタバもあればマックKFCもあるし、サイゼリアまである勢いだ。 入り口でインラインスケートのフリースタイルスラロームをやっている人が居た。 あまり上手じゃなかったけど、やっている人が居るんだなと思った。(僕はちょうどこの時インラインスケートを持っていたのだけど、入っていく勇気が無かった。怖がられて引かれるのが目に見えてる。)

しばらくスケートを見たあと、スタバに入った。 僕にとってのスタバというのは、仕事場だ。 僕は無類のコーヒー好きで、スタバでコーヒーを飲んで考え事をする事が僕に取っての一番大切な習慣だ。 だけど、人によってスタバの立場は違うのだろう。 北京でもスタバに入ったのだが、その時トールカプチーノを頼んだら、「あぁ一番安い奴?」って言われてビックリしたことがあった。 そういう事があったので、この上海のスタバで並んでいる時に、僕の前の人が「一番大きい奴ください(最大的)」って誇らしげに言っている事の意味が読めた。 僕はいつも、ダブルショットのトールカプチーノにするのだけど、北京でそれをやったら、ショット追加する人がほとんど居ないらしく、混乱されたので、ダブルトールカプチーノをやめて、『最大的』カプチーノにした。

カプチーノはミルクのスチームのしかたが非常にへたくそで、おいしくなかった。 僕が本気で街の物を期待してしまうと、どうしても、こういうところが目について仕方なく、我慢出来ない。 だいたい、見栄でコーヒーを飲む奴など、普段の僕なら絶対に我慢出来ない。

駅で、警察官に職務質問された。 僕はそんなに怪しいだろうか。 外人にも見えないが中国人にしては変だ、という事なのだろうか。 でもすごく感じの良い警察官で、日本人です、と言ったら身分証名所を見ることなく、感じよく帰してくれた。 僕はこの場所に初めて来るので、道もわからない、電車の乗り方もわからない、おまけに中国語もあまり話せないと知らないことだらけだ。 多少、挙動不審なのは勘弁して欲しいと思う。だけど普通の、外国人の観光客には見えないのだろう。きっと。


僕は上海が好きかなぁ... 正直東京出身の僕には、あまり刺激がないというか、新しさが全く感じられないし、人の冷たさも東京並みで、どうも好きになれない。 この街で働いたりすることがあれば、もっと色々な人と深く付き合うことがあるのだろうか。 そうなったらもっと印象が変わるのかなぁ。

どうも僕はあまり日本人に見えないらしい。 特に広州の人にものすごくよく間違えられる。 今日も、ワンダー広場から戻ってきて、上海駅の前で座っていたら、長距離列車の格安チケットを売ってるダフ屋のおばさんに、広州か?って聞かれた。 昆明でもこういうことはしばしばあった。

北京だけがちょっと違う。 北京だと何も言わなくてもみんな僕が日本人だと悟ってくれるので、非常にやりやすい。 言葉も物凄く通じやすい。 その当たりのストリートベンダーのおっさんだって、僕が何を言っているかすぐ聞き取ってくれるし、僕も超絶田舎ファーマー系のおっさんが何を言っていても、非常によく聞き取れる。 天津もそうだった。 天津は多少方言があって発音が違ったけど、非常に聞き取りやすく居心地が良かった。

僕は今、徐々に南下しているのだけど、ひょっとしたら東北を目指すべきだったのかも知れない。 だけど、僕は広州の人に似ているということで、ひょっとしたら広州に行ったら突然、居心地が良くなるということがあるのだろうか。 広州には一度も行ったことがないのだ。 まずは行ってみよう。

上海の人の顔を見てよく思うのだが、顔が日本人そっくりだ。 特に九州の人の顔に物凄く似ている。 実際九州と上海はかなり近いし、全く無関係ではないのだと思う。 この中だと、日本人が居ても見分けが付かない。

だけど性格がかなり違う。 九州の人ってかなり人間丸出しの人が多いけど、上海の人って結構ツンケンしてる。 正直あんまり仲良くしたいなぁという感じの人がいないんだよなぁ。



上海に、昔の職場の同僚が住んでいる。 日本で知り合った北京の人で、10年近く一緒に働いていた人だ。 その人が上海の郊外に住んでいるということで、明日会いにいこうと思っている。



「上海火车站到了! (シャンハイフオチシゥォチャンダオラ!)」 が
「上海火车站到了! (サンハイフオツォーツァンダオラ!)」 に変わる。

僕、正直この発音変化が、かなり苦手だ。 昆明の学校に通っていた時、学校の先生がこの発音の仕方だったのだけど、非常に聞き取り辛く、しかもこちらの発音も向こうに取って非常に聞き取り辛いらしく、コミュニケーションが非常に難しい。

まぁ、もうここはいいかな。 山東省とかも見てみたかったけど、通り過ぎちゃったしな。 あと温州も見てみたい。 でもやっぱり、ハルピンかな。 ロシアの人が多いと聞くし、この際、ロシア語も勉強するか。

正直、中国にラオほどの強い魅力を感じていないんだよな ... それでも、今のところ、中国ではハルピンが一番強く魅力を感じている様な気がする。 あと北京と天津は何かぴったりくるものを感じた。 上海はあまり魅力を感じない。





... 音楽。 そうか。 音楽だ。 音楽の存在は大きい。僕は音楽が大好きなのだけど、北京には音楽があった。 京劇や、伝統音楽が今でも根づいているのを見た。 天津も。天津の人の話し方はそれ自体が何か音楽みたいだった。 昆明はストリートミュージシャンだらけだった。 昆明には古くから伝わる音楽もある。ダイ族の人が街で伝統舞踊を人々に伝授していたり。

何故だろう。 上海にはびっくりするぐらい音楽がかかってない。 これだけ街が綺麗なのにストリートミュージシャンのひとつも居ない。 これって何なのだろう。 いちおう上海にはジャズがあるのだけど、あくまでも租界地時代のなごりで、根づいている様にはとても見えない。

あれだけラオで苦労していたにも関わらずラオが嫌いにならなかったのは、音楽があったからだと思う。 話しているだけで音楽になる様な不思議な声調と、非常にユニークで過激なラオの伝統音楽。 あれが無かったら、とっととラオから逃げ出していたと思う。いつも困ったことがあって苦しい時に、あの音楽を聞くと、何故か、もう少し頑張ってみるかな、という気持ちが沸いてきた。

そういえば、どの街に行っても楽器屋に行くと必ず話があう人と出会う。

音楽ってひとつの言葉だ。

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出展 2011年03月19日01:24 『音楽は言葉だ』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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