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2011年3月13日日曜日

北京から天津まで (mixi05-u459989-201103130306)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
北京から天津まで
2011年03月13日03:06
火曜日に北京に来てから凄く忙しかった。 ビザは今月一杯で有効期限が切れるし、滞在費はタイやラオの様に極端に安くないので、費用的にも時間的にも非常に制約がある。 そういう中で出来る限りたくさんの地方を見て回りたい。 僕は近い将来中国で仕事をしたいと考えており、どこに住むのがよいのかを見ることが今回の目的だ。 街を見る為に、その周辺の大学を巡ることを目標としている。大学を見ておけば後に語学留学に切り替えるのも容易だし、大学の周辺に土地勘があれば、後で不動産屋を巡ることも出来るのもメリットだ。 大学の周辺には学生向けの安いアパートと不動産屋や多くあるものだ。 あともう一つ街を見る為に目標としているのは、インラインスケートで遊べる場所を巡ることだ。 インラインスケートで遊ぶと友達も作りやすいし、街の若者の雰囲気を知ることが出来るし。 その為に今回の北京来訪はインラインスケート持参である。

初日、北京到着が夕方だったので、ホテルに行くので終わった。 ホテルに到着するまでがかなり大変だった。 まったく初めての土地で、どこに何があるかさっぱりわからないうえ、僕は中国語歴3ヶ月でほとんど話せない。 そういう悪い状況にしてはかなり善戦している様な気がする。 ボロボロの中国語でも、きちんと空港でホテルの予約も済ませたし、バスの行き先を訊いたり、降りる場所を伝えたり、ボッタクリを追っ払ったり、一通りの用件は済ませている。

バスを降りてからかなり歩いてしまった。 歩いている内に、空港のホテル案内の受付嬢が、あまり正しく道を教えてくれていなかったこともだんだんと判ってきて、判ると同時にだんだんと街の位置関係が掴めてきた。 かなり遠回りしたことが判った。 途中で闇タクシーとの値段交渉もこなした。 その辺りは正規のタクシーが来ない場所なのではないか、ということをうっすらと思ったのだが、運ちゃんによると、やはりそうらしかった。そうこうしつつ何とかホテルまで辿り着いた。

二日目は、買い物をした。(恐らく)上野のパンダの故郷である、北京動物園の近所にカルフールやイトーヨーカドーがあるということを知ったので、そこに行ってショルダーバッグとお茶専用のカップ(杯子)を買おうと思った。 ショルダーバッグは中国の人がよく持ち歩いているのを見かける。 日本のウェストバッグの様な存在らしい。 僕は普段、コンピューター用のナップザックを持っているのだが、財布などの小物をこれに入れてしまうと、いちいちナップザックを背負ったり下ろしたりしなければならず、不便だと思っていたのだ。 これを中国風のショルダーバックに入れてしまおうと思った。 お茶専用カップは、中に茶こしがついていて、お茶とお湯を入れるとその場でお茶が飲めるという優れものだ。 これも中国の人がしばしば持ち歩いているグッズのひとつだ。 ちなみに、動物園の前に、スケートがやりやすそうな広場を見つけた。 今度行ってみようと思った。

帰ってから夜も行動した。 夜は北京駅の駅前の方を探索してみた。

北京は京都の様な街の作りで、全部のブロックが正方形になっている。 道も京都と同じように「条」で呼ぶ様だ。 交差点に門や街の名前が付いており、この名前を覚えると、バスも乗りやすい。 街はトロリーバスやバスが走っており、バス停には主に最寄りの交差点の名前が付いているからだ。 バスの路線は、僕にはとても馴染みがあるバンコクや昆明の路線バスと同じように、番号が振られて区別されている。 加えて、北京のバスは、行き先表示が全てタイ文字で表記されているバンコクのバスと異なり、行先は全て漢字で表記されている。 日本人の僕に取っては何の問題もなく読むことが出来る。 という訳で、中国語歴3ヶ月で北京歴1日の僕でも、北京のバスに違和感無く馴染めた。

三日目は、北京大学と北京師範大学に行った。 ホテルの受付の女の子に訊いたら、どちらも場所を知らないという。 加えて、恐らく凄く遠いだろうという。 偶然ホテルの最寄り施設へバス番号表に北京大学が載っていたので、それを写させてもらった。 師範大学は、北京大学で教えてもらえばいいと思った。 僕にはネットアクセスする方法がなかったので、地図を検索することが出来ない。

地下鉄を乗り継いで、北京大学に付いた。 しかし毎度毎度大学に来る度に思うのだが、ものすごく迷う。 校門に大学の名前が書いていなかったり、地図が間違っていたり、しばしばする。 もちろん正門にはドーンと巨大な名前が書いてあるのだが、正門というのは案外とへんぴなところにあるもので、最初に西門とか東門とかに到着するものだ。 そこから学校に入ると、そこが僕が探している大学なのかさえ判らない、ということがしばしば起こる。 そこらに歩いている人に訊けばよいと思うのだが、ほとんどの場合、知らないので教えてもらえない。 と言う訳で、北京大学では散々歩き回った。

外国人入学案内の女の子は、どうやら学生のアルバイトらしかった。 とんでもない早口で喋る子だった。 何度か「お前の言うことが判るなら、俺はここに来ねぇんだ」と言たかった。 その子は、言いたいことを一方的にまくし立てて帰ってしまった。 何か用事があったのだろうが、一方的で不親切だなぁと思った。 僕も言葉ならいくつか話すことが出来る。 自分が得意な言葉を、常に相手が100%理解出来る訳ではない。 相手がネイティブでなければゆっくり話したり、言葉を変えたり言い換えたりするものだ。 彼女はそういうコミュニケーションスキルを持っていないのだ。

残った女の子が僕に、今しがた話した内容を翻訳してくれた。 ついでに、その子に師範大学と北京語言大学の場所も尋ねた。 歩けるかと訊いたら、歩けないのでバスで行けという。 そこにはインターネットが設置されていた。 ネットで検索すると経路探索してバスの乗り換え順を教えてくれるので、調べてもらった。

バス停に行ってしばらく考えた後、師範大に先に行くことにした。 最寄りのバス停とされる地点で降りたら、誰に訊いても師範大学を知らないという。 明らかに最寄りではなさそうな感じだった。 辺りをさまようこと2~3時間。 師範大学前というバス停に行くバスを発見したので、乗り込んだ。 師範大は、そこからかなり離れていた。

師範大がまた非常に巨大で、散々歩き回らされた。 大抵どこの大学の学生も、自分の学校の留学生課がどこにあるのか知らないもので、守衛を含め、誰に訊いても教えてもらえない。 散々歩き回った。

夜は北京駅前にある王府井という繁華街のスターバックスに行った。 遅くてピクリとも動かず、検索を断念した。

三日目は、北京語言大学に行った。 この大学は僕が最も興味を持っている大学だ。 昨日の段階で、師範大学の前から331というバスに乗ると語言大学に行くことが出来ることをつかんでいたし、609を使うとすぐに師範大学に行くこともつかんでいた。 だからすぐに到着した。 行ってびっくりしたのだが、北京大学のすぐそばだった。

これで思ったのだが、そもそも、大学生というのは、大体よそ者なのだ。 よそ者だから北京のことを知らない。 師範大学から語言大学がいかに近かろうと、どこにあるか知らない。恐らく普通語(北京語)もネイティブではない。 だから他人に合わせて話し方を変えたりという芸当も出来ない。いや、出来ない訳ではなく、するつもりがない。

僕は思った。 何故、都会の人はよそよそしいのだろうか---都会とは田舎者の集まりだからだ。 田舎者とは何か。 自分が田舎から来たということを隠す人だ。 この定義によると、つまり、自分が田舎から来たということを隠さない人は、田舎者ではない。

北京語言大学は、今まで行った大学の中で一番、僕の気持ちにしっくりと来た。 非常に開放的な雰囲気で、居心地が良かった。 北京大や北京師範大の様に、妙に巨大過ぎず、こじんまりとしているところも落ち着きやすい。 いつも漢語短期講座を開いており、入学も容易だった。 多くの大学は、4月と9月にしか入学が許可されないので、なかなか都合をつけるのが難しいのだが、語言大学はその点融通が効く。

行きがけに、平安里という街に、楽器屋街があることを発見していた。 僕はどうしても楽器屋が大好きで、楽器屋があるとすぐに遊びに行ってしまう。 北京語言大学の帰りに寄ってみた。 多くの楽器は、ほとんどの場合、タイよりも安い定価で売られており、興味深かった。 当然、日本よりもずっと定価は安い。 もしもタイと日本と中国で中古楽器の輸入販売をやったら面白いだろうと思ったが、ネックはどうしても輸送費だ。 近所に护国寺(護国寺)というお寺があって、非常に雰囲気のある街だった。 散歩して帰ってきた。

夜は、動物園広場までスケートをしに行った。 北京の街をスケートで滑るのは初めての経験だったが、あまりおすすめ出来ないということが判った。 ダンプカーやトレーラーがかなり飛ばしており、非常に危ない上、昆明と違って、自転車用側道があまりちゃんとしていない。 途中で切れたり車道に出ていたりするので、ここをスケートで滑るのはかなり危ない。 金曜日の夜ということで、酔っ払った車がかなり飛ばしており、何回かひかれそうになった。 しかもこの日に限って道路の清掃が入っており、水が捲かれていた。 路面が濡れるとスケートは非常に滑りにくい。

非常に苦労して動物園広場までやってきたのだが、驚くべき事に、動物園広場は、スケートをしている人たちでごった返していたのだ! 自転車にたくさんスケート靴を載せた屋台貸しスケート靴店がたくさんやってきており、200~300人程度の人が広場でスケートを楽しんでいた。 僕が好きなスラロームをやっている人もちらほら見かけて、僕はうれしくなってしまった。 ここは石畳だった。 滑りやすいのだが、グリップが低く、あまり体重をかけると滑って転んでしまう。 僕も二回ほどスリップダウンしてしまい、膝小僧をぶつけた。

帰ってきたのだが、体がかなり限界だった。 この3日間、ほとんど寝ていない上、巨大な荷物を持ってあちこち歩き回ったりした。 最後のとどめとして、スケートをやった。膝がガクガクするほど足が疲れた。

それで四日目=今日だった。 今日目が覚めたら、何かノドが痛い。 風邪の様な気もするのだが、中国に来てからタバコをすっているので、そのせいかも知れない。

何か北京に来てから、東北に興味が出てきた。 北京には本当に色々な人がいる。 言葉が通じないのに、妙にコミュニケーションがとりやすいと感じる人も居るし、言葉が通じるのに、何かいけ好かない人も居る。 言葉が通じやすい人も、通じにくい人も居る。 この特徴が、何か顔の特徴と関連があるように思えてならない。 色黒の明らかに南部っぽい人が僕を見ると、僕のことを中国人だと思ったりする半面、色白の非常に北京っぽい雰囲気の人は、僕を見ると、非常に高い確率で日本人だと見抜く。 ジーチーシーを妙に深く発音する人たちが居て、この人たちが東北の人なのではないか、という仮説を立ててみた。 この地方から来た人は、何となく一緒に居て楽というか何となくしっくり来るものを感じる。 僕は最初、南部に下ろうと思っていたのだけど、東北に行くのもいいかなと思い始めていた。

北京駅に着いて、散々悩んだのだが、ハルピン哈尔滨行きの汽車は、もうチケットが売り切れだった。 しかも行って帰って来るだけで4~5日は見ないといけなさそうだった。すると今回の一番の目的である上海と広州を見る時間が切迫してしまう。 色々考えた末、近い方から回ろうと思い、天津に来た。 東北には行ってみたいのだが、方向が全然異なるので、次のチャンスに譲ろう。

荷物が重たかったので、不要と思われるものを郵便で日本に送り返した。 丁度駅前に郵便局があった。 駅前側は小さい小包のみだったが、裏に本局があってそちらで大きな荷物も引き受けていた。 包装の手数料や包装材料費を込みで300元程度だった。 思うのだけど、中国から送るのがこんなに安いのに、日本から送ると10倍程度値段が跳ね上がるのは何故なのだろうか。

しかし、北京駅前のタクシーのボッタクリには閉口した。 北京駅から天津に行く汽車は早朝に一本しかないので、長距離バスで行くことにした。 重い荷物を持って地下鉄の階段を上がったり下がったりするのは、嫌だったので、長距離バスターミナルまでタクシーでいこうと思った。

ところが駅前なのにタクシーがまったく止まってくれない。やっと止まってくれた闇タクシーみたいなオヤジに話を聞いたら100元とか法外な値段をふっかけてくる。 そのオヤジに正規のタクシー乗り場の場所を教えてもらったのだが、非常に遠いところにあることが判った。そこまで思い荷物を引っ張って辿り着いたら、呆れたことに、150元などという。 値切ったら100元という。 話にならない感じだった。 重たい荷物を持って歩道橋を上って下りて、駅の反対側に行っても状況はあまり変わらず、結局相当遠いところに行って、たまたま客を下ろしたタクシーを捕まえてバス停まで辿り着いた。 30元だった。



天津に着いたのだが、人の感じが非常によい。 北京みたいにギスギスしていないし、みんな気持ちがいい。 ただ人々のしゃべり方の速さには閉口する。 すんごい速い。 発音が正確で、さっぱりワケワカメということはないのだけど、テンポが速い。 あと多少方言があるみたいだ。 本に書いてある言い方以外にいっぱい言い方があるようだ。

何て言ったのか判らないのだが、さっきKFCの店員さんに「チーマ?」と言われて面食らった。 面食らっていたら「ゴーマ?」と言い直してくれた。 「ゴーマ?」とは「充分か?」という意味だ。 チーマ?ってどういう字書くのだろう。


zhe を チェと発音するのが正しいのだけど、ここにもこれを「ツェ」と発音する人が居る。恐らく外地人だ。 「チェガ=これは」を「ツェガ」と発音する人たちがいる。 僕はこの発音をする人がかなり苦手なのだが、昆明の華僑学校の先生がこの話し方をする人だった。 日本人的には「ツェガ」より「チェガ」の方が馴染みがある。

宿がスー 住をジューと発音するのだけど、あるなまり方ではこれがどちらも同じになってしまうので、これの元の発音がどちらだったかと、ヒヤヒヤする。



しかし話し方は人それぞれだ。 受付の人が言っていることがさっぱり理解できなかったのだけど、それを聞いていたお客さんが僕に翻訳したら理解できた、ということが何度かあった。

中国語を勉強している日本人は、しばしば「発音が悪いから通じなかった」と発言するが、これは何か大変に大きな間違いであるような気がする。 恐らく「最高にいい発音」で話すともっと通じないのだと思う。 話者にも聴者にも、ある程度の包容力が必要なのではないかという気がする。


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出展 2011年03月13日03:06 『北京から天津まで』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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