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2011年1月16日日曜日

ビエンチャンに帰ってきた (mixi05-u459989-201101161940)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
ビエンチャンに帰ってきた
2011年01月16日19:40
ビエンチャンまで何とか辿り着いた。 ウドムサイに始めて行ってきた。 今回の冒険は今までの冒険の比じゃないくらいキツかった。 キツかった理由は、正に「言葉の嵐」だ。 どこにいってもみんなしゃべり方が同じじゃない。 10メートル歩くごとに方言が変化する。 言葉自体変化することもしばしば。 何語を喋っているのか判別するだけでも一苦労。 雲南語・普通語・ホウ語・ラオ語・タイ語・チェンマイ語・ウドムサイ語。 頭がクラクラする。 なのに、みんな当然の様に僕を普通にタイ人・ラオ人・中国人扱いして、光のスピードで会話が展開する。 こちとら日本人である。 こっちは、はっきり言って集中力が持たない。 こういう嵐の中にいると「ご飯食った?」とかそんな超簡単フレーズでさえ聞き取れないこともしばしば。 (これって改めて考えてみると、昆明の学校の宿舎のおばちゃんがやっている事とまったく同じ事を僕もやっているという事だ。 宿舎のおばちゃんに辛く当たった自分が恥ずかしい。) 本当にシャレにならない。 ものすごく疲れた。

ものすごくつかれたけど、色々な事がわかった。 今回わかったことで一番の収穫は...

(続く)

P.S.
今回、昆明を出発する日、散文を書いた。

━━━━━ 日本に住み、日本の全ての人とコミュニケーションを行おうとした場合に於いて、コミュニケーションを円滑に成功させる為の唯一の方法は、他人と深く付き合わない事である。 他人と深く付き合わず常に適度な距離を保つ。常に笑顔を絶やさず、常に無難な話題をだけを使ってコミュニケーションを取る。 これが日本人の全ての人と円滑にコミュニケーションを取る唯一の方法である。 但し、円滑でないコミュニケーションでも構わないなら、あといくつか方法がある。その数少ないいくつかの方法のひとつは、暴力的に他人の心をこじ開ける事だ。 ほとんどの人は何かの衝撃が無い限り絶対に自分の心を開かない。 これを暴言や皮肉・いじめ・いびりなどの暴力を使って破壊してコミュニケーションを取る。 しかし、こうして心の壁を破壊した後に残った心は、極端に無防備である。 この無防備な心を破壊しない為の、水の上を歩くかような高度な感受性・労り・優しさを持たなければ、この方法はただの暴力である。 次の方法は、相手の暴力を一切防御しない事だ。 ほとんどの人が、自分の心を守る為に暴力を使う。 相手の攻撃に対して一切反撃せず、防御もしない。 こうして相手が自分の心を滅多打ちにしてもひるまず他人の心に近づき、コミュニケーションを取る。 この方法の難しい点は、無防備な状態の心を滅多打ちにされて自分が破壊されてしまう危険がある事である。 この方法を実践する為には、嘘やごまかしの一切無い本当の意味での強い心を持つ必要がある。 最後の他人の心を開く方法は音楽だ。 演劇・映画・文学・漫画・絵画は、全て音楽だ。 配置もひとつの調和【ハーモニー】である。 これは音楽がひとつの物語であるのと同様である。 コミュニケーションはひとつの音楽だ。 ...僕は全ての人と心を開いた完璧なコミュニケーションを取れるようになりたいと願い、長年に渡って努力してきた。 それは成功しなかった。 僕は近々、これはそもそも不可能であるということを証明する事になりそうだ。 その証明に成功したら、僕は心を閉ざすだろう。 もし僕を見て冷たい人間だと思ったら、是非この事を思い出して欲しい。 心の壁の向こうには、僕という人間がこうしてすっくと立って君を見ているいるということを。 ━━━━━

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出展 2011年01月16日19:40 『ビエンチャンに帰ってきた』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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