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2010年11月20日土曜日

日本人の空気の読めなさについて (mixi05-u459989-201011201832)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
日本人の空気の読めなさについて
2010年11月20日18:32
日本人は、日本人を「付き合いを重視する」「人間関係を重視する」「和を重視する」って考えている。だけど、これは大きな間違いだ。 日本人は人付き合いが非常にへたくそで、人付き合いを面倒くさいと考えている人が多い。

外国に住んでいても、日本人同士付き合いを大切にしようと思う人がどれくらいいるだろう。 少なくとも僕は日本人同士付き合いを大切にしよう、って思わない。 いや、思っていないと言ったらウソになる。 思っているのだが、とにかく日本人の人間関係は面倒くさい。 疲れる。 他人を見てないし、察しが悪いし、プライドが高いし。 話していて面倒臭い。 ドロドロの人情付き合いも出来ないし、かといって論理的な討論も出来ないし。 話がしづらい。

タイ人はウソツキだ。 では、タイ人は何故嘘つきなんだろうか。 それは多少ウソをついても簡単に見破るパーソナルスキルを持っているからだ。 要するにバレている事は重々承知でウソをついているし、ウソを言われた方も当然の様にウソをつき返す。 最初にウソをついた方もそれを見抜いている。 繰り替えされるウソのキャッチボール。 ウソがひとつのコミュニケーションになっている。

ところが日本人はこういうあからさまなウソをあっさり信じてしまう。 相手の目を見ていないし、相手を観察していないからだ。

また別な要素もある。 ウソをついたり見破ったりする為には、ある程度のルールが必要だということがある。 ジャズでは、何でもかんでもでたらめに即興演奏でやっているのに演奏が破綻しない。 これはある程度ルールが決まっているからだ。 タイ人のウソにも同じような要素がある。 タイ文化というルールがあるので、これに対して比較する事で、ウソをついたり見破ったり、バレるようにウソをついたり、バレない様にウソをついたりと、さじ加減をコントロールすることが出来る。

ところが、日本は強力な近代化によって、各地の地方がゴチャマゼに混ぜられてしまった。 地方間の混血化も進んでおり、この日本文化というルールがまぜこぜになってしまった。 だからウソをついても、それが本気で言っているのか、冗談で言っているのか、見分けがつかない。 言われた事は額面どおりに受け止めるしかない。

言われたことを額面どおりに受け止めてコミュニケーションする、思っている事をきちんと言語化してコミュニケーションするというのは、近代化した社会での新しいコミュニケーション形態なのだと僕は思う。

タイのコミュニケーションとは、一種、村社会の中で、みんな顔見知り、親の顔も兄弟の顔も知っているという場所ならではのツーカーのコミュニケーションとも言える。 社会が小さいからこそ可能とも言える。 社会が複雑化し混乱してくるとこのコミュニケーション方法は使えなくなってくる。だからこそ、きちんと言葉でコミュニケーションする必要がある。(ただ、タイ人は日本人と違い、みな非常に細かい人間観察力を持っているので、社会がかなり大きくなってもこの方法を続ける事が出来る様だけど。)

ところが日本人は、言葉のコミュニケーションも出来ない、村社会のコミュニケーションに戻ることも出来ないで、コミュニケーションがとてもやり辛い。



この間思ったのだけど、日本人にも「地方人のジレンマ」があるみたいだ。

ビエンチャンの人とかバンコクの人とかに多いのだけど、ひたすら地を出したがらない人っている。 ひたすら英語を話したがったり日本語を話したがったりするのだ。 僕はタイ語が話せる。 だからタイ語で話しかけたりすると、ものすごく嫌な顔をしたりする。 じゃぁわかった、日本語で話そう、英語で話そうと思うのだけど、そうすると、何を考えているのかさっぱりつかめなくなる。 こういう人は、とにかく話し辛い。

何語を話していようが、自分が思っている事をきちんと伝えるということが、コミュニケーションの本質ではないか。 しかし、そこに何か違う物が混ざっている。

僕は方言を研究するのが好きだ。 しかし、そんな僕を見た人に、喜ぶ人と喜ばない人がいる。

タイにも中国にも次の様なタイプの日本人がいる。 その国の標準語しか興味がない。 特にタイの様に方言が極めて大きな要素を占めている国に於いても、標準語に執着して方言を研究しようとしない。 その国の標準語に執着して、その国の標準語を流暢に話し、それだけでなく、標準語を話さない人をバカにしたり蔑んだりして攻撃する。 当然、本人は綺麗な標準日本語を話す。

しかし、何だろうか。 ネイティブ東京人と全然違うのだ。 東京の人は綺麗な標準語を話すかも知れないが、本人は綺麗だと思っていない。 それどころか、東京人は結構ドロドロの話術を使う。 結構本心丸出しで付き合うものだ。 標準語を話していても、恰好をつけて隠し事を作ったりもしないし、結構恰好悪いことも丸出しで話をしたりするものだ。 何というか、東京人は、恰好つけているように見えるかもしれないが、結構お尻丸だしで話をする。 東京で恰好つけているのは地方人なのだ。

また、人にもよるが東京に来てお尻丸出しのままでいられるのは、関西人が多いような気もする。 だけど関西もかなり混血化が進んでいるので人による様だ。 お尻丸出しの人の方が付き合いやすい。 そういう人とはパッと友達になれる。



何だろうかなぁ。 日本人の人間付き合いのへたくそさには、何種類かの要素があるように感じられる。

ひとつは、単なる気難しさだ。 だけどこれは大きな問題ではないかもしれない。 気難しい人は人付き合いがうまくないが、正直なだけに友達になることは出来る。

もうひとつは、カッコつけだ。 カッコつけて本心を出さない人はなかなか仲良くなれない。

最後に、カッコつけと似ているのだが、自分自身が何か大きなウソを信じようとして、あるいは信じることにマンマと成功してしまっているので、他人の気持ちが見抜けなくなってしまっている人というのもいるような気がする。

あと、他人を観察する習慣がないこととか、人を触らない習慣とか、笑顔を作らないところとか、大声を出さないところとか、色々あるだろうけど。

言葉が話せなくてもマクドナルドよろしく「スマイル」だけで、全ての修羅場をくぐり抜ける事って、出来るよな。 スマイルって大切だよな。 いやしかし、人をよく観察してスマイルしていい時と、マズい時とちゃんと見てないとな。

それか西洋人みたいに、完全に言葉に重点を置いてディベートの様なコミュニケーションを取るのでも全然オッケーなのだが、これも出来ない。

何かまとまらないが、書いてすっきりしたから、いいや。

コメント一覧
風我   2010年11月21日 02:01
自分自身と向き合えない人は他人と向き合えないのでしょうね。
同じ理由から海外にいるときは日本人を無視する方で
日本にいても腹を割って話せる人以外は(仕事上、仕方がない場合を除き)
極力避けていますw
ジャコビ   2010年11月21日 04:26
日本人って海外での求心力が全然ないんですよね。その地に根をおろしたコミュニティーが育たないんです。中国人や韓国人はそういうのをしっかりと持っているのに。だからいつまでたっても日本人はバラバラのまま。日本人に便宜を計る目的の非営利団体もちらほらとあるけれど、そのどれもが単独行動をしていて、横の繋がりを極端に嫌がるし。コミュニケーションが出来ないからでしょうね。
おかあつ   2010年11月22日 20:33
なんだろうなぁ... 日本人の付き合い辛さって。

今、僕が結構イライラしてるのって、民族の違いを見抜けない人がムチャムチャ多いというか...むしろ民族の違いを見抜ける人がひとりも居ない事の気がする。 そこに住んでいる人は、当たり前の様にその違いを知っているし、それは一種一般常識みたいなもので、誰もが当たり前の様に知って話題にしていることだけど、日本人ってそこに何年も住んで中国語もペラペラなのに、ビックリするくらい何も知らないんだよなぁ...。 知らないどころか、「そんなの考えすぎだよ」とかいって僕の方が変態になってたりして。

中国語がボロボロの僕の方がよく知っていたりする。 これって語学力以前の問題な気がするんだよなぁ...。

あそこの○○人のオバチャンがさぁ!また「○○○(現地の方言)」とか言って! みたいな、そういう話題っておもしろいし、そういう出身民族丸出しのコテコテな人ってすごくおもしろくていい人が多くて、そういう話題が僕は大好きなんだけど、日本人ってそういう話題が一切通用しないんだよなぁ。 で、集まると結局日本人の話しか出来ないんだよなぁ。

でも、そういう理解力に関して、すごくプライドと結びついてて、そういう話題を出すと、何故かすごくプライドを傷つけるところがあるような気がする。


日本人なのに自分が日本人だっていう感じがまったくしない。 日本人とまったく話が合わない。 これってどうしたものか...。
おかあつ   2010年11月22日 20:45
僕は小さいころから変わり者で通ってきたし、自分自身も周囲と同じと感じたことはほとんどない。 だけど、日本のコミュニケーションって相手が自分と同じである、ということを大前提に始まる。 もはや実際には全然違うんだけど、飽くまでも自分は相手と同じであるという風に演じきらないといけない。 これが僕にはムチャクチャ難しい。

僕が、ラオに居る時はどうか...ラオは「ラオって大体こんなもん」というのがかなりはっきりしているので、自分が相手と同じであるように演じきることが不可能ではない。 で、演じている内容がどこかの民族と高く一致していれば、相手が違う民族出身でも「あぁ、あそこに住んでたのね」って理解してくれる。 だから、わかりやすい。

日本はこうは行かない。 ゴチャ混ぜなので、演じきることがそもそも無理だ。 演じきる為には、自分がどこから来て、親がどこの出身で、どういう育ち方をしたのか、っていうことをきちんと説明してもらわないと困る。 だけど、日本人はこれをやらないので、相手に合わせるにも合わせようがない。

だからひたすら無難に相手に合わせているフリを維持しないといけない。 だから絶対に本心を出せない。

一方、出身によっては、そういう本心を出したところにつけこみ駆け引きのネタに利用して、足の引っ張り合いを始める人もいるし、自分自身も本心を説明する事に高いリスクがある。

こういう本心を出したところでそれを駆け引きのネタにする人って、タイとかにはあまり居ない様な気がする。それも民族の人口にある程度まとまりがあるからかもしれない。 タイは、日本みたいに一人一人が全然違っているようには、なってないし。

おかあつ   2010年11月22日 20:47
日本人って何考えているか、わからん。 言葉が通じない、中国人の方がよっぽどわかりやすいと思うこと、ある。
 
出展 2010年11月20日18:32 『日本人の空気の読めなさについて』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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