ウソつき中国人について (おかあつ)
2010年08月28日 20:48
日本の没落っぷりについて
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1568986771&owner_id=459989
(このトピックは、おかあつの上記日記のコメントに対する返答を記事としてまとめたものです。)
─── 足掛け3年、中国にいて思ったのは、だまされたほうが負けなので、他人をまったく信用しません、気軽に他人と話したりはするんでしょうが、警戒して大事なことは教えません。中国人が一番、中国人を信用していないことがよくわかります。嘘をつくことに、罪悪感がないので、すぐわかる嘘でもついてしまい、ここきておもったのは嘘も突き通せば、真実になってしまうし、いちいち気にしていたらストレスたまるので、聞き流せるようになりました。 ───
中国人ってウソつきでしょうか。
僕はタイ語とラオス語を勉強しています。 ラオ人(ラオス語話者)、特にタイ国内のラオ人の生活風習について、勉強しています。
ラオ人は、タイ国内で一般的に、ウソつきとか適当とかバカとか色々な事を言われています。 しかしそうやって言葉を勉強する中で、きちんと人間関係の中に入って信頼関係を築き、改めて見回してみると、そういうウソや不条理のひとつひとつにきちんとした理由があることに気がつきます。 ラオ人は、非常に義理堅く人情深い人が多いです。 しかし他人として付き合っている人には決して本当の事を言いませんし、人情深くもありません。
僕はタイに足掛け5年居ますが、タイはバンコクとウドンタニー県にしか行ったことがありません。 他の地域はまったく行ったことがありません。 ですから、その特定の地域の人と文化を5年間見つづけてきました。 そういう体験の中で、あるコミュニティーの外側から見える様子と、内側から見える様子が、まったく違った様相を持っている事を体験的に知りました。
ある見方からすると、ウソつきが多いというのは、実はタイも同じです。 誰も信用出来ません。 ゴリ押し居直り強盗の達人みたいな人ばかりなので、商売をやるのは大変です。 自分もそういう中で商売をやったことがあるので、その難しさは非常によく知っています。
しかし、華僑はそういう難しい環境の中であっても、どういう方法を使ってなのか、知らない人と信頼関係を築き、ビジネスを構築し、利益を出しています。 彼らの信頼関係を築くコミュニケーションスキルの高さは、見ていて舌を巻きます。
何故、ウソばかりついて中国人を一番信用しない中国人が、世界中どこに行ってもビジネスを構築できるんでしょうか。 僕はそこをとても不思議に思います。 そこにきっと何か僕達に見えていない世界があるのだと思います。 僕はそれが知りたいのです。
中国に滞在するなら、そういう満ち溢れるウソをかいくぐり、ウソの裏にある世界を見抜く洞察力が必要なのだと思います。 タイもそうですが、「ある手」のウソが実は当地の人の間では決まり文句の様になっていて、実は相手に真意が伝わっているとかいうことも少なくありません。 また、当地の人が、共通語を話す人と地方語を話す人で、言っている事を使い分けているというパターンもよくあります。(こういう事は日本にもよくありますよね。) 何事もよく調べて見ないとわからない物だと思います。
僕の友達に、タイのウィークエンドマーケットに店を出して商売をやっている日本人が居ます。 彼もそういう嘘の裏を読む必要性や、本音と建前を切り替えて裏を読む世界をよく知っています。 タイでの屋台営業というのは非常に厳しい世界ですが、彼はそれを日本人でありながらこなしています。 それくらいの高いレベルでコミュニケーションを達成できるコミュニケーションスキルを持つまでは、本当のことは何もわからないのかもしれません。
ウソが満ち溢れているのは、中国だけではありません。 タイもそうです。 言ってみれば、アメリカもイギリスも同じです。イギリス人なんて年がら年中、パブに集まって友達同士で騙しあいバカしあいをやっている様相すらあります。 考えてみれば、日本だけが特殊で、一種のガラパゴス島の様な状態になっているのかもしれません。 日本人は、ある種そういう駆け引きに対して無菌状態に居るのだと思います。 ある意味、とても脆弱なのかもしれません。
中国だけがウソをつくわけでは決してありません。
◇
─── この人たちは中国語ネイティブですよ、ただ普通語に近くないだけです。ただ潮州人は広東なので、ネイティブではないでしょうね。 ───
中国人って何でしょうか。
ラオスの様に、戦乱で国が半分に分かれてしまって、民族の半分がタイ人になって、民族の半分がフランス領(ラオス)になってしまった様な地域もあります。この事は公式にはまったく伏せられており、まったく語られる事はありません。 僕が住むこのラオス国境地帯には、こんな誰も語らない暗い背景があります。 そういう地域に住む僕から見ると、「国」という分類とは、何ともはかない物だと思います。
僕はラオ語がタイ語の方言だ、という意見に強い反発を持っているのですが、それは教科書も無いようなラオ語の文法を自分なりに研究する中で、看過できない違いがあることを知っているからです。 しかし、国の様々な事情により、ラオ語はタイ語の方言だと言われています。 一方、ラオス国内で利用されるラオス語は、タイ語とはまったく無関係の言葉と考えられています。 複雑な政治背景があるからです。
この様に「○語は△語の方言だ」という発言の裏には、多分に政治的な背景があります。
恐らくですが、客家語・潮州語・福建語・広東語が、中国語だ、と断言する前に、どれでも良いのですが、最低でも、客家語・潮州語等で日常会話を済ます事が出来る程度に勉強する必要があると思います。 恐らくですが、北京語とはかなり趣きが違うはずです。 その違いは重いです。
僕は今現在、タイ語とラオス語しかわかりませんが、広東語だけは少しだけ自分でも勉強した事があります。 客家語・潮州語・福建語・広東語のそれぞれがどれ位違った言葉なのかという話は、タイに居ても見聞きします。実は、 僕の友人に、上記の言葉を全て使い分けて話すことが出来る天才がいるのですが、彼はそれらがどれくらい違う言語なのか、しばしば熱弁をふるいます。 旧友に広東語がネイティブの日本人も居ます。 彼らは決してこれらの言葉が同じ言葉だとは言いません。
僕の想像なのですが「この人たちは中国語ネイティブですよ、ただ普通語に近くないだけです。」という言葉をネイティブに聞かせたら恐らく怒るでしょう。実は、上記の中国国内の各方言を使い分ける天才は、僕の非常に仲の良い友達で潮州人なのです。 彼にそういう言葉を投げかけたら恐らくですが、怒る様な気がします。
この様な話を聞くと意外な感じがするかもしれませんが、この事情は恐らく日本も同じだと思います。 「京都弁も大阪弁も同じ関西弁だ、大差ない」とかコメントに書くと、怒鳴り込みに来るヤカラは少なくない筈です。 中国各地の言語の違いは、この例を遥に上回って居ます。 外国に居るなら、そういう他人の神経に衝突しない為の感受性=センシティビティーが必要だと思うのです。 特に相手の特殊な事情に興味があるなら、この独特な気の使い方は大切なマナーのひとつだと思います。
逆の例もあります。 西洋人の多くは、日本語を中国語の方言だと考えています。 日本語も中国語も、同じ漢字を使うからです。 例えば、中国語と日本語の違いに無頓着なまま制定されたコンピューターの文字コード体系 UNICODEは、今でも多くの矛盾を生み出しています。 UNICODEは、中国語・日本語で使われている漢字を全てひとつの物に統合してしまったため、中国語・日本語間で異なる漢字の点の位置・撥ねの向きなどを正しく区分することが出来ません。 この問題は中国の各地の言語内にも存在し、もっと複雑な問題を引き起こしているそうです。
こういう考え方に反感を感じるのであれば、私たちも、中国各地の言語の違いに敬意を払う必要があるはずです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1568986771&owner_id=459989
(このトピックは、おかあつの上記日記のコメントに対する返答を記事としてまとめたものです。)
─── 足掛け3年、中国にいて思ったのは、だまされたほうが負けなので、他人をまったく信用しません、気軽に他人と話したりはするんでしょうが、警戒して大事なことは教えません。中国人が一番、中国人を信用していないことがよくわかります。嘘をつくことに、罪悪感がないので、すぐわかる嘘でもついてしまい、ここきておもったのは嘘も突き通せば、真実になってしまうし、いちいち気にしていたらストレスたまるので、聞き流せるようになりました。 ───
中国人ってウソつきでしょうか。
僕はタイ語とラオス語を勉強しています。 ラオ人(ラオス語話者)、特にタイ国内のラオ人の生活風習について、勉強しています。
ラオ人は、タイ国内で一般的に、ウソつきとか適当とかバカとか色々な事を言われています。 しかしそうやって言葉を勉強する中で、きちんと人間関係の中に入って信頼関係を築き、改めて見回してみると、そういうウソや不条理のひとつひとつにきちんとした理由があることに気がつきます。 ラオ人は、非常に義理堅く人情深い人が多いです。 しかし他人として付き合っている人には決して本当の事を言いませんし、人情深くもありません。
僕はタイに足掛け5年居ますが、タイはバンコクとウドンタニー県にしか行ったことがありません。 他の地域はまったく行ったことがありません。 ですから、その特定の地域の人と文化を5年間見つづけてきました。 そういう体験の中で、あるコミュニティーの外側から見える様子と、内側から見える様子が、まったく違った様相を持っている事を体験的に知りました。
ある見方からすると、ウソつきが多いというのは、実はタイも同じです。 誰も信用出来ません。 ゴリ押し居直り強盗の達人みたいな人ばかりなので、商売をやるのは大変です。 自分もそういう中で商売をやったことがあるので、その難しさは非常によく知っています。
しかし、華僑はそういう難しい環境の中であっても、どういう方法を使ってなのか、知らない人と信頼関係を築き、ビジネスを構築し、利益を出しています。 彼らの信頼関係を築くコミュニケーションスキルの高さは、見ていて舌を巻きます。
何故、ウソばかりついて中国人を一番信用しない中国人が、世界中どこに行ってもビジネスを構築できるんでしょうか。 僕はそこをとても不思議に思います。 そこにきっと何か僕達に見えていない世界があるのだと思います。 僕はそれが知りたいのです。
中国に滞在するなら、そういう満ち溢れるウソをかいくぐり、ウソの裏にある世界を見抜く洞察力が必要なのだと思います。 タイもそうですが、「ある手」のウソが実は当地の人の間では決まり文句の様になっていて、実は相手に真意が伝わっているとかいうことも少なくありません。 また、当地の人が、共通語を話す人と地方語を話す人で、言っている事を使い分けているというパターンもよくあります。(こういう事は日本にもよくありますよね。) 何事もよく調べて見ないとわからない物だと思います。
僕の友達に、タイのウィークエンドマーケットに店を出して商売をやっている日本人が居ます。 彼もそういう嘘の裏を読む必要性や、本音と建前を切り替えて裏を読む世界をよく知っています。 タイでの屋台営業というのは非常に厳しい世界ですが、彼はそれを日本人でありながらこなしています。 それくらいの高いレベルでコミュニケーションを達成できるコミュニケーションスキルを持つまでは、本当のことは何もわからないのかもしれません。
ウソが満ち溢れているのは、中国だけではありません。 タイもそうです。 言ってみれば、アメリカもイギリスも同じです。イギリス人なんて年がら年中、パブに集まって友達同士で騙しあいバカしあいをやっている様相すらあります。 考えてみれば、日本だけが特殊で、一種のガラパゴス島の様な状態になっているのかもしれません。 日本人は、ある種そういう駆け引きに対して無菌状態に居るのだと思います。 ある意味、とても脆弱なのかもしれません。
中国だけがウソをつくわけでは決してありません。
◇
─── この人たちは中国語ネイティブですよ、ただ普通語に近くないだけです。ただ潮州人は広東なので、ネイティブではないでしょうね。 ───
中国人って何でしょうか。
ラオスの様に、戦乱で国が半分に分かれてしまって、民族の半分がタイ人になって、民族の半分がフランス領(ラオス)になってしまった様な地域もあります。この事は公式にはまったく伏せられており、まったく語られる事はありません。 僕が住むこのラオス国境地帯には、こんな誰も語らない暗い背景があります。 そういう地域に住む僕から見ると、「国」という分類とは、何ともはかない物だと思います。
僕はラオ語がタイ語の方言だ、という意見に強い反発を持っているのですが、それは教科書も無いようなラオ語の文法を自分なりに研究する中で、看過できない違いがあることを知っているからです。 しかし、国の様々な事情により、ラオ語はタイ語の方言だと言われています。 一方、ラオス国内で利用されるラオス語は、タイ語とはまったく無関係の言葉と考えられています。 複雑な政治背景があるからです。
この様に「○語は△語の方言だ」という発言の裏には、多分に政治的な背景があります。
恐らくですが、客家語・潮州語・福建語・広東語が、中国語だ、と断言する前に、どれでも良いのですが、最低でも、客家語・潮州語等で日常会話を済ます事が出来る程度に勉強する必要があると思います。 恐らくですが、北京語とはかなり趣きが違うはずです。 その違いは重いです。
僕は今現在、タイ語とラオス語しかわかりませんが、広東語だけは少しだけ自分でも勉強した事があります。 客家語・潮州語・福建語・広東語のそれぞれがどれ位違った言葉なのかという話は、タイに居ても見聞きします。実は、 僕の友人に、上記の言葉を全て使い分けて話すことが出来る天才がいるのですが、彼はそれらがどれくらい違う言語なのか、しばしば熱弁をふるいます。 旧友に広東語がネイティブの日本人も居ます。 彼らは決してこれらの言葉が同じ言葉だとは言いません。
僕の想像なのですが「この人たちは中国語ネイティブですよ、ただ普通語に近くないだけです。」という言葉をネイティブに聞かせたら恐らく怒るでしょう。実は、上記の中国国内の各方言を使い分ける天才は、僕の非常に仲の良い友達で潮州人なのです。 彼にそういう言葉を投げかけたら恐らくですが、怒る様な気がします。
この様な話を聞くと意外な感じがするかもしれませんが、この事情は恐らく日本も同じだと思います。 「京都弁も大阪弁も同じ関西弁だ、大差ない」とかコメントに書くと、怒鳴り込みに来るヤカラは少なくない筈です。 中国各地の言語の違いは、この例を遥に上回って居ます。 外国に居るなら、そういう他人の神経に衝突しない為の感受性=センシティビティーが必要だと思うのです。 特に相手の特殊な事情に興味があるなら、この独特な気の使い方は大切なマナーのひとつだと思います。
逆の例もあります。 西洋人の多くは、日本語を中国語の方言だと考えています。 日本語も中国語も、同じ漢字を使うからです。 例えば、中国語と日本語の違いに無頓着なまま制定されたコンピューターの文字コード体系 UNICODEは、今でも多くの矛盾を生み出しています。 UNICODEは、中国語・日本語で使われている漢字を全てひとつの物に統合してしまったため、中国語・日本語間で異なる漢字の点の位置・撥ねの向きなどを正しく区分することが出来ません。 この問題は中国の各地の言語内にも存在し、もっと複雑な問題を引き起こしているそうです。
こういう考え方に反感を感じるのであれば、私たちも、中国各地の言語の違いに敬意を払う必要があるはずです。
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