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2010年8月25日水曜日

気持ちを理解するとは (isaan05-c987254-201008252025)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
気持ちを理解するとは (おかあつ)
2010年08月25日 20:25
2010年08月24日03:42

今日は実に久しぶりにバンコク・スクムヴィット・ソイ3アラブ街の水タバコ屋にきた。 ここのまわりにはアラブ系の人が経営しているホテルがいっぱいあり、ロビーで無線ランでインターネットが出来る様になっている場合が多い。 この水タバコ屋まで電波が届いている物も少なくなく、かつパスワードがかかっていないので、ただでインターネットが出来る。 これぞ無銭ランである。

僕は今ある事情により、毎日お寺にお参りすることにした。 まだ昨日はじめたばかりなので、どうなるかわからない。

で、今日はコーディングをしてからお寺に行こうということで、ガリガリとプログラムを組んでいたらすっかり時間が遅くなってしまった。 普段は地下鉄でお寺までいくのだが、今日はタクシーで行った。

フワランポーン寺お願いします。 って行ったら、「あぁ 寺ね...寺...寺と。」って言われた。 しばらくしたら「...お寺だよね?」と言われた。「お寺です」と答えた。 またしばらくして「本当にお寺だね?」と言われた。 普通外人がフワランポーンに行ってくれといえば、99%フワランポーン駅に行く物だ。 フワランポーン駅から汽車に乗ってチェンマイに行くのである。 なのに、外人がフワランポーン寺に行くというのは、非常に珍しいということなのだと思う。 だからこの運転手さんは僕が駅と間違えてるのではないかと心配していた。 僕は「駅じゃなくてお寺です。 これからお参りに行くんです。」と行った。 何かちょっと滑稽な場面だった。

お寺についたら、もう夕方の読経が始まってしまっていた。 本当は瓦の裏に名前を書いて並べたり、お釈迦様に金粉を貼ったりしたかったのだけど、もう閉まってしまっていたので、出来なかった。 20分ぐらい読経を聞く。 その後10分ぐらい座禅をして、終わりになる。 明日もこよう。

フワランポーン寺の向かいには、レストラン街みたいなものがある。 そこに行って食事をして、スターバックスに入ってまたプログラムを組んだ。

...

このレストラン街は、名門大学チュラロンコン大学のすぐ裏にある。 こういう場所に居ると、本当に色の白い人が多いと思う。 華僑の人、それも華僑の血筋が濃い人が多いのだと思う。 こういうところに居ると、「あれ、この人、日本人?」 と思うような、顔つきが微妙な人ばかりだ。 実際には、ここにはほとんど日本人は居ないのだけど、顔を見ると「あれ、どっちだ?」と思うような雰囲気の人がたくさん居る。

で、また、食事とかしていると、学生がくだらないギャグとか言って遊んでいたりするのをたくさん見受けるのだけど、このギャグのセンスというか、ノリというかが、オタクっぽいというか、またどことなく日本の学生と似ていて、それがまた驚く。

で、思うのだけど、日本人がタイに来てタイ人と間違われて「タイ人ですか?」って聞かれて「いやぁアタイもタイ化しちゃって困っちゃうわ」と喜んでいる人って多いけど、実際、日本人がタイ人でも何も変ではないのではないだろうか。 タイは本当にすごい多民族国家で、住んでいる人の民族背景が本当にゴチャゴチャだ。 例えば、明らかにアラブ系の顔をしているのに、タイ語ネイティブの人もいっぱい居て、アラブ系同士でタイ語話していたりする。 中華系にもそういう人居る。 そういう中では、日本人も単なるひとつの民族であり、日本人もタイ人でありえる。

そういえば、今日、セブンイレブンに行ったとき、ふとまわりを見渡したら、その店に居る人、実はみんなラオじゃん、とか思ったことがあった。 あれ! この人ラオだし、あの人もラオだ。 あれ! 実は店員さんもラオじゃん、とか思いながら店を見渡すと、そこに居る人全員ラオだ。 だけど、みんなタイ語を話している。 こんなにラオの人が多いなら、いっそのことラオ語話した方が早いんじゃないの?とか思うが、けっしてそうしない。

そうやって改めて見回してみると、街の中で、外人を捕まえて何かしている人(ボッタクリとか、客引きとか、何か手振り身振りで世間話とか、外人男を連れてる売春婦とか)は、ほぼ100%ラオだ。 だから外人はラオ人をタイ人と勘違いするのだと思う。 街にラオがいっぱい居る一方で、チュラ大の裏のレストラン街とか、ラチャダーのエスプラナードとか、そういう場所は、華僑しか居ない。 はっきりとした住み分けがある。

華僑の人とラオ人って、本当に性格が正反対だ。 華僑の人は凄く厳しいし、かなり冷たい。 賢くて勉強熱心だ。 人をまったく見てない。 所有権がはっきりしていて文字にこだわる。 一方ラオの人は、所有権にこだわらないし、勉強熱心ではけっしてない。 文字にこだわらない。 一方、人情深く、人をものすごくよく見ている。

僕が居たチュラ大の裏レストラン街のスターバックスは、特に華僑傾向が強いのだと思う。 客はものすごくクールで、カッチリしている。 論理的だ。

...

ところで、次の話に入る前に、僕の「頭モード」について若干説明したいので、少々お付き合いをお願いしたい。

僕は頭のモードが完璧に3つに分かれている。

プログラムを組んでいる時は「絶対論理モード」だ。 1+1は2だ。 絶対に3や4にはならない。 理屈や抽象に徹底的に執着して、決して辞めない。 非情で論理的に間違っている物を絶対に許さない。 人を平気で傷つける。 かなり攻撃的である。

もうひとつは「人情モード」だこっちは、1+1は10にも20にもなる。 色々と変える。 他人に関しては何でもありでほとんど許してしまう。 義理堅く、ひたすら恩に執着する。

あと「本能モード」というものもある。 これは僕の中のデタラメモードである。 僕の中で、これが一番非情かつ破壊的でまったく非人間的なので、ほとんど人に見せない。 というか、見せられない。 主張が強く、自分勝手である。 女を口説いたりギターを弾いている時がこれにあたる。 これは非常に危険人物で、ものすごい勢いで色々な物に突進してしまい破壊してしまうし、止まらなくなってしまいには自分を破壊してしまうこともあるので、もう長らく封印している。

...

僕がひとりでスターバックスに居るときというのは、大抵「論理モード」だ。 ミクシでひたすら日記を書いているのも、このモードだ。 このモードは普段絶対に言わないような嫌なことばかりズケズケと言うので「ネット人格」とも呼ばれる。 このモードに入っているときは、あまり社会性が無いので、他人に迷惑にならないように、ひとりで居るようにしている。 このモードに入っている時は、無口で無表情でつっけんどんである。

華僑がたくさん居る様なスターバックスに居ると、やっぱりこういう「論理モード」に入っている人がたくさん居る。 だから、僕も遠慮なく「論理モード」に入れるのだ。

...

で、話は元に戻る。 スターバックスに居たら、となりの部屋で店員さんが集まって大騒ぎになっていることに気がついた。 見てみたら大きなドブネズミが店に迷い込んで、走り回っている。 これを捕まえるべく、大勢の人が走り回っている。 叫ぶわ跳ぶわ蹴るわの大捕物に発展していた。

何かおもしろそうだったので、何となく写真をとった。 だけど、画質の悪い携帯電話のカメラだったし、となりの部屋はガラスでしきられていて、反射してしまってあまり上手にとれなかった。 あまりこだわりは無かったので、そのままにした。

で、プログラミングに戻った。

...

しばらくしたら、店員さんが非常に厳しい面持ちでやってきた。 驚いた。 何だろうか、と思った。 そうしたら、店内は写真撮影禁止だからカメラの画像を消せ、と言う。 僕が今までタイに滞在したなかでも、特にありえないような非常にきつい嫌な言われ方だった。 あぁ心配しなくても大丈夫です、撮れなかったから、と笑顔で言ったら、カメラを見せて消したことを確認させろとまで言われた。 なんでそこまでしなきゃいかんのか、とかなり腹が立った。 断る、と言った。 撮れてないって言ってるんだからそこまでする必要は無い。 一応店員は引っ込んだ。 非常に失礼な言い方だったし、こっちゃ金払って客として来ているんだ、なんで人を捕まえて悪者扱いされにゃあかんのか、とかなり頭に来た。

腹が収まらなかったので、文句を言いに言った。 こっちゃ金払って客として来てるのに、客を捕まえて悪者扱いまでして、礼儀がなってないだろうが、と言った。

あまりに頭に来たので、名前を出せ、本部に苦情を入れてやると言った。 僕はこういう事を言っても、面倒くさいので、それを実行に移すことはまずないのだが、それでもこっちが味わった不快感をお返しすることぐらいは出来るだろう、と思った。 こういう事があると、ウソの名前を言う人が多いのもよくある話なので、店員の写真まで撮ってやった。

しばらくしたら、マネージャーが来た。 平謝りだった。 こっちは頭に来ていたので、「何だよ」みたいなつっけんどんな対応をしていた。

だけど、ふとマネージャーの口元がふるえていたのを見て、何となく事情が飲み込めてきた。



要するにネズミが店内を走り回っているこの画像がネットなどに出回るような事があったら、このマネージャーの首はあっさり飛ぶ、ということなのだ。 しかしこのマネージャーの首が飛ぶ、という事の重さが僕らが考えている物とまったく違うことに注意する必要がある。

タイの最上流階級が集うこの天下のチュラ大側のスターバックスである。 いくら外からきたネズミとはいえ、スターバックス店内をでかいドブネズミが走り回っている場面をオーナーが見たら、何を言い出すか知れたものではない。

事態は決して軽くない。 確かに、日本人にとっては、スターバックスの店員など高校生のアルバイト程度の重さしかないかもしれない。 タイの現実としては、 スターバックスの店員というのは滅多なことでは就くことができない仕事だ。 非常に上流な仕事で責任が重い部類に入る。

ここで、僕の頭の中に、ウドンタニーの風景が浮かんだ。 ウドンタニーと、このチュラ大側のスターバックスを比較すると、一瞬頭がクラっとする。 底知れない激しい落差。 落差とはどういうことか。僕の頭に浮かんだ光景とはこういうものだ。

ウドンタニーの広大な自然。 そこである人が生まれる。 そこで生まれてから田畑を耕し生活してきた。 しかし、色々な事情からやむを得ずバンコクに仕事に行く。 地方から出てきた人にとって、バンコクで仕事を探すのはまったく容易でない。 そういう中で辛うじて手に入れた夢のようなスターバックスの仕事。 広大の自然とは正反対の、スカイスクレーパー立ち並ぶ色の白い人の世界。

チュラ大の裏の超ハイソサエティーな上品な世界にあるスターバックスだが、その店員さんも多分にしてこういう世界から来る。 スターバックスのコーヒーは1杯150バーツもする。 スターバックスで働いていたって、スターバックスのコーヒーを飲んだことすらないかもしれない。 よいエスプレッソコーヒーを作るには手順をきちんと守ることが非常に大切なので、ある意味、手順をマスターしていれば、コーヒーを飲んだことが無くても作れる。 コーヒー嫌いなタイの人だ。ラオの人なんかもっとコーヒー嫌いである。今まで僕の自慢の手作りカフェラテを何人ものラオ人に飲ませたけど、返事はひとつ。「まずい! よくこんなもん飲めるな!」だった。 田舎から、バンコクのスターバックスに働きに来るということは、そういうことなのだ。 しかも数多いスターバックスの中の、チュラ大側のスターバックスで、マネージャーをやるというのは、決して軽くない。

... マネージャー職になり、チュラ大に配属されようやく仕事にも慣れた。

... そこに突如ドブネズミが飛び込んできて大騒動。

... 衛生問題になりかねない。 一歩間違えれば首が飛ぶ大事態。

... そこに何も知らない日本人が面白がって写真を撮っている。


─── これは、僕が思っている程、おもしろくない話なのである。

...

マネージャーはスターバックスコーヒー無料券を3枚持って謝りにきた。 僕は断ろうとしたけど、どうしてもということで受け取った。

僕も「こんな写真が出回るようなことがあれば、責任問題になって首が飛ぶことだってある...ということは僕もわかっている」という事を伝えた。

僕は店員さんから非常にキツい言われ方をされたが、要するに店員さんもかなり動転していたということなのだ。 話をしているうちに僕も落ち着き、店員さんも落ち着いたらしかった。


...

取り敢えず、帰ることにした。 だけど、このまま帰るのは、僕の主義に合わない。 かといって無料券を返すのも筋に合わない。 色々考えて、田舎式にお返しをやることにした。 つまり贈り物だ。 田舎(イサーン=ウドン)では何か物を貰ったら、お金を払うのではなく、物でお返しをする習慣がある。 田舎の習慣だけど、これはお布施と近い風習で、僕が好きな風習のひとつだ。 この超ハイソなスターバックスでそれをやってみようと、思った。

いちど、シレっという顔をして店を出て、すぐ側のセブンイレブンで「お布施セット」を作った。 ポテトチップスや木の実とかオーワンティン(Ovaltine=ココア お坊さんにお布施をするときによく一緒に渡す)とか、赤のファンタ(これは理由はよく知らないのだけど、お供えによく利用される。 凄くおいしくなさそうで、飲んでいる人はあまり見たことが無い)とかを店員さん三人分買った。本当はカゴに入っているとベストなのだけど、カゴは入手できないので、普通の袋で充分だ。


それで、シレっと店に戻って、僕の非礼について丁重にお詫びを言って、お布施セットを渡した。 店員さん 顔がパッと明るくなった。 明日も来てくれますか?と聞かれた。 実は向かいのフアランポーン寺で、お参りをしてきたところなんです。 毎日お参りに来るので、明日も来ます、と言った。 僕はお参りが好きなので、こんな「お布施セット」をよく渡すんです、良かったら食べてください、と言った。 店員さんの顔が軽くなった。何かが通じた感じがした。 幸運を祈ります※と言って、店を出てきた。

こんな優雅にスターバックスで働いていても、実はこういう田舎式な風習が好きだったんだと思った。 スターバックスのニューヨークチーズケーキより、お布施のオーワンティンの方が好きなのだ。 何か夢から覚めた様な、目が覚めた様な思いがした。



僕は、色々な人が、タイ文化がどうのとか、バンコクのおもしろさはどうの、タイ語がどうのとか能書きをタレるのを全て無視してきた。 日本人どころか、タイ人すら、そういう能書きをタレる人は少なくない。だけど、僕はそこをあえて、ウドンタニーにこもり、この教科書の無い言葉、タイの東北弁=イサーン語を勉強してきた。

それでよかったのだ。

僕が、僻地ウドンタニーで見聞きした事こそが、全ての本質なのだ。

この道で間違っていない。





※ 「幸運を祈ります」 ขอโชคดีด้วยครับ コーチョークディードゥワイクラップ

イサーンの人は 別れ際に サワッディー สวัสดี とか ラーコーン ลาก่อน とか言わないで、 โชคดี チョークディーと言うことが多いような気がする。 多分、これはお祈りの言葉で、コーチョークディーミーヘーンユーディー(幸運を、体に力を、良い人生を) と続く相手の幸せを祈る言葉じゃないかと思う。 実は非常に深い言葉なのだ。
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出展 2010年08月25日 20:25 『気持ちを理解するとは』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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