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2010年4月12日月曜日

「デモ衝突で日本人が死亡」について (isaan05-c987254-201004120840)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
「デモ衝突で日本人が死亡」について (おかあつ)
2010年04月12日 08:40
昨日のニュースで、タイの首都で発生してるデモ衝突を取材していた日本人が死亡したとあった。 流れ弾に当たったんだそうだ。

しかし、思うのだけど、いくらドサクサの中とはいえ、中に色々と他に日本人や他の外国人がバラバラに混ざっていたりするなかで、わざわざカメラを持った日本人に流れ弾が当たるだろうか。 おそらく故意なんだと思う。



前にも何度も書いたけど、タイというのは多民族国家だ。 それもアメリカの様に「通称」多民族国家ではなく「リアル」多民族国家だ。 いくらアメリカが多民族といっても50%はアングロサクソンだが、タイは違う。 タイではタイ民族は10%程度しかおらず、ラオ系が20%クメールが10%華僑が10% ...とほとんどの民族が拮抗している。 アメリカの様に多民族国家がひとつのパフォーマンスでしかなく、みんなに話題として提供できる内は、真の多民族国家ではないのだと思う。 真の多民族国家はそんなにあまくない。 話題としてなど絶対に話せない。 パフォーマンスなどもってのほかである。 多民族国家であるということは、絶対に秘密だ。 常に周囲をウソで撹乱する事によって、多民族国家かもしれないという気配すらも隠さなければいけない。 多民族であるということは、国民にすら内緒だ。 こうしなければ国が無数の破片として分裂してしまうという致命的な結果を招く。 これは全ての民族にとって不利益だ。

独裁って本当に悪いことだろうか。

ヨーロッパ人とアジア人は考え方に根本的に違う点がある。 それは、ヨーロッパ人は「絶対的に普遍的な真実が存在する」という事を認めているところだ。 アジア人はこの考え方を持っていない。 ヨーロッパ人は「1+1=3だ」という人があれば、その間違いを指摘する。 1+1は2でしかありえず、それが何故なのかを延々と討論する。 アジア人は違う。「1+1は3である」という人がいれば「それはその人の考え方であって私の考え方とは違う」という反応を示す。

例えば、僕がこうやって書くことは大半が「僕の意見」ではなく、タイで見聞きしたなかで、ある特定の人の間では常識であることだ。 個人の見解ではないのである。 だけど、こうやって書くことが大抵の人の間では「考え方は人それぞれ」「それはあくまで君の考え」「私の考えとは違う」とか「君は変わった考え方をしているね」という様な反応が帰ってくる。 これも日本人がアジア人的な考え方を強く持っているからだ。

この例でわかるように、日本人は討論をして考え方のすり合せをする能力をほとんど持っていない。 しかし、これは日本人に限った事ではない。 アジアでは討論などまったく成立しないのだ。 「討論する」という事自体が文化的に悪いこととされていたり、「論理的に考えること」自体が文化的に、倫理に反する他人に迷惑をかける行為なのだ、と考えられている場合もある。 この人たちの間では討論が絶対に成立しない。 (もっとも日本人は日本という限られた領域に住んでおり、比較的考え方に一定の方向性があるので、他のアジア人と比べて格段に考え方のすり合わせをする能力が高いのだが。)

こういう人たちに「必要」という概念を知らせるのは、まず不可能だ。 多民族国家とは国の中にこういった無数の「わからず屋」の民族があふれているという事なのだ。 彼らに、国際社会には魑魅魍魎があふれており、これこれこういう事をしていかないと、国の存亡自体が危うくなる、という事は君らも困ったことになる、そういう中では多くの民族で結託して闘わなければいけない、だから最低限これだけはやってちょうだい、といった事を伝えても、無意味だ。こういう人たちをうまい方向に向かわせる為には、ウソは絶対に必要な事なのである。 あるいは国が嫌われ者を演じて強制的にある方向に向かわせる事もある。つまり独裁だ。

民主主義なんて建前でしかないのである。

僕等は「論理的である」ことがよいことだと考えている。 僕等は「合理的」で「計画的である」ことが素晴らしいと考えている。 だけど、これも一つの偏見でしかない。 しかし、この偏見は物事をスムーズに動かす為にとても役に立つ偏見ではあるのだが、多くの民族の中では非常に少数派で弱い偏見だ。 僕等は「論理」や「合理」が大切だと考えているがそう思う人は少数派なのである。

こういう合理的な少数派民族と「今日を幸せに生きる事が一番大切なのだ」と考えている大多数派の民族が出会うと、大変な文化的摩擦が生まれる。 多くの民族は「お金を得る為には努力が必要だ」という考え自体に納得しない。 貰える物はタダでもらう。 努力の必要なものは極力遠ざける。

このコミュニティーにもいるであろう、イサーン人に家を買い与えたらあっさり売り飛ばされて兄弟に分け与えられてしまった人が。 お金とは怨念だ。汗と努力の結晶である。 お金を捨てるということは、その人がその怨念をすべて引き受けることと等価である。 楽天的な民族は怨念という概念自体が理解できない。 楽天的な人はお金を貰いつづけ、使いつづけ、努力家はお金を渡しつづけ、働きつづける。 これは大変な不平等である。

多民族国家では、恐ろしいことに、この不平等が国全体の構造として成立してしまうのである。 これは国民全員がフリーライダーの様な物だ。 このフリーライダーを養うために、国民の「責任ある10%」が悪戦苦闘する。 不平等を嘆くことも出来ない。 ひたすらジッと我慢して働く。 こんなところに民主主義が入ってきたらどうなるか。 ひたすら働きつづけて養い続けているのに自分の意見はまったく通らない。 無責任に勝手な事ばかり言われる。 「ふざけるな!」である。 多民族国家とは「道楽息子」とのバトルの歴史である。

アメリカ(やイギリス)はそういう事情を知っている。国を民主化すれば国が迷走する。 そこにプロパガンダを吹き込むことで他の国を思い通りにコントロールすることが出来る、という事を知っているのだ。 だから、アメリカ(やイギリス)は民主主義を標榜して、他の国に介入しようとする。 「お前ら、それ、民主主義的じゃねぇ、人権を守れよ!」と言って正義を振りかざす。 これは一見正論に見えるところが怖いのだ。 人は間違った方向に一気に動き出してしまう。

例えば、タイで責任持って国を動かしている人なんで国民の10%程度しかいない。 こういう中で「人権だ」「民主主義だ」といって選挙をやれば、責任ある10%の意見は無視されて、残りの90%の意見がまかり通ってしまう。 責任ある10%は非常に立場が弱いのである。 ましてや「貧富の差を是正せよ」とかいう意見には滅法弱い。 しかし残りの無責任群団の90%に国を任せたら、国は破滅するのである。

これは大変な矛盾だ。 だけど多民族国家では決して避けて通ることが出来ない、重い持病なのだ。 恵まれた環境に生まれた日本人は「多民族国家の苦労」を知らない。 日本人はほぼ考え方が日本人で統一されている、そんな文化衝突と無縁な、島国の日本に生まれたことを感謝すべきだ。



僕の想像でしかないけど。 おそらくそのカメラマン、デモ衝突の中でバチバチ写真を撮っていたのではないだろうか。

政治家(アピシット)にとって、タクシンに扇動されたデモ隊を制圧するのは、汚い仕事だ。やりたくない仕事である。 時として人死にが出る事もある。 だが経済損失などを睨むともう今すぐにでもやらなければいけない仕事だ。(※)

これは、国が「ウンコ」をしている所なのである。 ウンコをするのは汚いことだが、ウンコをしなければ健康は損なわれる。 デモ衝突制圧の瞬間の写真をバチバチと撮っているということは、ウンコをしているところをバチバチ写真を撮っていることと同じなのである。

もしも人を殺しているところを写真に撮られて、国際社会に報道されたら、国の破滅だ。 アメリカなどにつけ込まれて「人権」「人権」と騒がれたら、なすすべもなくしたがうしかない。 タイは国家主権を賭けて制圧している場面を隠さなければいけない。 人を殺しても、である。 ここで殺さなければ、今後ひょっとすると更に何万人もの人が死ぬことになるかもしれないのである。

いや、ひょっとしたらアピシットを失脚させるために、わざとやったという線も考えられる。デモ隊の制圧中に日本人が死んだとなれば、これはアピシットの大失敗という話になる。 アピシットを失脚させるに充分な理由となる。 用済みになったアピシットを追い落とす為に、どさくさの中で軍部が意図的に日本人を射殺するということはあるだろう。

パチパチ写真を撮る人は、殺されて当然とも言える。 日本人は、外国に行ったら、あまりパチパチ写真を撮らないことである。


(※:この騒動は、軍部にいるタイ族が、強大になってコントロール出来なくなった客家系のタクシンを追い出すために、元々客家人と敵対関係にあった潮州人を扇動している為に起こっている。 軍部や警察の上層にいるタイ族は、出て行ってタクシンに扇動されて踊らされている赤シャツをやっつけたくて仕方がないだろうが、そのまま出ていくと角がたつので、アピシット(潮州人)に出動を命じさせることで、「仕方なく出動する」形をとらせようとするのだろう。 アピシットは首相だがアピシット自身は「操り人形」と揶揄されるほどに発言力がない。出ていきたいと考えているのは軍部・警察の上層部で、アピシットに軍・警察の出動命令を出させるのも上層部に他ならないだろうが、アピシットが出動命令を出したという形を取る以上、デモ制圧によって出た人死にの責任はアピシットになすりつけられるので、一石二鳥だ。 他力本願。 この国は王様すらタイ人じゃない。 王族すら何度も暗殺されている。 大変な国だと思う。 ※2)

(※2:タイで色々話を聞いてると、実は都心の知識層を中心にしてかなり王様に不満が高まってる事に気が付く。 小声で「この国は王様の決断が良くないから良くならないんだ」ということを言う人をしばしば見かける。 本当はタイという国の実権を握っているのはすべて軍部(タイ族)なのだ。 だが軍部が国を制圧しているというと国内はもちろん国際社会の中で角がたつ。 タイ族は敢えて軍とは別動の王様を立てることで、しかも特にタイ族じゃなく華僑系の王様をたてることで、経済の実権を握る華僑の不満をそらしているんだろう。 こうすることでタイ族は他の民族に気が付かれない様に、こっそりと自分たちの都合の良いように国の舵を切ることが出来る。 王様に対する不満が高まっているが、これは本来タイ族に向かうべき不満だったわけで、タイ族にしてみれば、してやったり思った通りである。 タイ人の90%はタイ族じゃないタイという国ならではの政治技である。 相手の力を以って相手を倒す、政治的背負い投げである。)


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(追記)
2010年04月11日 17:52

よせばいいのに newsclip の記事を読んでしまった...
http://www.newsclip.be/news/2010411_027202.html

(引用)

□背景に民族差別、経済格差

 UDDの反政府集会の参加者の多くはタクシン政権(2001―2006年)のばらまき政策の恩恵を受けた東北部、北部の農民で、農閑期に合わせ、UDDに動員された。東北部は隣国ラオスと文化的、民族的に近いとされ、差別を受けてきた地域で、経済発展がタイで最も遅れている。タイの各地方の中で最も人口が多いが、例えば、テレビドラマの役者は色白の中国系バンコク都民が大半で、色黒の東北人を目にすることは少ない。東北部からバンコクへの出稼ぎ者も多く、UDDの集会の動員力につながっている。

 東北などの地方住民、都市部の貧困層の支持を得たタクシン派政党は2001年、2005年、2006年、2007年の総選挙でいずれも単独過半数もしくは第1党となった。しかし、2005年以降は軍事クーデター、裁判所による選挙の無効化と与党解党などで、その都度政権から引きずり降ろされている。

 一連の政争は、政官軍財界に張り巡らした人的ネットワークで国家を動かす伝統的な支配階級と、その権力・権威に挑戦した華人新興財閥(タクシン氏)の権力闘争とみられるが、ここへ来て、民族的、階級的な差別、経済格差と、支配階級の非民主的体質という問題がクローズアップされていた。UDD幹部は集会で、支配階級の象徴であるプレム枢密院議長(元首相、元陸軍司令官)が行政、司法、立法、財界を背後から操っていると非難。タクシン派のアピワン下院副議長(退役陸軍大佐)は「プレム議長は支配階級のエリート官僚と軍人による支配が国家開発を速めると考えていて、それが議長の愛国心だ。しかし私は民主主義が国家の発展の基だと思う」と、直接的な言葉で現状を言い表していた。

 プレム議長は1980年から1988年にかけ、プミポン国王、軍、政党の支持を受け、非議員のまま首相を務め、プレム政権は「半分の民主主義」と呼ばれた。タイには長期の懲役刑を科す不敬罪があり、国王、王妃、王位継承者の批判は禁じられている。

(引用終わり)

いや、やっぱ読むと腹立つなぁ... 読むと「ぜんぜんちゃうやろー」という気がする。 しかし、タイでこれだけ長い間取材を続けているのに、何でこれくらいの洞察しかないんだろう。 何でこれ程度の偏見しか持てないんだろうか...

「東北部は隣国ラオスと文化的、民族的に近いとされ、差別を受けてきた地域で、経済発展がタイで最も遅れている。」ってね。 つかね。 バンコクしか住んだことないから、こう思うんだよな。 バンコクから出たら、実際どこも田舎でイサーンも他の地域もどこも大差ない。 東北が得に経済発展が遅れているということはない。 しかもイサーンであっても県の中央部・市内は華僑が強い。 その為にバンコク顔負けの経済発展している地域もある。

「タイの各地方の中で最も人口が多いが、例えば、テレビドラマの役者は色白の中国系バンコク都民が大半で、色黒の東北人を目にすることは少ない。」ってね。 つかね。 最近、3チャンとか7チャンとかで、バーンナーカフェとか、アチャーンバンノーク とか、イサーンをテーマにしたドラマが増えているの、無視かよ。 これらは僕から見るとあるひとつのプロパガンダなのだと思う。 イサーン人(ラオ族)に対する偏見や差別を打ち消して融和を演出しているのだ。 こういうところから、 経済の実権を握っている華僑やタイ族すらも国内情勢を安定させるので必死で、差別なんてノンキなこといってられない事情が浮かび上がってる。

パンケーキが主演のブワンラーイパイラックでは、パンケーキが田舎に行って田舎の結婚式をあげて田舎のご飯を食べて、意外と田舎暮らし、悪くないね!というオチで綺麗に終了しているエピソードとかがある。

最近流行してるアジノモトの宣伝...「ロットウマミ」の宣伝が変わった。 前は「1・2・3・4ロッウマミ!」連呼のゴリ押しの宣伝だった。タイで「ウマ味」という日本語を定着させた、すごい強烈なパワーのコマーシャルだった。 近所の子供ですら「ウマ味」という言葉を覚えて、日本人である僕に意味を聞いてきたりする。

それが最近変わった。 掛け声が 「1・2・3・4 ロッ ヌアー!」に変わった。 ロッヌアっつーのは、ラオ語でソムタムのコクのあるうま味の事を言う。 ポンランサオーンでララが、おいしいソムタムを食べてギャグで「ヌーアヌア」っていったりするので、 この「ヌアヌア」はバンコク人の間でも有名な言葉だ。 だから、「ヌアヌア」っていえば、ラオのことだってすぐわかるし、だから、これも多分、ドラマとかでイサーンネタが増えているのと連動しているんだと思う。

こういうのを見ていると、タイで実権を握っている人が、国内情勢の安定化を狙って必死に火消しをしているんだろうなぁ、という事を感じる。

newsclip の記者にはそういう微妙な心理の変化が見えないんだろうか。

(追記2) ==================================

ジャコビさんの質問
2010年04月11日 23:34

タイ民族は10%でも、国名としてタイという言葉が使われている所以は、国王がタイ民族だから?タイの人は国王に絶大な敬意を払うようだけれど、他の民族も国王を支持しているのでしょうか。


おかあつの返答
2010年04月12日 01:51

タイに住んでる人はみな自分がタイ人だと信じています。 僕がこういう話をするとタイの人は大体激怒します。

タイでは毎日タイに住む色々な民族の映像(ラオ人とか北部チェンマイ人とか南部のマレー人とか)を流しながら「我々はみなタイ人なんだから仲良くして助け合いましょう」というコマーシャルが流れます。 毎日1時間、タイの国王がどういう事をしたのか、どんなに素晴らしい人格者で、どんなにタイという国を愛しているのか、ということを切々と説明する番組が放送されます。 朝8時と夕方6時には街角で国家が放送されます。 国家が流れている間は立ち止まって敬意を表す必要があります。 映画館で映画が始まる前も同様です。 そして学校で自分たちはみなタイ人だという事を習って、タイ語を勉強します。(みんなネイティブでは違う言葉を話すからです) だから、みんな自分たちはタイ人だと固く信じています。

でもこれは飽くまでも建前で、本当は中はたくさんの、違う言葉を話し、違うお祭りをして、違う生活習慣があり、違う性格をして、違う価値観を持っている、全然違う民族の集まりです。 例えばイサーン人って一言で言いますが、イサーン人にはラオ人とクメール人とスワイ人というのがいて、それぞれ全然違う文化を持ってます。 で、それぞれ、意外と仲が悪いです。

だいたい、仲がよかったらこんなコマーシャル流さないのです。 仲が悪いからこそ、必死でこういうコマーシャル流すのです。

これは内緒の話なんですが、タイの国王すらタイ民族じゃないのです。 中華系の出身です。 王族は、一応王族とされていますが、タイのエリート層(軍部や警察の上層部)の趣向に合わない人は暗殺されたりします。 こうやって書いてしまえば実に普通に見えますが、これはタイではタブー中のタブーで、こういう事を公共の場所で言うと「王室不敬罪」と言って普通に警察に逮捕されます。

でも、はっきりいって、こういう事を言い出すとキリがないのです。 みんな仲が悪いことなんて、わかりきったことなのです。 みんながわがままを言えば、国はバラバラになります。 国家に反逆する人はタイで暮らしていけませんが、それ以上にこれではタイという国自体が成立しません。 これは、タイに住む以上、絶対に守らないといけないルールです。

言葉にすればこういう事ですが、多かれ少なかれ、タイに住む人ならみんな薄々は気が付いている事です。 みんな口には出しませんが。

「国民としてタイ人」と言う場合と「民族としてタイ人」と言う場合とまったく意味が違いますが、これを意図的に混同して使っているのです。 だから僕は「タイ人」っていう言葉を使うのが嫌いです。本質を見失わせる言葉だからです。




>タイ民族は10%でも、国名としてタイという言葉が使われている所以

それはタイが一番強い国だったからです。 タイ民族がバンコクに作った国シャムを核にして、ラーンサーン王国とか、ラーンナー王国とかビエンチャンの王国とか、いっぱいあった周辺の王国がタイと戦争して負けたり勝手につぶれたりして、タイに併合して出来上がったのがタイだからです。(ちと間違ってるかも知れませんが、大筋そういうことです。)

タイ民族って政治的に極めてしたたかで、無敵かつ無敗です。 東南アジアに攻め入った日本軍すら素通りさせる勢いです。
コメント一覧
[1]   おかあつ   2010年04月13日 11:01
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http://www.newsclip.be/news/2010411_027202.htmlから引用 ...
> 例えば、テレビドラマの役者は色白の中国系バンコク都民が大半で、色黒の東北人を目にすることは少ない。

本当にイサーン人って色黒だろうか。 例えばこのビデオを見てもわかるけど、イサーンの人って色白な人が意外といる。僕が実際にそこに住んで半分ぐらいが色白だと感じる。 この人たちは同じく色白な華僑の人達とも顔が違う。 平らな目をした華僑と違って、目元がかなり深くくぼんでいる。

そもそも東北人=イサーン人という言い方自体がとてもステレオタイプ的な言葉だ。 実際にはその中はラオ・クメール・スワイのみっつのまったく違う文化を持った民族がいるのに、それをゴチャマゼにした言い方だ。

一般的にイサーン人と言うとラオ人の事をさすことが多いが、じゃぁラオが色黒かというと、実はそうでもない。 実はラオ系の人は色白の人が結構いる。 コンケン・ウドン・ノンカイとビエンチャンに近づけば近づくほど色白な人の確率があがる様に思う。
 
出展 2010年04月12日 08:40 『「デモ衝突で日本人が死亡」について』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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