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2010年1月20日水曜日

昨日の話 (mixi05-u459989-201001201351)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
昨日の話
2010年01月20日13:51
昨日、懇意にしてるビルの管理人さん=コテコテのイサーン出身の人に、相談をしてみた。 これこれこういう問題が起きているのだけど、それは本当に普通か、という様な話を聞いてみた。 そうしたら、「それは間違ってる。それはまったく普通ではない。」という返事を得られた。 どうすればいいと思うか聞いてみたところ、こちらも、僕が思っている事とほぼ同じ答えが得られた。

つまり、これまで僕が書いてきたことは、イサーンでもあまり普通ではない、という結論にもなりうる。 しかし、この普通が、僕が住んでいる村で、通じるか。 多分、通じない。

ただ、こういう現実的な問題を田舎の人に説明してもわかってくれないということも事実で、それも認めていた。 つまり、それに対抗して色々と準備する必要もあるらしい。 例えば、田舎で栽培が失敗して赤字になったら、まったく助けないのは良くないが、かといって100%助けてしまうのもよくない、というアドバイスをもらった。 これは僕が思うに、お金がないからということもあるだろうけど、加えて100%助けてしまうと痛みを覚えずにまた同じ事を繰り返してしまうから、という意味合いもあるのだと思う。 こうやってある程度責任を分担しあうのだろう。


あと、配偶者と通帳を分けない方がいい、というアドバイスももらった。 通帳を作るときは、必ず連名で作って、両方のサインがないとお金が引き出せない様にしろ、という。 こうしないと、配偶者がひたすら黙って親を援助し続けてしまう場合がある。 これをやられると、自分達の生活がズタズタになってしまう。 タイ人は、これに対して、連名の通帳を作ることによってストップをかけるらしい。 また、このアドバイスは、バンコクの友達からもらったアドバイスとも一致する。



というか、今まで僕が聞いた人(バンコク人・イサーン人含めて)のほとんどが「それは普通じゃない」という同意を得られている。 僕が思っている事は、タイでもさほど変ではない。 僕がいる村はほとんどラオスなのだけど、ビエンチャンに言って聞いてみれば、やっぱりこれも「普通じゃない」という答えが返ってくる。

じゃぁ、何なのか。 別にみんなウソを言っている訳では決してなさそうだし、そこに何の違いがあるのか、僕はうまく見極められない。


ひょっとしたら「都会の風」に吹かれたことがあるかないか、という事なのかなぁ。
村の人って、本当に村の人としか話したことがない人ばかりだからな...。

コメント一覧
ちえぞう   2010年01月20日 14:46
日本とタイでの違いは勿論あるでしょうが、田舎と都会の人間の生活感って明らかに違いますよね。
自分は池袋には徒歩で新宿や銀座にもチャリで(さすがにしんどかったですけど)移動できるような環境で育ち、渋谷目黒周辺で20代のほとんどを過ごしているので、田舎の人間の感覚は正直言ってわかりません。
でも自分がそう思っているように、田舎の人間も街の人間のことは理解できないのでしょうね。。。
村社会での生き方って、理屈よりも正論よりも年長者の意見が尊重されるイメージです。
自分は正しいことは正しいし、年長者にも間違っていることは間違っていると言いたくなる性分なので村的環境に向いていない気がします。
村っていうか、集団生活が向いてないんですけどね。
だから山吹だったわけです(笑
おかあつ   2010年01月20日 15:15
>日本とタイでの違いは勿論あるでしょうが、田舎と都会の人間の生活感って明らかに違いますよね。

そう、そうなんだよね。

よく、タイ人は適当でああだこうだ、と文句ばかり言っている日本人居るけど、タイ人って適当かな。 いやーーそんなことないよね。 特にバンコクに居る人は日本人ばりにきっちり仕事しているし、ヨーロッパの玄関って言うぐらいで国は開かれているし、経済は東南アジア一位を誇るし。 タイの人もバンコクは都会の人だからね。 東京の人と変わらない、と見ること出来る。 東京の人並みに冷たいところもあるしね。

僕も間違っている事は間違っている、と言いたくなるたちで、それなのに、何でこういう村社会の中に溶け込もうとしているのか、よくわからないです。

==

何かね、田舎の人って人間関係が「合気道」なんだよね。 相手の言うことには絶対に逆らわないで、相手が言ったことを全部肯定する。 そうやって相手の勢いを殺さず、他の方向に逃してしまった上で、自分が思っている事は別にあって、そっちは絶対に曲げないんだよね。

これって、合気道の試合みたいなものだよね。

相手が「こりゃまずい」と思うことをし始めたら、こっちの足場をきちんと固めて力点を固定した上で、かつ、相手が技をかけてくるのを待って、投げるようにしないとね。

こっちから技をかけると、大抵投げ飛ばされて終わるだけでね。
あび   2010年01月20日 15:58
なぜ、おかあつさんが、今、イサーンの村社会に溶け込もうとしているのか?その背景と経緯に興味がありますね。少なくともタイでプログラムを書いているだけではないのは確かだろう。。。
sk@万年崖っぷち   2010年01月20日 16:12
それは日本の田舎と都会に通じるものがあると思いますよ

田舎から上京してきた人は都会は冷たいという、彼らにはそれが普通じゃないわけだからそう感じる

でも東京と田舎は同じ日本であって、国を違えてないからその環境に割と順応出来るんでしょうね

国が違えば文化風習、価値観が変わるし、それに加えて住まう環境が変わるならきっとその感覚は日本人の俺からしたら異常なのかもしれません

俺の価値観の近さで言えば

東京>日本の田舎>外国の都会>外国の田舎

なんだと思います
おかあつ   2010年01月20日 16:24
>なぜ、おかあつさんが、今、イサーンの村社会に溶け込もうとしているのか?

前、ドイツに旅行に行ったときもそうだし、アメリカに語学留学に行ったときなんかも思ったけど、実に色々な事に矛盾がなくてすっきりして、何て居心地のいい場所なんだろうと思ったことがあった。

なのに、何でだろうね。 日本よりアジア的だからかもしれない。 人間関係が日本よりもずっとわかりやすくはっきりとアジアっぽくて、かつ、日本でも通用するスキルなんだ、ということを無意識の内に感じているからなのかもしれない。 日本で人間関係苦手だったからね。

それに、「本音は非論理である」ということが、西洋では見づらくなっているだけで、実は、西洋もアジアと同じなんじゃないか、という気もしている。

さてなぁ...。
 
出展 2010年01月20日13:51 『昨日の話』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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