今日の出来事
2009年12月25日07:47
引越しをするので、今日は荷造りして郵便局に行った。 本の入った重たい箱をトゥクトゥクに乗っけて郵便局まで持っていって三階の受付まで持ち上げたりしていたら結構つかれてしまった。 終わってすこし休んでから出かけて食事をした。
アソーク駅のそばにある人気のまばらなサブウェイ(サンドイッチ屋)は24時間営業だしコンセントがある。 ここに行ってしばらくプログラミを書いた。 そのあと例によってアラブ街にいって水タバコを吸った。 水タバコ屋でもプログラムを書いた。
水タバコ屋に居たらハデなかっこのあまり見たことが無い顔つきをした色白の女の人が何人かいて大騒ぎしていた。 アラブ語みたいな言葉を話していた。 この人たちはなんだろうなぁと思った。 狭くて大混雑の水タバコ屋の中、その女の人のひとりが僕のカバンでつまづいた。 大丈夫ですか? とジェスチャーしたらそれが意外と通じて、ニッコリ笑顔になった。
そうしたらその状況を見ていたとなりのおじさんが英語で話しかけてきた。 聞けばイランの人で韓国でビジネスをやっているという。 韓国語が話せるんだそうだ。 外国の人と話すのがやぶさかでないタイプの人みたいだった。 何かパトゥーナームでレストランをやっているそうで、水タバコも出しているということで、今度遊びにいくという約束をした。
この人は何語を話すのか興味があったので、聞いてみた。 その時、うっかり「アラブ語を話すんですか?」と聞いてしまった。 実はペルシャ語を話すんだそうだ。 知っている人は知っているのかもしれないけど、僕は知らなかった。 イラク・カタール・エジプト...という国ではアラブ語を話すのだそうだけど、イランだけペルシャ語なんだそうだ。 これが僕には結構ショックだった。 奥が深いと思った。
で、その人はたくさん言葉を話す人で、ペルシャ語、韓国語と英語の他、トルコ語・コディッシュ語を話すという事で全部で5つの言葉をしゃべるんだそうだ。 すごい事だと思った。
で、コディッシュ語というのが何だかわからなかった。 うしろの色白の女の人たちがコディッシュだという事を言っていた。 すぐに頭が回らなくて理解出来なかったのだけど、あとでよく考えてみたら、(多分)クルド語の事じゃないかと思った。 この人たち、クルド人なのだ。 多分。 田中ニュースでクルドのことがよくでてくるけど、実際に見るのは初めてだった。
タイもそうだけど、民族の住む地域別と実際の国家の境目が一致してない。 しかも各民族間で、言葉も文化もまったく違う人たちがゴチャマゼになって住んでいるというのは、島国育ちの僕からみると何とも不思議だった。 でも、世界的に見てこういう国の方こそ普通で、日本みたいな国中ほぼ同じ言葉を話す国の方がずっと珍しいのだと思う。 それをきちんと理解することは僕みたいな人間にはとても重要な事だと思った。
◇
先日Pさんの紹介でTさんと出会った。 Tさんは、僕が知るかぎりもっともタイを適切に理解している人だと思った。 Tさんはイサーン語も理解している。(というかイサーン語というのはものすごく学習が難しい言葉なので、外人で本当にネイティブレベルできちんと理解できる人というのは、ほぼ存在しないのだけど...)
それで、興奮して10時間近く日本語で語り合った。実に充実した時間だった。
で、今日になったら、タイ語がなんだかつっかえつっかえでしか話せなくなっている事に気がついた。 イサーンにいてずっと日本語を話さないで生活しているときに、突然日本語を話すときなんかに、日本語がつっかえつっかえになることがたまにある。 だけど、日本語は僕に取ってはネイティブ言語で、そういう問題からはわりとすぐに回復する。 だけど、タイ語はネイティブじゃないので、いちどつっかえつっかえ病になると、これがなかなか回復しない。
英語はほとんど話す機会が無いので、年がら年中つっかえつっかえ病だ。 そんな英語も一週間ぐらい話しているとつっかえつっかえ病から回復してくる。 ラオス語もそんなかんじか。
◇
ところで、僕はプログラムを組んでいると、すべての言語がつっかえつっかえ病になる。 プログラムを組むときは、そういう集中の仕方がどうしても必要だと思う。
で、この集中の仕方をタイの人たちは知らない。 日本人はタイ人よりは知っていると僕は思う。 で、頭の中を全部タイ語に切り替えてしまうと、僕の頭の中で起こっている事をすべて言語化する事がすごく難しくなる。 タイ語というのはそういう言葉なのだと思う。タイ語は心象や関係を表す言葉が豊富な半面、論理性や具体性を表現する言葉がすごく少ない。
もともとは心の動きを表すことに長けたアジアの曖昧な言語の上に外国語をたくさん輸入しドーピングしてしまった日本語みたいに抽象的な事を正確に表すことが出来ない。
一方ラオス語はもっと抽象性が低い。 だけど、ラオス語には僕がジャズを演奏するときに感じるような事柄をドンピシャで表すような表現がたくさんある。 こちらはこちらで、僕にはすごくフィットする感じがする。 タイ語は僕に取って何か中途半端だ。
英語は英語で、ものすごく具体性が高い言語で、頭を英語に切り替えると色々なことをはっきりさせることができる。 半面、こちらは心象を表す言葉がすごく少ないので、こちらはこちらで、違和感が残る。
そんな偉そうなことをいってるが、どれもこれもきちんと話せないわけだけど。
アソーク駅のそばにある人気のまばらなサブウェイ(サンドイッチ屋)は24時間営業だしコンセントがある。 ここに行ってしばらくプログラミを書いた。 そのあと例によってアラブ街にいって水タバコを吸った。 水タバコ屋でもプログラムを書いた。
水タバコ屋に居たらハデなかっこのあまり見たことが無い顔つきをした色白の女の人が何人かいて大騒ぎしていた。 アラブ語みたいな言葉を話していた。 この人たちはなんだろうなぁと思った。 狭くて大混雑の水タバコ屋の中、その女の人のひとりが僕のカバンでつまづいた。 大丈夫ですか? とジェスチャーしたらそれが意外と通じて、ニッコリ笑顔になった。
そうしたらその状況を見ていたとなりのおじさんが英語で話しかけてきた。 聞けばイランの人で韓国でビジネスをやっているという。 韓国語が話せるんだそうだ。 外国の人と話すのがやぶさかでないタイプの人みたいだった。 何かパトゥーナームでレストランをやっているそうで、水タバコも出しているということで、今度遊びにいくという約束をした。
この人は何語を話すのか興味があったので、聞いてみた。 その時、うっかり「アラブ語を話すんですか?」と聞いてしまった。 実はペルシャ語を話すんだそうだ。 知っている人は知っているのかもしれないけど、僕は知らなかった。 イラク・カタール・エジプト...という国ではアラブ語を話すのだそうだけど、イランだけペルシャ語なんだそうだ。 これが僕には結構ショックだった。 奥が深いと思った。
で、その人はたくさん言葉を話す人で、ペルシャ語、韓国語と英語の他、トルコ語・コディッシュ語を話すという事で全部で5つの言葉をしゃべるんだそうだ。 すごい事だと思った。
で、コディッシュ語というのが何だかわからなかった。 うしろの色白の女の人たちがコディッシュだという事を言っていた。 すぐに頭が回らなくて理解出来なかったのだけど、あとでよく考えてみたら、(多分)クルド語の事じゃないかと思った。 この人たち、クルド人なのだ。 多分。 田中ニュースでクルドのことがよくでてくるけど、実際に見るのは初めてだった。
タイもそうだけど、民族の住む地域別と実際の国家の境目が一致してない。 しかも各民族間で、言葉も文化もまったく違う人たちがゴチャマゼになって住んでいるというのは、島国育ちの僕からみると何とも不思議だった。 でも、世界的に見てこういう国の方こそ普通で、日本みたいな国中ほぼ同じ言葉を話す国の方がずっと珍しいのだと思う。 それをきちんと理解することは僕みたいな人間にはとても重要な事だと思った。
◇
先日Pさんの紹介でTさんと出会った。 Tさんは、僕が知るかぎりもっともタイを適切に理解している人だと思った。 Tさんはイサーン語も理解している。(というかイサーン語というのはものすごく学習が難しい言葉なので、外人で本当にネイティブレベルできちんと理解できる人というのは、ほぼ存在しないのだけど...)
それで、興奮して10時間近く日本語で語り合った。実に充実した時間だった。
で、今日になったら、タイ語がなんだかつっかえつっかえでしか話せなくなっている事に気がついた。 イサーンにいてずっと日本語を話さないで生活しているときに、突然日本語を話すときなんかに、日本語がつっかえつっかえになることがたまにある。 だけど、日本語は僕に取ってはネイティブ言語で、そういう問題からはわりとすぐに回復する。 だけど、タイ語はネイティブじゃないので、いちどつっかえつっかえ病になると、これがなかなか回復しない。
英語はほとんど話す機会が無いので、年がら年中つっかえつっかえ病だ。 そんな英語も一週間ぐらい話しているとつっかえつっかえ病から回復してくる。 ラオス語もそんなかんじか。
◇
ところで、僕はプログラムを組んでいると、すべての言語がつっかえつっかえ病になる。 プログラムを組むときは、そういう集中の仕方がどうしても必要だと思う。
で、この集中の仕方をタイの人たちは知らない。 日本人はタイ人よりは知っていると僕は思う。 で、頭の中を全部タイ語に切り替えてしまうと、僕の頭の中で起こっている事をすべて言語化する事がすごく難しくなる。 タイ語というのはそういう言葉なのだと思う。タイ語は心象や関係を表す言葉が豊富な半面、論理性や具体性を表現する言葉がすごく少ない。
もともとは心の動きを表すことに長けたアジアの曖昧な言語の上に外国語をたくさん輸入しドーピングしてしまった日本語みたいに抽象的な事を正確に表すことが出来ない。
一方ラオス語はもっと抽象性が低い。 だけど、ラオス語には僕がジャズを演奏するときに感じるような事柄をドンピシャで表すような表現がたくさんある。 こちらはこちらで、僕にはすごくフィットする感じがする。 タイ語は僕に取って何か中途半端だ。
英語は英語で、ものすごく具体性が高い言語で、頭を英語に切り替えると色々なことをはっきりさせることができる。 半面、こちらは心象を表す言葉がすごく少ないので、こちらはこちらで、違和感が残る。
そんな偉そうなことをいってるが、どれもこれもきちんと話せないわけだけど。
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