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2009年8月25日火曜日

格差の何が悪いのか (mixi05-u459989-200908250523)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
格差の何が悪いのか
2009年08月25日05:23
格差って本当にあるのだろうか。 格差という言葉自体がウソではないのか。

以下、格差という言葉にまつわる曖昧さについて考えてみる。

◇ (序章)日本のプロパガンダについて

(注:プロパガンダというのは、政治を運営する物が、特定の隠れた目的を実現する為に、意図的に偏った情報を宣伝することだ。 宣伝には、人々からもっとも信用されている機関である報道が使われる。 海外で一般的だが日本にはまったく存在しないと信じられているがそんなことは決してない。 それをここで説明したい。)

何か選挙を前にして、前代未聞のすごい舌戦になっている様な気がする。 だけど、議論を聞いていると、格差がどうかとか、幸せの基準がどうとか、何か本質と大きくかけ離れたところで議論がすすんでいる様に感じる。

僕はタイにいて、日本から離れて日本語を一切喋ることなく生活している。 そういう中にいて、僕は思うけど、今の日本の問題の本質は、格差でも不況でも何でもなくて、単に日本が没落していることだと思う。 格差が広がったとか、不況はいつ終わるのかという話は、日本が没落しているという現実から目をそらさせるためのブラフでしかない。

最近、自民党を応援する報道、民主党を応援する報道が分裂して錯綜している。 見てると頭がクラクラしてくる。



今の日本には、明らかに「麻生バッシング」というものある。 これをやる派閥(多くは民間の報道機関)は、麻生がやったまずいことばかりを探してことさら強調して報道している。過剰に誇張している面は少なからずある。

特にこの麻生首相に関しての報道は非常に恣意的な物がある。 麻生の口の悪さを逆手にとって話の全体の中でのほんの少しのまずい点だけを強調して取り上げた上で、誇張して批判している面がかなりみられる。 この報道の仕方はかなり恣意的といえる。

麻生に関してしばしば「話の全体を知らずに」という反論が出てくるのは、麻生支持者(多くは今の少数派である10~20代の若者)がそういう麻生バッシングを苦々しい思いで見ており、反論の術もないという状況から飛び出てくる言葉ではないだろうか。

物事に善悪はない。 ゴキブリは悪い虫だろうか。 ゴキブリにとっては悪い虫はきっと人間の方だろう。 善悪というのは単に利害関係を言い表す為の感情的な方法に過ぎない。 人がすることに対して「悪い虫」と同じような観点を持ち込んではいけない。

唯一関係することは、その政治家が自分の利権を代表しているか、そうでないかしかない。 そこに善悪の概念を持ち込むのは、適切でない。

しかし、敵は、そこに善悪の概念を意図的に持ち込むことにより、混乱させようとする。 混乱させて、その人自身の利権を代表していない者を選ばせようとする。敵は、我々に、自らババヌキのババを引かせるよう、いつも口八丁手八丁で仕掛けてくる。 これがこの舌戦の本質だ。 惑わされてはいけない。

麻生は今の日本で唯一と言っていい、少子化後の世代の利権を主張できる政治家だ。 若者の利権を代表する政治家というのは、これまでひとりもいなかったと思う。 そういう意味で麻生氏は極めて貴重な存在だと思う。



意見の伝わり方に極端な偏りがあるなかで、その意見について議論するのは、あまり健全ではないと思う。 話の内容が正論かどうかは、この際あまり関係がない。 意見の詳細に踏み込めば踏み込むほど、本質が見えなくなってくる。 話の詳細に踏み込まず、その偏り方を観察する事で、どういう利権が動いているのかを観察しなければいけない。 その上で、その利権が自分の利権とどうかかわっているのかを考える必要がある。

ほとんどの人は民主党と自民党という二者選択の中で本質を見失っている。 これは人を混乱させようとするときの典型的な手法と言える。 「自民か・それとも民主か」といった様に、人に限られた数の選択肢を与えて、それがすべてだと信じさせた上で、その中で考えさせ、その中で自由に選択していると錯覚させるというのは、人々を特定の人間の意図どおりにコントロールするためのひとつの方法だ。 最近の日本の報道は、その点で極めて典型的だと思う。

今の問題の本質は日本全体が没落している事だ。 格差が広がっている事では決してない。日本全体が没落している事に日本が気がついてしまうと、政権交代がスムーズに進まなくなってしまうから、それを意図的に隠しているのだろう。だから報道が本当の事を言うことはないと思う。むしろ経済が停滞する事で苦しんでいる人のきもちを逆撫でするようなことばかり報道するのが自然だろう。 その方が本質に目を向けられずに済むからだ。

これまでの、冷戦体制を維持することだけを最優先にして国益を考える自民党では、中国を中心とした自立したアジアの体制に移っていくことは出来ない、と何かが判断したのだと僕には思える。

小沢はしばらくまえ「アメリカ追従を辞めよう」と発言した。しかしその後、瞬間的にスキャンダルをでっち上げられて潰された。民主党はもともとアメリカ追従に距離をとっているが、その頃はまだ冷戦構造を維持しようとする派閥が強かったと感じられる。 しかし最近は反冷戦的な民主党が何かから支援を受けて力をつけているような感じがどうもしてくる。

しかし、日本って、こうやってみると、プロパガンダ漬けだ。 日本人はしばしばタイの報道を公平じゃないとバカにするが、日本の報道も、この偏り方では、タイの報道をバカに出来ない。 ネーション紙も、真っ青だ。

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(2)格差について

多分格差っていうのは、規制緩和の有り無しに関わらず、実はかなり昔からあったのだと思う。 「格差」という言葉が使われるようになるまえは、単にバカとかマヌケとかそういう言葉しか使われなかった。

格差という言葉が、「それが格差なのだ」と認識されたのは、格差が出て大分立ってからだと思うし、「格差」という言葉が一般的になった今ですら「格差」という言葉を使う代わりに「負け組」とかそういう婉曲な言い方を好むことが多い。

格差についていくつかいえることがある。

1.格差が格差たりえるのは、そこに競争が働かない事だ。 弱い者でもひたすら勝ちっ放しになったり、強い者なのに負けっぱなしになったりするのは、健康的な事じゃない。

2. 格差は必ずしも問題ではない。 格差が問題として成立するためには、中流から落ちた人の生活が現実的に難しくなる必要がある。

2は若干説明が必要だと思う。 これは例えば、タイを見るといい。 タイは大変な格差がある国だ。 月収15,000円の人から、月収900,000円の人まで、大変な格差がある。 しかし、それは日本ほど問題化していない。 何故だろうか。

月収15,000円の人専用の40円のご飯もあるし、24円のバスが国中を走り回っている。月9000円で充分住めるきちんとしたアパートもある。 だから生活に困窮することはない。 一方で、月収900,000円の人専用の月20万円のプール付き・フィットネス付きアパートもある。望みであればフェラーリやポルシェで移動することも出来る。 金持ちは金持ちなりの生活が出来る。これは、日本など比較にならないほどの極端な格差といえる。

こういう状況のタイに比べてずっと格差が少ない日本なのに、格差が何でここまで問題化するのだろうか。

僕は、その理由は、貧乏が貧乏らしく無理無く生きる権利と自由が無いからではないかと思う。

タイで24円のバスを使ってあちこち遊び回るのは、決して悪い気分ではない。 これを使って生活するのは辛く苦しい生活だ、というわえけではない。 使ってみるとその使い心地は決して悪くない。 確かに24円なりの快適さで、あちこちに不具合や危険がたくさんあるけど、24円なりの羽が生えたような気軽さも持ち合わせている。 それに、40円のご飯は、決してまずいご飯ではない。 一番うまいご飯が一番安いというのは(食い倒れ横丁を引き合いに出すまでもなく)決して珍しいことではない。

日本人は貧しいことは絶対的な悪だと考える節がある。しかし現実的には、貧しいこと自体は必ずしも悪いことではない。

豊かさと責任が表裏一体であるのと同じように、貧しさと気軽さは表裏一体だ。 むしろ貧しい人に無理に背伸びをさせて無理に都会的な生活をさせることこそが、格差を問題化させてしまう根本的な原因なんじゃないかと僕は思う。

ここでも「日本人はみんな同じだという幻想」が働いていると考えられる。 この「日本人はみんな同じだという幻想」というのは、しばしば日本で発生する問題の原因となっているように思う。

◇ ◇

僕は昔から日本人がみな同じだというのは最初からウソだと思っていて、中には在日も居るし、中華系もいるし、ブラジル帰国者もいるし、金持ちも日本人だったり日本人じゃなかったりする。僕は変わった高校に通っていたので、そういう色々な違う人がたくさんいるなかで揉まれていることの方が多かったというのもある。またそういう中の方がずっと居心地が良かった。

僕的には年功序列が壊れたのは良いことだと思う。 僕は貧しかったし大体中卒なので、独学で色々な事をクリアしてる。努力で色々な問題をクリアしてきている。だけど、年功序列というのは、能力の高さ低さに関係せずに一定の地位を与えることを約束しているので、僕がいかに努力して高い能力を身につけていようがそれはまったく無関係で、絶対に中に入れてもらえなかった。

どんなアホでもどんな無能でも月収30万とか40万とか福利厚生付きでもらえるのに、どんなに高い能力を僕が身につけていようが、僕は月収10万円程度しかもらえない。僕は基本的に年功序列が崩れてくれて、実にありがたいと思っている。ボケていて何の危機感も持たない年功序列の中の人は、容赦なく僕を貧乏人扱いして非人間扱いだった。それは彼女とか友達とか信頼している人の両親ですら例外じゃなかったし、彼らは貧乏人は友達や恋人を得る権利は無いのだ、という強烈な教訓も僕にくれた。

そういう人たちが落ちぶれたということに、僕はあまり可哀想だという感想を持たない。 僕は早くに人生を知ったが、彼らはこれから人生を知るだけの話なのだと思う。

それにどんなに高度な問題をクリアしても、給料は一律20万円というのは、実にバカバカしい話だ。 能力が高ければ月収60万円・70万円とそれなりにいい思いをさせてもらえる、というのでないなら、長年の創意工夫の苦労に対してまったく割が合わない。

だから、最初は入れてもらえなかった年功序列の社会も(ほとんど年功序列の社会の中にいた僕の社会生活後半では)入れば入ったで正直わりに合わないとも思っていた。

能力の高いにとっては、社会が厳しくなればなるほど有利になる要素がいくつか存在する。 能力が高い人にとっては、問題が難しければ難しくなるほどどんどん有利になる。



僕は高額所得者はもっと優遇されて良いと思う。 能力の高い人はどんどん優遇されるべきだ。 そうじゃないと、みんな、苦労してまで高いスキルを身につけようとなんか思わない。 みんなやる気がでないもの。

一方で、最初に述べたように、貧乏なら貧乏なりに、努力なんかとは無縁で、人生それなりにノンビリやっていきたいという人には、それなりの人生が許されるべきだと思う。



貧乏なのに、外車を乗り回して家にアクオスがあって...と言うのは決して格差が解決されたという訳ではない、ということに注意する必要がある。 タイの例をすべて日本に応用できるわけでは無いけど、貧乏なら貧乏なりに、100円程度で充分食える食料が提供され、10円程度で充分使える公共バスがあればそれでいい、という視点から何かを学ぶべきだとおもう。

日本というのは極端な高級志向主義で、物価が非常に高く、生活のレベルを落とす事がほとんど不可能に近い。 死にそうなほどの空腹を満たすのに、わざわざ300円の高級ササニシキ・贅沢な燻製サーモンが入ったセブンイレブンのおにぎりを食べる必要は無い。 それよりは10円の梅干しおむすびを30個食べたい。しかしそういう格安なものが日本にはない。 日本で売られている物は、端から端まで極端に高級志向で、生活を安く済ませると言うことがものすごく難しい。 このことが問題の核心ではないか。

格差は悪だ、というのはウソだ。

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(3)格差は悪じゃない

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1260215821&owner_id=459989
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1259966667&owner_id=459989

>派遣労働者社と正社員が同一労働に対して得る収入が余りにも違いすぎます。

何となく思ったのですが、何か、今世の中で言われている「格差」という言葉に色々な異なる意味が混ざっている様な気がしました。

それは優遇と平等の矛盾じゃないかと思います。

何というか、誰かを優遇するということは、誰かを冷遇するということと表裏一体なんじゃないかと思うのです。 長年働いている人間を優遇するということは、短期間しか働いていない人を冷遇することによって差別化するという事なのだと思うのです。

ロックコンサートを開いたとします。 ファンのお客さんみんなからお金をとっているからこそ、友達を無料で招待して喜ばれるわけで、もしもそのロックミュージシャンがファン一人一人を本当に大切にして、全員を無料招待にしたら、友達は「なんだどうせみんな無料なんだろ?」ということで、面白みがなくなってしまいます。 誰かを優遇する為には必ず誰かを冷遇する必要があります。

優遇をするのかしないのか。 優遇するとしたら誰を優遇して誰を優遇しないのか。 そこが問題なのではないでしょうか。

格差をなくすためには、「格差をなくす」という言葉の意味が、優遇をやめるということなのか、それとも優遇はするべきだがもっと違った優遇の基準が必要だという意味なのか、はっきりさせる必要があると思うのです。

すべての人を優遇するというのは、論理的に不可能な事です。 体が不自由な人も、体が丈夫な人も、同じようにあつかう。 優秀な人も、無能な人も同じように扱う。 一時間に製品を10000個つくる事が出来る人も、1時間に製品を10個しか作ることが出来ない人も同じように扱う。 売上を1000万円あげた人も、売上を1万円あげた人も同じように扱う、というのは、本当にいいことでしょうか。 もしそうなったとしたら、ほとんどの人はやる気を失って仕事をしなくなるでしょう。

このようなことから、優遇というのは必要なのだと僕は思います。

問題はおそらく、その優遇の基準がおかしいことだと思います。

派遣労働者社が血のにじむような努力と苦労をしたうえで成果を出しているにもかかわらず、少ない労力で同じような成果しか出していない、時にはより少ない成果しか出していないにも関わらず、優遇されているということは、健康的なことではないと思います。 この基準が間違っているからこそそれが問題なのであって、もしもきちんと成果を出している人が優遇されているなら、それはむしろ喜ばしいことなのではないでしょうか。

優遇と、その基準。 僕的には、これらの点が混同されている事が、とても気になります。



僕が、強調したいのは、不正な優遇をしないということは、愛する人や友達を優遇しないということと表裏一体だ、という事です。

もしも自分で会社を立ち上げたとき、自分が気に入っている人や家族がその会社で働いていたとします。 その時、自分の愛する人が良い成績を出していないとします。 そのそばでもっと良い成績を出している、見ず知らずの他人がいたとします。 その時に、家族に対して何の容赦もなく給与を減らし、その見ず知らずの他人に旨味を与えることができるでしょうか。

日本人はかなり情深い文化を持っています。 例えどんな無能であっても無償に愛を与えたりすることが出来る文化を持っていると僕は思うのです。 どんなに無能でも身内だけは守ろうとする家族を基調とした文化があります。

公正な競争をするということは、つまりそういった日本的な情を捨てるということと表裏一体でもあるような気がするのです。



正社員が優遇されているという事の背景には、おそらく学閥とかそういう家族的な物がからんでいるのではないか、という気がします。 学閥の中にいる人は、学閥間の闘争の中で、必死で利権を確保してきたのではないでしょうか。 彼らが、どこの馬の骨ともわからないような他人に、そうやすやすと利権を渡すわけが無いのです。 まずは身内の利権を守ることを第一に考えるでしょう。 それが自然だと思います。

ここに、競争の優劣と無関係な優遇が生まれる原因があるような気がします。

格差をなくす、ということはどういうことなのでしょうか。 公正な競争なのでしょうか。 それとも弱者を守るということなのでしょうか。 結局これらは、何を優遇するのかという問題に帰着するのではないでしょうか。



僕は、善と悪という基準が嫌いです。 そこには利害関係しかありません。 ゴキブリは悪い虫ですが、ゴキブリにとっては悪い虫は人間の方でしょう。

数学的に見て、善の総量が増え悪の総量が0に近づく、ということはありえないと僕は思うのです。 善が増えれば必ず悪も増えるのだと思います。 善悪の総量が変わったと見るようよりは、人間関係の中での「利権」の位置が変わっただけだと見た方が自然なような気がするのです。



格差社会と呼ばれるようになってひさしいですが、果たして本当に格差は広がっているのでしょうか。 格差が広がったというからには、ある地点に利権が集中している事が観測されてしかるべきです。 日本国内で、どこか特定の場所に利権が集中しているのを見たことがありますでしょうか。

僕は今のところ見たことがありません。 どこもキュウキュウとしているように見えます。 建設業・鉄鋼業・製造業・今まで羽振りが良かったようなソニーとかトヨタとかNTTとかも含め、決して利権が集中して儲かっているが妬まれるのでじっと黙っている、という風ではありません。どこをみても、かなりカツカツな内部事情しか見えてきません。

構造改革によって、本当に格差が広がったのでしょうか。 ひょっとしたら、実は差は縮まっていたという可能性は無いのでしょうか。 正直を言って、僕には、格差が広がったというよりは、日本全体が沈没しているようにしか見えないのです。



本質は、漠然としか見えてきませんが、大体この辺にあるような気がします。
格差をなくすといって政権交代が起こっても、おそらく何も解決しないでしょう。


本来は、日本全体が他国との競争に強くなるような戦略を考える事が必要だった筈です。 その為には、有能な人・生産性が高い人を手厚く優遇する必要があるでしょう。 無能な人・生産性が低い人はどんどん脱落していく様な、健全な競争が実現する様にする必要もあるでしょう。 そこにはやる気さえあれば誰にも頼らずにいつでも自由に自分を磨く事が出来る環境と、磨いた自分を自由に戦わせる事が出来るアリーナも必要でしょう。

一方で、生産性が0でも気軽に生きていく事が出来る、アホはアホなりに気楽にサバイサバーイで生きていく事が出来る、ローコストで気軽な社会も実現する必要があるような気がします。


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「金がねえなら」首相が発言
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=939219&media_id=2

「そりゃ金がねえなら結婚しない方がいい。うかつにそんなことはしない方がいい。金がおれはない方じゃなかったけど、結婚遅かったから」。麻生太郎首相は23日夜、東京都内で開かれた学生主催の集会で、少子化問題に関連してこう述べた。学生から、若者に結婚資金がなく、結婚の遅れが少子化につながっているのではないか、と質問されたのに答えたものだが、不況下で就職難の若者らの気持ちを逆なでする発言とも受け取れる。

 首相は「(金が)あるからする、ないからしない、というもんでもない。人それぞれだと思う」としながらも、「ある程度生活していけるものがないと、やっぱり自信がない。稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、なかなか難しいんじゃないか」と語った。

 首相の発言について河村建夫官房長官は24日の記者会見で「若者の就職対策を進めなきゃいかんという思いが表現として出たのではないか」と釈明した。【影山哲也】
 
コメント一覧
sk@万年崖っぷち   2009年08月25日 06:14
ニュースから
長いので、自分自身賛成できる部分と反対するべき部分がある・・・気がします

前半に関しては同意できます
俺の家は貧しい環境にありましたが、それが苦とは感じませんでした

気になったのは
内輪に対しての無慈悲の愛は無用
という点に関して何ですが

この件に関しては日本の美徳として考えてもいい部分、又は人間的な部分だと思います

田舎猫   2009年08月25日 06:25
はじめまして。
ニュースよりお邪魔します

素晴らしい見識ですね。
他の日記も拝見させて頂きましたが、眼から鱗でした。

日本は、確かに低賃金では生きていけない国になりました。
先進国共通かもしれませんが、田舎に行くほどバスや列車の運賃は高く、便数も少ないです。
だから車が必要になって毎年高い維持費を支払わされます。
水道料金や国保税、介護保険料、後期高齢者保険料も高くなります。
年金保険料は全国一律で、既製品は僻地ではほぼ定価です。
建築基準法により、チープな家も作る事ができません。

おっしゃるように、格差が問題なのではなく、低収入だと生きていけない社会の方が問題なのでしょうね。

それと、日本の硬直性について話させて頂きますと、住みもしないマンションを資産保全のために買い漁る層が結構いますし、それを当てにした不動産業者がたくさんいます。
そのため、マンション価格は一定以下には下がらない構造になっていますし、ベンチャーへの投資にも向かいません。
また、施しの文化もなく、自分達の資産をさらに増やす事しか考えない方は結構多いですね。

また、大企業の社員は確かに中小より優秀な方が存在する率は高いですが、会社を支えてると思えるほど優秀な人は一握りです。ただ、波風立てないようにする能力や、自分の部署の責任を回避する能力の高い人、クライアントを幻惑させて思い通りに運び、その結果トラブルになっても上手く丸め込む能力の高い人達はたくさんいらっしゃる印象ですね。先進国共通かどうかは分かりませんが、そういう能力が高度に発達した資本主義経済には最も必要とされるスキルなのでしょう。
それが、大企業と中小企業の賃金格差になっていると認識しています。

私はモノ造りこそ原点と考えている人間ですので、世間一般の本音の価値観には共感できないでいる出来損ないですけど。

ちなみに、日本の没落の最大の原因は、現在の日本の実力に対して円が高すぎる事だと思っています。
それなのに、日銀は円安にしようとは動いていません。
バブルの頃は1ドル130円代だったのですから、競争力が落ちるのは当然ですよね。

初コメで長文、乱文大変失礼致しましたm(_"_)m
ミンセサ   2009年08月25日 06:35
ニュースから

『低収入で生きていけない社会に問題がある』


感動しました!!!
田舎猫   2009年08月25日 08:31
おかあつさんへ、タイについて2点質問です。
低所得層の場合、医療費は払えるのでしょうか?
また、低所得層の障害者にはどのように支援されているかご存知ですか?
おかあつ   2009年08月25日 09:08
>おかあつさんへ、タイについて2点質問です。

いい質問です。


僕はタイでどうしても我慢できない事が(本当に少ないのですが)いくつかあります。 医療はその中のもっとも大きな物のひとつです。 医療と障害者の福祉は本当にダメダメです。 最悪といって過言で無いです。 僕が知っている限り、麻薬中毒者に対する厚生施設とか、聾唖者に対する厚生施設などに対策があるようです。ですが、日本のそれと比べものにはなりません。 僕が知る限り、医療事故も多いです。

健康でなくなると生活に困窮する、それがタイのもっとも大きな社会的問題だと僕は思っています。 タイでは糖尿病がとっても怖い病気のひとつです。 糖尿病は重症化すると大変な医療費がかかるものですが、日給が700~800円という状態ではそんなお金を払う術もなく、支える家族は極めて厳しい貧困生活に陥ります。

ちなみに、タイで売春に身をそめる女性の中で、かなりの高い割合が糖尿病の家族を抱えてます。極めて深刻な問題です。 医療事故対策やセフティーネットという面からみると、日本は天国のような国です。

ただ、タイと比べて日本の方が断然いい、と断言すると微妙な違和感が残ります。
どちらの何がよくて何がわるいのかについては、まだはっきりとわかりません。



ただし、お金がある人にとっては、タイの医療はとても行き届いています。 まるで高級ホテルの様な、まるでリゾートにでも遊びに来たような素晴らしい病院があります。 とても行き届いているうえ、保険なしでも日本の保険ありと同じ程度の値段です。その値段で、日本の医療と同じかそれ以上のサービスが受けられます。 この病院を目当てにアジア一帯からお金持ちが集まってきます。

一方、病院がないよりはずっといい、という見方もあります。 国によっては病院すら無いと言う場合もあります。例えば、ラオスで病気になったら、問答無用です。 タイに来る以外ありません。

そういうタイですが、どうしても深刻な問題で、かつお金のかからない解決策があるものに関しては福祉があったりします。 例えばHIVに関しては(国際的に批判されてはいますが)コピー薬が普及していて安価(または無料)に手に入れることが出来るようです。 この様に病気や問題の種類によっては医療費の免除があったり、部分部分ですが社会福祉があったりします。



あと20バーツ病院というのがタイにはあります。 これはタクシン政権時代に出来た貧困対策のひとつで、(たしか)初診料は必ず20バーツ(60円)で最低限の医療だけは受けられるという制度だったと思います。 安いだけに質は高くなく、決して評判は良くないのですが、今まで無かったので、ないよりはずっとよかったようです。

(これが農村地帯でのバラマキ政策と批判されて弾劾されてしまいましたが...)
田舎猫   2009年08月25日 12:39
> おかあつさん

ご回答ありがとうございます
やはり、医療、福祉は先進国(アメリカ除く)の方が手厚いんですね。
勉強になります
おかあつ   2009年08月26日 04:56
>やはり、医療、福祉は先進国(アメリカ除く)の方が手厚いんですね。
確かに安全性や確実性に関してだけいえばそうだと思うのです。
もちろんそれが一番大切な事でもあります。

ただ手放しで日本の方が絶対いい、というとそれはそうではないのではないか、と思います。

日本って病的なまでに几帳面なところがあると思うのです。 日本人がタイにくると、タイ人は適当だとかタイ人はいい加減だとかいうことをいいます。 ここでアメリカ人と比べてみます。 アメリカ人もタイにくると似たようなことを言うと思うのです。 適当だとかいい加減だとかそういう批判を言います。

そういうアメリカ人について、思うことがあります。 アメリカにいたとき学校で「ラテンタイム」と「アメリカンタイム」の違いということが話題になったことがあったのですが、ラテンタイムは常に約束の時間から30分ぐらい遅れてくるが、アメリカンタイムは常に約束どおりの時間にくるのだ、とかそういうことを言っていたのです。

で、僕は日本から来て思ったのですが、アメリカ人はアメリカンタイムとかいうが、地下鉄やバス電車が時刻表どおりに来たことなんか一度も無いじゃん、とかそういう事を思っていました。 新幹線はおろか、地下鉄・電車すべて、時刻表どおりに一分の遅れもなく時間通りにくる日本と比べれば、アメリカ人も適当なものだと思ったのです。 アメリカでは、地下鉄が何の前触れもなく特急になって車庫に帰ってしまったり、どこかで電車がつかえて何十分もこなかったりすることもあります。 日本では絶対にありえないようなことがアメリカでは平気で起こるのです。

こういうことから、タイにいるアメリカ人がいう「タイ人はいいかげん」と日本人がいう「タイ人はいいかげん」には、少なくない違いがあると感じられます。

つまり、日本人がタイはいい加減だという場合、かなりの面で「日本はちょっとやりすぎ」という部分も少なからずあるのです。 日本は色々な国と比べてかなり特殊です。


確かにタイの医療はいい加減なところがあります。 ですが、例えば、病院に家族が泊まるのは自由、面会時間も自由だったりします。 軽い病気でも、家族がつきっきりで看病することに何の制約も無いのです。 こういう場面はあくまでも快適さを優先させます。 確かに日本と比べれば粗末なことが多いですが、とはいえとても自由で、規則でがんじがらめの日本の病院と比べて、病院という場所の居心地が日本とは比べ物にならないほどよいと感じられる事もあります。

医療は抜き差しならない問題で、どちらが一概に良い、とは言い難い物があります。 タイの医療にももちろんたくさん問題がありますが、日本には無いよさもたくさんある、という事は言えるのではないか、と思います。

 
出展 2009年08月25日05:23 『格差の何が悪いのか』