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2009年8月18日火曜日

タイのタクシーは危険か (mixi05-u459989-200908180830)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
タイのタクシーは危険か
2009年08月18日08:30
僕は日本人って類まれに見る空気が読めない民族、言い換えればコミュニケーション能力が極端に低い民族だと思う。何故か。 それは目を見て話さないからだ。

僕は中卒なので、10代~20代のころは、常に年下・常に下っ端・常に被害者の立場だった。立場が弱いと、周囲の人間の気まぐれで致命傷を負うことが少なくない。 だから、いつも他人の顔色を見ながら生活する習慣があった。 これが元になって、今でも僕は人をよく見る習慣がある。 この点で僕は一般的な日本人とかなりかけ離れたところがあるのだと思う。

外国にくるようになって久しいけど、僕は外国で一度も危ない目にあったことが無い。 ただ単に偶然かもしれないけど、外国に出るようになって5年間、一度もあったことが無いというのは、やっぱり普通の日本人とは何かが違うのだと思う。

ところが、外国に出る日本人の話を聞くと、強盗に遭ったとか、詐欺にあったとか、危うく拉致されそうになったとかいった、危ない話しの枚挙に暇が無い。 何が違うのか、よく考える。 僕は、この理由は、違いは単に人を見ているか見ていないかの違いだと思う。



世界には色々な人がいる。だから一言では言えないのは重々承知だ。そこをあえていう。 日本人だけが持っていると僕が感じる特徴がひとつだけある。 それは、話をするときに相手の目を見ないことだ。 「話をする」と書いたが、これは「話をする」というコミュニケーションに限らず、コミュニケーションが必要な点すべてにおいて言える。

タイで歩いていてよく思うのは、車の運転手が人をよく見ていることだ。 日本人はタイに来てしばしばタイ人の運転マナーの悪さを嘆いている。 しかしタイ人が運転マナーが悪いというのは、事実ではない。 例えば、道を歩いている人が右左を見ずに道に飛び出しても、99%車にひかれることはない。 車を運転している人はもともと飛び出しそうな人をよく見ているので、ぶつかる前に回避している。

道を歩く人ももとよりまわりをよく見ている。 危なさそうな車が来れば、ぶつけられる前に避けている。

それどころか、道を歩く人は、特に道を渡るときなどに、わざとぶつかりそうな場所に出ていくこともある。 道を歩いている人も、車を運転している人をよく見ており、わざとぶつかりそうな場所に出ていくことで、渡るためのスペースを確保しているのだ。 車も負けじと道を譲らない様にギリギリまで詰めてくる。 結果的にみると、道を歩く人も車を運転する人もお互いをよく見ている。 こうやって見合うことでコミュニケーションを取っている。

日本人はそうではない。 基本的にそこには「筈」という言葉しかない。 「ここには人は来ない筈だ」 「ここでは、車は出てこない筈だ」という考え方をする。 だから車を運転するとき、ほとんどまわりを見ない。 ぶつかった時は、「ルールを守らなかったのだからお前が悪い」という様な結論づけになる。 そこにはコミュニケーションが一切無い。

「いや、そんなことはない、タイはしょっちゅう交通事故を起こしているではないか」と思われるかもしれない。 その見方は間違っている。 どこの国にいっても、他人などどうなっても構わないという考え方を持つモラルの低い人間というのが居るのだ。 こういう人が交通事故を起こす。 これも人をよく見ていれば、その人がどういう考え方をしているのか知ることが出来る。これも気をつけていれば充分避けられるものだ。



( 人の日記のコメント欄にケチをつけて非常に申し訳がないのですが...とてもわかりやすい例なので、あげてしまいます。 あらかじめ、あやまります。悪気はありません。すみません。)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1257749514&owner_id=6763541

タイで起こったタクシーの事件の話に色々な人がコメントを付けている。 事件を回避する方法として、青のタクシーはヤバいとか、黄色はヤバいとか、色々な説が出ている。 だけど、誰一人として「人を見る」ということをあげている人はいない。

悪いことをしそうな人というのは、見ていれば絶対に分かる。 あぁ、こりゃまずいなとひしひしと伝わってくる物がある。分からないのは単に見ていないからだ。

誰一人として人を見ていない。 だから危険な人に気づかない。あくまでも人を見ずに別な目印を与えてそれを基準に危険度を判断する。 あくまでも判断力を使わないでも適切な選択が出来る様なマニュアルをつくろうとする。

この事件はそもそも、都会に出てきたばかりで、都会の事情を分かっていない田舎の女の子がだまされたという事件だけど、そのことに気がついている人さえいない。

中に「最近やっと、ヤバそうな運転手のタクシーを見つけると、遠慮せずに降りられるようになった」と言うことを言っている人が居る。 これは多分だけどタイだと子供でもやるようなことだ。 利害関係の中ではっきりとノーを言うのは、基本中の基本だが、タイでは子供でもやるような事であり、つまり日本人のコミュニケーション力はタイの子供以下なのだ。



一方で、人を見ない、というのは、悪いばかりではない。 これは別な見方をすると他人に惑わされないという事でもある。 他人に惑わされずに、論理的・合理的に考え、もっとも理想的な方法論を考えだす事が出来る、という事でもある。

タイではそういう理想的な考え方をすること自体がまず難しいし、よもや考えついたとしてもそれについて賛同を得ることは難しい。 そればかりか、色々な人がてんでバラバラな方向に動いているので、実行することは極めて難しい。 だから社会をトータルで見ると、非常に効率が悪いところがある。

これはタイに限らず、東南アジア・東アジアでは共通する特徴だと思う。 そんななか、日本はその点極めて特異だ。 日本では、その辺にウロウロしているオタクのアンチャンや、ハゲ頭のさえないオヤジ・まったくモテない粘着気質で腐った女等々ですら、理想を高く持って理想に向かって日々邁進したり出来る。 これは素晴らしい事だと僕は思う。 これは、タイの様な国では望むべくもない。

一方で、コミュニケーション力は極端に低い。 それが日本人の特徴だと思う。

出来れば、文章コミュニケーション力がもう少しあれば、と思うのだけど、日本はあまり作文の教育に力を入れていないので、文章コミュニケーションも低い人が多い。 ここがもう少しよければ、もっといい国になるのに、と思う。



最近、アラブ街に居て、外国のサッカーの試合をよく見るのだけど、外国のサッカーの試合は実にレベルが高くて、見ていておもしろい。 僕はサッカーに詳しく無いので、はっきりとは分からないのだけど、チーム全体の動きの中でひとりひとりがはっきりとした意図を持って走っており、双方のチームの戦術がかみあっていることがはっきり見て取れる。

そんななか、偶然、スポーツニュースで、日本のJリーグの試合結果が放送されているのを見た。 外国の試合と続けて放送されたので、余計に違いがはっきりわかりやすく、その違いにショックを受けた。

日本の選手は、見ていると、うまく言い表せないのだけど、双方の選手がてんでバラバラに動いているように見えるのだ。 外国の試合だと、シュートやパスを出すとそこには必ず敵か見方の選手が既に先回りしており、必ずカットされる。 ところが、日本の試合だと、選手がそこにいないことがおおく、ボールが無意味にコロコロ転がり回っている。

これも、何となくだけど、人をあまり見ていないことと関係があるような気がする。

僕の友達で、アイスホッケーが天才的にうまい人がいるのだけど、この人がいつもいつも奇妙なまでに他人ばかり観察している事を思い出す。何だか何をやっていてもいつも人ばかり見ているのだ。 スターバックスでコーヒーを飲んでいても、ラーメン屋でラーメンを食べていても、どこの席にどういう人が来た、その人がどういう行動パターンを持っているのか、太っているか痩せているかと、無闇に観察ばかりしている。

最初、何でこの人他人ばかり見ておかしな人だと思ったものだけど、今思えば、彼がやっている事こそ、コミュニケーションの基本だったのではないか、と思う。



日本人で外国で頑張っている人は、大抵一匹狼の様に一人で頑張っていることが多いと思う。 日本人がコミュニケーション力の不足を感じて、海外に飛び出すと、何故かかならず、日本人と一切協力せずに一匹狼の様な行動を取る。

僕もよく感じることだけど、外国に居るとき、日本人と一緒に居ると、何かやりづらい。 それが何故なのかもよく考えるのだけど、このことはまた今度別な文章に改めようと思う。

コメント一覧
ジャコビ   2009年08月18日 09:17
私もそういえば、ニューヨークで危ない目に会った事はないですね。まあ、実を言えばニューヨークはかなり安全な街なのですが。でも、世界中の都会には、田舎から出て来たばかりの人や外国人をカモにして生計を立てているようなとんでもない人間が必ずいます。そういう人はよ~く見ているんでしょうね。
おかあつ   2009年08月18日 09:25
> でも、世界中の都会には、田舎から出て来たばかりの人や外国人をカモにして生計を立てているようなとんでもない人間が必ずいます。そういう人はよ~く見ているんでしょうね。

そうそう、そうです。 そうですよね。


... タイで話しかけられた時、タイ語で返事すると「あ、ごめんなさい」ってあやまられることがあります。 「... あやまるような事をしようとしてたのかよ!」 って思うことあります。


そういえば、でもこの人たち、腹を割って話すと案外いい人なこと多いです。 この人たちって「どうせ見下されてバカにされてるんだから、ちょっとくらいだましたってバチはあたらんだろう」みたいな感覚を持っている事があるような気がします。 それで思うんですが、だまされるっていうのは、心のどこかで相手を見下してバカにしているって言うこともきっとあるんじゃないか、と思うことあります。
せおはやみ   2009年08月18日 10:00
素晴らしいご意見です。
この日記に、日本人の本質のすべてが凝縮されています。

つまり、ルールがあるんだから、法律があるんだから
それが私たちを守ってくれる、
私たちは積極的に自分の五感を働かせて身を守る必要がない、
とおよそ殆どの日本人は思いこんでいます。

安保条約があるのだから、いざというときには
アメリカ様が私たちを守ってくれる。
だから「戦争」について考えることも議論することも必要ない、
というメンタリティは日本人の骨がらみになっています。

「話し合えばすべてがうまく行く」
「誠意さえ示したら相手も判ってくれる」
という観念論も日本人のDNAに刻み込まれています。
「話しても判らない・誠意を示せばつけ込んでくる」相手が
ウヨウヨ存在するこの世界でね…。
だから「憲法九条が戰後日本の平和をもたらした」
などという空論がいともたやすく日本人の心を捕えるのです。

「相手を詳細に観察しない」つまり
「コミュニケーションを甚だ軽視する」態度は、
今に始まったことではなく、
「事挙げせず」が礼賛された江戸時代から、
「武士道」がもてはやされた戦前から、
「国際化・異文化理解」がお題目の現代まで、
絶えることなく日本人の血に流れているエートスなのですよ。
ジャコビ   2009年08月18日 10:59
私は、それほど危なそうな人と遭遇した事もないのですが、一度だけ、カリフォルニアとメキシコの国境の側で、道を聞いた若い男性の顔を見た時には「ヤバ~」と思いました。車で走っている時に、歩行者の後ろから顔を見ずに声をかけたのですが、その男性が振り返った瞬間、「殺される~」と本気で思いました。人相が悪かったわけではないのですが、顔の表情がまさに邪悪でした。

運転している夫にはそれが読み取れなかったのか、全く見えなかったのか、車のウィンドーを下げて "Which is the way to Los Angeles?" とか何とか聞いたのですが、私はもう気が気じゃなくて、ウィンドーが下がっている最中に、逆のボタンを押してウィンドーを閉めるのに必死でした。

案の定、"I will tell you if you give me $10." と返答してきたので、夫は腹を立ててさっさとその場から立ち去ったから良かったようなものの、本当に恐ろしい体験でした。

こういうのが察知できないというのは、怖いですね。
vlinder@りる☆   2009年08月18日 14:54
平和ボケしていると言うかなんと言うか、
コミュニケーションに限らずテンプレに当てはめるばかりで、
場面に合わせて自分で判断するのを怠っている人が多いように思います。
先日、知人とpravateの観念についてちょっとだけ話す機会があったのですが、
西洋的な自由意識、個人主義などなどを表層的に取り入れた結果の
歪んだルール至上主義なのかもしれません。
「規制されてないからいいじゃん」
「ルールだからだめ」
ってのが多く、訴訟大国アメリカの後を追っているようで辟易します。
 
出展 2009年08月18日08:30 『タイのタクシーは危険か』