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2009年6月7日日曜日

辞書とコミュニケーション (mixi05-u459989-200906070719)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
辞書とコミュニケーション
2009年06月07日07:19
忘れないうちに書こうと思う。

僕はタイ語を勉強するとき、あまり辞書を使わなかった。 タイ語にはPDIC辞書というとても素晴らしい使いやすい辞書があるので、確かにタイ語学習の前半はこれを頻繁に使っていたけど、後半はあまり使っていない。 耳から覚えた言葉の方が圧倒的に多い。 で、僕が色々な日本人のタイ語学習者の人と話していると、当たり前だけど、ほとんどの人は辞書を使ってタイ語の勉強をしていることに気がつく。

それで僕はこういうことを思う。 何というか、「もったいないことだなぁ」というか「つまらないことだよなぁ」 というか、そういうことを思う。

わからない、ということは面白いことだ。 言葉の意味がわからないときに、この言葉、こういう意味かなぁ... いや、ああいう意味かなぁ... と試行錯誤して意味を考えている状態がとても面白いのであって、これをあっさりと辞書を使って意味を調べてしまったら、つまらないではないか。

それに辞書に書いてある意味は間違っていることも少なくない。 ドイツ語を勉強したとき思ったけど、日本語で書かれた辞書では、英語辞書以外の辞書は、結構平気で間違っている。 そういうこともある。 僕が勉強しているもうひとつの言葉ラオス語にいたっては、辞書すらない。 そういうこともある。

また言葉の意味は生きている。 会話の中で前後の文脈から意味が変わったり特殊な意味を持ったりすることもある。 こうして動いている意味こそが本当の意味であって、辞書に書いてあることがすべてではない。

つまり、言葉の意味を知らなくても、相手が言っている言葉の意味を前後から推測する能力というものが存在し、言葉の意味を知っていることよりも、こちらの能力を磨くことの方がずっと大切だといえる。

更に加えて、自分が言っている言葉の意味を、相手がその言葉を知らなくても伝える能力というものも存在する。 こちらも極めて大切である。

これらがふたつの能力は正にコミュニケーション能力そのものだ。
つまり、語学というのはすなわちコミュニケーション能力なのだと思う。




( もっとも 言葉の基本ルールだけは、最初に本から勉強した方がずっと効率がよい。 じゃなければ、その言葉をきちんと話せるようになるまで、子供がそうであるように、4~5年かかってしまう。 本から勉強できる知恵を持っている分、大人の方が有利なはずなのだ。)

(一般的には語学を勉強する上では大人よりも子供の方が有利だということになっているが、本当にそうだろうか。 何故そう考えられているのか考えることは大切だ。 これはつまり、大人が何十年も勉強しても語学を身につけられないところを、子供は数年で身につけてしまうからだろう。 何故こうなるのだろうか。 それは、大人は言葉を学んでいるようで、言葉を学んでいないからではないか。 大人は「本に書いてある言葉ではない、何か」を学んでいるだけなのだ。 これをやめて言葉そのものを学ぶことが肝要だ。 言葉を学べば、言葉を学ぶことが出来る。 年齢にかかわらず誰でも学ぶことが出来る。)

(一般的に子供の頃から外国語を勉強した子は、母国語を正しく話せないことが多い。 これは外国語が話せないことよりもずっと大変な問題となる。 外国語を母国語のように話す人は、外国語が上手になった分、母国語が下手になる。 二つの言葉をネイティブとまったく違いないレベルで話せるようにするためには、人間・二人がそれぞれの人生で学ぶことを、人間一人分の人生で学ばなければいけない。 要するに二人分苦労する訳である。 子供の方が学習が早い、というのは大人の逃げ口実だ。 子供でも大人でもやることは同じで、大人になってから苦労するのか、子供の頃に苦労するのか、の違いでしかない。)

( 日本語を話すとき無口な人がは、外国語を話しても無口だ。 日本語で読むのがうまい人は外国語を読むのもうまい。 話の聞き上手な人は外国語でも上手だ。 文章を書くのがうまい人は、外国語で文章を書くのも、うまい。 これはひとつの事実だ。 つまり、外国語をより上手に使いこなせるようにする為には、母国語をきちんと学ぶことが大切だ。 逆もまたしかり、で、外国語を学習する厳しい訓練を受けているうち、気がつかない間に、母国語が上手になっている、ということもある。 これもまた事実だ。 この二つの事実は、上で挙げた子供の頃から外国語を学ぶと母国語が下手になる、という事実と矛盾しない。 )

(上で書いた、子供の頃から外国語を学ぶと母国語が下手になる、ということは、どういうことか。 これはつまり、その人の総合語学能力は、その人のもっとも得意な言葉の最大能力と一致する、ということだろう。 小さい頃から外国語を学ぶと、母国語・外国語のそのどちらも学習が不十分になる可能性がある。 すると、結果的に両方とも平均的な能力レベルより劣ってしまう。 するとその人の中での最大語学力が下がってしまう。 )


コメント一覧
おかあつ   2009年06月07日 08:04
書き加えた。
ジャコビ   2009年06月07日 10:40
語学の勉強は、子供よりも大人の方が早いというのは本当だそうです。子供をバイリンガルに育てる本をいくつか読んだのですが、その中に出てきました。未発達な子供の脳で文法も理論も分らずに言葉を憶えるのは、無駄が多くて大変な作業なのだと書いてあり、大いに納得しました。でも、発音だけは子供の頃にならう方が断然有利です。

おそらく、子供の頃から外国語を勉強するのと、バイリンガル若しくはトライリンガル等として複数の言語を同時に学んで行くのとは、全く異なるはずです。多国語を成長とともに同時に学ぶ子供は、言葉を憶える2才位までの段階で、数カ国語を学んでいる認識がないそうです。それがだんだん言葉を理解するに連れて2カ国語に分かれて行くそうです。

私の知っているアメリカで育ったバイリンガルの人びとは、殆ど英語の方が僅かに強いのだろうと思います。でも、日本語の敬語もしっかりと使えるし、文章もきれいに書けます。その人達は、日本語と英語のスイッチの切り替えが上手く行かなくて困ったという経験は皆無だそうです。
おかあつ   2009年06月07日 11:06
1. ここからは僕もはっきりわからないのですが、僕がいくら4年間みっちり語学を勉強したとしても、たとえその辺の小学生でも8年~9年しゃべっている訳で、経験の差ってあると思うんです。 同時に二つの言葉を話し続けるのも、同じように熟練に近い経験が必要だと思います。

2. よく、小さい頃から教育しないと絶対音感はつかない、って言われるんですが、僕はこれもそうではないと思います。 僕は小さい頃から教育されていた訳ではないですが、訓練によってある程度正確な絶対音感を身につけました。 あと、音楽を演奏するにあたって、実は絶対音感は本当に必要、という訳ではない、ということもあると思います。

で、音感の訓練というのはどういうものかというと、基本的に、スター物真似第合戦、の練習と同じです。 とにかく、すべて物真似です。 ひたすらそっくりになるまでレコードと一緒に演奏したり、歌ったりします。

僕はジャズを習っていたので、こういうことを10年ぐらいやっていたのでこういう経験があるのです。 それで、思うのですが、音楽の訓練って語学の訓練とすごく似てます。 ひたすら物真似です。 特徴を探して同じようになるように練習します。


で、思うのですが、物真似って、恥ずかしいのです。 ある程度大人になると、言葉からかけ離れた音を口から出すのが恥ずかしく感じるときがあります。 子供みたいに変な声を出して、変な物(消防車とか救急車とか)を物真似をするというのは実に子供みたいで、恥ずかしくなります。

大人になって、これをやる人は、結構変な人ですが、新しい言葉を勉強するのがうまい人はみんなやっているようなきがします。

(ところで、新しい言葉を勉強するのがうまい人、というのと、二つの言葉をネイティブみたいに話す人って、脳の使っている場所が違うような気がします。 僕の知っている人に、日本語も英語もネイティブばりにバリバリしゃべる人が居ますが、この人がひょんな事情でロシア語を勉強することになって、とても苦労していたのを目撃したことがあって、色々思いました。 一方で、色々な言葉をすぐ話せる人って、どんな言葉でもすぐ話せるようになる一方、発音にクセが残っていたりすることは多いような気がします。)

ジャコビ   2009年06月07日 11:47
私が英語を勉強し始めたのは小学校の5年生位でした。知り合いのおじさんが英語塾を始めたので、商売をやっていた親の付き合いで行き始めたようなものです。ここのやり方が少し変わっていて、中学に入るまで、文法も読み方も単語も一切教えませんでした。ただひたすら絵本とその朗読が入っている物語のテープを丸暗記するというものです。そっくりにやれと言われたので、そっくりにやりました。自分の朗読もテープに吹き込んで、二つのテープを繰り返し繰り聞き、完璧になるまでやりました。こういう執拗なやり方なので、1年間に2冊ぐらいしか物語は暗記出来ませんが、そのおかげで日本に生まれ育ったにも関わらず、あまり発音で苦労する事はなく、アメリカ人の英語の発音が聞き取れない事はありませんでした。

私は日本人としてはかなり正しいアメリカ英語の発音が出来る方だと思いますが、それでも自分のボイスメールのメッセージを聞いたりする機会があると、アクセントがある事に気がつきます。
おかあつ   2009年06月07日 14:09
> ただひたすら絵本とその朗読が入っている物語のテープを丸暗記するというものです。そっくりにやれと言われたので、そっくりにやりました。自分の朗読もテープに吹き込んで、二つのテープを繰り返し繰り聞き、完璧になるまでやりました。こういう執拗なやり方なので、1年間に2冊ぐらいしか物語は暗記出来ませんが、

あぁ、それはムチャムチャいいですね。 良くわかっている人だったんですね。
僕にも、子供の頃、周りにそういう人がいたらこんな遠回りしなくてもすんだのになぁ...。

僕は、小さい頃からずっと何というか、頭を抑えられてばかりいたというか、僕の方が正しい方法を知ってるのに「いやあたしは○○に何年いたから、あなたより詳しいわ」みたいなことばかりいう無能に決定権を握られて、虐げられてばかりいました。 僕の方が正しいことを言っているのに、彼らはプライドばかり高くて、それが受け入れられないですよね。
 
出展 2009年06月07日07:19 『辞書とコミュニケーション』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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