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2009年6月5日金曜日

日本の人間関係 (mixi05-u459989-200906052220)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
日本の人間関係
2009年06月05日22:20
今日も用事を済ませた後、水タバコ屋に行った。 水タバコ屋で水タバコをふかしながら、ネットブラウズにスカイプでタイに電話したりしつつして、帰ってきた。 帰り道、考え事をしながら歩いていたとき、ふと思った。

日本人ってすごく人間関係が不器用だと思う。

水タバコ屋で水タバコを吸っていると頭が外国語モードになる。 そんな中、店員さんと少し話をした。 思うにこの店員さんはごく普通の日本人の店員さんであって、コテコテの日本人で、そのこと自体は何も悪いことではないし、日本にいるならば日本の方法でコミュニケーションするのが当たり前であるので、僕がそれにあわせることになんら意義は無い。

だけど、こうして外国語モードのときに日本人の店員さんと話したら、店員さんのコミュニケーションのバリエーションの狭さ...バンド幅とでもいうか、ストライクゾーンとでもいうべきか、の狭さをことさら強く感じてしまった。

思っていることをはっきり表情に出さず、常にとても感じよく振舞うので、その人の本質がとても見極めづらい。 こちらはその人がどんなに感じが悪かろうが、どんな変態で、奇妙なクセがあろうが気にしないし、それを受け入れる準備がある。 僕はそういう海外(というかタイ)の広いストライクゾーンでなれてしまった。 しかし、日本での普通の人はストライクゾーンは極めて狭い。 日本では、少しでもストライクゾーンから外れると、「どんびき」とか「空気よめない」というようなレッテルが貼られ、アウトになる。 だから、日本の人は、絶対にアウトにならないような、極めて無難なボールしか投げない。

思うけど、タイの人は日本の人よりずっと人付き合いが上手だ。 これはタイ人に限らず、アメリカ人を見たときも近い印象を持った。 彼らは誰とでも広く浅く付き合うことが出来る。 次々に人に出会って次々に仲良くなっていくことが出来る。 コミュニケーションスキルがとても高く、誰とでもある程度の高さでコミュニケーションが出来る。

ところが、日本人は人付き合いがうまくない。 みな相手の多様性に対する受容力が低く、コミュニケーションがすごく不器用だ。 だから、広く浅く付き合おうとすると、ペラッペラの取り付くシマもないような浅い付き合いになってしまう。 日本人は、タイ人やアメリカ人のように、初対面の人とある程度の仲良さをキープすることが出来ず、極めて表層的な浅いコミュニケーションしか成立しない。

そんな日本人は、ある程度の仲の良さを作るためにはとても長い時間を必要とすると思う。 4年とか5年とかかけて仲良くなり、少ない人とじっくり付き合う、というのが日本人のコミュニケーションのスタイルではないだろうか。 (かくいう僕も少ない友達と深く付き合うタイプなのだけど。)

そもそも日本人は、コミュニケーションをとる上で、相手に期待する物がとても多い。 例えば、ミクシで日記を書いたら足跡をつけてコメントをつけないといけない、とか。 僕もこうしてベラベラと日記を書き散らして入るけど、別にコメントをつけてくれなくても怒ったりしないし、そもそも怒る必要がそこにあるのだろうか。 たしかに足跡やコメントをつけてくれればそれはうれしいけど、僕が日記を書くのは基本的に自己満足で、それに対して、僕の友達は何の義務も負わない。 だけど、日本の普通はそうではない。 まめにコメントを返して、どんなに不本意でも、どんなに同意が無くても、本意を演出し、同意を演出しなければいけない。

こういう状況下では、浅く広く付き合うと、ただ単に負担が増えるだけだ。 タイとかアメリカみたいに、相手がある程度自立している中では、浅く広く人間関係を広げるととても面白いことが出来るけど、日本でこれをやるととても疲れる。

結果的に日本人はすごく閉鎖した狭い人間関係の中で鬱々としがちだとおもう。



こういう独特な人間関係を持つ日本の社会で、幅広い人間関係を持つということは、極めて高いコミュニケーションスキルを要求するのだと思う。 そして日本の人間関係には限界も存在すると思う。 そしてその限界はかなり低い。

タイやアメリカみたいに幅広い人間関係を持ちつつ、ある程度自分にも正直にやっていく、というバランスは日本では不可能だ。 日本でコミュニケーションを円滑に行うためには自分の意見や感情を一切押し殺して、相手に100%合わせ切る思い切りの良さが必要だ。

常にお歳暮お中元を欠かさず、常に隣席のビールのコップに目を光らせ、なくなればすぐにビールを注ぎ、常にテーブル脇の瓶ビールの残り本数に意識を向け常に絶やさない様追加のビールを注文する必要がある。 常に、その人の好き嫌い・性格や趣向を完璧に把握しひとりひとりに個別に対応する必要がある。

でも実は僕はそういう器用さを持った人があまり好きじゃない。 僕はそういう人と出会うと、一抹の孤独感を感じてしまう。 その人は自分の本性を一切相手に知らせない。 一緒に居るのにまるで独りぽっちでいるのと同じような不思議な孤独感を感じる。 とはいえ、日本で自分に正直にやっていくと、日本人でもまるで外人のような扱いを受けてしまう。

日本の人間関係っていうのは、すごく難しい、と思う。

コメント一覧
ジャコビ   2009年06月05日 23:16
同感。

>思っていることをはっきり表情に出さず、常にとても感じよく振舞うので、その人の本質がとても見極めづらい。

私の夫がこれでよくヘマをしでかします。近所の公園で子供を遊ばせてたりして他の日本人の親を見つけると、私の夫は何のためらいも無く話しかけます。夫は自分の話したい事を話し、相手は相槌を打ち、賛同するので、アメリカ人の夫はまるで意気投合しているような錯覚を憶えてしまいます。ハイになっている夫は、家で働いている私に電話をかけて来て「凄くいい感じの小さい子供を持つ日本人と公園で合ったんだけど、ちょっと時間を作って今こっちに来てみないか。」…相手の目の前でそんな風に電話をかけてこられれば「行きたくない。」とも言えないので「じゃあ行くよ。」と言ってのこのこ出かけると、案の定、相手は迷惑そうにしています。夫は、電話番号を交換したか、とかあれこれ私に聞いて来るのですが、だれも電話番号なんて交換したがらないし、住んでいる地域され教えたがりません。アメリカ人である夫はその辺の温度を計る事が全く出来ないのです。
風我   2009年06月06日 05:18
自分の本音を見せずに察して、と期待するのも一種の甘えですよね。
じゃあ腹を割って話そうかといった場では愚痴しか言わなかったりw
おかあつ   2009年06月06日 06:37
> 自分の本音を見せずに察して、と期待するのも一種の甘えですよね。

日本の甘えっていったい何なんでしょう。 それがわかれば日本での人間関係、もっと楽に過ごせると思うんです。 でもいまだ良くわかりません。 甘えてる、って言う意味ではタイの人なんか、最悪に甘えてます。 生まれてから一度もひとりぼっちになったことがない人とか、たくさん居ます。 いつも誰か頼る人がいないとやっていけず、いつも誰かに依存してやってます。 ツレションなんか当たり前です。 ところが、なんというか... タイの甘えは日本みたいに強制じゃないんですよね... 日本みたいな陰湿さがないのです。 この違い、何なんだろう。

タイのオバケの話が面白いのです。 タイのオバケは悲しい事件の結果として現世に化けて出るのですが、彼らは悲しさを知り、人に優しく、いつも人知れず人を助けるのです。

同様に日本のオバケも、やはり悲しい事件の結果として現世に化けて出てくるのですが、彼らはまったく無関係の人を恨んだあげく、とりついて「うらめしや」といいます。

この違い、一体どこから来るんだろう...。
おかあつ   2009年06月06日 06:49
> 案の定、相手は迷惑そうにしています。

これなんですよね...。 僕も良くやるかもしれません。 というか、相手が本当に自分に好意を持っているか、そうじゃないのかなんて、日本人にだってわからないと思います。 だから結果的に一番無難な方法を取るしかないです。 つまり誰に対してもある程度の無関心を保ち、ある程度の好意を装うことです。

よく思うんですが「ちょっとでも感じよくすると恋愛感情と勘違いする男性」というものも、この辺から出てくるんじゃないか、という気がします。 また、日本のセクハラの99%はこの辺からくるような気、します。


日本人って相手のことを考える、というと家族と同じレベルで徹底的に考えます。 よく「人の気持ちは究極的には絶対に理解できない」というようなことを言う人が居ます。 ですが、僕は思うのです。 そんなものは最初から求めていないのです。 相手との違いを認めて、ある程度の距離をとって、コミュニケーションをとりたいだけなのです。 それだけなのです。 日本人は、そういう、大多数の薄く広く付き合っている人と、ある程度の深さを保ったコミュニケーションを取ることが苦手です。

さい   2009年06月06日 08:18
仕事場だったら、日本式のほうが楽だと思う。
毎日毎日ずっと続くことだから、
全ての人と深く付き合いたくはないけど
気分良く過ごしたい。
それは友達ではなくても
一種の思いやりだと思うし、感謝していいと思う。
うわっつらだけの人と親密になりたいとは
思わないけど。
 
出展 2009年06月05日22:20 『日本の人間関係』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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