FLAGS

MENU

NOTICE

2009年2月7日土曜日

限定版・業務連絡 および 人の器の話 (mixi05-u459989-200902070351)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
限定版・業務連絡 および 人の器の話
2009年02月07日03:51
業務連絡です。

日本に帰ってきました。 19日まで滞在する予定です。

予定が合う方、ぜひ会いましょう!
この日記は限定公開なので、このコメント欄で返事を下さって結構です。
むしろ、このコメント欄で返事をすると、
他の濃い~い仲間とジョイントミーティングできて、
もっと面白いかもしれません!

関西方面に出向くプランもあります。
もしよろしければ関西在住の方、ご一報ください。


以下、限定公開で思ったことを書きます。

======================================

岡 潔 という数学者がいますが、ある本で 「人の成熟は遅ければ遅い程よい」ということを書いていました。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37721511&comm_id=987254

僕は思うんですが、人には器の大きさというものがあるんだと思うのです。 水をたくさん注いでも器が小さければあふれてしまいます。 だから、水をたくさん注ぐよりも、時間をかけて器自体を大きくしていくことが大切なんじゃないか、と思います。


でも、こうも思うんです。 というのもあるタイ東北イサーン人にその話をしたら 「へー、それはタイとぜんぜん逆だね」っていうんです。 タイだと「人の器というのは限りがあるから、注ぐ水はほどほどにしろ」というんだそうです。

それを聞いて思ったんです。

器ギリギリまで水を注ぐというのは、何というか、ある種の人間にとってはたまらない快感なんじゃないかと思います。 僕の友達には、どこかそういうマゾっぽいところがある人がおおいように思います。 このように、器の限度ギリギリを試し、器を広げていく試練自体に妙な快感を感じる人っています。

しかし、普通の人にとってはそうではないものじゃないでしょうか。 普通であれば、人というのは、器ギリギリに近づくと徐々に辛くなっていきます。 そして辛さがある一定以上に到達すると、我慢が出来なくなって、怒ったり、逆上したり、人のせいにしたり、自分を正当化したり、言い訳をしたり、逃げたり、腐ったりしはじめます。


そして、僕は思うのですが、普通、器の小さい人は、限界に近づけば近づくほど、まったく幸せでなくなってしまうんじゃないか、と思うのです。 それで、さらに思うのですが、僕は、その器が小さいこと自体は問題じゃないような気がするのです。 器がちいさければちいさいなりの幸せな人生があっていいんじゃないかと思うのです。

タイは、何よりも人として幸せになるために何をしなければいけないのかということを最初に考えるように思います。 幸せになるためには勉強しなければいけない、幸せになるためには働かなければいけない、幸せになるためには努力しなければいけない、幸せになるためには我慢しなければいけない、というのは、それぞれひとつのウソです。

実際、タイでは、みなそれぞれ、たくさんの問題を抱えていても、みなそれぞれそれなりに幸せに生きているように思うのです。 日本のようにまったく動物としての充足を得られずに自殺してしまう、ということは少なくともないように思うのです。

たぶん、僕は常に努力を怠らない人間だと思います。 常に自分の器を大きくすることを最優先に考える人間だと思います。 しかし、僕がそういう努力を怠らないのは、何も豊かで幸せな生活を夢見ているからではありません。 ただ単に楽しいからです。 別に限界を試したって死ぬわけでもないですし、他にやることもないですし、限界が広がること自体になんともいえない快楽を感じてしまうので、やめられないのです。

もちろん、これ以上後退してしまったらもはや背後がない、という切羽詰った事情もあるにはありますが、逃げる背後が十分にあったとしても、きっと努力はやめないと思います。 努力をやめたら退屈になってしまうからです。



で、問題は、この器の限界周辺でうろうろしている人ではないかと思います。 この人たちは限界まで近づくと後ろに下がってしまうのです。 後ろに下がるくせに自分は限界を試していると吹聴します。 そして限界を試している人と友達になりたがります。 問題は、その逃げている事実を指摘されると怒りはじめることです。 自分の考え方を押し付けるのをやめろ、とか、人にはそれぞれ価値観が違うんだ、とか、自分は経歴がン十年あるんだ、とか言い始めます。

僕は、これまで、そういう弱さを指摘することこそが優しさじゃないかと考えていましたし、そういう人には厳しいようですが引導を渡してやることもひとつの優しさじゃないか、という風にも考えていました。

ですが、そのまま黙ってにっこり笑っていてあげるのもひとつの優しさなのかな、とも思うようになりました。 それがその人の器の大きさなんじゃないか、と思うからです。 そういう人はほどほどに水を注いであげるのが優しさなんじゃないか、と思うからです。 そういう器の小さな人にギリギリまで水を注いでしまうと、その人は幸せじゃなくなってしまうのです。

また器の大きさの成長の速さには人それぞれ個人差があります。 一気に大きくなる人もいれば長い時間かけて大きくする人もいます。 入れる水が速過ぎればあふれてしまったり、場合によっては、器が壊れてしまってそれ以上大きくならなくなってしまう、ということもあります。

本来なら、限界を超えることを目指すのか、幸せを目指すのか。 本当は中間は存在しないのではないかと思います。 限界を超えたいのか単に幸せになりたいのかどちらかを選べ、といいたくなるような人もたくさんいます。

そして、僕が住んでいるタイにはそんな「限界付近でウロウロしている日本人」が非常に多いのです。

しかし、現実は厳しいものです。 長い人生いろいろあります。 僕が見ている中にも、昨今の世界的な不景気により、今までお金によってカバーされていた人生の荒波が一気に暴露されてしまうというケースが増えています。

みなさんが知ってのとおり、僕の友達には、僕が弱さを指摘してあげたのにもかかわらず、それを受け入れることが出来ず怒って去っていった友達も多いのです。 ですが、そんな人の中にも、学んで生きるか、学ばず死ぬか、という厳しい局面に直面している人がちらほら出てきています。

「いっただろ」とひとこといってやりたい気分なのですが、そういう「死ぬ直前」というほどの厳しい状況にでもならないと、人というのは自分を変えることに納得しないものかもしれません。

実際、僕がそうであるように。

==

というわけなんですが、これからは、たまに限定日記を書いてみようかと思います。 僕もだいぶ友達が増えたんですが、僕の日記を読んでいて、自分の弱さにがっちりと当たってしまい、せっかく弱点に気がついたのに「そうか!がんばろう!」とならずに、僕に逆上する人が結構います。 その人はその人でいいところがあり僕の好きな人のひとりでもあったりするんですが、だからといって、ムキになって取っ組み合いで格闘して矯正しようとせずに、そっとしてあげるのも優しさなのだろうか、とも思い始めた今日この頃です。

それは、実は僕が言うまでもなく「そのとき」がくれば必ずわかることでもあるからです。

僕は、誰かが僕の限界を見ることができたなら、ぜひそのことを話してほしいと、思っています。 そうやって先人の経験を教えてもらうことで正しい方向をあらかじめ見定めたいと思うからです。 だから自分よりも優れた人と一緒にいたいと思うのです。 自分に文句を言えるような人といつもけんかしていたいと思うのです。

しかし、そういう風に思っていない人とも友達でいたいなぁ、と思う、今日この頃です。

というわけで、限定日記でした。

コメント一覧
ジャコビ   2009年02月07日 04:10
なんだか、長年目の前に立ちはだかっていた壁に抜け穴があったような感じですね。
おかあつ   2009年02月07日 04:20
まだまだ、ようやく抜け穴があるということに気がついた程度なんですが...。
まだまだです。
ねこ☆ミ。   2009年02月07日 05:34
空いている日を書いておこう(^^

11日、14日、15日。
その気になれば、平日も、一部、調整可能です。
さい   2009年02月07日 06:25
努力型にしても天才型にしても
本当に「早い時期の成功」は(その後が)怖いとおもう。
でも人生には波があることを早いうちから理解できれば(ここが難しいけど)
大器晩成でなくてもトータルとして幸せな人生になれるとおもう。

他人の弱点について
がつんと言ってやった後、時間をかけて理解できる人とできない人がいると思う。
私は理解できない人には話さない。
その人にとって「理解しない」のが器に対する適量(幸せ)だと思う。
理解できるようになる前に、恨みを持たれてヘンなことをされても困るし。

限定対象に入っていたので
一応日付をあげるならば
土日祝は休みです。休みの前日の平日なら夜も時間はとれます。
 もしも、
 ・望遠鏡や大きい双眼鏡で星が見たい(休前日のみ)、
 ・マッサージチェアにすわりたい、
 ・外資系企業勤務の話が聞きたいまたは話したい
 ・タンパク質?
などがあれば連絡ください。
特別なければ別にいいでしょう。
風我   2009年02月07日 08:16
自分の限界を知るのはある意味非常に容易いことですが、
その限界を認められる人はなかなかいない。
それが「限界ギリギリに近づくと徐々に辛くなっていく」
いちばんの要因になってるんじゃないかなって思います。
器の問題より(間違った)プライドの問題でしょうね。
ウミガメ   2009年02月12日 16:41
読むの遅くなってしまいましたが、
アキバにお越しの際、気が向いたら連絡ください。
17.18日なら昼も大丈夫そうです。
一番寒い時期ですから、風邪などひかれないように。
では!
 
出展 2009年02月07日03:51 『限定版・業務連絡 および 人の器の話』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




おかあつ日記メニューバーをリセット


©2022 オカアツシ ALL RIGHT RESERVED