FLAGS

筆者おかあつ 大きな区分 記事の区分 記事の一覧 検索 ツイート

2009年1月17日土曜日

知り合い (mixi05-u459989-200901170320)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
知り合い
2009年01月17日03:20
さっき、ケンカをした、という日記を書いた。 ムカムカしていたけど、いっぱいコメントを頂いて、とてもすっきりして、嬉しかった。 そうやっていろいろかいていたらおなかが減ったので、外に食料を買い物をしにいった。 バンコクの夜は意外と早い。 国際都市・眠らない街バンコク、という気がするけど、実はごく一部の歓楽街以外では10時をすぎるとあっさりしまってしまう。 だから夜遅くにおなかが減ると結構面倒である。 しかし僕には当てがあった。 というのも近頃、ファッション最先端の街・サイアムスクエアの新しいビルの建築をガンガンやっている辺りに、労働者向けのイサーン料理屋台が出ているのを発見したからだ。

イサーン料理屋台というのは、小さい屋台にヤキトリをゴッソリ載せて、横にある炭火鉢でガンガン焼いて売っている屋台のことだ。 屋台は、バンコクにいくと非常によく見かけるけど、実はこの屋台は実は店主によって文化的にいろいろな違いがあって、ネイティブなイサーン屋台はあんがい少ない。

ネイティブなイサーン屋台には見分け方がある。 サイクローク(イサーン辛ソーセージ) ヤキトリ・鳥砂肝・鳥レバー・鳥心臓などが売られている。 そして、必ず一緒にもち米が売られており、ナムプリックという、つぶした温野菜・しょうが・唐辛子を混ぜた塩辛の様なもがおいてある。 そして付け合せの旬野菜がいっぱい置いてある。

そして、なんといっても最大の特徴は、ヤキトリ・もち米以外の食料はみんな無料で食べられることだ。 野菜・ナムプリック塩辛・横においてある飲料水用のバケツ・手拭等々、そこにおいてあるものは、何でも黙って食べたり飲んだり使ったりしていいようになってる。

値段がまた驚異的で、カウニャオが5バーツ、サイクロークが5バーツなので、10バーツ=30円で腹いっぱい食べられる。 これは驚異的だ。


道端で売ってるので、ホコリとかがついて汚れていることがあるので、要注意だけど、日本では考えられないような、すごく贅沢な新鮮な素材がふんだんに使われているので、はっきりいって、かなりおいしい。

で、普通はこれを袋に入れて持ち帰るのだけど、これを持ち帰らないで立ち食いしてかえる人たちがいる。 黄色いヘルメットをかぶったオッサンがいたり、紺の制服を着たトゥクトゥクの運転手がいたり、掃除のユニフォームをきた人とかがいっぱいいて、店の周りは非常にブルーカラーな雰囲気が漂っているのだけど、この人達は持ち帰らないで、その場で食べていく。

(トゥクトゥクとは)
http://images.google.co.th/images?hl=en&q=%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%AF&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

これが面白いんだけど、そういう人たちが、みんな黙ってやってきて、黙って屋台のフタを開けて、勝手に小分けになったもち米の袋を出して、勝手にムシャムシャ食べて、勝手にヤキトリを火鉢において食べて、勝手にフタを開けて水を飲んで帰っていくのだ。 なんというか、みんなまるで自分の家で食事をしているような風情なのだ。 みんな全ての商品の値段を知っているので「お愛想いくら?」とかも聞かない。 黙って自分で食べた分だけ店主にお金を渡して帰っていく。 みんな一言も話さないのに、何かきちんとコミュニケーションが成り立ってて、すごく面白い。 場合によっては「つりはいらないよー」とかいいつつ明らかに少ないお金を渡して帰っちゃう人も居るけど、おおむねみんなモラルがあって、きちんとしてる。

そんななかに突入して、ムシャムシャと黙って食べるのは、なんともいえない心が温まる感じがしていい。 僕はすごく好きでよく食べにいく。

みんな顔見知りなのか、というとそんなことはないみたいだ。 勝手に食べるのがすごくなんだか悪いような気がして、何度か「食べていいですか?」とか、知ってるのに「これはいくらですか」とか聞いていたこともあったけど、店主は「いちいちいうなよ」というメンドクサそうな顔をされたので、止めた。

とはいえ、外見が明らかな日本人の僕としては時として非常に目立つ。 前、トウガラシを食べていたら、「へー...珍しいわー...」っていう顔をしたおじさんが来てしげしげと眺めた挙句、珍しくて、つんのめってしまったのか「...辛くないですか?」とかいって妙に意味のない質問をしたことがあっておかしかった。

で、この立ち食いイサーン屋台なのだけど、場所によって野菜の回転が悪かったり、ゴミが多かったりするので、きちんと屋台を選んだほうがいい、ということを、僕は最近経験的に覚えたのだった。 ちょっと大き目の屋台をやっている人の方が、ヤキトリの回転がいいので、新しくて焼いたばかりの、おいしいヤキトリが食べられるのだ。

で、そんなヨサゲな屋台をサイアムスクエアで見つけたのだ。

ここはちょっと気合が入っている。 この屋台には、立ち食い専用テーブルが用意してあるという最大の特徴がある。 普通は屋台だけが置いてあるのだけど、ここは屋台とは別にテーブルが用意してあって、そこに野菜やナムプリック・飲料水などが置いてあるのだ。 ちょっとみるとマラソンの休憩所の様だ。 このまわりに人だかりが出来ていて、みんなムシャムシャ黙って野菜を食べている。

これが、リアル・イサーン屋台だ。 というわけで、前置きが長くなったけど、ここに行こうと思ったのだ。

===

そこに行こうと思って歩いていたら、みちばたで、いきなり、トゥクトゥクの客引きから話しかけられた。 美人系のおねぇちゃん写真を見せてくれて 「ねぇちゃんいっぱいいるよー」 といわれた。兼業でポンビキをやってるのだ。 でも側に、僕がよくいくまた別なイサーン焼き鳥屋台のおじさんが店じまいしながら話しかけてきた... だから、「外人でカモが来たぞ、シメシメ」という雰囲気でもなくなってしまった。

「今日お金がないから、頼むよ! 行こう!」
「ちょっとまて、僕も金が無いからいけないよ!」
「(運転手、財布をあけて)みてよ、全然お金ないよ、仕事ちょうだいよ!」
「(僕も財布を開けて) 僕も500バーツしかないし!」
「まだ僕より持ってるじゃん!じゃそこの店に行ってご飯おごって!」
「これでキミにおごったら僕食べられないし!」

なんというか、僕はこのノリが好きだ。 でも本当にお金なかったので、最後に丁重に断って店に向かった。

===

今日は週末だったので、そのヤキトリ屋台は大繁盛になってた。 周りには、最近サイアムで特に流行してるファッション屋台がいっぱい出ていてごった返していた。

で、すごく面白いんだけど、そういうファッション屋台をやってる中華系の女の子に、このイサーン屋台で立ち食いしている子が結構いるのだ。 これは相当珍しいことだと僕は思う。 この子たちはきっと学生で、金があるようで意外と金が無く、こうやって安く食事を済ませているんじゃないかという気がする。

これはすごく印象的だ。

タイを見ていて面白いな、と思うのは、タイに来る外国人は誰でも受け入れることだ。 でもタイはタイに来る外国人に一定の約束を守らせる。 それは法律じゃなくて、タイに来たからにはタイ人として国家を敬い国王を尊敬しなければいけませんよ、というようなルールのようなものだ。 「あなたは今日からタイ人だ、だから今日からはタイ流でやらなければいけませんよ」 ということなのだと思う。 「あなたたちは今日から私たちです」ということだ。

でも 面白いのは、タイ人は同時に「私たちは今日からあなたたちです」ともいっていることだ。

例えば、歴史的に、タイはイサーンという国を占領して取ってしまったわけで、無理やりイサーンをタイとして改造してしまったわけで、これは暴力的でもある。 だけど、多くのタイ人が逆に、イサーン文化はタイの素晴らしい文化です、とも思っているところがすごく面白い。 「お前たちは俺たちだ!」と強引に取り込むだけでなく、逆に「俺たちはお前たちだ」と相手を受けいれて自分たちも一緒に染まっている。

タイって本当に全てを受け入れる国なんだな、と思う。

そういう感じで中華流・イサーン流・タイ流に加え、ドバイ・日本・イギリス・アメリカ・フランス・インド・アフリカ・アラブ・ヒンズー・イスラム... と来る人はぜ~んぶ受けいれてゴチャマゼになったのがこのバンコクという街なんじゃないか、と思う。 僕のマンションの前には、クリスチャンセンターがあって、その反対側にはモスクがある。 隣にはお寺があって、ゴチャゴチャだ。 でもケンカにならずにそれなりに融和しているのが面白い。


===

さっきのトゥクトゥクの運転手にプレゼントしようとおもって、セブンイレブンでビールを買って戻ってきた。 戻ってきたら居なかった。 側の別な運転手に聞いたら客を見つけて行っちゃったよ、ということだった。 折角なので、もしよかったら飲みますか?っていってその人にビールをあげて帰ってきた。 すごく嬉しそうだった。

僕もなんか嬉しかった。 タイ語で「ナムチャイ(水の心)」っていうけど、こういう気持ちの世界が残っているっていうのは、やっぱりいいことだ、と思う。



===

ちょっと抽象的な話になるけど、こういうファッション・ビジネス・哲学・学問・芸術...というような近代化の世界と、知らない人にビールをあげたり、知らない人を助けたり、知らない人としゃべったり...というような心重視の世界とあるんじゃないか、って思う。

難しいのは、この中間にあるグレーゾーンだ。

このグレーゾーンにはいろいろな悪いものがある。

例えばプログラム。 プログラムを作る時に気持を尊重すると、客・経営者・労働者・みんな不幸になる。 きちんと論理的に考えなければうまく行かない。 工業とかビジネスとかは、厳密にきっちりやらないとうまく行かない。

ここには、能力が足りないのにやたらとセレブ風を吹かせて人を見下そうと頑張る人がいる。

能力がある人の足をひっぱって密かに喜んだりする人が居る。

公害が出たり、事故が起こったりする

問題を直視することを避けようとしたりする。

心神喪失者が増えたり、自殺者が増えたりする。

幸せという実感を得られなくなったりする。

心の結びつきを得られなくなったりする。


旧時代の心の世界から脱出して、近代化・工業・経済の世界に入るためには、思い切りが必要だ。 もし近代化するなら最後まで近代化しなければいけない。 中途半端に近代化すると、弊害の方がずっと大きい。 能力以上のことを求められてつらくなったり、能力が足りなくておちこぼれたりする。 能力のなさを外見でカバーしたり手先のテクニックでごまかそうとしたりする。 近代化するなら、本来は論理を使って討論し合理化を目指さなければいけない。 ここに憧れは必要ない。 華やかさも実は必要ない。 そこにはひたすらチャレンジがあるだけだ。

だけど、もし完全に近代に移行しないのなら、旧時代の心の世界の方がずっと穏やかで平和だ。 競争もなく、能力の不足から不幸に陥ることもなく、チャレンジも不要で、チャレンジのなさには言い訳すら不要だ。 大自然のなかで穀物や野菜を育てながら、ただひたすら心の落ち着きと平和を求めることもできる。 本来、人間が生きるためには、さほどたくさんのものが必要なわけではない。 たくさん必要だと感じるのは、資本主義が作り出した錯覚だ。

(ただしこの話に医療だけはのぞく。医療だけは資本主義がどうしても必要になる)


でも、心の世界と、近代化の論理の世界というのは、車軸の両輪みたいなもので、本当は両立しなければいけないものじゃないか、って思う。

両方必要だけど、これをまぜこぜにすると、とてもよくない。

コメント一覧
おかあつ   2009年01月17日 04:55
じゃっかん書き加えた
おかあつ   2009年01月17日 05:02
もう一度書き加えた
みゃう   2009年01月17日 09:02
でも、二十年前、イサーン文化(ガイヤーン以外の食べ物の大半も)
はバンコクでは『異物』でした。思うに時間を経て普通に親しい存在になったのでしょう。
 しかしそのテーブル付の屋台行って見たいですね~
しかしもち米一袋ではとても足り無そう(笑)あの炊き方も実は
すごい実力が現れるのですが~あと、やはり出来立ての時間がベスト
ですけど。

沙羅   2009年01月17日 09:28
おかあつさんって、凄い几帳面??

どうすると、こんなにぎっしりした文面に
なるんでしょう??

単純に端から端まで打ち込むだけってこと
でしょうか??

ごめんなさい、こんな言い方・・

歳取ってくると、途中で疲れちゃって~~
またにしましょ、なんて気分になちゃう
ものですからね~


ということで、また後で、続きを読ませて
いただきますね~

おかあつ   2009年01月17日 15:21
沙羅さん
> どうすると、こんなにぎっしりした文面になるんでしょう??

すみません^^
ヒマがあるときにでも読んでください^^

沙羅   2009年01月17日 16:12
あはは~
ごめんなさい、まだおかあつさんの論文、
読み終わってないで~す

おかあつ   2009年01月18日 06:21
思うんですが、読まなくていいんですよ。 そもそも、僕の日記は多分、こういうところに書く趣旨の文章ではないんだと思います。

こういう文章は、いつでも読めばすぐに理解できる、というものでもないんだと思います。
実際、僕がそうだからです。

でもいつか読みたいって思う瞬間がくるんです。不思議と。ケンカしたときとか、大失敗したときとか、何か大きな転機が会った時とかに 「あ...そういえばあんなことが書いてあったけど、これのことだったのか」とかそういう感じじゃないか、と思います。

そのときに読むようなことがあったら、それでいいんだと思います。
 
出展 2009年01月17日03:20 『知り合い』