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2008年11月19日水曜日

タイ語「シロウト」の日記 (mixi05-u459989-200811190342)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
タイ語「シロウト」の日記
2008年11月19日03:42
最近、英語のニュースをなるべく読むようにしている。

当たり前だけど、英語のニュースは世界中にある。

アサヒ.com にもある。
http://www.asahi.com/english/

タイにもある。
http://www.bangkokpost.com/
http://www.nationmultimedia.com/

パキスタンにもある
http://www.pakistannews.net/index.php

ジャマイカにもある
http://www.jamaica-gleaner.com/

世界中にあるじゃないか。 探せばまだまだいっぱいある。

日本の新聞と違って視点が多様で、ものすごく面白い。



僕は英語を読むのがあまり得意でないので、今までタイのニュースは主に日本語のサイトで読んでいた。 これらの日本語ニュースは主にタイ語・英語ニュースの翻訳なのだけど、そのニュースの書き方が偏っていることにイライライライラしていた。

最近英語の記事を読み始めて、驚いたことがある。 例えば、バンコクポスト誌は偏っていて嫌いだと思っていた。 それが実は全然普通なのだ。 更に思ったのが、ネーション誌だ。 これはソンティリムトーングンという政治家が社長の会社で、どうにもならなく偏ったダメ新聞だと思っていた。 しかし、これも驚くべきことに全然普通だった。

つまり、翻訳している人なのだ。 偏っているのは。



日本人ってタイ語がうまいことが多い。 日本語ってタイ語と近い要素が多いので、タイ語を勉強すると案外速くマスターできる。 それに比べて、西洋人は時間もかかるし長い時間の格闘の末断念してしまう人も多い。 だが、である。 みてると、日本人って『馴染む』のが苦手だ。

例えば、僕がいつも思うのは、日本人タイ語話者の敬語がムチャムチャなところだ。

  「タイに長く居すぎてしまった」と実感するのはこんなとき
  http://www.newsclip.be/blog/thai/20071024_015964.html
  (2013年追記:現在リンク切れ:下部に引用有り)

> 19.タイ以外の国でもひとにぶつかったら「こーとー」と言ってしまったとき

これはタイ語を話す人の間でわりと有名なエントリなんだけど、この上の文章、正しくは 「コートーカー」と言わなければならない。 道で人とぶつかったとき、「こーとー」っていうのはまるで友達と話しているみたいで失礼だ。 というかこれこそ「あぁ外人さんなのね」という風な目で見られる瞬間である。 彼女は彼女が思っているほど馴染んでいないのである。

最近、こういうアラが目に付いてしかたがない。 いや、アラがあるのは僕も同じで、それは仕方がないことだ。 だけど、なんというか、日本人って、そういうような、失礼だ、とか、恥ずかしい、とかそういうような常識感覚が欠落していることが多いような気がする。

確率的なものだけど、その点、西洋人でタイ語を話す人は敬語がきっちりしている人が多い様な気がする。 もちろんウキまくりの西洋人もメチャメチャ多いけど、僕は今まで日本人のなかで、西洋人みたいに敬語がきっちり話せる人っていうのは、あまりみたことがない。

なんというか、日本人って、語彙数とか文法とか完璧な人が多い。 でも「気持ち」がわかってないのではないか。 コミュニケーションとしてみると、実は あまり伝わってないのだ。

要するに『シロウト』なのである。

僕がいう『シロウト』という言葉には特別な意味が含まれる。 この意味を次の章でみてみたい。



日本独特の文化に「住み分け」っていうのがあると思う。 国にもよるけど、日本みたいに「住み分け」がきっちりと分かれている国って珍しいのではないだろうか。 住み分けっていうのは、「クロウト」と「シロウト」をきっちり分ける習慣だ。 僕が思うに、日本以外の国ではここまできっちりすみわけをしないように思う。 僕は、これは、日本人のコミュニケーション下手と関連しているのではないか、と考えている。

例えば、僕の知っている人にカナダのある超有名なホッケーチームの付き人としてお手伝いをしていた人がいる。 この人の話をきくと、いつも驚く。 というのも、話に出てくるそのチームの選手が驚くほどフレンドリーだからだ。 誰にも自分の気持ちやテクニックを説明して、誰にでもアドバイスをして、誰の話もきちんと聴く、という印象を感じた。 日本みたいに、いかにまじめに話をしようとする人でも「おい、コイツ、つまみ出せ」みたいなむげなあしらい方をしない。

というのも、日本では、選手の方が、自分の気持ちに「誠実な」コミュニケーションをとろうとしても、ファンが一方的に自分の思い込みで相手を裁定するような話法で終始してしまからではないだろうか。 結果的に努力空しくファンの一方通行のコミュニケーションで終わってしまう。 特にメディアの露出度が高い有名な選手だったりすると、この傾向は顕著ではないかと思う。

こういうコミュニケーション不全というのは、莫大な時間を消耗するものだ。 選手に限らず何か困難な仕事を志している人は通常たくさんの課題を抱えており、忙しい。 そんななかで、こういう時間の消耗というのは決して小さいダメージではない。

つまりこういう消耗を防ぐために、「クロウト」「シロウト」という線引きをはっきりさせ、「クロウト」は「クロウト」だけと付き合うことでストレスを軽減させようとするものが、この「住み分け」というものの本質ではないだろうか。



思えば、僕が今まで付き合ってきた人というのは、何らかの形で「クロウト」であったり、「クロウト」を目指している人だったりした。 この人たちは、そのレベルが高い低いに関わらず、「最高」を目指すのに一切の言い訳が許されない、と言う点で共通している。 彼らの中には、一流のトップになってしまった人も含まれる。 僕はそういう人と競争してきたし、これからもあきらめずに競走して行きたいのだ。

というのも「わかる人」と競争するというのは、実はたまらなく楽しいからである。 自分の能力を全部出し尽して競争できる人って、実はなかなかいないものだし、 あるいは、自分よりも圧倒的に能力が高い人にコテンパンにやっつけられるのも、実はとても楽しい経験の1つだ。 いずれにしても、レベルが高くないとつまらない。

僕は思うのだけど、別に「クロウト」を目指したって減るわけじゃない。 その世界に居る限り、その世界で全力を尽くしたってバチはあたらない。 お金も掛からない。 時間も実はさほどかからない。 たとえ、仕事をしながらであっても、空き時間や疲れてボーっとしている時間にルーチンワークをこなせば、それだけで随分実力は上がるものだ。 たったそれだけの心がけで「クロウト」の目くるめく楽しい世界で競争できるなら、やったほうがいいじゃないか、と思う。

それなのに「クロウト」を目指す人は少ない。 彼らは「シロウト」なのである。

「シロウト」というのはある意味、非戦闘員のようなものだ。
そのレベルの低さを責めてはいけない。



僕が嫌いなのは、自称「クロウト」である。 その人は自分が「クロウト」だと思っている。 しかし、色々な甘い点もある。 そこまではいい。 誰にでも甘い点はある。 ただその甘い点を直視できないのだ。 それを指摘すると、いいいわけしたり、逃げたり、怒りはじめたりする。 これは実に興ざめなのだ。 そのくせ、えばったようなことをいう。 えばったようなことをいうくせに競争は嫌いだったりもする。 自分より強い人と闘おうとしない。 「クロウト」にしては、まったく心構えがなっていないのだ。

そうやって考えると、タイに居る日本人は「自称クロウト」の人ばかりだ。
それが実につまらない。



ところで、日本人のタイ語「自称クロウト」は、読解力がすごいことが多い。語彙量とか文法とか発音とかにマニアックなまでに執着して完璧に仕上げようとする。 でも、僕はいつも思うのだけど、この「クロウト」はしばしば、理解力が「シロウト」ではないだろうか。 読解の視点が実に一面的で一方的だからだ。 それでいながら、彼はそれでわかったつもりでいる。 レベルは確かに高いのだが、そのレベルの高さが質的でなく、とても量的なのだ。

考えてみると、そんなタイ語「クロウト」は往々にして、読み一辺倒で、書きがない。 これは極めてアンバランスだ。 「書き」というのは「読み」とは違った能力が求められる。 「書き」はとても難しい。

実は 「読み」は、ある意味では「書き」よりも難しいのだ。 「読み」は 一方的な思い込みが許されてしまうところがあり、間違っていても自分で間違いに気がつかず、そのまま放置されてしまう面がある。 自分で間違いに気がつくのは難しい。 その点「書き」は、一方的な思い込みがあれば、「伝わらない」という端的な結果になって簡単に判定できる。 だから「書き」はある面、楽なのである。 読みはその点、自分自身に対する厳しさが求められるだろう。

このように「書き」というのは大切である。 しかし、このタイ語「クロウト」は、実に「書き」が足りないように感じる。 きちんと自分の解釈がネイティブのタイ語話者の感覚と一致しているのかを全く確認していないように見える。 これは本当の意味で読解と呼べるのだろうか。

つまり、これは心構えの点で、本物の「クロウト」とは呼べないのではないか。



タイ語はある意味とても難しいのかもしれない。 タイ人は優しいので、多少タイ語能力が足りなくても許してしまって、相手に苦情をいわないからだ。 だから間違っていてもなかなか気づきづらい。 タイ語というのは実に自分に対して厳しさが求められる言語なのかもしれない。



というわけで、僕には課題が多い。 レベルは決して高くない。 あまり他人のことをとやかく言える立場ではない。 ただ僕がひとつだけいえるのは、僕は本物の「クロウト」だということだ。 レベルが高い低いは関係がない。 本物の「クロウト」は時間がたつにつれ加速度的にレベルが上がるという点で偽者の「クロウト」と大きく異なる。 タイにいる日本人の、レベルの高い「シロウト」とは違うのである。



(引用)

「タイに長く居すぎてしまった」と実感するのはこんなとき
http://www.newsclip.be/blog/thai/20071024_015964.html

1.日本のラーメンを5分で片付けられなくなったとき

2.お蕎麦もれんげ(もしくはスプーン)にのせて食べるようになったとき

3.いろんなことを「ま、タイだし」と許せるようになったとき

4.タクシーの運転手さんが無反応でもキレなくなったとき

5.パクチーがないと物足りない、と思ったとき

6.缶とビンとペットボトルと紙くずを何の疑問もなくまとめて捨てるようになったとき

7.レストランでお釣りを全部財布にしまうのをみみっちく感じはじめたとき

8.徒歩5分の距離でも「遠い」と思ってしまうとき

9.ビールに氷を入れられても、まぁいいか、と思いはじめたとき

10.タイの国歌を聞くと、つい立ち止まってしまうとき

11.女の子がふたりでトイレの個室から出てきてもあまり驚かなくなったとき

12.一人で食事をしている女子を見かけると、淋しいなぁ、と思ってしまうとき

13.日本に帰ったときに、タクシーのドアを自分で閉めてしまったとき

14.微笑みの国なんてウソだ、という怒りを感じなくなったとき

15.屋台のお皿を自分で拭うとき

16.テーブルの上にトイレットペーパーがおいてあることに疑問を抱かなくなったとき

17.プラスチックの食器に嫌悪感を抱かなくなったとき

18.自然にワーイ(合掌)して挨拶をしているとき

19.タイ以外の国でもひとにぶつかったら「こーとー」と言ってしまったとき

20.「あっ!」ではなく「うぃっ!」と驚くようになったとき

21.飲み会で人が揃うのを待たずにビールに口をつけてしまったとき

22.マーケットで必死で値切らなくなったとき

23.「三歩下がって師の影を踏まず」なんて言葉を忘れて、男性の前を闊歩するようになったとき

24.バーツでものを考えるようになったとき

25.飲み会の席で人のグラスに気を配らなくなったとき

26.歩行のための機能性を考慮しない靴を買うようになったとき

27.コーヒーを頼むときに「甘くしないで」とつけくわえるようになったとき

28.カニカマが寿司ネタになっていてもスルーできるようになったとき

29.2000バーツのワインを安いと思うようになったとき

30.カオニャオを手で食べるようになったとき

31.日本に帰ったときに、終電を気にしなくてはいけない、と気づいたとき

32.30平米の家を狭いと感じるようになったとき

33.都会のど真ん中で象がうろうろしていても驚かなくなったとき

34.英語で話しているのに語尾に「ちゃいまい?」とか「かー」とかつけてしまうとき

35.computerの発音が「こんぴゅータェー」と語尾上がりになるとき

36.日本のイミグレで日本人用の「帰国」レーンにいるのに「こっぷんか」と言ってしまったとき

37.コンビニでビールを買うとストローがついてくることにいちいち疑問をいだかなくなったとき

38.「まいぺんらい」を日常的に使うようになったとき

39.コピー商品に対する嫌悪感がだいぶ減ったとき

40.アパートにプールがないと、あれ、ないの、と思ってしまうとき

41.日本人を現地採用・駐在・学生、というくくりで見てしまうとき

42.薬局でプロザックが普通に売られていることに疑問を抱かなくなったとき

43.ヘッドセットで通話しながら歩く人をみて「独り言言ってるよ、キモッ」とか思わなくなったとき

44.ケータイにヘッドセットを使うようになったとき

45.どこの道路が一方通行なのか、どの時間帯に渋滞するのかを把握してタクシーに指示をだすとき

46.トイレにピストルがないと、あれっ、と思ってしまうとき

47.日本のトイレでトイレットペーパーを流すのをためらってしまったとき

まだまだでてきそう。
みなさん、どんな瞬間に「タイに長くいすぎたなぁ」って思いますか?






コメント一覧
出展 2008年11月19日03:42 『タイ語「シロウト」の日記』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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