心の安らぎ...สงบ (おかあつ)
2008年11月08日 15:53
ALC にこういう日記があるのを発見した
http://kaigai.alc.co.jp/world/hitomi/2008/03/348.html
すごく文章がしっかりしていて頭が良い方なんだなと思った。 どうやらこの方はバンコクに住んでタイ語力も普通の日本人よりずっと高いみたいだ。 でも読んでいるとなんかイライラする。 何故だろう。 僕はこれまでバンコクに住む日本男性についてのイライラを想定していろいろなことを書いてきたけど、それとはまた別な感じのイライラだ。 でも、考えてみると、これはなんというかこの人にだけではなく日本女性全般に感じるイライラでもある。
何故なのか考えてみた。 日本女性って、全般的に、凄く価値観が金銭的・物質的な面に偏っているところがあるような気がする。 先日もあるタイで働く日本女性とお会いしたことがあったのだけど同じ印象を持った。
http://kaigai.alc.co.jp/world/hitomi/2008/09/post_25.html
この日記を読んでも思うけど、僕はこの日本に行く女の子がどういう風に不安がっているのかわかる。 だけど著者はこの不安を金銭的・物質的な視点を通して理解していることを感じる。 女の子が感じている不安はそういう数値的なものじゃない。
◇
僕はこの日記の中のJさんの話していることの方がよほどよくわかるし、何故Jさんがムキになってまくし立てるのかも非常によくわかる。 田舎(イサーン)には精神的な安らぎを求める文化が残っている。 これはこの日記の著者が考えているような「田舎のくらし」とは全然別なものだ。 ところがこれを著者は「都会というのはそういうものだ」という一言で片付けてしまっている。 そこが物足りない。
สงบ サ(ン)ゴップ sangop って言う言葉がある。 これは心の落ち着きを表す言葉で、田舎独特の言いまわしである様な気がする。 (タイ語の辞書にも載っているけど、僕がこの言葉をはじめて聞いたのは実はタイ国内じゃなくてラオス※でだった。) これは実は、ただのひとつの言葉を超えて、哲学といえるほどの重みを持っているように感じる。
僕は、東京生まれの東京育ち、東京以外は一切知らない都会っ子で、6歳の頃からパソコンショップに出入り、趣味はプログラミング、時を同じくしてジャズやYMOとかアースウィンドアンドファイヤーが大好きで---というような都会っ子の極みの様な人生を送ってきたので、都会っ子という意味で言えばこの著者よりもずっと都会っ子だ。
しかしだからといって僕は田舎を見下したりはしない。 このサゴップという言葉にはとても素晴らしいものがあり、そこには尊敬できるものがある。 これは田舎だけではない。 これこそがタイ人の心の奥底にある基本的な考え方であると感じる。
でもみんなそこまで踏み込まない。
◇
誰でも自分の精神が崩壊してしまわないように、どこかで自分を守ろうとする本能があるのだと思う。 これ以上深く踏みこんだら自分が壊れると感じる限界があるのだと思う。 しかしその限界というのは実は虚像なのだ。 実は、その限界を超えてみると案外なんていうこともなく、慣れてしまえばそっちの方が普通に感じたりするものだ。
僕的には、これこそが語学の奥義であるように思える。 文字を覚えたり単語を覚えたりするのではなく。
※ タイ語とラオス語は、非常に近い言語で文法は若干違うものの、単語などは共通するものが多い。 スペイン語・ポルトガル語の関係と似ている。 タイの東北地方は百数十年前までラオスの領土だったため、生活上はタイ語ではなくラオス語を話している。 僕は、上記のエピソードから、漠然と、このサゴップという考え方が、タイの都心では失われている様子を感じる。
http://kaigai.alc.co.jp/world/hitomi/2008/03/348.html
すごく文章がしっかりしていて頭が良い方なんだなと思った。 どうやらこの方はバンコクに住んでタイ語力も普通の日本人よりずっと高いみたいだ。 でも読んでいるとなんかイライラする。 何故だろう。 僕はこれまでバンコクに住む日本男性についてのイライラを想定していろいろなことを書いてきたけど、それとはまた別な感じのイライラだ。 でも、考えてみると、これはなんというかこの人にだけではなく日本女性全般に感じるイライラでもある。
何故なのか考えてみた。 日本女性って、全般的に、凄く価値観が金銭的・物質的な面に偏っているところがあるような気がする。 先日もあるタイで働く日本女性とお会いしたことがあったのだけど同じ印象を持った。
http://kaigai.alc.co.jp/world/hitomi/2008/09/post_25.html
この日記を読んでも思うけど、僕はこの日本に行く女の子がどういう風に不安がっているのかわかる。 だけど著者はこの不安を金銭的・物質的な視点を通して理解していることを感じる。 女の子が感じている不安はそういう数値的なものじゃない。
◇
僕はこの日記の中のJさんの話していることの方がよほどよくわかるし、何故Jさんがムキになってまくし立てるのかも非常によくわかる。 田舎(イサーン)には精神的な安らぎを求める文化が残っている。 これはこの日記の著者が考えているような「田舎のくらし」とは全然別なものだ。 ところがこれを著者は「都会というのはそういうものだ」という一言で片付けてしまっている。 そこが物足りない。
สงบ サ(ン)ゴップ sangop って言う言葉がある。 これは心の落ち着きを表す言葉で、田舎独特の言いまわしである様な気がする。 (タイ語の辞書にも載っているけど、僕がこの言葉をはじめて聞いたのは実はタイ国内じゃなくてラオス※でだった。) これは実は、ただのひとつの言葉を超えて、哲学といえるほどの重みを持っているように感じる。
僕は、東京生まれの東京育ち、東京以外は一切知らない都会っ子で、6歳の頃からパソコンショップに出入り、趣味はプログラミング、時を同じくしてジャズやYMOとかアースウィンドアンドファイヤーが大好きで---というような都会っ子の極みの様な人生を送ってきたので、都会っ子という意味で言えばこの著者よりもずっと都会っ子だ。
しかしだからといって僕は田舎を見下したりはしない。 このサゴップという言葉にはとても素晴らしいものがあり、そこには尊敬できるものがある。 これは田舎だけではない。 これこそがタイ人の心の奥底にある基本的な考え方であると感じる。
でもみんなそこまで踏み込まない。
◇
誰でも自分の精神が崩壊してしまわないように、どこかで自分を守ろうとする本能があるのだと思う。 これ以上深く踏みこんだら自分が壊れると感じる限界があるのだと思う。 しかしその限界というのは実は虚像なのだ。 実は、その限界を超えてみると案外なんていうこともなく、慣れてしまえばそっちの方が普通に感じたりするものだ。
僕的には、これこそが語学の奥義であるように思える。 文字を覚えたり単語を覚えたりするのではなく。
※ タイ語とラオス語は、非常に近い言語で文法は若干違うものの、単語などは共通するものが多い。 スペイン語・ポルトガル語の関係と似ている。 タイの東北地方は百数十年前までラオスの領土だったため、生活上はタイ語ではなくラオス語を話している。 僕は、上記のエピソードから、漠然と、このサゴップという考え方が、タイの都心では失われている様子を感じる。
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