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2008年9月7日日曜日

これからどうするか (mixi05-u459989-200809072220)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
これからどうするか
2008年09月07日22:20
20:21 2008/09/07

友達であるうちは仲がよかったのだけど一緒に仕事を始めたら突然中が悪くなったりすることってあるように思う。 それは友達であるうちは利害関係がなかったので本音で語り合えただろうし、駆け引きも生まれないからではないか。 ところが一緒に仕事を始めると本音が言えなくなることもあるだろうし、うそを言って自分の利益を守ることもあるだろうと思う。 ところで、男女関係というのも一種の利害関係でいろいろと本音が見えなくなりがちであるように思う。

最近僕はあまり仕事をしていない。 あまり集中できておらず、頭が空回りをしている。 本当はデータベースファイルの設計をしなければいけないのだけど、そんなことはほったらかして夜な夜なスクンウィット通りの繁華街を当てもなく行ったり来たりしている。スクンウィット通りというのは、全てがごちゃ混ぜのありとあらゆる人種や階級のルツボのような場所で国籍問わず経営者金持ちから物乞い売春婦まで一箇所にごちゃ混ぜになっているところだ。

中には有名な風俗街があり有名なビジネス街があり有名な援助交際出会い喫茶があり有名な国立大学があり有名な病院もあり本当にごちゃごちゃだ。 僕はよくわからないのだが、ここで何かを探してここをうろうろしている用に思う。 自分でも何を探しているのかよくわからない。 だけどここをうろうろしている人は国を問わず独特な自由な雰囲気を持っており、すぐに打ち解けられる。

最近、よく置屋のような場所に行く。 ゴーゴーバーといって女の子が裸で踊っており値段を交渉して連れて帰ることができるようになっている場所だ。 一種公然とした売春の温床になっている。 ま、そういう風に売春の温床となってはいるが売春に手を出しさえしなければ、入場料は無料でもありビールも1本たったの400円程度で、ある意味誰にでも手軽に楽しめる気軽な娯楽にもなっている。

入ると自分を買わないかという女の子がたくさん来る。 僕はそういう女の子を片っ端から断っていく。

僕はタイ語を話すし、かたことだけどイサーン語すら話す。 ましてやこういうところにいる女の子は99%イサーン地方出身であり、僕はタイに来てからこのかた、イサーンの奥地の田舎中の田舎に住んでいたので、こういう女の子がどういう境遇でどういう悲しい話があってこういう場所に来るのかよく知っている。 ごく親しかった友達が突然の不幸に見舞われ、どうすることも出来ず単身バンコクに身を売りに来たりする悲劇を何度も間近で見た。 助けることも出来ず、そのまま彼らは悲劇の中におぼれていく。

こういう女の子を買うということはいろいろな意味で利害関係になるということで、結果的にいろいろなことが見えなくなってしまうように思う。

こういうところにいる女の子は若いのにものすごく人間が出来ている子が多い。20代そこそこの女の子なのに、日本で言えば50代の大人と話しているような錯覚をすることがある。 人間が出来ているので話していてとても楽しい。 人生のいろいろなことを受け止める包容力がある。

こういうところにいる女の子はほとんど、背後に養うべき家族がいたり、学校に通う学費が必要だったりする。 だから、僕がいくら話しが楽しいと思っていても、僕にその女の子を買う気がないのなら、彼女には遊んでいる暇などなく、他の客を探しにいかなければならない。 要するに僕みたいな「その気」のない男は迷惑なのだ。

また、僕はこういうところにいる女を物色する日本人ともいろいろ話をした。実は以前僕はタイにいるとき日本語は一切しゃべらないと心に決めていた。 言葉を勉強しているときに母国語を話すと、みんな忘れてしまうからだ。 だから日本人にも近づかないようにしていたのだけど、今はあまり気にせずにどんどん日本人と話すようにした。

すると、やっぱり当たり前なのだけど、こちらはイサーンの話などまったく知らず、彼女たちの苦しい状況や乗り越えるべき逆境を理解する能力も持たず、語学力も持たず、まるで赤ん坊のような人間性だと思う。 彼らはお金で全てが解決できると錯覚しており、お金で女の子が動くと錯覚している。 こちらはまるで子供のようだ。

一方、タイ人は日本社会の複雑さや閉塞感、不自由で閉鎖的な人間関係から逃げ出してくる日本人の複雑な心情はわからない。

実際には彼女たちはきわめて打算的な考え方で動いている。そこには単に家族を養うために働くという以上の動機はない。 しかし、打算的でありながらもそこに懐の深さがあり、複雑さを超えて彼らに親切にする。 日本人は往々にしてタイ人を見下している。かといってタイ人のことを理解する能力ももたない。 タイ人はそのことを知っている。しかしそれをとがめず、親切にする。


僕は何故かこの両方が同時に見える。 どちらの気持ちもわかる。 すると、かわいそうだという同情の気持ちや、助けたいという気持ちとは、また別な、なんともいえない深い悲しみのようなものに襲われる気がする。 ただひたすら、世の中には絶対にどうにもならないことがあるということを感じる。


僕はここで何がしたいのだろうかと思う。 ここには三流崩れの日本人と、不幸におぼれるタイ人しかいない。 それを見て悲しみにくれているだけでは、始まらないのだ。

方や、ここにはタイのエリート中のエリートもいる。 僕はこの間、タマサート大学に赴いてそういう人たちとの出会いにも恵まれた。 すると、僕は、それはそれで、物足りなかったりもするのだった。 彼らは恵まれた環境で育って適切な教育も受けて頭がよい。 論理的で回転が速く話が面白かった。 しかし、方や僕のほうといえば、ただの中卒の貧乏人であり、彼らに僕の逆境は理解できない。 彼らは要するに日本人と変わらない。

この事実に気がつくとき、僕はなんと言うか、自分をありのままに理解できる人はこの世のどこにもいないのだ、という非常に深い孤独感を感じることがある。

しかし、論理と心情っていうのはあい矛盾する関係だと思う。 これを両方とも同時に理解できる人というのは、そうそうは出会わない。 僕は、このことに対してとても強い孤独感を感じることがある。

よくわからん。

このこと以外にもいろいろな出来事があったのだけど、今後僕はどうしようか、まだ決めかねている。 僕はこのまましばらくあちこち旅を続けようと思う。 ラオスには行こう。 前から行きたかったパクセーにも行きたい。 ウボンも行ったことがない。 ラオス北部も行ったことがない。 日本軍が駐屯していたというカンチャナブリーも見たい。


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出展 2008年09月07日22:20 『これからどうするか』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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