問
2008年07月04日11:00
http://en.wikipedia.org/wiki/Inquiry
この記事はここ2~3年で書かれたものだけど、凄く面白いので、あとで気合を入れて読もうと思う。
P.S.
日本語の記事...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A2%E7%A9%B6
こうして比べると思うんだけど、英語の記事には実に当たり前のことが粛々と書いてあるのに対して、日本語の記事には実に面白そうで難しくカッコいい事がたくさん書いてある。 だから日本の知識人ってバカばっかりなんだよな...。
P.S.2
日本語の記事をもうちょっと読んでみて思ったんだけど、日本語の記事ってかなりの部分外国の知識の輸入だ。 それはいい。 その時、用語がきちんと統一されてないのが問題だと思う。 だから、みんなで同じことについて話してるのに、違う言葉でピーチクパーチク話し合って「お前はわかってない!」「わかってないのはお前じゃ」戦争でゴチャゴチャになってる様な気がする。
この現象って哲学だけじゃなくて、日本人のドイツ語研究に関しても同じことを感じる。
用語をキチンと統一するって大切だけど、そういうものを決めるとき、日本だとどちらの先生が偉いかとかそういう本質とは全く異なる物事に基づいて決定されたりするので、読むに値しない変なモノばかりが出て来るんだと思う。
英語の哲学書が読むと比較的すんなり理解できて割りと日常的に応用できたりするのに対して、日本語の哲学書は読めば読むほどわからなくなる。 これも知的吝嗇の1つだと思う。
この記事はここ2~3年で書かれたものだけど、凄く面白いので、あとで気合を入れて読もうと思う。
P.S.
日本語の記事...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A2%E7%A9%B6
こうして比べると思うんだけど、英語の記事には実に当たり前のことが粛々と書いてあるのに対して、日本語の記事には実に面白そうで難しくカッコいい事がたくさん書いてある。 だから日本の知識人ってバカばっかりなんだよな...。
P.S.2
日本語の記事をもうちょっと読んでみて思ったんだけど、日本語の記事ってかなりの部分外国の知識の輸入だ。 それはいい。 その時、用語がきちんと統一されてないのが問題だと思う。 だから、みんなで同じことについて話してるのに、違う言葉でピーチクパーチク話し合って「お前はわかってない!」「わかってないのはお前じゃ」戦争でゴチャゴチャになってる様な気がする。
この現象って哲学だけじゃなくて、日本人のドイツ語研究に関しても同じことを感じる。
用語をキチンと統一するって大切だけど、そういうものを決めるとき、日本だとどちらの先生が偉いかとかそういう本質とは全く異なる物事に基づいて決定されたりするので、読むに値しない変なモノばかりが出て来るんだと思う。
英語の哲学書が読むと比較的すんなり理解できて割りと日常的に応用できたりするのに対して、日本語の哲学書は読めば読むほどわからなくなる。 これも知的吝嗇の1つだと思う。
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