才能
2008年07月01日06:27
自分の居場所
→ 自分の居場所が見つかるかどうかと、その人の才能や創造性とは本来関係が無い。
才能もあり、自分の居場所のある人もいる。
才能があっても、自分の居場所がない人もいる。
才能がなくても、自分の居場所のある人もいる。
才能もなく、自分の居場所もない人もいる。
だから、自分の居場所を見つけただけで満足してはならない。
同様に、自分の居場所が見付からないからといって、哀しむことは無い。
ただ、自分になることだけを考える。
============================
才能
→ 自分の能力が、環境に恵まれたことによるものなのか、環境によらない純粋な才能によるものなのかを見極めることは大切だ。
恵まれた環境さえあれば、誰でも有る程度の能力は開く。
ところが、才能があっても、恵まれた環境が無ければ、能力は開かない。
だから、恵まれた環境があると、自分に才能があると錯覚してしまいがちだ。
多くの人は、ここで立ち止まる。
だから、自分になることだけを考える。
→ 自分の居場所が見つかるかどうかと、その人の才能や創造性とは本来関係が無い。
才能もあり、自分の居場所のある人もいる。
才能があっても、自分の居場所がない人もいる。
才能がなくても、自分の居場所のある人もいる。
才能もなく、自分の居場所もない人もいる。
だから、自分の居場所を見つけただけで満足してはならない。
同様に、自分の居場所が見付からないからといって、哀しむことは無い。
ただ、自分になることだけを考える。
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才能
→ 自分の能力が、環境に恵まれたことによるものなのか、環境によらない純粋な才能によるものなのかを見極めることは大切だ。
恵まれた環境さえあれば、誰でも有る程度の能力は開く。
ところが、才能があっても、恵まれた環境が無ければ、能力は開かない。
だから、恵まれた環境があると、自分に才能があると錯覚してしまいがちだ。
多くの人は、ここで立ち止まる。
だから、自分になることだけを考える。
コメント一覧
ゆきぼん 2008年07月01日 21:32
才能と居場所。環境と才能。
まさにそうだなと考えてしまいました。
「自分になることだけを考える」
とてもむずかしいことなんですが、とっても大切なことだと思うのです。
まさにそうだなと考えてしまいました。
「自分になることだけを考える」
とてもむずかしいことなんですが、とっても大切なことだと思うのです。
おかあつ 2008年07月01日 22:05
正解です。 そうなんです。
ミュージシャンを目指す人って、駆け出しの間、いろいろな人から仕事を請けて忙しくなっててんてこ舞いになって、それが快感になる人っています。 本当によくいます。 それが間違っているんだということに気がつくまでに時間がかかりすぎる人がいます。
それがスポーツ選手ならそれでいいのです。 スポーツ選手は点を取って多く点を取った人が勝ちです。 それは誰もが知っていることで、誰もが理解できることだからです。
でも音楽は違います。 ある音楽がいい音楽か悪い音楽かは、人それぞれ変わります。 ある人がそれがいいと思えば、それはいいのです。 有る人がそれが悪いと思えばそれは悪いんだと思います。 そういう意味で、音楽の価値っていうのは「自分」しか知らないことなのだと思います。 これは誰もが理解できることではありえません。
だから、自分にならないと何も残らないのです。 ここが音楽とスポーツの大きく異なる点です。
ところが、ここで、音楽にスポーツと同じような普遍的な価値を持ち込もうとする人がいます。 それは「○○音大卒」とか「○○からデビュー」とか「○○万枚の売り上げ」とかそういう価値観です。
この人たちは、音楽を聴いていないのです。
このことが日本から外に出ると実に自然に感じられるのです。
ところが、日本にいるといろいろなバイアスとぶつかるため、とても特殊なことのように感じます。
ミュージシャンを目指す人って、駆け出しの間、いろいろな人から仕事を請けて忙しくなっててんてこ舞いになって、それが快感になる人っています。 本当によくいます。 それが間違っているんだということに気がつくまでに時間がかかりすぎる人がいます。
それがスポーツ選手ならそれでいいのです。 スポーツ選手は点を取って多く点を取った人が勝ちです。 それは誰もが知っていることで、誰もが理解できることだからです。
でも音楽は違います。 ある音楽がいい音楽か悪い音楽かは、人それぞれ変わります。 ある人がそれがいいと思えば、それはいいのです。 有る人がそれが悪いと思えばそれは悪いんだと思います。 そういう意味で、音楽の価値っていうのは「自分」しか知らないことなのだと思います。 これは誰もが理解できることではありえません。
だから、自分にならないと何も残らないのです。 ここが音楽とスポーツの大きく異なる点です。
ところが、ここで、音楽にスポーツと同じような普遍的な価値を持ち込もうとする人がいます。 それは「○○音大卒」とか「○○からデビュー」とか「○○万枚の売り上げ」とかそういう価値観です。
この人たちは、音楽を聴いていないのです。
このことが日本から外に出ると実に自然に感じられるのです。
ところが、日本にいるといろいろなバイアスとぶつかるため、とても特殊なことのように感じます。
クレ 2008年07月02日 02:13
>日本にいるといろいろなバイアスとぶつかるため、とても特殊なことのように感じます。
日本人は自分がいいと思うことより、みんなと同じにいいと思える感覚を持っているかどうかを気にするんでしょうねえ。
自分で判断する目があれば、ついてるタグなんて気にしないでしょうに。
日本人は自分がいいと思うことより、みんなと同じにいいと思える感覚を持っているかどうかを気にするんでしょうねえ。
自分で判断する目があれば、ついてるタグなんて気にしないでしょうに。
さい 2008年07月04日 06:00
すっごくおかくんらしい文章ですね。
高校の時の、内容は覚えていないけど
よく話していたことを思い出しました。
おばさんの私からの感想は
”「自分になる」って何だろう”
高校の時の、内容は覚えていないけど
よく話していたことを思い出しました。
おばさんの私からの感想は
”「自分になる」って何だろう”
おかあつ 2008年07月04日 07:26
>すっごくおかくんらしい文章ですね。
いや、だから、これは何度も言っているように、僕らしいんじゃなくて、ヨーロッパでは普通の考え方なんだっていうのに。
いや、だから、これは何度も言っているように、僕らしいんじゃなくて、ヨーロッパでは普通の考え方なんだっていうのに。
tear 2008年07月10日 21:40
何かを作るとき
自分がこうしたいというもの100パーセントにしてしまうと、自分は楽しいがただの自己満足になってしまう可能性があり受け手は楽しめなかったりするので、受け手にも分かりやすいよう、共感できる部分を何割かいれる。
売れるもの、ファンを意識したつくりにすると自分らしさがなくなりつまらないものとなる、求められているものは変動するので一体何に対して作っているのかぼやけてしまうので、人にあわす必要もない。
結果、自分が納得し作りたいものをつくり続けるのが良い。
自分がこうしたいというもの100パーセントにしてしまうと、自分は楽しいがただの自己満足になってしまう可能性があり受け手は楽しめなかったりするので、受け手にも分かりやすいよう、共感できる部分を何割かいれる。
売れるもの、ファンを意識したつくりにすると自分らしさがなくなりつまらないものとなる、求められているものは変動するので一体何に対して作っているのかぼやけてしまうので、人にあわす必要もない。
結果、自分が納得し作りたいものをつくり続けるのが良い。