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2008年4月26日土曜日

ベルリンで2 (mixi05-u459989-200804262220)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
ベルリンで2
2008年04月26日22:20
いろいろなことがあって、いろいろかんがえたけど、あとで読むと「あぁあのころはこんなこともわかってなかったんだな」とか感じるんだろうな...。 悔しいけど、まぁそういうものだし、知らないことは、しょうがない。

18:14 2008/04/26

僕は今、ドイツのベルリンにいて、朝だ。 ユースホステルのロビーにいる。 昨日はなんだかんだで結構疲れた。 なんというか、あまりにもコミュニケーションが成り立たなさ過ぎて、正直しんどい。

たくさん思ったことがある。

まず、ドイツ人が英語が上手い、というのは偏見だ。 英語ネイティブじゃない人は、何人であってもやっぱり上手ではない。 確かにドイツ語と英語は、発音・文法などが似ているので、日本人が少しだけ勉強した状態よりは、はるかに上手ではある。だけど、まったく問題がない、とは言いがたい。 そして、英語が上手な人は、英語が上手なことを鼻にかけているので、とても話しにくい。

昨日、水を買おうと思ってロビーに行ったら、ロビーがすごく混んでいてしばらく待たされた。 そしたら、前話したときに結構感じ悪いなと思っていたフロントマンが、イギリス人風の英語をネイティブで話す人の対応をしていた。 そのフロントマンの態度が僕のときと微妙に違うのを見て取れた。 僕のときは結構高圧な感じで話すのに対して、この人に対しては、微妙に腰が低い。 それをみて思ったんだけど、ひょっとしたら、ドイツ人とイギリス人って、韓国人と日本人みたいなところがあるのではないだろうか。

顔もそっくりだし、文化的にも同じではないけど結構似ている。 だけど、戦争で勝った負けた・経済で勝った負けたの関係があって、微妙に引け目みたいなものを感じている。 だから、思わず何か微妙に腰が低くなってしまう。 そうやって引け目を感じていると自分よりより低いものを探したくなる。 すると、自分より低いと思ったものには、思わず高圧な態度で出てしまいがちだ。

韓国人は日本人に引け目を感じていることが多い。 ところが、韓国人はタイ人には結構高圧な態度にでることが多いようだ。そのような話は、タイにいるとき色々と聞いた。 また、インターネットで見たローカルなニュースで知ったのだけど、タイ人妻と韓国人夫が国際結婚するのが流行っているのだそうだ。しかし、高圧な態度の夫が大きな問題になっているという話もでているらしい。

あくまでも想像でしかないけど、ドイツとイギリスと日本にも、それに近い関係があるのかもしれないと思う。 本当のところはどうかわからない。



こういうことも思った。 僕は、きっと日本にいるジャマイカ人のような存在なのだ。 僕はひとなつっこいジャマイカの人が好きだ。 しかし、日本にいるジャマイカ人は、肌も黒いし一目で外人とわかってしまうので、日本人から何もしていないのに警戒されてしまう。 だから、一生懸命打ち解けようと日本語を勉強して、仲良くしようとする。 でも日本人は警戒心が強いので、打ち解けようとすればするほど、逆に警戒されてしまう。 きっと、僕は、これの逆をやっているのだ。

僕は、顔が明らかに間違いようも無く日本人だ。 周りにいる人は、99%ヨーロッパ人であり、アジア人などこの国際ユースホステルにだって一人いるかいないかというレベルだ。 そういう僕が、なるべく丁寧に街の人に話しかけても、余計警戒されてしまう。

ドイツの人は、スマイルの習慣が無いみたいだ。 アメリカの人やタイの人にはスマイルの習慣がある。 スマイルは(昔の日本にはあった)会釈のような感じで、誰にでも差別なくするものだが、日本人には無い。 これと同じ様に、ドイツ人にも無いみたいだ。 その代わり、日本人よりはっきりした挨拶の習慣があるみたいで、誰にでも「ハロー」「グーテンターク」「チース」「ヴィダゼン」の4つの言葉を言うみたいだ。

ところが、相手がアジア人と見ると、みんなグッと詰まって言い出せないでいるのを観察できる。 通じないかもしれない、という不安感がそうさせるのだと思う。 わりと言葉に依存したコミュニケーションの要素が強いんだと思う。 その辺、結構日本と似てる。

友達のドイツ人と一緒に街を歩いていると、すぐ気が付くのだけど、誰も僕とアイコンタクトをとらない。 一緒にドイツ人が居るとすがるようにそっちに目線がいってしまう。 ところが、漠然と、僕のことを意識しているのは感じる。 それは、すごくあいまいに漠然と判ることなのだけど、ちょっと面白い。 たとえば、部屋に入るとき、そこに誰かすでに居れば、普通はグーテンタークって挨拶する。 これを普通は結構小さい声でしか言わないのに、僕らが部屋に入ってくるときは普通より微妙に大きな声でグーテンタークっていったりする。 これは、アジア人の僕が部屋に入ってきてびっくりしており、でもそれを隠しており、しかし、場の全員がびっくりして僕に注目してしまっているので、グーテンタークの声が総じて大きくなってしまうんだと思う。

そういう感じで、漠然と僕のことを『白い目』で意識しているのを感じる。 だけど、絶対に僕と直接アイコンタクトを持たない。 これは、間違いなく、僕を怖がっているんだと思う。



これはさっき起こった話なのだけど、ホテルのロビーでパソコンを使っていたら、「英語はなせますか?」って話しかける人が居た。 それですぐこの人はちょっと違うなと感じたのだけど、見たら、ユースホステルが使っている外部委託会社からきた掃除のお兄さんだった。 ロビーを掃除するので僕にどいてほしいらしかったのだけど、スマイルがあるし、すごく感じのいい話かたで話すし、直感的にこの人はベルリンの人じゃないな、と思った。 聞いてみたらやっぱりベルリンの人じゃなかった。ドイツ中部から来たっていっていた。 つまり、地方から来て、苦労している人なのだ。 苦労している人は目が違う。とても温和な目になる。

僕が東京の人だと聞いて、ちょっと嬉しそうだった。 僕もそういう丁寧に挨拶してくれるその人の応対が嬉しかった。 僕は英語が上手くなくて...っていっていた。そういう謙虚なところもベルリンの人とぜんぜん違う。

やっぱりここは首都なんだな、と思った。つまり、首都には既得権益の勝ちグループがおり、彼らから使われる側の負けグループがある。 そういう見えない差別があるのだ。

これは聞いた話なのだけど、例えばデュッセルドルフとかは、海外の企業とかを誘致するための多少補助があるらしい。 だから、街を歩いていてもアジア人をはじめ、結構外人がたくさん居る。 しかし、ベルリンはすごく保守的な政策をとっているらしく、外国の企業は入りにくいらしい。



今日まで、このユースホステルに朝ごはんがあるということを知らなかった。 今朝、昨日仲良くなったイランの人がこのユースホステルの朝ごはんのことを教えてくれた。 それでさっき食べに行った。

思ったのだけど、ドイツ人っていつも団体で行動している。 みんな仲良く10人とか20人とかで朝ごはんを食べている。 学校の行事か何かであれば、それが普通なのかもしれないが、そういう感じでもなかった。 僕のように一人でベルリンをブラブラしている人は、とても少数派であるらしかった。 これは、改めて考えてみると、すごく臆病で防衛的な気持ちが強いことの表れなのかもしれないと思った。

臆病だからアイコンタクトもとらないし、臆病だからいつも集団で行動する。 臆病だから英語を話すときも攻撃される前に攻撃しはじめるのかも知れない。

この解決策は、やっぱりドイツ語を勉強する事しかないのだと思う。

正直、ドイツの人は、感じが悪いと思った。 ツンケンしてて、よそよそしいし、目を見て話さないし、スマイルもないし、ギャグも通じない。 でも、だからこそ、それを超えたところで、仲良くなれるのかも知れないと思った。

その為には、ドイツ人と同じ様に振舞ってもダメなのだ。 そういう文化・習慣・言葉をよく知ることと同時に、そういう相手の複雑な心理をほどくための心の技術が必要なのだと思う。


P.S.

そういえば、タイだと、なんというか、日本人がいくら顔が違うといっても、タイ人・日本人ともに、アジア系の人種で、タイにも日本人のような顔をした人がいないこともない。 でも、だから、ドイツ人ほどは警戒されないかといえば、考えてみれば、そうでもなかった。 タイ語を勉強し始めたばかりの頃は、こちらがタイ語を話しているのに、みんな目を見て話してくれないことに、すごくフラストレーションを感じたこともあった。 しかし、これには色々な複雑な要素が絡み合っているので、一言にこれが問題だとはいえないところがある。

たとえば、僕が日本人だから、という以前の問題として、僕が話しているタイ語は、あくまでかしこまったときに話す標準語という要素があった。 そういうように、都会の言葉タイ語と、庶民の田舎の言葉のタイ・イサーン語という対立という要素があった。 タイ語を話すこと自体が相手を警戒させてしまうことがあった。

さらに、今の僕のタイ語はかなりイサーンのなまりが入っているらしい。明らかに顔が日本人なのにイサーンなまりのタイ語を話すというのは、なんというか、タイ人にとって全く想定外の出来事らしく、完全に言葉が通じているのに、あっけに取られて、返事をくれないことがある。 これが、また、話を複雑にしている。

いずれにしても、もう一度、タイに行って、色々な修行をしないといけないと思う。

P.S.2

そういえば、ロシア人には、こういうツンケンした感じがあまり無いと思う。 ロシア人と話すときは、あまりヨーロッパの人と話すときみたいな壁を感じない。 すごく素朴な感じがする。 これは思えば、僕がロシアの人を好きになったきっかけでもあった。

何故、こういうことになるのか、まだはっきりは知らない。 色々な要素があるのだと思う。 ロシア人があまりアジア人に対して「アレルギー」を持っていないということも、あるかもしれない。 こちらも、いつか、きちんと考えて見なければいけないことの一つだと思う。


P.S.3

そういう意味では、ロシア語を勉強して得られるパーソナルスキルと、ドイツ語を勉強して得られるパーソナルスキルは、かなり違うのだと思う。 あいてがヨーロッパ人の時は、アジアアレルギーからくる相手の警戒心を解くためのスキルがすごく重要だからだ。 そういう意味では、こうして、僕が苦労しているのも、とても有意義なことなのかもしれない。

ある意味では、女性のほうが男性より、ずっと容易なのだと思う。 女性はもともと相手の警戒をとくことが出来るけど、男性は国を問わず一般的に警戒されるものだ。相手が男性であれば当然のこと、相手が女性であればなおさら警戒させてしまう。


P.S.4

僕は語学を勉強するときに、語学を勉強する以前の問題として、魅力的な自分を磨くことがとても大切だと思う。 友達が出来れば、語学力は劇的に進歩する。 でも語学がほしいから友達を作ろうとしても絶対に友達は出来ない。

魅力というのは、外見やファッションによっても得られるものもあるけど、それ以上に内面的なものが非常に重要なのだと思う。 そういうものを普段から心がけていないと、きっと語学は生きてこないのだと思う。






コメント一覧
ガクムラ   2008年04月26日 23:49
ものすごい観察力に何度もうなずきながら読みました。

>女性はもともと相手の警戒をとくことが出来るけど、男性は国を問わず一般的に警戒されるものだ。相手が男性であれば当然のこと、相手が女性であればなおさら警戒させてしまう。

特に男ひとりだと余計不利に警戒感を抱かせてしまうことがあります。
僕もこれには本当に悩まされます。

独り旅で旅行中でもスーツでも着ていないと不審がられるのは困りものです。

余談ですが、その点、不思議なのが東京という街ではスーツでいる限り、ひとりでいようが昼間の郊外の住宅地を歩いていようが人に警戒されにくいということです。

これが郊外の住宅地を昼間からジャージで歩いていると極度に警戒されてしまう。
僕にとってはこれが東京の不思議さです。
退会したユーザー   2008年04月27日 08:19
>僕のときは結構高圧な感じで話すのに対して、この人に対しては、微妙に腰が低い。 それをみて思ったんだけど、ひょっとしたら、ドイツ人とイギリス人って、韓国人と日本人みたいなところがあるのではないだろうか。

なるほど。とっても分かりやすいです。
沖縄の在沖米兵がそんな感じ。もちろん皆が皆そうじゃないけど。
沖縄で暴行、レイプ、万引き事件なんか起こるのは米兵のそういうことが根底にあるのでしょうね~。うん、きっとそうだ。納得!
 
出展 2008年04月26日22:20 『ベルリンで2』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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