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2008年4月25日金曜日

ベルリンについたが... (mixi05-u459989-200804252335)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
ベルリンについたが...
2008年04月25日23:35
ベルリンにて 7:07 2008/04/25

デュッセルドルフから1時間ぐらい列車に乗って更にバスで1時間ぐらい移動したところにヘマーという街があって、僕は今日までずっとそこにいた。 とても静かな街で好きだったけど、病院と山しかない街で、カフェや本屋などの都会の香りをさせるものは一つもなかった。 あまりにも退屈で、このまま二週間ヘマーに居るのは、あまりにも無為すぎると思った。 もちろんドイツ語の学校などもあるわけも無く、このままここにいてもドイツ語の上達も望めない。

ヘマーの友達は家の事情があり、家族を置いて家をでるわけには行かなかった。一緒にいくことはできなかったのだ。ずいぶんなやんだけど、僕は、思い切って一人で街を出ることにした。

ヘマーでは、本当に英語がぜんぜん通じなかった。 もちろん、ここはドイツであり、英語が通じないのは当たり前であり、僕も英語が通じることを期待していなかったので、それはそれでよかったのだけど、かといって、ドイツ語も話せなかったので非常に難儀した。 でも、ベルリンは、英語がわかる人がとても多く、とても助かった。

駅について、タクシーの運転手に手振り身振りと住所の紙でホテルの場所を示したら、なんとかわかってくれて、本で見たユースホステルに着いた。 ついてから、目当ての学校に歩くついでに、周りをブラブラした。

ちかくに、ポツダム広場があって、そこをとおりすがったとき、何か石碑のような石の板が立っているのを見つけた。 何だろうと思ってよく見てみたら、ベルリンの壁だった。

なんというか、ベルリンの壁を見ていたら何か思いがけず目頭が熱くなってくるのを感じた。 うまく言葉には出来ないのだが、たったこれだけの壁の存在のおかげで、どれだけ多くの人が人生を狂わせ、どれくらいの人が絶望したのだろうか、ということを考えると、なんとも耐え難い気持ちがした。 そして、これがかつてあったときのことを考えると、全く自由でなく明るくない灰色の世の中であったことが切迫感を持って想像された。 そして、今、それがこうやって壊れて何も無かったかのように、行き来できるのを目の当たりにすると、なんともいえない嬉しい気持ちがした。 こういう歴史の史跡を見ると、こういう風な生々しい衝撃を受けるのだということを僕は知らなかった。

なんというか、場所に過去の匂いが染み付いているのを感じることがある。 つい最近そういうことがあった。 つい先日母親が亡くなったのだ、という人の家にいくと、その人がかつてそこにいたという残り香のようなものがあるのを感じることがある。 何かがそこにあるべきで、そこになにかが欠けて、なにかのバランスを欠いているのを取り戻そうとしている、何かの存在を感じる。 物に染み付いた人の気持ちのようなものが、存在するのだなと思う。 その時にそこにいたことがなくとも、そこに残っている雰囲気からかつての状況を生々しく復元する事ができることがあるのだなと思う。



僕は、今どうしようか迷っている。 このままポーランドに出て色々な史跡を見て回ろうか、それとも、ベルリンに残ってドイツ語を学ぼうかと思っている。 今日、実は学校を見学しようと思った。 だけど、サマータイム修正前の時計を見ていたおかげで一時間の勘違いをしてしまい、途中でそれに気が付いて引き返してきた。本当は学校を見てから考えようと思っていたのだけど、今日は学校を見ることが出来なかったので、今日は考えられないことになった。

しかし、僕は、今、どうも、ドイツ語にあまり興味を持っていない事を感じている。 なんというか、独特な人との距離のとり方が日本人とそっくりでとてもとてもよそよそしい。 街の雰囲気や人の雰囲気も、言ってみれば日本と大差ない、という感じがしてしまう。 もちろん文化が違うから、色々なものが本質的に異なっていることは、間違いないのだけど、どうもあまり興味を持てないで居る。

それに比べると、ポーランドは、何かドイツよりも魅力を感じる。 ドイツはもちろん物価も高い。 ポーランドに魅力を感じるのは物価の安いから、ということもあるのかもしれない。 でもそれ以上に、心の世界というか、悲しみを知るというか、人にとって大切なことがそこにあるような気がする。

アメリカ英語にはもちろん興味がある。 アメリカは、僕の心のルーツであるジャズが盛んな国だ。 アメリカで生きる方法を学ぶことは、ジャズでの進歩に直結する。 そして、プログラミングがもっとも盛んな国でもある。 僕のライフワークであるプログラミングの世界に深く踏み込むための強力なツールとなる。

しかし、ドイツ語にはそういう動機が何一つ無い。 ハンガリー語を勉強するならどうだろう。 それはすごく興味深いようにも思う。

言葉は奥が深い。 あれこれ手を出しすぎると、どれも深さが足りない状態になるだろう。 とはいえ、どの言語も、日常会話が出来る程度までのレベルにする、というのも一つの有意義な目標かもしれない。



一週間特訓すれば、ある程度めどがつくということも、経験的に知っている。 そうやって、ロシア語、ハンガリー語、ドイツ語と 特訓していくことは有意義かもしれない。 しかし、すでにある程度はなせるようになっているタイ語、ラオス語をもっと磨くことも同じくらい大切だ。 更に、英語をもっと、流暢に話せるようにすることも、とても重要だ。

というか、僕は普段英語を使っている。 プログラミングするとき、何かを調べるとき、何かを説明するとき、ほとんどの場合英語を使わなければいけない。

英語を使うとき、他の言語を使えることは、大きなメリットだ。 説明に多角性を与えるからだ。 そういう意味で、僕の今の多角性は、若干アジアに偏ってはいる。もう少しヨーロッパを良く知る必要はあるのだ。

であれば、スペイン語やフランス語などのラテン語系を勉強するほうが有意義ではないのだろうか。 僕はどうすればいいだろうか。

コメント一覧
トミィ   2008年04月26日 00:04
なんか凄く良いものを目にしてるんだね!行けない人の分も時間があったら是非アウシュヴィッツを見てほしいよ…私の知り合いは約20年ドイツに住んでいて、今帰国してるんだけど、アウシュヴィッツに行って中を見たら倒れてしまったって…
おかあつ   2008年04月26日 00:29
アウシュビッツって (ほんと何も知らなくて恥ずかしいんだけど) 実は、ドイツじゃなくて ポーランドにあるんだよね... で、結構遠いので、予定日までに飛行場に戻れるか、正直自信が無いんだよね...。 すごく見たいと思っているんだけど...。
 
出展 2008年04月25日23:35 『ベルリンについたが...』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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