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2008年2月23日土曜日

携帯が壊れて、音楽について考える (mixi05-u459989-200802232210)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
携帯が壊れて、音楽について考える
2008年02月23日22:10
今日は約束があったので秋葉原に行ったのだが、その約束の相方が突如携帯が壊れたらしく、全く連絡がつかなくなった。 しばらくいそうな場所を探したのだけど、今日はすごい人出であきらめた。

昼過ぎに着いたのだけど、秋葉原についたとたん電車が止まった。 強風のためらしかった。 とにかく今日はすごい風だった。 特に新しいUDXビルと何とかという駅前ビルとの間に挟まれた谷間の部分がすさまじかった。 まるで黄砂のように砂埃が舞い上がってまっ黄色になっていた。 まともに歩けるような状況じゃなかった。

折角秋葉原に来たので、すぐ帰るのももったいないなと思った。 前はこういうことがあると、秋葉原で事務所を構えている写真家のHさんのところへ遊びにいくのが通例だった。 しばらくぶりだったので話をしたいな...と思った。 だけどHさんのところに行くと「じゃぁちょっと話しましょう!」と言って8時間~9時間程度たってしまうことは珍しい事ではなかった。 今は仕事を優先しないといけないので、涙をこらえて、第二優先の用事に行く事にした。 買い物があったのだ。

この間買った楽器を調整するために足りない部品があってこれだけちょっと買って、さっさと家に帰ってプログラムを組もう、と思った。 それでちょっとだけ楽器屋さんに行った。 トラスロッドという部品をまわすための特殊な形をしたレンチが欲しかったので探したのだけど見当たらなかった。店員さんに聞いても、置いてないということだった。 ギター弾きにとってとっても大切な工具であるトラスロッド回しを置いてないギター屋ってどうよ... とも思ったが、取り敢えず出てブラブラし始めた。

ぶらっと入った次のギター屋さんで ちっこい練習用のVOXレプリカアンプがたくさん置いてあるのを見つけた。 しかもちゃんとおあつらえむきにギターも一緒に置いてあるではないか。 これはいいやと思い、例のごとく長々と試奏を始めてしまった。 置いてあったアンプは安物の1万円のアンプだった。 だけど、これがびっくりするほどいい音だった。 確かに安っぽい音ではあるけど、安っぽい音なりにとてもいい音がする。昔の古いぼろいアンプを大音量で鳴らしているような音が、このちっちゃいアンプから出るのだ。 これはとても驚いた。

とにかく、最近のギター機材は音がいい。 これは、デジタル技術の進歩のおかげらしい。

昔はいい音というのはとてもぜいたく品だった。 いいアンプはまずとても高かったし、いい音を出すためにはある程度大きい音を出す必要があった。 日本の限られた住宅事情大きい音を出すのはとても難しいものだ。 しかもいいアンプというのは、巨大なことが多い。 小型のものでも鉛の塊のように重かった。 これを日常的に演奏活動に使うということは、すなわち車を持っていることを意味していた。 つまり、本格的に音楽活動するということは、大きな家に住んで、車を持って、ギターを弾く時間もある人ということなのだ。 こういう恵まれた状況にいる人というのはとても限られているものだ。

今日試奏したT.C.ELECTRON という会社のエフェクターは 本当に度肝を抜かれた。 昔のマーシャルアンプを4段積みにしてフルボリュームにしたときと同じ様な音が、このちっちゃなエフェクターから出るのだ。 値段も4万円といい値段だった。 だけど、邸宅と100万円近いアンプセットと搬送車を買い集めるよりはグッと手ごろだ。

弾いていると何か自分が名ギタリスト・カルロスサンタナになったような気分がしてくる。 そんないい音のエフェクターだった。

店員さんは「最近の若い子は生意気でね。」と言った。 それは気持ちがわかる気がした。 なぜかといえば、つい10~20年前まで、いい音を出したいと思えば、相当な執着・覚悟・修練が必要だったからだ。 いい音をえるだけのために何百万円もお金を費やしていた。 音楽をやっている人はみな必死だった。 しかし、最近はデジタル技術の進化によって、そういういい音が安価に手に入れられるようになった。 昔の人が爪に火をともすような思いをして手に入れた音を、気軽につまみ食いをすることが出来てしまう。

感覚が同じわけがない。



すこし違う話になるけど...

僕は今 生活のほとんどの時間を家で過ごしてプログラムを組んでいる。 そういう状況だと目新しい刺激的な情報があると 逆に気が散ってしまって集中できないので、わざと自分を社会の楽しい情報から遮断して生活している。 そんな世捨て人の様な僕がたまに家を出ると色々な発見があるものだ。

今日電車の中で 「違法アップロードダウンロードは止めましょう」ってポスターが張ってあったのはちょっとショックだった。

───インターネットや携帯電話ネットワークに音楽を不正にアップロードする事は、犯罪として著作権法により厳罰に問われる恐れがあります。アーティストや作詞家、作曲家たちを深く傷つける行為であることをしっかりと認識してください ───
http://www.ongakuihan.jp/

僕は音楽のダウンロード自体に制限をかけることは大反対だけど、だからといって違法コピーが蔓延していることに関しては快くは思ってない。 僕は、これだけパソコンを駆使して生活しているにも関わらず、音楽をダウンロードして聴いた事は一度もない。 まぁ僕が聴くようなマニアックな音楽は、元々ほとんどネット上にでまわってないから、ということもあるけど... 僕はやっぱり気が引けるのだ。

こうやってマルチメディアコンテンツをネットでダウンロードして聞くのが一般的になる以前も、ミュージシャンのギャラというのはすずめの涙の様な状況だった。 しいなりんごのレコーディングで演奏して、ギャラがン万円で終わり、とかそういうことはよくきいたことがある。 準備に費やした莫大な費用と時間の事を考えれば、ン万円なんて大出血サービスの極めて安いギャラだが、しかもこういう仕事が定期的に入るわけではない。 たまに入るというような状況である。

こういう収入では、すくなくとも、家のローンと車のローンを支払って子供の学費を払うという事はムリだろう。 それに最低限、あらかじめ 持ち家、相続、持ち車... ぐらいの資産を持っていないと活動が成立しない。

ビジネス的に捉えてみると、こういう状況だと、スケールメリットを生かして確実に売れるものだけを作っていく以外にビジネスを成立させる方法がなくなってしまう。 これはどういうことかといえば、冒険心を一切捨てたありきたりな音楽だけを作るということなのだ。 そんな音楽は、 聴くほうも出来ればお金を払わないで聴いてしまいたい。 元々流行のもので、せいぜい友達の話題についていく程度の価値しかない。 何度も聴くものではないからだ。 こうして、音楽は壊れ易いものから順に消えていく。

こういう危ういバランスが保たれているところに、このインターネットのマルチメディア革命がおこってしまった。 つまり音楽を買わないでダウンロードで済ませようと考える人ばかりになってしまったのだ。

こうやってもともと「風前の灯」状態だった音楽業界は、今こそ「とどめ」を刺されようとしている。



かつては音楽に莫大なお金を払う人がたくさんいた。 毎月何万円も... 人によっては何十万円もCD代につぎ込むという人が居た。 何を隠そう、僕がそうだった。 今でこそそんなムチャはしなくなったけど、それでも一時期は月数万円は当たり前の様に買っていた。

僕は少ないほうだ。 多い人はもっとたくさん聴いていた。 昔はCDだったので 保管する場所も馬鹿にならないものだが、僕の知り合いのB氏の家は、本棚・ピアノの下・テレビラック・ベッドの下、家のスペースというスペースは全てCDで埋め尽くされていた。 当然彼は月々3万とかそういう額では到底すまない額をCDにつぎ込んでいた。

何でそんな大金を使っていたのだろうか。

そうまでして音楽を聴きたかったのだ。 人生で最も重要なこと。 それが音楽だった。 音楽のおかげで、生活は破滅寸前・大変なことになっていたかもしれないが、生活をそこまで持ち崩しているにも関わらず、人を幸せにするだけの力が音楽にあった。



さっきも少し話したけど、いい音楽を作るというのは、べらぼうに費用がかかるものなのだ。 折角いい音楽を作ってもペイできないのであれば、作る人は減る。 作る人だって、作りたくても作れない。

最近、本当に ありきたりな安っぽい音楽が増えた。 今は世界的に景気がよくない時期なので、仕方がないかもしれないが、これはきっと単にお金がペイしなくなったので、作れなくなってきているのだろうと思う。



見方を変えると、今の音楽業界のダウンロード不況は、それぐらい音楽業界が反感を買っていた現れなのだとみる事もできるだろう。 業界は、莫大な資金力に物を言わせて、高いクオリティーを維持し、他人と差別化を計ってきたけども、反面高コスト体質が裏目に出て、とても商業臭い、確実にペイできる音楽だけを安易に大量生産する状況に落ちぶれていた。 このことには ミュージシャンも リスナーもうんざりしていたわけで、ダウンロードというのは、リスナーにとってはこの上ない問題の解決方法だったのだろうと思う。

しかしミュージシャンと音楽業界にとってはあまりいい解決策ではなかった。 苦労している音楽業界も、今のところはまだ資金が残っているのだろう。 まだ完全に死に絶えてはいない。 しかし、ミュージシャンの方はもう息も絶え絶えだ。 僕の目からは、一番貧乏くじを引いているのはミュージシャンであるように見える。

音楽業界は言う ─── インターネットや携帯電話ネットワークに音楽を不正にアップロードする事は、犯罪として著作権法により厳罰に問われる恐れがあります。アーティストや作詞家、作曲家たちを深く傷つける行為であることをしっかりと認識してください。───

僕はこの中の「アーティストや作詞家、作曲家たちを深く傷つける行為であることをしっかりと認識してください。」 というセリフが、とても白々しく見える。 音楽業界は今までだってミュージシャンをちゃんと保護してきたとは言いがたいのだ。

本当ならば、リスナー・ミュージシャン・業界とあったら、このダウンロード革命によって一番貧乏くじを引くのは 業界でなければいけないと、僕は思う。

そういうプログラムを僕は作る。

コメント一覧
さい   2008年02月23日 23:57
私も今日秋葉原行った。
風強かったね。
クレ   2008年02月24日 04:08
>そういうプログラムを僕は作る。

プログラムには社会の仕組みさえ変える力があるのですねえ。
使い方によっては怖いのかも。
おかあつ   2008年02月24日 20:00
さい、
>風強かったね。
ほんと風強かった。 でもさいは常時ふる完全防寒&低重心で強風も心配ないね。

おかあつ   2008年02月24日 20:10
クレさん、
>プログラムには社会の仕組みさえ変える力があるのですねえ。
>使い方によっては怖いのかも。

確かにそうですね...。 でも、そうなったのはここ数年の話でしょうか...。 でも、なんとなく ... プログラムが社会を変えるような力を持つようになってからは、前にもまして世のプログラマの質がグッと落ちたような気もします。

さい   2008年02月24日 21:06
私は車で行くからね。
強風もあまり関係ないね。
今日も行ってきた。
 
出展 2008年02月23日22:10 『携帯が壊れて、音楽について考える』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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