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2008年2月12日火曜日

燃えないゴミ (mixi05-u459989-200802120629)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
燃えないゴミ
2008年02月12日06:29
僕の友達には、天才的なヤツが多い。 ひとりやふたりではない。 たくさんいる。
しかしである。 そういうヤツは強力に悪いクセも持っていることが多い。

最近、思うんだけど才能があるなしというのは、ただ単に前提条件なのだ。 その後にきちんとそれをコントロールして意図した動作を行うことが出来るようにするためには、やっぱりちゃんとした訓練が必要だ。例えば300メートル遠投という驚異的な能力があっても、いつもあさっての方向にしか投げられなければ「へーすごいね。」で終わってしまう。

何か、僕の友達ってそういうタイプ多いんだよな。
すごいんだけど、それだけなんだよな...。

そこから、本当にすごい人になるためには あるステップを踏まないといけない。 そのためには、ワリときまりきった手順があって、それをいっこいっこやっていけば、ちゃんと本当にすごい人になれる。 簡単だ。

でも、僕の友達は、それをやらない。 なんでなんだろう。 知らないんだろうか... 。

僕はジャズを習っていたので、本当にすごい人をたくさん間近でみた事がある。 だからそういう人がどういう努力を続けていたのかを見たことがある。 だから、やらないといけないことがあるということが、当然に見える。 何をしなければいけないのかも当たり前の様に見える。

でも、僕の友達は、それをやらない。 なんでなんだろう。



もちろん、100回中99回 あさっての方向にボールが飛んじゃう人でも、1回でも狙った場所に凄まじい勢いで命中させられるなら、その1回が99回の失敗を帳消しにしてくれて---努力なんかしなくてもそれで充分事足りるということはあるかもしれない。 そういうこともある。しかし、残念ながら僕の友達は、そこまでの才能は持ってない。

なんでなんだろうなぁ。 そこまでしてすごくなりたい、とは思ってないんだろうか。 まぁ適当にそこそこいけばいいや、って思ってるんだろうか。

え~ 何でだろう。 だってやれば黙ってたって結果は出るのに...。
それなら やらないよりやったほうがいいじゃん。
どうやっても理解できん。



そういうことが、最近すごく物足りなくなってきた。 大体もうボツボツ40も近いわけで、それなりにビシっと結果を見て行きたい。 僕もかなり遠回りしてしまったが、それなりにね。 出して結果を眺めてニコニコしたいよね。

でも、何か僕の友達、ノンビリしてるんだよな。 なんでなんだろうか。
あんた、もう後ろないのよ? わかってんの? って思う。



イマジネーションの問題だよな。

タイで、僕は一人の人間を地獄に落としてきた。 でも特に感想はない。 何故なら半年以上警告してきたからだ。 このまま何もしないと やばいぞ! △△△と○○○を いついつまでに終わらせないと、こうなるぞ!問題が起きたらが最後、もうどうにもならんぞ! わかってんのか! おい! って半年ぐらいくどいほどに説得したが、最後まで「考えすぎだ! 言いすぎだ!」 って聞かなかった。

だから捨ててきた。 というか捨てるしかなくなった。 そのまま自然落下で地獄に落ちていった。 僕がいったとおりになった。 ざまぁみろ、だよ。 今更のように毎日泣き言の電話がかかってくるが、いわんこっちゃない、だ。 後悔してももう遅い。 たった今、自分がしている行動の結果、どうなるって言う事がちゃんとイメージできないからこういうことになるんだよな。


おかしいだろうか。 アタシはそんなことはない、と思うだろうか。 しかしである。 前、僕が同じことやってんなぁ...と思っている日本人にその話をしたことがあるのだ。 その人は「甘えだ」と断罪していた。 しかしである。 僕の目から見ると、同じことをしているようにしかみえないのだ。

地獄に落ちたその人は、とんでもない怠惰なヤツだったかもしれないが、かたやどんな人も許すことができるという素晴らしい一面も持っている。 方や、その日本人は他人を許すこともできないので、なお悪いともいえるのだが...。 やっぱり超人的な才能を持つその日本人の友達。



でも、僕も思うんだけど、僕自身、2005年以前は、同じところをグルグルと回っていた。 どうにかしなければ... と思ってもどうにもならなかった。 どうやっても前に進めなかった。 原因はあるのだ。 しかし、それを言い訳には出来ない事情があった。 だからその範囲でベストは尽くしたつもりだったけど... どうにもならなかった。

そして、僕の友達の多くは、やはり同じ様な事情を持っている。
また、そういう事情が人を先鋭化させるんだよな。
だけど、そこから一歩前に出なければいけない。


また、こういう場合の原因は多くは資金の不足も関係している。 僕の場合、とにかく自己投資を全てに優先していた。 貰ったお金は全て自己投資に使ったといって過言はない。 だからいつも資金がショートしていたけど...。

とはいえ、今の僕がこうやって落ち着いていられるのは、自己投資がひと段落ついているからとも言える。 当時僕が購入した情報は全てハードディスクや倉庫・あるいは僕の頭に保管されている。 これを、今僕は、使う時がきたのだ。

それと比べてみて、僕の友達はどうか。 どうなんだろうなぁ。 本人じゃないしワカラン。 でも そのままじゃマズイ、という事はわかる。

思えば、才能もありきちんとやるべきことをやり、っていう人は30代にはそれなりに結果も出している。 30超えて結果が出ていないというのは、やっぱりそこに何かの欠落があったんだと思う。 才能か、努力か、あるいは、資金か...。

才能も努力もある人が 資金の欠乏で苦しんでいる様をみるのは辛いものだ。
でも資金も才能もある人が、努力の欠乏で成功しない様を見るのは腹立たしい。
才能があるのに、努力も資金も欠乏している人をみると、もう、いらだってくる。

こればっかりは生命力の問題だよな...。

もしちゃんと結果を出すための条件が、努力・才能・資金・知識・だったとしたら、どんなに恵まれてない人でも必ず持っているものがある。 それは努力だ。 知識だって努力次第でお金を使わずに得る事もできるものだ。

なのに、何で努力しないんだろう。

うーん...。 なんだか結論なく終わる。
コメント一覧
退会したユーザー   2008年02月12日 12:39
あいかわらずとそのような姿勢が懐かしいな☆
クレ   2008年02月12日 14:45
才能あるのに努力しない人のおかげで、才能ないのに努力した人にも道が開けたりするのかも。継続して自分を抑制していくのはたいへんだけれど、努力している人の中には努力を苦痛ではなくて楽しくてやっていける人もいるのに、時々不平等を感じてしまいます。

さらにどんどん高いところに行くと、才能もあり努力していて資金もある人同士の戦いになるわけで、最後まで生き残る人は神様に祝福されているのか、何か使命を持って生まれてきたんだろうなあと思っています。そして、死ぬその瞬間まで、何が起こるかわからないし、幸福観となるとまたいろいろですよね。

ああ、そういえばバレエの世界では、努力とは才能と条件の恵まれた人がするべきものってことになってるみたいです。見た目にはっきりでるものは、見た目わからない頭の中と違って、この言葉に納得させられます。

努力するに足る自分の能力が見つけられたらそれだけで幸せですねえ。
みにまゆ   2008年02月13日 02:49
努力が最大の才能と言いますからね。
さい   2008年02月16日 05:14
クレさんの
「努力するに足る自分の能力」見つけられたらそれだけで幸せって、
本当にそう思います。
もしそういう宝物が見つかったら大事に大事にしたいです。
おかあつ   2008年02月16日 05:37
ホントはね ... 自分が世界で一位になるなんてありえないんだよ。 だから客観的にみれば世界の能力のほとんどは努力するに足りない能力なんだと僕は思うよ。

でも、それでも、自分が100%1位になるんだという気概を持って行動することが大切なんであってさ。

更にいえば、人から認められるかっていうのも最終的に関係ない。 自分が楽しいって思えればそれでいいんだよね。 だいたい、それがないと、まず続かないからね。

バレエとかフィギュアスケートとか、そういうものって 往々にして理想が非常に限定された一点に集中してる。 たしかに、そういう物は本当に恵まれた人しか絶対に成就しない。

だけど、世の中の多くのものは、もっと多様だよね。 多様な世界っていうのは、アイデア次第で誰でも勝利者になれる。



さい   2008年02月17日 07:23
「認められる」自体が目的になると、絶対苦しくなると思うけど、
支援可能な人間に理解されることの大切さを最近感じます。
「認められること」自体より「いかに認められる提案をするか」考えて
仕事をするのは楽しいものです。
おかあつ   2008年02月17日 07:47
確かに、そうやって人から認められるのは 大切だよね。
クレ   2008年02月17日 16:42
>多様な世界っていうのは、アイデア次第で誰でも勝利者になれる。

生涯に一度の勝利のアイデアを信じられると、とりあえずがんばれそうな気もします。それがお金と結びついて後に破滅しているパターンもあるので、時々は悪魔の誘惑かしらって私は妄想してしまうんですけれどねえ。ああ、これって、自分に可能性の少ないことに対する弁解かも。
 
出展 2008年02月12日06:29 『燃えないゴミ』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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