独り言:お互いに道具の関係
2008年01月26日15:57
ふと思った。 僕は技術者だ。 だから、目標が技術で、お金は道具なのだ。 だから、技術を開発するという目標を達成するためにお金を使う。 だけど、経営というのは逆なのじゃないか。 経営の目標はお金だ。 お金を得るために、技術を使う。
だいたい、ほとんどの人は、そのどちらか片方に属していると思う。 しかし、これは元々は車の両輪のようなもので、どちらが欠けてもうまく回らない。
僕は今、こうなっていればもっと便利なのに、もっと低価格で実現できるのに、というアイデアの塊の様だ。 色々な発想を持っている。 これを実現してインターネットを便利にしたい。
だが、また、それと同時に、お金も欲しいのだ。 僕も娑婆喰って生きている人の身で、そろそろお金が厳しいのだ。 お金がなければ開発も出来ないし、色々と守らないといけない人もいる。
僕にとってお金は道具だ。 お金が欲しいのは、安定して開発する環境が欲しいからだ。 だけど、お金が欲しいなら、お金が目的で技術は道具なのだという、発想のドラスティックな転換が必要だ。
だが、ここが絶妙な点で、お金が目標の人というのは、往々にして、人間が持っている本当の意味での価値というものを見失っているように思う。 お金が欲しいということがモチベーションの全てだからお金を生み出さないものに価値を見出せない、という人が多いように思う。 それは間違っている。 本来は、真の意味で価値があるものが、お金を生み出すのではないか。 こういう人は往々にして、目先の利益を追いかけているだけで、結局利益を得ていないように思える。
こうもいえる。 お金の上での価値なんて、お金を払う人が「うん」といえば、それでオッケーなのだ。 ゴミの様なものでも、100万払って納得する人が居れば、それは100万なのだ。 逆にどんなにコストを贅沢にかけたものでも、1万で高いという人が居れば、それは1万なのだ。 お金の価値というのは、実に、心理的なもので、絶対的な基準で図れない不安定な存在だと思う。
そういえば、似たようなことをあるデザイナーの人にいわれたことがあったな....。 「小指で倒すような楽勝な仕事でも100万は100万だ。」 みたいな事をいっていたな。 要するに技術者として、難しい、簡単だということは、クライアントにとっての価値とは無関係なのだ、ということが言いたかったのだろうな。
最近、GOOGLEが好きじゃない。 最近のGOOGLEは 何か技術的な視点が鈍くなっているように思う。 それに、だんだんと本当の意味でユーザーの立場に立っての便利さというものを一番に考えなくなってきているように思うからだ。
でも、GOOGLEの売り上げは、年何億ドルというとんでもない売り上げをたたき出しているらしい。(まウソかもしれないが) で、それの中身は ... 技術じゃなくて広告収入という話だ。 これは案外、 AJAXとかWEB2.0が... とかそういう技術的な話とは関係なかったりする。 これもある意味「小指で倒すような」仕事の一つだ。
そういう中で、僕はバランスを考えなければいけない。
ちなみに、僕は、インターネットの広告に関しては、かなりキラーに近いアイデアを持っている。 それはもはや広告ですらない。 だけどその実現は僕が今作っているシステム無しでは絶対に無理だ。 今の硬直したような互換性の低すぎるシステムでは、実現できない。
考えてみれば、これは商売になりそうだ。 じゃぁこれをどうやって実現するのか...。
以上、独り言でした。
だいたい、ほとんどの人は、そのどちらか片方に属していると思う。 しかし、これは元々は車の両輪のようなもので、どちらが欠けてもうまく回らない。
僕は今、こうなっていればもっと便利なのに、もっと低価格で実現できるのに、というアイデアの塊の様だ。 色々な発想を持っている。 これを実現してインターネットを便利にしたい。
だが、また、それと同時に、お金も欲しいのだ。 僕も娑婆喰って生きている人の身で、そろそろお金が厳しいのだ。 お金がなければ開発も出来ないし、色々と守らないといけない人もいる。
僕にとってお金は道具だ。 お金が欲しいのは、安定して開発する環境が欲しいからだ。 だけど、お金が欲しいなら、お金が目的で技術は道具なのだという、発想のドラスティックな転換が必要だ。
だが、ここが絶妙な点で、お金が目標の人というのは、往々にして、人間が持っている本当の意味での価値というものを見失っているように思う。 お金が欲しいということがモチベーションの全てだからお金を生み出さないものに価値を見出せない、という人が多いように思う。 それは間違っている。 本来は、真の意味で価値があるものが、お金を生み出すのではないか。 こういう人は往々にして、目先の利益を追いかけているだけで、結局利益を得ていないように思える。
こうもいえる。 お金の上での価値なんて、お金を払う人が「うん」といえば、それでオッケーなのだ。 ゴミの様なものでも、100万払って納得する人が居れば、それは100万なのだ。 逆にどんなにコストを贅沢にかけたものでも、1万で高いという人が居れば、それは1万なのだ。 お金の価値というのは、実に、心理的なもので、絶対的な基準で図れない不安定な存在だと思う。
そういえば、似たようなことをあるデザイナーの人にいわれたことがあったな....。 「小指で倒すような楽勝な仕事でも100万は100万だ。」 みたいな事をいっていたな。 要するに技術者として、難しい、簡単だということは、クライアントにとっての価値とは無関係なのだ、ということが言いたかったのだろうな。
最近、GOOGLEが好きじゃない。 最近のGOOGLEは 何か技術的な視点が鈍くなっているように思う。 それに、だんだんと本当の意味でユーザーの立場に立っての便利さというものを一番に考えなくなってきているように思うからだ。
でも、GOOGLEの売り上げは、年何億ドルというとんでもない売り上げをたたき出しているらしい。(まウソかもしれないが) で、それの中身は ... 技術じゃなくて広告収入という話だ。 これは案外、 AJAXとかWEB2.0が... とかそういう技術的な話とは関係なかったりする。 これもある意味「小指で倒すような」仕事の一つだ。
そういう中で、僕はバランスを考えなければいけない。
ちなみに、僕は、インターネットの広告に関しては、かなりキラーに近いアイデアを持っている。 それはもはや広告ですらない。 だけどその実現は僕が今作っているシステム無しでは絶対に無理だ。 今の硬直したような互換性の低すぎるシステムでは、実現できない。
考えてみれば、これは商売になりそうだ。 じゃぁこれをどうやって実現するのか...。
以上、独り言でした。
コメント一覧
けめ 2008年01月26日 17:04
わたしのようなデザイナーの端くれでも、お金目的の(=ノルマにもなる)営業や会社経営陣と意見がしばしば食い違い、苦い体験をします。
どちらも欠けることがないから巧く車輪が回り、機能を果たす意味を双方が理解し助けあうことが理想ですが、まぁ、往々にして巧くいかないです!
どちらも欠けることがないから巧く車輪が回り、機能を果たす意味を双方が理解し助けあうことが理想ですが、まぁ、往々にして巧くいかないです!
風我 2008年01月26日 17:21
こちらにとってもお金は道具(とそれを買うための手段)で、
道具は技術(とそれを身につけるための手段のひとつ)かな。
道具は技術(とそれを身につけるための手段のひとつ)かな。
ねこ☆ミ。 2008年01月26日 21:25
作成されているソフトウェアの全容はわからないですが、
きっと今の世の中に存在しないもので、面白そうですね。
何とか一部でも完成して利益となると良いのですが、、、
陰ながら応援しています。
きっと今の世の中に存在しないもので、面白そうですね。
何とか一部でも完成して利益となると良いのですが、、、
陰ながら応援しています。
クレ 2008年01月26日 22:15
お金そのものが好きな人は、貯金通帳眺めているだけで楽しいのでは。使ってうれしい人は、お金は手段ってことなのでしょうねえ。
たくさん欲しいとは言いませんが、日々の生活でお金の計算しないで済む生活は希望しています。
たくさん欲しいとは言いませんが、日々の生活でお金の計算しないで済む生活は希望しています。
あび 2008年01月27日 23:15
私は、経営の目標とはお客様と社会に付加価値を提供することだと理解しています。お金というのは、その付加価値を効率的に交換するための全社会的な取り決めでしか無いと思います。また、企業活動を通じてどのような付加価値を世の中へ提供して行くかという点においては、技術者と経営者が認識を共有することが理想的だと思います。