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2007年8月27日月曜日

(駄文&長文&無意味) 天才について (mixi05-u459989-200708270607)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
(駄文&長文&無意味) 天才について
2007年08月27日06:07
長い... なんとなく疲れてぼんやりしながら書いた文章。
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ふとしたことですごい才能の持ち主をみた。 Flash作者なのだけども、デザインセンスも抜群でスクリプトも得意。 それでいながら若干24歳という事で、すばらしい才能だな、と思った。

僕が24歳のときはどうしていたかな、と思った。 当時、僕はジャズギタリストを目指してがんばっていた。 が、お金が無かったので転落するようにプログラマに転向したばかりだった。 当時は、ギターも含めて、まぁそんな腰を据えて新しい技術と格闘して作品を仕上げる...なんてのんびりした身辺状況じゃなくて、とにかく経済状況を安定させる事で必死だった。


そういえば... と思った。 そういう目だった才能を持つヤツっていうのは、才能と同時に、恵まれた経済状況も持っているという事なのだろうな、と思ってしまった。 つまらない話だ。 だが、これは現実だ。 早い話が、働かないで収入がないのに、家にドーンと机を置いて、高価なPCを購入して、高価なソフトを買いまくって、その上、毎日家でブラブラしていても、文句を言わずにじっと待って援助してくれる寛大な親が必要不可欠ということだ。 あるいは親が居なくて、なにかしらの経済援助を誰かから受けている、っていうのでもいい。 そのほうが都合がいいかも。

僕ってなんて嫌なやつなんだろう。 そんなねたましい事ばかり人にぶちまけて。 僕にはそんな豊かで頼れる、というかそれ以前にトラブルの少ない親が居なかった。 どんなに才能があったって、お金が無ければどうにもならない、世の中には絶対に出来ない事がある、っていういやな目にたくさんあってきたからかもしれない。 というわけで、僕がグチっぽいのは、ちょっと多めにみてもらおう。

僕はあまり「俺には才能が無いんだ!」っていう状況になったことがない。 どんなものでも、やってみれば大体何でも出来た。 そうやってつかんだカンのなかからどうやって技術を発展させればいいのかも、想像できた。

独りよがりにならない強さも持ち合わせている。 出来る人の中で揉まれ虐められている中で色々勉強する精神的タフさにも自信がある。 虐める人というのは、往々にして、結構努力家でもあるので、そういう人にいじめられているのは、とても勉強になると僕は思う。

ただ、時間とお金が無さ過ぎて、その能力を遺憾なく発揮したことがあまり無い、というのが、とても悔しいところなのだ。もっとも、今はそういうこともなくなったが。

だから、人は才能があるのは当たり前。 その才能をどうやって伸ばすのかが重要なんだ、という考え方が僕にはある。 だから怠惰なヤツがどうも許せない。

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この文章を読んでいる方は、自分は才能が無いと感じて思い悩んだ事があるだろうか...

人はみな、才能が無いなんて事は絶対に無いと思う。 僕は才能は誰もが等しく持っている。 しかし実際世の中には才能が無いやつというのも実際に居るじゃないか、とおっしゃるだろうか。 僕は才能が無いやつというのは「自分が出来ない事」をがんばっているだけではないかと思う。 天才というのは、ただ単に「自分だけが出来る事」をやっているだけなのではないかと思う。

才能を手に入れるためには、「自分だけが出来る事」に気がついて、それを伸ばす、これしかないように思う。 才能というのは、実は最初から自分の中にあるものだからだ。

自分だけが出来る事というのは、意外と誰でも持っている。 ただ単に、持っていても「こんなの意味無いよ」と重要視していないだけではないか。

そこまで考えてもまだ才能がないとお考えだろうか。 ひょっとしたら、それはただ単に、自分が才能を持ちたいなんて実は思っていない、ということなのかもしれない。 それに気がつくのもまた大切なような気がする。

もっとも、無い才能を伸ばそうと努力する事も、実はとても大切であるような気がする。 事実、いろいろな事をチャレンジしていると、あっという間に実につけることが出来るスキルと、身につけるまでに長い時間がかかるスキルと出てくるように思う。 むいていないからとすぐにあきらめてしまわずに、このむいていないスキルを得ようともがき苦しむなかで、そのむいているスキルが磨かれていくということが絶対ある。

ま、結局のところ、腐らずねたまず、あきらめないで、やるべきことをやり続けるという以外ないのかもしれない。


ところで、僕は、最近、ウェスモンゴメリー中毒だ。 毎日ウェスモンゴメリーだけを聞いている。 これはどうしたことか。

ウェスモンゴメリーとは あの、有名なジャズギタリストなわけだけど、ウェスモンゴメリーとは、古くなってもいつも新しいギタリストだと思う。 聞けば聞くほど、その技の奥深さ、単純さと複雑さのダイナミクスの世界が見えてくる。 あのリズムのニュアンスのつけ方、音色。 それがすべて即興演奏の中から生まれてくるという、魅力。

いつか、ああいう奥深い音楽性を自分の手に出来る日が来るのだろうか... まったくわからないけど、それを目指して努力し続ける事が大切なのかなと思う。


コメント一覧
なか   2007年08月27日 10:20
こんにちは。
かなり強いメッセージ性のある文章を楽しませてもらいました。
やっぱ、才能のある人って熱いですね。思わずコメント書いちゃいましたよ。

ところで、おかあつさんは、ギフテッドやタレンテッドをご存知でしょうか?普通の人より、いろんな面で高い能力を持ち、その傾向が生涯を通じて見られる人のことを言うそうです。ウィキペディアに詳しい事が書いてあります。

出来る人ってうらやましいです。
ジャコビ   2007年08月27日 13:08
私も才能に関しては、おかあつさんと同様の見解を持っています。だれしも何かしらの才能を持って生まれて来るものなのでしょうが、それを上手く開花させられるかどうかが違いだと思います。

あと、子供を持つ親としての意見も書かせてもらうと、自分の子供を良く観察して理解している親は、子供がどういう分野に向いているのか、早い時期に見抜き、その方向性で子供の能力を最大限にのばそうとします。特に若いうちから成功している人達の後ろには、そういった親の強力な援助がある事が稀ではありません。

余談ですが、私の夫は前妻との間に二人の子供がありますが、二人ともNY市立の受験のみで入れるかなり優秀な学校に入っています。そういう学校に入っている学生の親達に共通しているのは、子供の能力を信じている事です。それを初めて目の当たりにした時に、私はちょっとしたショックを受けました。日本で生まれ育ち、親から目立つ事なかれ、他人に迷惑をかける事なかれ、謙虚であれ、ありもしない才能にしがみつかずに堅実な人生を望め、と教育されて来た私には、自分の子供の能力を信じるという自体があり得ない事だったからです。

私も、若い頃に両親の理解がもう少しあったら、と考えた事もありましたが、40歳も過ぎると、そんな事はあまり関係ないのだと思うようになりました。結局、才能があろうがなかろうが(他人はどう思おうと)本当にやりたい事はやらずにはいられないのだと思います。私はそういう人を何人か知っているし、そこまで決意して道を極めようとしている人は、やはり成功してしまう可能性が高いように思えます。

また、才能があり、若いうちから頭角を表すような人でも、様々な理由で残念ながらダメになってしまう場合もよくあります。息が長い、持続出来るという事もとても大切だし、それを可能にする精神的な安定なしではいくら才能があってもその幸福感(優越感ではなく、物を造ることの喜び等)を味わう事も少ないのではないでしょうか。

アメリカ人のスキー選手でボディー・ミラーという人がいますが、彼はとても変わった人で、いわゆる天才です。一般の学校にも通わず、ヒッピーの両親に山の中で育てられたのですが、オリンピックに出場し、収入も沢山ある今でも山の中で一人で、電気もない所で離れにある便所で用を足すような暮らしをしています。全くお金に執着がなく、成功にも執着がないそうです。子供の頃からスキーは得意だったのでしょうが、両親からスキーを奨励されたこともないそうです。オリンピックに出場した時には、殆ど毎日バーに入り浸っていた為に、入賞を逃がし、マスコミからあれこれ言われましたが、本人はケロッとしていて、悔しいとかそういう感情はなかったようです。山の中の自宅には、自分で発明した筋力トレーニングの道具があり、それで毎日汗を流しているようです。60 Minutes というテレビの報道インタビュー番組で見たのですが、これを見た時に、何故かとてもスカッとしました。やりたいことをやり、生きたいように生き、その結果がどうであれ、満足できるというのは、素晴らしいことだと思いました。

長くなってしまってすみません。
cancel/いちのえ   2007年08月27日 17:08
すみません、すみません
CISCOなんて全然触ったことないのに、Linuxもあまり触ったことがないのに
大学のねとわく管理者なんかをやっています。
常になんとかしようと足掻いているうちに次の新しいものがやってきちゃうんです

まだ、なんとか付いていっているうちはいいんですけど、何かの拍子に前に進めなくなったときが一番怖いんです
 
出展 2007年08月27日06:07 『(駄文&長文&無意味) 天才について』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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