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2007年7月31日火曜日

世の中に無数のコンピューター (mixi05-u459989-200707311041)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
世の中に無数のコンピューター
2007年07月31日10:41
ボクはプログラマで、ここ一年ぐらいグリッドコンピューティングを応用したウェブシステムの設計をしている。 実のところ、この「世界にコンピュータは5個」っていう予想は、将来グリッドコンピューティングやP2Pが主流になるという僕の予想と真逆で、こういうニュースを見ていると、だんだん自信がなくなってくる。

少なくとも、取り敢えず今のところ、世の中は”コンピューター”は 5個... とまでは行かないけど、結構少ない数のコンピューターでまかなわれてるし、それもだんだん減ってきている。 少ない巨大な中央サーバーが、ネットを牛耳り始めている。 しかも KDDIが googleと提携するんだそうだ。 これは、世の中のコンピューターの数を更に減らすだろうと思う。

  auがGmailを採用、PC・ケータイで同一サービス提供へ
  http://www.atmarkit.co.jp/news/200707/30/kddi.html

mixiだって そのコンピューターを減らしている会社の一つだろうし、こうやってコンピューターが減る事で、どんどん世の中は便利にもなってきている。

しかし、最近思うんだけど、ボクは、年を追うごとに、ネットって段々つまらなくなってきているような気もしている。 要するに、昔みたいに「こんなトコwにこんなヘンwなヤツがいたんだなぁ!」みたいな、ニッチで面白い人との出会いがどんどん減って、 あまり多様性が無くなって画一的になっているような気がする。

特に黎明期のゴチャゴチャした面白さを見ていると、最近便利になったなぁ! ...と感銘を受けると同時に、そんな対象がはっきりしない空虚さも感じる。

この文章を読んでいる方はどう思うだろうか...。

世の中は間違いなく、この「5個コンピューター」予想が当たる方向で動いている。 現時点でそれは間違いがないだろう。

... でも先のことは誰にもわからない。

実はたった20年前にも「世界にコンピューターは1個だけ」派が「世界に無数のコンピューター」派に一瞬のうちにコナゴナに打ち砕かれた事があった。 その時代は「サーバー」って呼ばないで「ホスト」って呼んでいただけの話だ。

ボクは、またいつか、何かの技術的なブレイクスルーが起こって、また一気に多様化するという方に賭けてみたい。


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  世界に“コンピュータ”は5つあれば足りる
  http://www.atmarkit.co.jp/news/analysis/200707/30/computers.html
  http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=263799&media_id=39

(@IT - 07月30日 19:10)
 「世界に“コンピュータ”は5つあれば足りる」(The World Needs Only Five Computers)という予言をご存じだろうか。いや、現在形の発言である以上、そう遠くない将来に対するビジョンといってもいい。これは、サン・マイクロシステムズのCTO、グレッグ・パパドポラス(Greg Papadopoulos)氏が昨年11月のブログエントリで述べたもので、ちょっとした話題になった(この予言と似たことを、IBMの初代社長であるトーマス・J・ワトソンが1943年に言ったとされる。ただ、実際あちこちで引用されているが、ワトソン氏が実際に言ったという事実は確認されていないようだ)。

 パパドポラス氏がいう“コンピュータ”は、ふつうの意味での“computer”ではなく、大文字の“Computer”、つまり固有名詞となったコンピュータだ。ちょうど、インターネット(the Internet)が大文字で書かれるのと同じように、コンピュータという言葉は、特定の数個のシステムを指し示すようになるだろう、ということだ。そのコンピュータというのは、もちろん何千のプロセッサと何ペタバイトという分散ストレージによって稼働するグローバルなグリッド・コンピュータのことだ。

 1つはグーグル。もう1つはヤフー。それにアマゾン、マイクロソフトのlive.com、セールスフォース、イーベイあたりを加えれば、もうほかに地球上にコンピュータなど不要になるだろう、というのがパパドポラス氏の主張だ。5つといっておきながら6例を挙げているが、もちろん5とか6といった数やリストアップした個別の企業名に特段意味があるわけではない。高速な常時アクセス環境が整えば、コンピュータ資源は数個のグリッドシステムに集約され、残りの小文字の“computer”は、“Computers”の画面表示装置になるというわけだ。コンピュータ資源が集約されたサーバと表示機能に特化したクライアントになるというと、どこかで何度も聞かされた話だが、今回は本当に起こりつつある。携帯電話を使ってGmailにアクセスし、過去のメールに添付されたExcelファイルを開くというのは、まさにそうした使い方だ。

 コンピュータは世界に5つだけ――、突拍子もなくて、そんな世界は想像しずらいかもしれないが、コンピュータ以外の分野に目を向ければ、それがどういう世界かよく分かる。パパドポラス氏は「電力システムならGE、シーメンス、ABB、商業航空機ならボーイング、エアバス、テレコムならエリクソン、ノーテル、ルーセント・アルカテル、ノキアなど」と例を挙げ、電力や輸送、通信と同様に「少数の、非常に競争的で高度に専門的なインフラの提供者に頼った方が、より効率的だとほとんどの企業が気付くときが来る」というのが、サン・マイクロシステムズが社運を賭けたビジョンだという。電気や電話と同様に、壁の穴にプラグを差せば、ネットワーク(=コンピュータ)が使えるようになり、そのとき世界のユーザーが使うのは、巨大な数社の会社のいずれかのグリッドコンピュータだ、ということだ。

 「世界の」というフレーズを使う割に北米の例ばかりなのが何ともシリコンバレーの人らしいという皮肉な見方もできるが、私は、この予言に非常なリアリティを感じてしまうのだ。電力と異なり、情報通信サービスには伝送ロスというものが、ほとんどない。残る課題は言語や文化の差異、各国政府の思惑といったことだけだ。パパドポラス氏は、中国には万里の長城のごとくに巨大中華コンピュータが残るだろうと冗談めかして述べている。インフラを他国の私企業に頼ることに対する安全保障上の危惧というのは議論としてはあるかもしれないが、それはアナクロニズムというものだろう。

 日本でlivedoorやKDDIがGmailを採用したのは象徴的な動きだ。ISPやキャリアですらサービスのインフラとして他社のメールサービスを採用するような時代に、いったい一般企業が自社でメールサーバを持つ意味など残っているだろうか。

 独自ITインフラを持つことのデメリットは、サーバの維持・運用コストがかさむということばかりではない。Webの世界がSaaSモデルで加速度的に進化して使いやすくなる一方、企業内のITシステムの進化はゆったりしている。Webの世界ではアプリケーションやデータがWebブラウザの向こう側だけで完結するようになりつつあるが、企業内のITシステムは、クライアント側にまだ多くのアプリケーションやデータを置くことを前提としている。そのこともあって、クライアント側は複雑なままだ。OSやアプリケーションが日々出してくる「更新せよ」というバルーンに、うんざりしていないだろうか? PCの不調か不機嫌か、立ち上がるべきアプリケーションやOSが起動せず、青くなったことはないだろうか? 右下のタスクトレイにぞろぞろと居座っているのに、つつこうとするとサササッと身を隠す大量の小さなアイコンたちは、本当にあなたの役に立ってるか、疑ったことはないだろうか? ウイルスチェックソフトが重たくてうんざりしていないだろうか? バックアップのことを心配しつつも、つい何もしないまま祈っていないだろうか? 複数PCでのデータ同期の問題で、いったい何年悩み続けてきただろうか? 世界にコンピュータが5つだけとなり、手前の“computer”が単なる表示デバイス+キャッシュとなるとき、こうした悩みは過去のものとなるのかもしれない。

コメント一覧
あび   2007年07月31日 12:01
「コンピュータに関わるテクノロジの発展の歴史は、同時に分散と
集約を繰り返す歴史でもある。」ここ何年かそんな事を考えています。プロセッサの集積度とマルチコアへの変遷、ホストからグリッドへの変遷も然り。きっと、この「世界にコンピュータは5個」というのもそんな流れの中の一つなのかなあ・・・。と思います。
遺伝子組み換えでない   2007年07月31日 12:16
はじめまして。オレも、分散 拡散型で、ホストの存在しないコンピューティングこそ、究極形だと思ってました。
技術力の進歩によって、イメージも変わってくると思います。
おかあつ   2007年07月31日 12:18
ちょっとまえ、AJAXが流行し始めたころ、FLASHのプロモーションビデオでこういうことを言ってた。

ホスト(集積型)
  ↓
クライアントサーバー(分散型)
  ↓
ウェブ(集積型)
  ↓
未来のウェブ(分散型)

とかいって。 あのころ既にそういうことを言ってたんだよね。
さすがに目の付け所が違うな、って思った。


でも、実現していないにも拘らず、最近そういう声が聞こえてこなくなった。
何故だろう。

おかあつ   2007年07月31日 12:23
>らぎ’さん
>はじめまして。
こんにちは。

> オレも、分散 拡散型で、ホストの存在しないコンピューティングこそ、究極形だと思ってました。

そうですね。 僕もそう思います。
意外とそっちのほうが色々と安上がりですし。

あまりそういう声が聞こえてこないのが、不思議です。 きっとあまりお金が儲かるように見えないからなんでしょうね...。


cuge   2007年07月31日 13:44
>ニッチで面白い人との出会いがどんどん減って

はげしくどうい。
Lumi@飛行中   2007年07月31日 14:30
通りがかりに失礼します。
典型的な集約派の意見ですね。
私も今後はP2Pが主流になると思います。

そもそも今の携帯とかでさえ昔のENIACなんかの数億倍以上の性能持ったスーパーコンピュータですしね。
おかあつ   2007年07月31日 15:02
>はげしくどうい。

(^-^) でも、こういうことがあるから、まだ面白いですね!


>私も今後はP2Pが主流になると思います。

僕はそう思うのですが...あまりそういう人、いないですよね...。 ほんの少しでも旧世代の時代を知っていれば、多少違う見方に向くのではないか、とも思うのですが...。 これまでも何度かそういうことはおこってますし...。

退会したユーザー   2007年07月31日 22:17
進歩して数字がデカくなって、話もデカくなったら、具体化されない事が多すぎて想像力の無いものが増えて、本当にこの時代は面白くないなぁって…これ以上増えていいことあるのかな…便利を追求しても、最後は飽きるから、結局つまらない…(←果てしなくネガティブなコメントだね)
おかあつ   2007年08月01日 03:12
制約があるほうが一生懸命になれるんだよね... 実は。
懐ゲーとか。 俳句とか。 音楽とか。 万引きとか。 不倫とか。
制約がなくなるととたんにつまらなくなって飽きたりする。


いい技術っていつもそれとのせめぎあいで、今は高性能の時代だ! じゃぁ何でも出来るようにしちゃえ!ってすればいいかって言うとそうじゃないんだよね。

今の世の中がつまらないのは、それをわかってない人が多いからだと個人的に僕は思う。

mixi も myspace みたいに自由だったら こんなに一生懸命やらなかったかもしれない。

 
出展 2007年07月31日10:41 『世の中に無数のコンピューター』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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