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2007年7月1日日曜日

近況 - 現実に目が向く (mixi05-u459989-200707011715)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
近況 - 現実に目が向く
2007年07月01日17:15
思うんだけど、現実に目が向いたのって、みんなは何歳ぐらいの時なんだろうか。

  ◇

僕は、割りと苦労人なので、それは結構若かった様な気がする。 だって、そんな夢みたいな事を言っていたってお金が空から降ってくるわけじゃないし、目の前にある問題を無視しようにも、電気代未払いのため電気を止められているこの現実からは目をそらしようが無い。 この凍えそうな寒さを無視しようにも、ガス代を払っていないという現実は残酷にもこの部屋から火の気を奪っていくわけで、それは、どうにかしないといけない。

どんなに、上司を罵り、社会を罵り、親を罵り、恋人を罵ったところで、寒いのは寒い。 誰も助けてくれないわけで、自分でどうにかしないといけない。 平和な自分の世界に逃げ込んだって、辛くなる一方だし。

でも、まぁ、現実に目が向いてしまうと、意外とラクではある。 とにかく、やるだけだし、やってみれば意外と簡単に答えは出るものだ。

僕は、この意見だけは絶対に譲れない。 だって、誰が悪いと他人に責任を転嫁したところで、結局自分の思い通りになるのは自分しかいないわけだし。

僕は、今、人を罵っている。 正直疲れるし、精神的にもつらい。 だが、僕の問題じゃない。 僕が動いたって仕方が無い。

「バカは感染る」って言う人が居る。 酷い言い方だ。 だけどこれは事実だと思う。 サッカーにせよ、仕事にせよ、何か集団で秩序だって行動しようとしている時、レベルは、必ず、そこにいる一番低いにそろう。

だから、バカは性質が悪い、というわけではないんだけど、それはそういうものだ。 最初は、みんなバカなのだし、それをあれこれいっても始まらない。


ただ、一ついえるのは、このバカが、前向きじゃないと凄く周りは迷惑になるということだ。 このバカのおかげで色々と行動が制約されたり、効率が悪かったり、道が閉ざされたりするわけだけど、そいつが前向きに頑張っているのであれば、その問題は時間が解決するだろう。 ところが、このバカに努力が見えなかったりすると、非常に困る。 いつまでたっても足を引っ張られる。

  ◇

これを罵っているときに良く思うんだけど... こういうやつは全然現実を直視してない事を良く思う。

これはこうあってほしいという気持ちを満たすための夢を見ている。 それが虚像が崩壊すると、気持ちも同時に崩壊してしまう。 何も出来なくなってしまう。

僕は、現実しか見てない。 だから、気持ちが崩壊する事で何かメリットがあるのだろうか、と思う。 だって「こうなりたい」「こうしたい」と思う事があったら、それに対して行動するだけだからだ。 怒ったり泣いたりしたって、「こうしたい」という風には絶対ならない。 魔法じゃないんだし。

立ち止まって、そいつを手のひらに乗せ痛いと泣き叫んだって意味無いよ。ホント。 一心不乱にやるだけだよ。

> つかお前は長渕かっつーの。(※注1)

  ◇

でも、考えてみれば、子供のときはみなそうだ ... 子供はみんな夢を持って生きている。 ところがいつか子供っぽい心地よい自分の空想の向こうに現実世界が見えてくるときがくる。

ここで、自分の夢をさっさと捨ててしまう人、ずっと心地よい夢の世界にとどまろうとする人といるようにおもう。

そして、忘れちゃいけないのは、そんな人の中に、現実の世界に飛び出ても夢の世界を決して諦めずに、現実を夢の通りにしようと悪戦苦闘しようとする人もいる、ということじゃないだろうか。

  ◇

タイの人って、ホント現実が見えてないまんまの人が多い。 というか、現実が見えてない人しかいない。 日本人が、そうやって夢の世界から出て行くところで、そのまま夢の世界に立ち止まってウツラウツラとしているのがタイ人だと思う。

何か問題が起こってもほったらかし。 そのまんま。 問題がおこっちゃったけど ... 取り敢えず問題の事は忘れて、遊びましょう!と言う感じだ。 気持ちの平静を保つ事を第一に考える。 というか、それが最も大切な事だ。 気持ちの平静。

だから、国中に極まった様に中途半端が並んでいる。 気候が良くて食べ物が豊富な国だからこそ、こういうことも出来るんだと思う。

だからこそ、タイにはあまりうつ病の人が居ないんだと思う。 精神衛生上はものすごくいいことだと思う。 それは、ものすごく素晴らしい事だと思う。


だけど、人間、執着してやり遂げないといけない事もあるだろうて...。 いや、別にたいしたことじゃないんだけど、仕事とか、もうちょっと前向きにやったってバチは当たらないだろうて。

お金がふんだんにあるのならいいけど、お金って普通1回無くなったらなかなか再度手に入れるのは難しいものだ。何十年もかけてためたお金がなくなっちゃったとしても、まぁいいや、で済ませられるものなんだろうか。 タイ人って。 人の金だからいいのかよ。

でも、確かに、見ていると、タイ人 特にラオス系・タイ系のタイ人(中華系以外)は、まとまったお金を手に入れると、すれっからしのようになっちゃって、目も当てられないイヤな人になっちゃう事が多い様な気がする。 そういえば、バンコクのサイアムのソイカセムにある「ホワイトロッヂ」という安宿のおばさんもそんな感じだったな。(ちなみにあのおばさんは珍しく中華系じゃなくてラオス系だと言う事は既に判明している) つうか、何にも執着が無いやつを相手にビジネスをするのは、ものすごく大変なのだ。 疲れる。 ノレンを押す。 正にそんな感じで、何を言っても効果がない。 ビジネスだから、経費はどんどん出てくし、もう後ろは無いんだけど、みんな、チャランポランで何にもしない。 それどころか、訳のワカラン、不注意なトラブルをしでかしたりとか平気でする。

問題を改善しようとしても「まぁあわてないあわてない」「そんな考えすぎだよ」「まぁ大丈夫だって」「心配するな」「なんとかなるよ」という言葉がすぐ出てくるし、だからと言ってきつく言うと、表面的には聴いたそぶりだけしておいて、結局黙殺されるし、どうにもならない。 付き合いきれん。

正に、死ぬまで現実に目を向けない。

タイ系・ラオス系が納得するように仕事をしたら、もうほとんど「ボランティアやないんやで状態」で、お金が出て行く出て行く。 これは、仕事なんだから、それじゃ絶対イカンて。


このチャランポランなタイ人と仕事できる日本人って、どんなヤツなんだろうか...。 というか、彼らは、そもそも仕事人としてまともに取り扱える人たちじゃないんだろうな...。 ちゃんと学歴があってちゃんと文化的に教育されたヤツを雇い入れるしかないんだろうな...。

ところで、タイ人はしたたかだ。自分たちに出来ない事は外人にやらせる。 タイの得意な優しいおもてなし。同情を買う言葉。これらを駆使して、外資を募る。 移民を募る。 そうやってやって来た外人は段々儲かっていく... しかし出すぎたマネをすると、甘い顔をして油断していたのをいい事にいきなり牙をむき、すべてを奪い殺してしまう。

そういう二面性。 それがタイなのかもしれない、と思う。

あ~あ... 遊んでいるだけのタイならこんなに楽しい国なのに、何で僕はこんな苦労ばかり背負い込んでしまったんだろうか。



終わり。



(※注1) 余談だけど、長渕の結構古い歌にこういうのがある。
リンク探したらどこにも無かったので、ある掲示板に書いてあったやつを引用。

ときどき今の俺から逃げ出したい時がある
ほんの数秒前の俺に後悔している
情けないほど嫌気がさして拳を振り上げ
馬鹿げてたなと一人はにかみ笑っちまってる
裸になれないもどかしさは俺も同じさ
大人になると人恋しく涙が出ちゃう
やっぱりやっぱりやっぱり俺もひとりぼっちさ
やっぱりやっぱりやっぱりあんたもひとりぼっちかい?

心の中では凍り付くような寒さが走る
誰かにそっと差しのべてほしい弱さもある
そいつを手のひらに乗せて痛いと泣きわめくより
そんな時こそ一心不乱にやっちまえよ
背負い込んだため息は奴らと対等さ
大人になると訳もないのに涙が出ちゃう
やっぱりやっぱりやっぱり俺もひとりぼっちさ
やっぱりやっぱりやっぱりあんたもひとりぼっちかい?

どん底の恥もたくさんあれば自惚れもある
矛盾もあれば勝手さもある人間だもの
友達や女が泣いてこの俺を責めても
涙の訳を分かりたくないわがままさがある
自信がないのは誰でも同じさ
大人になると些細なことで涙が出ちゃう
やっぱりやっぱりやっぱり俺もひとりぼっちさ
やっぱりやっぱりやっぱりあんたもひとりぼっちかい?
やっぱりやっぱりやっぱりあんたもひとりぼっちかい?

コメント一覧
退会したユーザー   2007年07月01日 20:41
夢を真剣に追う人は、まず目先の現実としっかり向き合える誠実さを持っていると思うよ。差別主義みたいに聞こえるかもしれないけど、鎖国だった時の日本の方がこの国らしかった気がするんだ。アメリカに住んでたくせにこんな事言うのも何だけど…。要はどちらが悪いとかじゃなくて、合わないだけなんじゃない?どう考えても武士道と個人主義が合う訳ないから。誰が悪いとかじゃなくて、育った環境+自分の考えがその人を知らず知らずの内に形成してるんだと思う。合わない時の「こんな筈じゃなかった……いい加減にしてくれ」という絶望感は確かに辛いと思う。でもそういう事を経験して合うものが見つかった時、自分に合うものが生きてる間にいかに数える程かが身に染みて分かるから、大事に出来るんだと思うよ。って私自身まだそんなもの見つけてないけどさ。でも同じような「落胆」の気持ちは分からないとは言わないよ。
あび   2007年07月01日 21:28
苦労を厭わず一所懸命に働いてお金を大切に貯めておくのって、もしかしたら、日本文化の一部なのかもね。タイにはまた違う文化があるんだね。日記を読んでそんな感じがした。なんでも「文化の違い」で考えるのをやめてしまうのはよくないけど、仮におかくんが書いているタイ関連の日記が全て事実を忠実に反映しているとしたら、日本人感覚では理解しがたい文化の違いがあるのかもしれないね。
みにまゆ   2007年07月01日 22:55
>>>タイの人って、ホント現実が見えてないまんまの人が多い。 というか、現実が見えてない人しかいない。 日本人が、そうやって夢の世界から出て行くところで、そのまま夢の世界に立ち止まってウツラウツラとしているのがタイ人だと思う。<<<


これって本当にそうですね。
そして立派な学歴があってもいい育ちでも基本この性質に変わりはありません。
上司たち曰く私の職場のタイ人(みんなチュラロンコーンやタマサートですよ?)に注意をすると
最終的に答えはひとつ
「もういやだ。聞きたくない。顔をみたくない」
と言って上司の太刀打ちできない取締役的な人にいいつけるそうです。ハラスメントとして訴えられるように仕向けるようです。
miy   2007年07月01日 23:25
「一生懸命に働く」ことに対するモチベーションってかなり特殊な場合にしか持ち得ないものなのかなと。古典的にはプロ倫とか……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E3%81%A8%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E

タイにも「成功」している人はいるんだろうけど、そういう人のモチベーションは何なんだろう。
ジャコビ   2007年07月02日 00:51
ミクシィを通じて、まだほんの短い間しかおかあつさんを知りませんが、日記を読んでいてその人となりが少し分かるような気がします。外国語学習に関しても、実際にタイに住む事に関しても、グチは言うものの、内心あきらめず、食いついている様子が伺えます。

God helps who help themselves. というのが私の好きな言葉なんですが、おかあつさんの日記を読んでいると、まさにそういう人なんだろうな、と思ったりしています。

でも、いくら自分自身が努力しても、決して変えられないのは他人の心だと思います。人が変わる為には、本人の自覚が必要不可欠です。こちらが思うように変わる意欲のない人を見てイライラすると、精神的に消耗しますよね。

私が現実を生き始めたのは遅く、30歳になってからでした。それまでは、夢ばかり見ていました。
おかあつ   2007年07月02日 02:15
immy
>要はどちらが悪いとかじゃなくて、合わないだけなんじゃない?
>どう考えても武士道と個人主義が合う訳ないから。

僕は、禅が好きで、というか、おばあちゃんがお華をやっていた関係で、おばあちゃんが禅のしきたりで食事していたのを小さい頃から見ていたりしたので、禅に多少なじみがあったみたいだ。 何でご飯茶碗でお茶飲むのかって思ってたけど、禅の習慣なんだってね。

僕も禅が好きなんだけど、なんとなく、(武士道と関係があるとも無いともいえないかもしれないけど)禅って、最終的には個人主義とすごく関連している様な気がする。 禅があるから、日本が日本らしくなるんだと思う。 タイにも禅はあるけど、日本の禅とは、目的がぜんっぜん違う! 今度、タイで出家してみようと思うんだけど(タイの出家は1日からできる) 日本の禅とは、全く別物なのだそうだ。

禅があるからこそ、日本はアジアの中でも多少個人主義的なところがあるのではないかな...って思う。(中国もある意味個人主義だけど、ここでいう個人主義はそれとはちょっと違う。)

期待に沿わないから怒る...。 でも僕は言い方が厳しすぎるのかも知れない。 と今日あれから思った。 僕は気持ちが激しすぎる。 だから、いい事もあるし、よくないこともある...。



あび氏
> 苦労を厭わず一所懸命に働いてお金を大切に貯めておくのって、もしかしたら、日本文化の一部なのかもね。タイにはまた違う文化があるんだね。

いや、これは、マジでそう。 ホントそう。 みたいだ。 と言うか... 実は日本が非常に特殊であるみたいだ。 色々な人の話を総じて見ると...。 普通の国って、お金が入ると結構、日本人的にみると「ぱーーーーっと」使っちゃう。 ある女の子にロシアのお金の習慣の話をしたら「あたしもロシア人になりたい」って言われた(^-^; 日本人って凄く気持ちを抑えて堅実に何とかしようとする傾向... というか習慣が強いみたいだ...。

でも、お金なくなったら、どうしようもないじゃない。 日本だと...。



いも
>「もういやだ。聞きたくない。顔をみたくない」

それそれ。 もーそれ。 もういやだ、聞きたくない、顔も見たくない。 何か言うとすぐそれ。ってグチを言っていても仕方がないんだけど... 何かを言う時は子供をあやすように、遠まわしに、気持ちを痛みからそらすように気をつけながら言わないといけない。

って、この言葉 ---上司たち曰く私の職場のタイ人(みんなチュラロンコーンやタマサートですよ?) --- この言葉がキツイ。 そうなのかー...。 やっぱ何も変らんのかー。

人の意見を鵜呑みにしないで、ちゃんと自分の目で見ないといけないけど... って絶対ウドンとは同じじゃないと思うし... でもしかしながら、基本的に同じ傾向はあるんだな...。

miy
>タイにも「成功」している人はいるんだろうけど、そういう人のモチベーションは何なんだろう。

それは、多分、僕なんかより、香港にいる miyの方がよく知っているんじゃないだろうか ... だって、成功している人はほぼ99%中華系なんだよ。 この人たちは、純粋なタイ系・ラオス系の人とは、習慣も文化も違う。下手するとタイ語が話せなかったりもする。 この人達の多くは旧字体を使うみたいだ。

中華系はタイ系・ラオス系の人と違うことが一つだけある。 彼らは何かに執着する大切さを知っている。 タイ系ラオス系の人はうまく行かなくなるとすぐ放棄する。(でも、見ていると何故か放棄すると逆にうまく行く場合があるのは何でなんだろうか...。)


ジャコビさん、

カナリ照れくさいです。 でもしかし、そんなすごいやつじゃないです。
すみません(_ _;;

>でも、いくら自分自身が努力しても、決して変えられないのは他人の心だと思います。

ホントそうですね...。

しかし、僕の場合「北風と太陽」に出てくる北風みたいに、厳しすぎるのだと思うのです。人を導く方法を覚えないといけないと思います。

実は、その人は、非常に若いのです。
だから、元々絶対ムリなのかもしれないのです。
それどころか、むしろムリなのが自然だと思います。
でも、しかし、その人は年齢に不相応にしょっているものが大きいのです。
だから、どうすればいいのか、すごく迷います。

miy   2007年07月02日 10:12
> だって、成功している人はほぼ99%中華系なんだよ。

結局そうなるのね。
地元で食えなかったりして一旗揚げにきた連中との違い、と言い切ってしまうのにも抵抗があるけど……。
よもぎ   2007年07月17日 08:56
覚えておられるかわかりませんが、お久しぶりです。
あび氏が、おかあつ氏はタイでおかあつ氏にとってとても大事で
貴重なことを学んでいるのじゃないか、彼にとって非常にいいのではないか。
みたいなことを先日電車の中で云っておりました。
ちなみに、頭のいい人の話をしていたら、おかあつ氏の話になりましたです。

わたしはこの日記を読んで
>これはこうあってほしいという気持ちを満たすための夢を見ている。
>それが虚像が崩壊すると、気持ちも同時に崩壊してしまう。
>何も出来なくなってしまう。
という「現実を見ようとしない人」への表現にどきっとしました。
心を捕まれたような。
こうならないように闘っています。いま。

じぶんのことを現実的な奴だと思っていましたが・・・。

逆境の時こそ、意外に、醒めた気持ちや平常心を取り戻せるものだ、
と自分を頼もしく思っていましたが・・・。

>僕は、現実しか見てない。 だから、気持ちが崩壊する事で何かメリットがあるのだろうか、と思う。

ああ、全くその通りだと思うわけです。
ですが、しかし・・・。
メリットがなかろうと、どうしようもなく、
「自分がそうなることを許してきた人たち」というのはいるのだろうなと。

>だって「こうなりたい」「こうしたい」と思う事があったら、それに対して行動するだけだからだ。 怒ったり泣いたりしたって、「こうしたい」という風には絶対ならない。 魔法じゃないんだし。

ものすごく、ものっそ、その通りですが、努力のしようがわからないこと。
「こうなれるわけがない」ということも世の中には存在します。
>でも、いくら自分自身が努力しても、決して変えられないのは他人の心だと思います。

というように。ささいなことでも他人は動かしがたい。
矢本さんとmixiでおしゃべりするたびに、あらためて、そのことを教えられる気がします。
「他者」へ気づき、他者を本当の意味で受け入れるということは、、、とてつもなく難しく大きなことに感じます。
受け入れることなんてできないのかもしれません。
他者を他者として感じることだけでも、ときに難しいのかもしれません。

>立ち止まって、そいつを手のひらに乗せ痛いと泣き叫んだって意味無いよ。ホント。 一心不乱にやるだけだよ。

いい言葉ですね。とくに前半。紹介ありがとうございます。
長渕はあまり好きでありませんでしたが、
いまの自分には届く言葉でした。

そして、おかあつさんの、この言葉。現実ですよね。
>僕は、この意見だけは絶対に譲れない。 だって、誰が悪いと他人に責任を転嫁したところで、

「結局自分の思い通りになるのは自分しかいない」わけだし。

甘く甘く育ってきた私には、どこか他人・他へ責任を転嫁したり、他者にばかり厳しく己に甘いところがずっとあったのだろうと思います。
たしかに、鬱にはならないし、精神衛生上は…(自嘲

>僕は、今、人を罵っている。 正直疲れるし、精神的にもつらい。
同感です。

どうも、おかあつさんの日記は、自分のお腹の中に引き寄せて、自分の問題を考えるために使わせて頂いてしまいます。
長々とコメントしても、おかあつさんにとっての気づきはなく、わたしが気づかされました、あるいは参考になりました、刺激になりました、どきっとさせられました。
ということを延々書いてしまっている訳で、まぁ、文章を人目に曝すということはそういうことを読者に云われてもいいのかも知れませんが、ごく個人的な捉え方になり、長々とコメントを書くのは申し訳ないような気にもなってきました。

なので、なるべく日付の新しいものへは書き込まなかったりしていますが。いつも。笑

では、ありがとうございました。

おかあつ   2007年07月17日 19:14
>なので、なるべく日付の新しいものへは書き込まなかったりしていますが。いつも。笑

心配しなくても大丈夫です。 今頃、このコメント欄に書き込んだ人全員の「最新コメント書き込み」に上がってますから。
(^-^;

こんど書こうかなと思ってるネタなんだけど、この間 古漫画屋をウロウロしていたら、ブラックジャックが置いてあったのです。 僕はブラックジャックが大好きなのです。

まえ、タイにいるとき、日本アニメだい好きなタイ人もきっと楽しんでくれるに違いないと思い、薦めたことがありました。そうしたら、タイでは超マイナーでまったく売ってない。 ようやっと探し出して見せてみたら、苦労の甲斐なくまったく興味無し。 読んでも飽きてすぐ読みやめちゃいました。

考えてみると、ブラックジャックに出てくる人って、なんかそうやって現実から目をそらしているうちに、生活がおかしくなっちゃっている人が多いような...。

そんなところで、ブラックジャックがやってきてそういう甘さを一刀両断、全部丸く収まって(収まんないときもあるけど) おしまい、っていうパターンが多いような気がする。 こういう痛みを伴う文化ってタイ、ダメなんだよね。 きっと。



そうやってみてみると、海外で意外と有名じゃない漫画ってあります。 たとえば、宮崎アニメってタイでぜんぜんはやらないです。話に聞くところ、中国とかもぜんぜんはやらないんだそうです。 ところが、アメリカで、宮崎アニメはかなり評判がいいそうです。

あと「アキラ」。あれもかなり差がある。 タイでは膨大な量のマンガが毎日毎日翻訳されて出回っているのですが、それにもかかわらず、アキラの知名度はいまひとつ。 出回っていませんでした。



結構、痛みに対する捉え方が国によって違うのかもしれないなと思います。 こうして考えると、日本って「ぬるま湯に漬かってんじゃねぇ」的に、痛みを比較的肯定的に捉えているところがあるのかもしれません。

でも、そんなお気楽なタイ人ですが、そんなこんなでお金が無くなって、ものすごく苦労することが多いみたいです。 結果的に、日本人より人の痛みがわかる人が多いように思います。

日本人は痛くなるまえに、問題が解決していることがほとんどなので、痛みをしらず、ひいては、人の痛みを理解しない人が多いのかも。

よもぎ   2007年07月17日 22:59
>心配しなくても大丈夫です。 今頃、このコメント欄に書き込んだ人全員の「最新コメント書き込み」に上がってますから。
(^-^;

うががが★
パソコンの前で大声を上げてしまいました。
盲点と言うか忘れていました(;_;)

ブラックジャックですか。面白い。
うちの脳性麻痺の方の息子が好きなのですが、
じつは、わたしはタイの方々に同じく、あれにはサッパリ
はまれなかったのです。
タイの方々との共通点が。。。
なんか、読めはするのですが、リアルでなくストーリー的で
ショートショートのように楽しむ分にはいいのですが、
わたしは手塚よりは断然『カムイ伝』の方でしたね。
『アドレフに告ぐ』と遺作のベートーベンを描いたのは好きでしたが。
いまでこそ、息子の影響で手塚をイロイロ読んで面白いと思いますが、
手塚の伝記の方がより面白いかな?
おかあつさんは、西原理恵子はどうですか?

あと、ブラックジャックがタイで流行らないのは、
おかあつさんが書いてらっしゃるようなことではない気が
なんとなくしました。つまらないからじゃない?
なんとなくですみません。じぶんがそうだからかな。
でも、ひょっとして痛みを伴う文化だからなのかしら?
タイも私も受け入れないのは・・・苦笑い。

苦労を苦労とも思わない人たち、という雰囲気の人たちが存在します。
ブラックジャックはけっこうカッコつけだし、ニヒルな感じとか、それでいて、
大上段に構えた感じや臭みもあって、なんというか純粋に「おもしろい!」
「人間が描かれている!」という感じはしないのです。

人間を観察した手塚の主張であったり疑問であったりが描かれていたり、
あとは何だろう?
とにかく、わたしは息子が何でそんなに面白がるのか、逆に不思議でした。
なんで、そんなに面白いんですか?おかあつさん。
今度書いてください、ぜひ。

>なんかそうやって現実から目をそらしているうちに、生活がおかしくなっちゃっている人が多いような...。

をリアルに描くのであれば面白い漫画になると思います♪
手塚さんのは発想や切り口として面白いけど、その人物が迫ってくるようなリアルさを不思議なほど感じないのですよ~。
おかあつ   2007年07月17日 23:35
BJは... 僕は、長年苦労に苦労を重ねて母の仇を討とうとしようとしている政治家が、末期ガンになった事を知った時の話が好きです。

BJの母はその人のいい加減な認可事業の犠牲で死んで、父はそんな母を見捨ててマカオに逃げてしまった。 そんななかでBJはその政治家に復讐する為、ひたすら努力に努力を重ねて医者になった...。ところがそのときには政治家は死ぬ寸前だったという話。

BJはその政治家が自分が犠牲になったのを尻目に、幸せな家庭を築いているという事実が許せない。 そいつが死んでも家族に復讐してやろうっていう意気込みで家を訪れた。

そうしたら、思いがけず、無垢で優しい物腰の柔らかな娘から親切な対応を受ける。 その政治家の娘だった。 復讐するということは、その娘の幸せを台無しにするということでもあった。 その政治家はよい父親だったのだ...。 激しく矛盾に悩むBJ。

... っていうかんじで、これといった結末は無くてそのまま終わりなんですが、僕はすごくリアリティーを感じます。

世の中、あんまりそういう風にトントンときれいにいかないよなー、っていう感じがうまく出ていてすごく「あーあるある」感が満載です。


あと、シャチの詩っていう話とか好きです。 自分が可愛がって面倒を見ていたシャチが実は人食いシャチだった、という話なんですが、悲しくて泣けます。
 
出展 2007年07月01日17:15 『近況 - 現実に目が向く』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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