16歳の裏 (論理ネタ) (17:12最後だけ修正)
2007年01月05日16:09
最近 論理の本
硲文夫著 論理と代数の基礎
を 一生懸命読んでいます。
その本によると、ならば、という言葉はとても微妙な要素を持っているのだそうです。
例えば...
「おいしいならば食べる」
「安いならば買う」
「いい店ならば混む」
まぁ ... こういう風に書いてもあまり微妙な感じはしません。 だけども、逆にした時に微妙になってきます。
例えば
「あの人は、食べている。 ならば、おいしい。」
「あの人は買っている。 ならば、安い。」
「あの店は混んでいる。 ならばいい店。」
これが、間違っていることは、案外、生活の中でも体験するような事ではないでしょうか。
「誰かが食べているからと言って、おいしいとは限らない。」
「あの人が買っているからと言って、安いとは限らない。」
「あの店が混んでいるからと言って、いい店とは限らない」
しかし人というものは、こんなとき、間違っていると知ってはいても思わず、だまされてしまうのが人情ではないでしょうか。
こういう有名な認知に関する実験があったのだそうです。
「E」
「F」
「7」
「8」
このカードで「母音の裏には必ず偶数が書いてある」という事を確認するためには、どのカードを裏返す必要があるだろうか、という問題です。 あるグループでこの質問をしたところ、80%の人がEと8と答えたという話でした。
これは 正しくは「E」と「7」ですが、何故だかわかりますでしょうか。
8をめくってたときは、表が母音でも子音でも構わないからです。 むしろ、7をめくって母音かどうかをみることで「母音の裏は偶数である」という設問の反例をチェックができるわけです。
なんだか、難しいようですが、要は「行列の出来る店がうまい店とは限らない」と同じ論理ではないかと思います。
...
そんなある日、つっきー氏から、こういうホームぺージを教えて貰いました。
http://www.blwisdom.com/blog/shikano/archives/2006/01/post_48.html
このページで、その4枚カード問題について触れられているということで教えて貰ったのですが、後半の筆者の作った例を読んでいるうちに強烈に違和感を覚えて気持ち悪くなってしまいました。 でも、何が気持ち悪いのかと聞かれると、よくわからないのでした。
一晩 考えてみたのですが、こういうことではないかと思いました。
まずは、原文を引用したいと思います。
引用
───────────────────────────
2006/01/30
4枚のカード
ちょっと、パズルを解いてみて欲しい。
片方の面には数字、もう一方の面にはアルファベットが印刷されたカードがあるとしよう。そして、今、「A」「K」「5」「8」と書かれた4枚のカードが配られた。
さて、この4枚のカードにおいて、「カードの片面に母音(A、E、I、U、Oのどれか)が書いてあれば、その裏に書かれた数字は必ず偶数である」というルールが成り立っているかどうかを確かめるには、最低限、どのカードを裏返せばいいだろうか?
じっくり考えて、答えを出してから次を読んで欲しい。
……さて、あなたはどう答えたろうか。
これは認知心理学の分野で有名な「4枚カード問題」と呼ばれるもので、1970年に発表された、イギリスの名門大学生を対象に行った実験では、46%の人が「A」と「8」と回答し、33%の人が「A」だけを選んだ。
だけど、これはどちらも間違いで、正解の「A」と「5」を選んだのは、わずか4%だった。
念のため解説すると、「A」の裏が奇数なら法則が成り立たないし、「5」は奇数だから裏が母音だとダメなので裏返す必要がある。一方「K」は母音じゃないから裏は何でも良いし、「8」の裏が母音でなくてもルールに反しないので、裏返す必要はないわけだ。
いやあ、こういう論理パズルって、なかなか難しいよね。でも、これをもう一つ別のパズルと比較すると、人間の心の不思議さが見えてくる。
今度のカードは、片面に酒を飲む人とお茶を飲む人が描かれている。
また、それぞれの裏にはそれを飲んでいる人の年齢が印刷されている。
さて、ここに、「16歳」「40歳」「お茶を飲む人」「酒を飲む人」の4枚のカードがあるとしよう。このカードが「18歳未満の飲酒は禁止」というルールに違反していないかどうかを調べるには、どのカードを裏返せばいいだろう。
……正解はもちろん、「16歳」と「ウィスキーを飲む人」のカードだ。そしてたぶん、これには大半の人が、楽々正解できたと思う。さっきとは段違いの簡単さだ。
ところが、最初のパズルと後のパズルは、論理的には同じ真偽判定が必要な、同質の問題なのだ。両者の間には、パズルが抽象的な記号で表現されたか、社会的ルールで表現されたかの違いしかない。
つまり人の心には、社会的なルールが守られているか否かを、素早く見抜く能力が備わっているらしい。どうやら人の心は、抽象的な論理処理を行えるように進化したわけではなく、社会の中で上手に暮らせるように進化してきたものといえそうだ。
抽象的で理解の難しい事柄でも、擬人化して説明するととてもわかりやすくなる事が多い。それは、正確な理解ではないけれど、腑に落ちるという感じでわかったりする。
このことからしても、人の心には、複雑な反応を示す他者に、心の存在を仮定する癖がある事が解る。それは人間の心にある「認知の歪み」の一つなのだ。
───────────────────────────
引用終わり
この文章は間違っていると僕は感じました。
皆さんはいかがお考えでしょうか。
社会習慣に例えて比較すると、むしろごまかされたり、だまされたりしやすくなるんじゃないかなぁ...。
僕の意見を文章にまとめてみました。
───────────────────────────
> さて、ここに、「16歳」「40歳」「お茶を飲む人」「酒を飲む人」の4枚のカードがあるとしよう。このカードが「18歳未満の飲酒は禁止」というルールに違反していないかどうかを調べるには、どのカードを裏返せばいいだろう。
> ……正解はもちろん、「16歳」と「ウィスキーを飲む人」のカードだ。そしてたぶん、これには大半の人が、楽々正解できたと思う。さっきとは段違いの簡単さだ。
この設問の方法自体が大幅に間違ってる。
「18歳未満<ならば>未成年飲酒」という日本語では極めて明快な文章も、記号で表すならば、更に複雑な意味合いを持っている。 この「18歳未満の飲酒は禁止」 を記号で表すとき
(18歳未満→未成年飲酒)
※意訳:「18歳未満ならば未成年飲酒」
というのは誤りである。 これは日本語の曖昧な表記が元来持っている落とし穴であり、実際にはより複雑な論理が含まれている。
(飲酒している∧年齢<18)→ルール違反
※意訳:「飲酒して かつ 18歳未満ならば、未成年飲酒」
とするのが正しい。
この場合、以下のケースにおいて
「16歳」
「40歳」
「お茶を飲む人」
「酒を飲む人」
お茶を飲む人が関係ないことは自明である。 何故ならば、命題は∧を含んでおり、酒を飲む人、あるいは、18歳未満の いずれかが否定されれば、誤りが検出できるからである。(ドモルガンの法則)
以上の理由により、この文章が意図している「ならばの否定」の比喩として成立していない。
そもそも、命題「母音の裏ならば偶数」
「A」(母音)
「K」(子音)
「5」(奇数)
「8」(偶数)
これの答えは「A」と「5」である。 5という一見関係ないように見えるカードを裏返す必要があるというのが要点だが、未成年飲酒の例では「16歳」と「酒を飲む人」を選ぶのが正解とされており、元の例で表せば「A」と「8」を裏返す場合と等しい。 これは「ならばの否定」を表していないばかりでなく、大胆にも、単純な∧の否定問題にすり返られてしまっている。
これは、皮肉な事に、社会的な比喩を使うと、いとも簡単に論理能力をだます事ができてしまうということの好例ではないだろうか。
ところで、もしも、以下のケースにおいて、設問が「18歳以下なら不良だろう」という物であれば、
「16歳」
「40歳」
「社会人」
「不良」
答えは「16歳」と「社会人」となる。
16歳の裏をめくったら社会人であったり、不良の裏をめくったら、40歳であることをみれば、この命題が誤りである事が明らかになるだろう。
─────────────────────────
説明終わり
僕は、なんだかわかったような気にさせられる説明って怖いと思うのです。 わかったような気にさせられて、ごまかされてしまう。
逆に考えると、この人間が、この「ならば」を逆にする論理に非常に弱いのだということ、社会的な感覚に置き換えると矛盾していることでもあっさり信じさせる事ができてしまうことを悪用すると、簡単に人をだます事ができるのかもしれないな...と思った。
硲文夫著 論理と代数の基礎
を 一生懸命読んでいます。
その本によると、ならば、という言葉はとても微妙な要素を持っているのだそうです。
例えば...
「おいしいならば食べる」
「安いならば買う」
「いい店ならば混む」
まぁ ... こういう風に書いてもあまり微妙な感じはしません。 だけども、逆にした時に微妙になってきます。
例えば
「あの人は、食べている。 ならば、おいしい。」
「あの人は買っている。 ならば、安い。」
「あの店は混んでいる。 ならばいい店。」
これが、間違っていることは、案外、生活の中でも体験するような事ではないでしょうか。
「誰かが食べているからと言って、おいしいとは限らない。」
「あの人が買っているからと言って、安いとは限らない。」
「あの店が混んでいるからと言って、いい店とは限らない」
しかし人というものは、こんなとき、間違っていると知ってはいても思わず、だまされてしまうのが人情ではないでしょうか。
こういう有名な認知に関する実験があったのだそうです。
「E」
「F」
「7」
「8」
このカードで「母音の裏には必ず偶数が書いてある」という事を確認するためには、どのカードを裏返す必要があるだろうか、という問題です。 あるグループでこの質問をしたところ、80%の人がEと8と答えたという話でした。
これは 正しくは「E」と「7」ですが、何故だかわかりますでしょうか。
8をめくってたときは、表が母音でも子音でも構わないからです。 むしろ、7をめくって母音かどうかをみることで「母音の裏は偶数である」という設問の反例をチェックができるわけです。
なんだか、難しいようですが、要は「行列の出来る店がうまい店とは限らない」と同じ論理ではないかと思います。
...
そんなある日、つっきー氏から、こういうホームぺージを教えて貰いました。
http://www.blwisdom.com/blog/shikano/archives/2006/01/post_48.html
このページで、その4枚カード問題について触れられているということで教えて貰ったのですが、後半の筆者の作った例を読んでいるうちに強烈に違和感を覚えて気持ち悪くなってしまいました。 でも、何が気持ち悪いのかと聞かれると、よくわからないのでした。
一晩 考えてみたのですが、こういうことではないかと思いました。
まずは、原文を引用したいと思います。
引用
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2006/01/30
4枚のカード
ちょっと、パズルを解いてみて欲しい。
片方の面には数字、もう一方の面にはアルファベットが印刷されたカードがあるとしよう。そして、今、「A」「K」「5」「8」と書かれた4枚のカードが配られた。
さて、この4枚のカードにおいて、「カードの片面に母音(A、E、I、U、Oのどれか)が書いてあれば、その裏に書かれた数字は必ず偶数である」というルールが成り立っているかどうかを確かめるには、最低限、どのカードを裏返せばいいだろうか?
じっくり考えて、答えを出してから次を読んで欲しい。
……さて、あなたはどう答えたろうか。
これは認知心理学の分野で有名な「4枚カード問題」と呼ばれるもので、1970年に発表された、イギリスの名門大学生を対象に行った実験では、46%の人が「A」と「8」と回答し、33%の人が「A」だけを選んだ。
だけど、これはどちらも間違いで、正解の「A」と「5」を選んだのは、わずか4%だった。
念のため解説すると、「A」の裏が奇数なら法則が成り立たないし、「5」は奇数だから裏が母音だとダメなので裏返す必要がある。一方「K」は母音じゃないから裏は何でも良いし、「8」の裏が母音でなくてもルールに反しないので、裏返す必要はないわけだ。
いやあ、こういう論理パズルって、なかなか難しいよね。でも、これをもう一つ別のパズルと比較すると、人間の心の不思議さが見えてくる。
今度のカードは、片面に酒を飲む人とお茶を飲む人が描かれている。
また、それぞれの裏にはそれを飲んでいる人の年齢が印刷されている。
さて、ここに、「16歳」「40歳」「お茶を飲む人」「酒を飲む人」の4枚のカードがあるとしよう。このカードが「18歳未満の飲酒は禁止」というルールに違反していないかどうかを調べるには、どのカードを裏返せばいいだろう。
……正解はもちろん、「16歳」と「ウィスキーを飲む人」のカードだ。そしてたぶん、これには大半の人が、楽々正解できたと思う。さっきとは段違いの簡単さだ。
ところが、最初のパズルと後のパズルは、論理的には同じ真偽判定が必要な、同質の問題なのだ。両者の間には、パズルが抽象的な記号で表現されたか、社会的ルールで表現されたかの違いしかない。
つまり人の心には、社会的なルールが守られているか否かを、素早く見抜く能力が備わっているらしい。どうやら人の心は、抽象的な論理処理を行えるように進化したわけではなく、社会の中で上手に暮らせるように進化してきたものといえそうだ。
抽象的で理解の難しい事柄でも、擬人化して説明するととてもわかりやすくなる事が多い。それは、正確な理解ではないけれど、腑に落ちるという感じでわかったりする。
このことからしても、人の心には、複雑な反応を示す他者に、心の存在を仮定する癖がある事が解る。それは人間の心にある「認知の歪み」の一つなのだ。
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引用終わり
この文章は間違っていると僕は感じました。
皆さんはいかがお考えでしょうか。
社会習慣に例えて比較すると、むしろごまかされたり、だまされたりしやすくなるんじゃないかなぁ...。
僕の意見を文章にまとめてみました。
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> さて、ここに、「16歳」「40歳」「お茶を飲む人」「酒を飲む人」の4枚のカードがあるとしよう。このカードが「18歳未満の飲酒は禁止」というルールに違反していないかどうかを調べるには、どのカードを裏返せばいいだろう。
> ……正解はもちろん、「16歳」と「ウィスキーを飲む人」のカードだ。そしてたぶん、これには大半の人が、楽々正解できたと思う。さっきとは段違いの簡単さだ。
この設問の方法自体が大幅に間違ってる。
「18歳未満<ならば>未成年飲酒」という日本語では極めて明快な文章も、記号で表すならば、更に複雑な意味合いを持っている。 この「18歳未満の飲酒は禁止」 を記号で表すとき
(18歳未満→未成年飲酒)
※意訳:「18歳未満ならば未成年飲酒」
というのは誤りである。 これは日本語の曖昧な表記が元来持っている落とし穴であり、実際にはより複雑な論理が含まれている。
(飲酒している∧年齢<18)→ルール違反
※意訳:「飲酒して かつ 18歳未満ならば、未成年飲酒」
とするのが正しい。
この場合、以下のケースにおいて
「16歳」
「40歳」
「お茶を飲む人」
「酒を飲む人」
お茶を飲む人が関係ないことは自明である。 何故ならば、命題は∧を含んでおり、酒を飲む人、あるいは、18歳未満の いずれかが否定されれば、誤りが検出できるからである。(ドモルガンの法則)
以上の理由により、この文章が意図している「ならばの否定」の比喩として成立していない。
そもそも、命題「母音の裏ならば偶数」
「A」(母音)
「K」(子音)
「5」(奇数)
「8」(偶数)
これの答えは「A」と「5」である。 5という一見関係ないように見えるカードを裏返す必要があるというのが要点だが、未成年飲酒の例では「16歳」と「酒を飲む人」を選ぶのが正解とされており、元の例で表せば「A」と「8」を裏返す場合と等しい。 これは「ならばの否定」を表していないばかりでなく、大胆にも、単純な∧の否定問題にすり返られてしまっている。
これは、皮肉な事に、社会的な比喩を使うと、いとも簡単に論理能力をだます事ができてしまうということの好例ではないだろうか。
ところで、もしも、以下のケースにおいて、設問が「18歳以下なら不良だろう」という物であれば、
「16歳」
「40歳」
「社会人」
「不良」
答えは「16歳」と「社会人」となる。
16歳の裏をめくったら社会人であったり、不良の裏をめくったら、40歳であることをみれば、この命題が誤りである事が明らかになるだろう。
─────────────────────────
説明終わり
僕は、なんだかわかったような気にさせられる説明って怖いと思うのです。 わかったような気にさせられて、ごまかされてしまう。
逆に考えると、この人間が、この「ならば」を逆にする論理に非常に弱いのだということ、社会的な感覚に置き換えると矛盾していることでもあっさり信じさせる事ができてしまうことを悪用すると、簡単に人をだます事ができるのかもしれないな...と思った。
コメント一覧
おかあつ 2007年01月05日 17:14
ならばを逆にするとだませるパターンってどういうのがあるかな...。
つっきー 2007年01月05日 19:44
>後半の筆者の作った例を読んでいるうちに
お酒の方の話も文脈から推測すると、このブログの筆者が考えた例というわけではなく、認知心理学ではよくしられた例のような印象を受ける。
お酒の方の話も文脈から推測すると、このブログの筆者が考えた例というわけではなく、認知心理学ではよくしられた例のような印象を受ける。
kikuyan 2007年01月06日 17:53
おみこし理論(2006/12/27)で、おかあつさんが引用した
http://staff.aist.go.jp/toru-nakata/humanerror.html
にもこの例題出てますね
http://staff.aist.go.jp/toru-nakata/humanerror.html#ch3users
(ちゃんと出典もある)。
抽象度が高い方も、実は単純じゃなくて
(母音である∧奇数である)→ルール違反
だから、論理的には、未成年飲酒の方と同じ論理構造なんじゃないかな。
http://staff.aist.go.jp/toru-nakata/humanerror.html
にもこの例題出てますね
http://staff.aist.go.jp/toru-nakata/humanerror.html#ch3users
(ちゃんと出典もある)。
抽象度が高い方も、実は単純じゃなくて
(母音である∧奇数である)→ルール違反
だから、論理的には、未成年飲酒の方と同じ論理構造なんじゃないかな。
おかあつ 2007年01月06日 19:26
はっ...w(’o’)w こんなところに!
キクヤン ありがとう!
> (原典: Wason, "Reasoning," In Fos (Ed.), New horizons in psychology, pp. 135-151, 1966.)
>(母音である∧奇数である)→ルール違反
>だから、論理的には、未成年飲酒の方と同じ論理構造なんじゃないかな。
そうらしいです。
つっきー氏(僕の旧友で数学のPhDを持ってる)は、きちんと数学的な形式に則って、これらの論理構造が同じという事を数学的に証明してみせてくれた。
しかしながら、くねくね科学の論法がおかしいと感ぜられたのは、このことじゃないということがわかった...。
キクヤン ありがとう!
> (原典: Wason, "Reasoning," In Fos (Ed.), New horizons in psychology, pp. 135-151, 1966.)
>(母音である∧奇数である)→ルール違反
>だから、論理的には、未成年飲酒の方と同じ論理構造なんじゃないかな。
そうらしいです。
つっきー氏(僕の旧友で数学のPhDを持ってる)は、きちんと数学的な形式に則って、これらの論理構造が同じという事を数学的に証明してみせてくれた。
しかしながら、くねくね科学の論法がおかしいと感ぜられたのは、このことじゃないということがわかった...。
つっきー 2007年01月06日 20:42
>論理構造が同じという事を数学的に証明
そんなにおおげさなことじゃないけど、、、
そんなにおおげさなことじゃないけど、、、