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2006年12月18日月曜日

ストリートチルドレン (mixi05-u459989-200612181514)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
ストリートチルドレン
2006年12月18日15:14
ふと思った。

英語で浮浪児のことをストリートチルドレンと言うから、多分欧米では路上で生活する人は可哀想な人なのだろう。 ストリート=生活する場所がない人が仕方なく住まう場所、という図式が成り立つのではないか...。

でも、国によっては、道端で食べ物を売って道端で食べるのが好きな国もある。

欧米の人たちは、そういう人たちを可哀想だからと、助けてあげようとする。 でも、多分、これは、全くの かんちがい行動ではないか、と思う。


確かに、欧米は、表土が浅くて気候が乾燥しており、寒いので、路上で生活するというのは生死に関わる問題だ。 ところが、温暖湿潤なアジアでは(そして恐らく中東でも)、路上で生活するのは、そこまで大変な事ではない。 それどころか、風通しが良く涼しいので快適な生活空間だ。 そのうえ、コストを掛けずに手軽に商売が出来る便利な場所ですらある。

路上というのは、売る人も低コスト、買う人も低コストで取引できる絶好の土壌なのではないか。折角おいしい食事を作ることができるのに初期投資費が無いから店が出せない、とか、高級で高い家賃を払っているのに、なんだかまずい飯を食わせるレストランとかとは、全く無縁の路上レストランである。

そこにいるのがすきなのである。

ところが、特に、報道メディアを通じてみる アジア・中東というのは、どうしても、そんな路上生活者=可哀想という欧米的な偏見で偏光されてしまう。 結果、どうしても、そこに住んでいる人たちの感覚からは随分掛け離れた報道をされてしまう。

それが、どういう害を生み出しているのかは、考える意義があると思う。


その見方は間違っている、というドラスティックな価値観のシフトを迫るこの考え方をどうやって欧米の人に説明するのか。 ほとんどの人は、そういう根本的な変更は好まないものだし。


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出展 2006年12月18日15:14 『ストリートチルドレン』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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