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2006年8月19日土曜日

逆カルチャーショック (mixi05-u459989-200608190407)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
逆カルチャーショック
2006年08月19日04:07
今日、僕は、思ったのだけど、日本に帰ったら、タイにはじめていった時と同じ様に「適応作業」をしないといけないのだなと思った。

例えば、タイに行ったら日本語は喋らないようにするとか、日本人とあわないようにするとか、日本料理は出来るだけ避けるとか... こういう風にして、その国の生活風習を自分のものとして取り入れていく。

実際に、タイに行ってそれをやったら、僕の場合は非常にうまくいったのだと思う。 ラオス文化も含めて、最初はあれだけ違和感を感じた文化が、全然なんとも思わなくなった。 日本食食べたい病も発病せずだった。

しかし、日本に帰った今その逆が起こってる。

僕は、今、日本が違和感だらけになってしまった。

日本に来たら、なるべくタイ語は話さないようにして、タイ人ばかり探していないで、やたらとタイ料理を探して歩き回ったりしないように気をつけないといけないのだと思った。

タイで、日本食屋に入ると、「こんなん日本食ちゃうわー」と怒鳴ってしまいたくなる、それがわかってるから、日本食屋には行かなかった。

それと同じ様に、日本でタイ料理屋に行くと、「こんなんタイ料理ちゃうわー」となってしまう。 これが、タイの日本食屋に行くと感じる違和感と同じものだと、気が付いていなかった。

────────────────────

でも、それとは別に、やっぱり、日本と言うのは変な国だと思う。これは正に島国の人ならではの特徴なんだけど、島国の人に「島国って変だよね」って言っても比べるものがないので、理解できない。 でも、まぁ、そりゃそうだよね。

自分の外にある文化の特徴に対する感想=こうやって違和感を感じる事を、自分の中の価値観と照らし合わせながら、そういうものか、と飲み込んでいく作業は、外国だとむしろやりやすく感じる。

自分の国だと、そこにどうしても甘えと言うか、期待と言うかが発生して、「まぁどうせ外国だからそんなもん!」と割り切れない。

これは、そういえば、友達のアメリカ人を見ていても思う。 日本在住15年の、流暢な日本語を話す彼にこういう話をすると、「まー日本っていうのは、そういう文化の国じゃないんだって。 しょうがないよ。あきらめな。」と言われる。

この違和感をあっさり理解するのも驚かされるが、あっさり諦められるのも驚く。 そんな彼も、アメリカに帰る気はさらさらない様だ。 同様にそこに諦めが感じられないんだと思う。 外国とはこういうもんだと思う。


異文化交流。

この話が、どれくらいの人に「そーそー! それそれ! そうなんだよねー!」と伝わるんだろうか...。

(とひねてみる...)
コメント一覧
ごーやん   2006年08月19日 11:28
僕も日本に帰ったら最初の一週間はつらいですね。でも二週目に入るとぐっと日本人ぽく(?)なってきて、違和感もなくなってきます。

でもうちの嫁さんは、僕があまり日本人的になりすぎるとお互いの文化差が増して問題が生じてくるので、あんまり戻ってほしくないようです。なので毎回日本に帰るときは、逆カルチャーショックからそれなりに立ち直れて、それでいて日本人になりきらない10日から2週間くらいの期間で帰ります(笑)。
おかあつ   2006年08月19日 16:20
その言葉聞いてかなり勇気出てきました。

>でもうちの嫁さんは、僕があまり日本人的になりすぎるとお互いの文化差が増して問題が生じてくるので、あんまり戻ってほしくないようです。なので毎回日本に帰るときは、逆カルチャーショックからそれなりに立ち直れて、それでいて日本人になりきらない10日から2週間くらいの期間で帰ります(笑)。

すごく良いバランス感覚で僕も頑張ってみたいと思いました。

やっぱり10年の慣れって大きいなぁ...。

しっかし、慣れれば、タイ・西洋(カナダ・アメリカ)・日本 の価値観を、スッスッと切り替えられるようになるものなんだろうか。 なるんだろうな。 慣れれば。
JUN   2006年08月20日 01:27
在日外国人の方が日本文化が好きで、それが失われて行く姿を悲しんでいます。日本人は生活がどんどん欧米化しています。島という物理的なくくりに安心して、文化が浸食されている事に気が付かないのでしょう。結果的に平和ボケの日本人には、ナショナリズムがないと思います。
島国(人が結束しなくても島というくくりがある)日本人と、国を持たないユダヤ人(絶対的なシンジケート)と、全く逆さまの現象があると思います。シンジケートを構成できない日本人には、金融市場を操ることができない訳です。
どの国へ行っても、チャイナタウンの中は中国そのものであり元気です。一方、リトルトウキョウなんて、ゴーストタウンです。行った先の文化に染まる(島国出身だから、免疫がない)からだと思います。
おかあつ   2006年08月20日 07:37
僕は、こんな外国かぶれですが、岡 潔がとても好きなのです。 だから、基本的にすごくよくわかるのですが、JUNさんの意見は三つに分けられるような気がしました。

>在日外国人の方が日本文化が好きで、それが失われて行く姿を悲しんでいます。日本人は生活がどんどん欧米化しています。島という物理的なくくりに安心して、文化が浸食されている事に気が付かないのでしょう。結果的に平和ボケの日本人には、ナショナリズムがないと思います。 ...1

>島国(人が結束しなくても島というくくりがある)日本人と、国を持たないユダヤ人(絶対的なシンジケート)と、全く逆さまの現象があると思います。シンジケートを構成できない日本人には、金融市場を操ることができない訳です。 ...2

>どの国へ行っても、チャイナタウンの中は中国そのものであり元気です。一方、リトルトウキョウなんて、ゴーストタウンです。行った先の文化に染まる(島国出身だから、免疫がない)からだと思います。...3

2に関しては、とてもあると思います。 貿易や経済などが、他の国にとってかなり都合の良いルールで決められてしまい、そこで頑張っていると僕も思いますし、それに対して結束する事で、意見を出していく事が足りないと思います... ただ、この件に関しては僕はまだ経験が浅く、まだ、ちゃんと意見できません。

3なのですが、これは、なんとなく、そうではないような気がしました。 日本人は、世界中どこへ行っても、自国と同じハイクオリティーな日本食を探して歩き回っているような気がします。 どこへいっても母国語で貫き通そうとするところはアメリカ人以上です。 また、アメリカに行くと、日本人会という会があるのですが、結束が強いという話を頻繁に耳にします。

また、行った先の文化に染まる、という言葉なのですが、2通り意味があると思いました。 確かに、行った先の文化を理解して尊敬を表して、正しく染まっているなら、僕はいいと思うのです。しかし、日本人は、殆どの場合、「服がその国風(しかもステロタイプ丸出し)」「肌の色が変わった」「現地のお祭りに出席した」とか、染まるのは表面的なところばかりで、見てると、正直恥ずかしいのです。

これは、現地人にしてみれば、六本木を着物に脇差でカトチャンのヅラをかぶって歩いているのと同じくらい滑稽に写るのですが、みんなほとんど気づいていないです。 それであれば、全然変えないほうがよっぽど普通に見えます...。

一番いいたかった、1なのですが、非常にあると思います。

日本人が、日本人らしい良さがどういうことなのか...異文化と触れ合う事が少なすぎて、見えないのだと思います。

この問題も2つに分けられる気がします。

一つは、盆にはお寺に墓参り、12月25日にはクリスマスにはプレゼント、正月には神社に行き、バレンタイデーにはチョコレートをあげると言う、世界にもまれに見る超ハイブリッド文化の日本人は、もともと異文化を受け入れる事には寛容なのではないか、と言う事です。

それとは、また別に、戦後の西洋化はかなり奇妙に見えます。 戦後史は難しく、僕は、ここでどういう変化が起きたのか、見えていないのです...。 しかし、結果的に、今の極めて希薄な人間関係と、極端な無菌状態で育った今の若者がいるように思います。

>どの国へ行っても、チャイナタウンの中は中国そのものであり元気です。

これは、見方を変えれば、世界中どこに行っても中国人は嫌われている、とも言い換える事ができるので、なんとも言いがたいところがあります。 中国の方には申し訳ないのですが、他文化を理解せずフレンドリーでない中国人はアジア最大の汚点という見方もあり、なんともいえません。

日本人は(相手文化が日本文化より優れていると一目置いているという条件付ですが) 比較的マメに相手文化の理解を示そうと努力するところがあって、それで尊敬を得ている場面は少なくないと思います。

例えば、中国人のビザなしで訪れる事ができる国の数と、日本人のビザなしで訪れる事ができる国の数は、比較するまでもないような気がします。

実際に外国に行き、外国の文化を知ることで、外から日本を見るというのは、島国であればこそすごく大切な事だと思います。

外国に行くとあっさり染まってしまう行動の中にこそ、日本人らしい、しなやかな感性としたたかさが見えるという見方もあり得るのだと思います。

また、日本が、ナショナリズムがすっかり抜け落ちている現状のままでも、それでも、アジア中で最強の経済力を誇っていることも、見逃してはいけないような気がします。 やっぱり、ここにも、見えない日本人らしさがにじみ出ているように思います。

アジアの国々を見ていると、西洋の国にズタズタに引き裂かれている国も珍しくないです。 そういう中で、今こうしている日本と言うのは、どういう国なのか、と思うことは少なくありません。

ユダヤ人と日本人を比べてしまえば、ユダヤ人の学術知識を重んずる習慣も忘れてはならない特徴なような気がします。 日本人は難しい事は避けて通る習慣がありますから。

なんか、ながながと、バラバラしてしまいました。
JUN   2006年08月20日 23:25
スゴイ分析力ですね。一端、島国から出て、海外から日本を見つめたからこそ言える内容ですね。
私は年に数回米国へ主張、あとはプライベートで南国の島で魚と遊んでいるだけです。
ですので米国に限っての見解ですが、渡米した日本人達、なんだか互助会状態なんですよ。相手の文化に浸りたいけど、実は入り込めていないんです。米国人を真似るのですが、決して中核には行けません。
それに比べ、中国人は米国内に中国を上陸させています。おかあつさんの仰るとおりです!
日本人達は、それでも日本に帰りたくないと言っていますから、自分の価値観に於いては正しい選択をしているのだと思います。
おかあつ   2006年08月21日 00:36
ほんとうに、この件は、よいともわるいともいいがたいんですよね...。

>ですので米国に限っての見解ですが、渡米した日本人達、なんだか互助会状態なんですよ。相手の文化に浸りたいけど、実は入り込めていないんです。米国人を真似るのですが、決して中核には行けません。

実は、この言葉、書こうと思って、目をつぶりグッとこぶしを握り、こらえたのでした。 そうなんです。そのとおりなんです。 だからこそ、日本人会に決して近寄らない日本人もいるんだと思います。

しかし、西洋文化と日本文化は、ものすごく異質で、なかなか短時間の訓練で容易には入り込めないと言う特殊な事情もあると思います。 それとは別に、島国的な文化が阻害して、集団で固まっているという事情もあり、これは区別しないといけないと思うのです。

日本人は異文化に適応するのが苦手... と思いきや日本人は勤勉・研究熱心で、ものすごく自然に西洋に溶け込んでいる人も少なくありません。 集団で結束している人は、それに対して、実は「これではほんとはイカン、だが、出来ない(-_-;)... でも出来ないと認めるのは悔しい」的な 引け目があるので、余計に互助会的な傾向が強くなる、というようようなこともあるのではないかと思います。

この傾向は、タイにいる日本人も(豪快に言い切ってしまい恐縮ですが)似たようなもんです...

... が、しかし、 アメリカにいる日本人よりも、タイにいる日本人のほうが、美しくエレガントにその文化に染まっている人の頻度が高いように思います。 それは、日本文化・タイ文化が、アジア文化的に共通な要素が多いからではないかと思います。

例えば、タイには、食事中に、友達等に「おいしい?」とたずねる習慣があるのですが、日本人的にはとてもなじみやすいものがあります。 日本的にも、食事中「おいしい?よかったね!」的な挨拶はありえるように思います。

しかし、アメリカで、コックでもなんでもない奴が、食事中、友達に「おいしい?」ときいたら、どうでしょう...。 気持ちの接し方の距離が近すぎて不気味な印象を与えかねません。人によっては「何だお前は」的な反応も返ってくるかもしれません。 (この点経験が浅くちょっと自信がないのですが...)

そういう風に考えると、日本人が語学べたで、異文化で不適応を起こしやすい、というのも、実は、意外と、そうでもないような気がしてきます。

大体、日本人の英語下手を面と向かって批判する西洋人に、アジア言語の一つも話せるやつがいるのでしょうか。 英語を話す人がラテン語派生の言語なんか勉強しても、外国語にカウントできません。 アジア言語の難しさを知ったら、いう事はおのずと変わってくるだろうと思います。 (これを英語で主張しろよ>>自分)

また、日本人自身が、日本人の人間関係のあり方に窮屈さを感じているため、海外に出ると、日本的束縛から逃れようとし、仲が悪くなってしまいがちなのではないでしょうか。 これは、気持ち的にはとても良くわかりますが、これは、結果的に日本人の結束力を落としているように僕は思うのです。

そういう理由で、ユダヤ人が海外で結束しているのに対して、日本人は、海外で概して仲が悪いという事になるのだと思いますが ... 見ていると憂いを感じます。


それで、世界で一番理解するのが難しい文化は、実は日本、って言うのは、結構冗談ではなくほんとうにそうだと僕は思います。
 
出展 2006年08月19日04:07 『逆カルチャーショック』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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