自由になって一年半。
2006年08月14日01:52
僕の最大の人生の問題が解決して一年と半分。ようやく自由になって100%のスピードで走れるようになった。
20代のときに同時に出発した人とは随分差が付いてしまったが、自分の戦いには勝った。 そして自由になった。
だが、正直僕と同時に出発した人を正視できない。 そのあまりに大きな差を目の当たりにすると、劣等感でメチャメチャになってしまう。
「キミに、何故こうして差がついたのかを説明しても理解は出来ないだろう。 また、キミは自分の傷を直視できないだろうと思う。 連絡ありがとう。 元気そうで何よりだ。 だけど、連絡くれたのはありがたいがしばらくそっとしておいてくれないだろうか。」
今日は、超旧友のT氏と会ってきた。
T氏はこれから研究職に付くためにI国に行くのだが、ちょうど彼も日本にいるうえ、僕もタイから帰ってきているので、よい機会ということで合ってきた。
彼は学問的な人なので、いろいろな専門的な話しをした。学問的な人の世の中のわたり方、という物を見たような気がした。僕も、自分の専門であるプログラミングの話をした。
彼は、その道で一流の人にコンタクトを取ることをためらっては駄目だ、といった。 僕は、何故それが出来ないか。 やはり、自分に自信が無いからだろうと思う。 人に誇れる成果をまだ持っていないからだと思う。 また、それが、100%の行動の成果ではないという但し書きを添えないでも構わない、確固とした自信をもてないことの現われそのものだと思う。
昨日は、新しい友達... とはいえ、考えてみればもう4年の付き合いのHさんとあってきた。 Hさんは、また、非常に専門的な人であり、その道でプロだ。
Hさんと会っていると、プロとは何かといつも考えさせられる。
僕は、「あの人はプロだ」と発言した時には、そのプロという言葉には、経済的プロという意味合いの時と、行動的プロという意味合いの時と、二つの意味があると思う。
経済的にプロと呼んだとき、それは、すなわち、営業力と密接に結びついていることが多いのではないだろうか。 「いい作品上げても、話下手だったら仕事無いのよ」とか「性格が悪くても作品さえよければイイっていうのは、プロじゃないよ」という発言が後に続く場合が多い様に思う。
陳腐な言葉だけども、アーティストである、という言葉がある。これは、表現する人であるという全く精神的な問題であるが故に、常に自己申告的であり、信頼度が低い発言の象徴であるように受け取られる場合が多い。 この経済的プロという言葉が指し示すものは、このアーティストという子供っぽい感傷をたしなめる存在である事が多いように思う。
でも、最近Hさんを見ていて「行動的プロ」という言葉があると思った。 それは、精神論ではなく、あくまでも「理想を妥協しない行動」であり、理想的なクオリティーに近づくためには絶対に努力を惜しまない行動そのものであると思った。
そして、経済的に成功しているかは別な問題として、確実に一定のクオリティーの結果を残し、それを一覧化・文章化して、長いスパンで人に訴えかけていく事ができる、準備が整っているということではないか、と思うようになった。
こうして書いてしまえば、実に当然のように思える事を、何故僕が今、こうして書いているかといえば、僕は、プロである無い、という事は、あくまでも精神的であり、自分の理想を追求するという気持ちそのものにプロの本質があると思っていた。
それは、なぜならば、僕は、今まで、非常に限られた時間的物質的リソースの中で、妥協をしないで活動する事が不可能であったためだと思う。 そこのなかで、創造性を気高く保つためには、結果を直視せずに精神面の限界に注目し続ける必要があったからだとおもう。
それが、今は、自由になったため、100%の力を『プロである』ことに注ぎ込めるようになったため、考え方を変える必要があると感じているのだと思う。
ある意味では、今までも僕はプロだった。 しかし、それは行動的ではなく常に精神的であった。
しかしそのような同じレベルの人の集まりの中にいて常に違和感を感じていたのは、なぜかといえば、僕の周囲にいた彼らは、自分とは違う、怠惰から来る「精神的プロ」(悪く言い換えれば「気持ちだけプロ」)であり、行動としてみれば、実際にはあちこちに妥協が散見されたからだと思う。
僕は、その彼らの妥協が許せなかった。 しかし、彼らはその妥協に甘んじており、妥協しても生きていける、ゆとりもあった。 僕は、それを怠惰であると断罪できる実力も権利もリソースもなかった。
僕は、彼らを、「アマチュアである」 と断罪できなかった。
だが、僕は、今、自由になり、彼らを「アマチュアである」と断罪できるようになった。 それは、僕が、今、ようやく、行動でプロである事を主張する事が出来るようになったからだ。
だが、しかし、今の状況になって一年と半分 ... 僕にはまだ何も成功体験が無い。 あるのは、厳しい状況での苦々しい失敗体験の山である。自分が理想と思っている状態に全てを持ち上げるまでは時間が掛かる...まだまだ走り足りない。
また、Hさんと一緒に歩いた秋葉原の街で「メジャー」「マイナー」という事についてほんとうにいろいろなことを考えた。
「メジャー」「マイナー」の違いというのは何だろう。僕は、それは、資本が入っているかいないかの違いではないだろうかと思った。 それは、単純に経済的な意味を超えて、その作品の規模に直接影響を与える要素だと思うからだ。
今、インターネットでコンテンツ商売をしている人には2種類の人種がいると僕は思う。 片方は、かつての「パソコンマニア」である。 昔からパソコンをやっており、パソコンを使った作業に明るい。 彼らは、パソコンを使えば、非常に安いコストで驚くべき効果をあげる事を良く知っている。 人目につかず、オタクマニアとさげすまされていた彼らはインターネット時代を迎えて、水を得た魚のように仕事をしている。
また、もう片方は、いわゆる「マスコミ」から来た人種だ。 彼らはこれまで人目につく場所で活動しており、コンピューターとは無縁の生活をしてきたが、インターネットの可能性を目の当たりにして、下ってきた人種だ。 彼らは、もともとコンテンツに大きな資本を投下して、その利益を独占する事でビジネスを成立させてきた。 そのビジネスモデルをインターネットの世界でも成立させようとしている。
インターネットというのは、基本的に平等になる性質がある。ラジオやテレビと異なり、全ての人が等しく情報を発信し受信する権利を持っているからだ。これは理想ではなく現実的な性質である。 これは、基本的にこれまでのマスコミの性質と相反する。
基本的に「コンピューター派」は インターネットをより開放する方向を好む。 そのほうが自分たちにとって有利な社会を築けるからである。 「マスコミ派」は、インターネットをより制約する方向を好む。 そのほうがかつてのビジネスモデルに近く利益も大きい。有利だからである。
僕は、資本的には「マイナー」である。人種的に「コンピューター族」である。 だからこそ「マイナー」のまま、大きな資本を肯定しないスタンスのまま、コンピューター技術による事態の打開の可能性を信じている。
しかし、こうしてタイから帰ってきて秋葉原を歩きながら、巨大画面の映像デモンストレーションを見ると、大きな資本を投下したコンテンツというのは、やはりスケールが大きくクオリティーも高いと思う。
「巨大なアマゾン川を飛行機で撮影。かわくだりした20日間を余すところ無く捉えた感動のノンフィクション...。」ところが、実際にかわくだりをするわけではないのだそうだ。アマゾン川でキャンプをするわけではなく、毎日、ヘリコプターで現在地まで通うのだそうだ。かわくだりしたらヘリコプターで一旦キャンプに戻り、翌日かわくだりしたところまでヘリコプターで戻るのだ、という事をHさんから聞いた。 すごい規模だと思った。
これを『コンピューター派』出身の人が、コンピューターとプログラミング技術を駆使して超低コストで実現できるか。 代替的な面白いものは出来るかもしれない。 だが、それは本質的に違うものであり、回答は否であるといわざるを得ない。
僕やHさんは やはり、どうかっこをつけても「コンピューター派」なのだと思う。
しかし、ここにきて、Hさんは、着実に成功を続け、今では メジャーの仕事も増えてきている。 Hさんは、考え方の転換の時期かもしれない、と言っていた。
僕はどうか。 僕は、これまで、やはり、立ち位置自体がマイナーであった。しかし、それでは、イカンと思うようになってきた。 着実に成果を出せる、資本を募れるメジャーになることを意識しなければ、妥協しているのとさほど代わりが無いと感じられるようになってきた。 それは、ようやく自分が自由になったからでもあるが...。
相当文章が長くなってしまった...。
今年は、僕は、目一杯走り続けなければいけない。 今年中にどこまで成果を出せるだろう...。
20代のときに同時に出発した人とは随分差が付いてしまったが、自分の戦いには勝った。 そして自由になった。
だが、正直僕と同時に出発した人を正視できない。 そのあまりに大きな差を目の当たりにすると、劣等感でメチャメチャになってしまう。
「キミに、何故こうして差がついたのかを説明しても理解は出来ないだろう。 また、キミは自分の傷を直視できないだろうと思う。 連絡ありがとう。 元気そうで何よりだ。 だけど、連絡くれたのはありがたいがしばらくそっとしておいてくれないだろうか。」
今日は、超旧友のT氏と会ってきた。
T氏はこれから研究職に付くためにI国に行くのだが、ちょうど彼も日本にいるうえ、僕もタイから帰ってきているので、よい機会ということで合ってきた。
彼は学問的な人なので、いろいろな専門的な話しをした。学問的な人の世の中のわたり方、という物を見たような気がした。僕も、自分の専門であるプログラミングの話をした。
彼は、その道で一流の人にコンタクトを取ることをためらっては駄目だ、といった。 僕は、何故それが出来ないか。 やはり、自分に自信が無いからだろうと思う。 人に誇れる成果をまだ持っていないからだと思う。 また、それが、100%の行動の成果ではないという但し書きを添えないでも構わない、確固とした自信をもてないことの現われそのものだと思う。
昨日は、新しい友達... とはいえ、考えてみればもう4年の付き合いのHさんとあってきた。 Hさんは、また、非常に専門的な人であり、その道でプロだ。
Hさんと会っていると、プロとは何かといつも考えさせられる。
僕は、「あの人はプロだ」と発言した時には、そのプロという言葉には、経済的プロという意味合いの時と、行動的プロという意味合いの時と、二つの意味があると思う。
経済的にプロと呼んだとき、それは、すなわち、営業力と密接に結びついていることが多いのではないだろうか。 「いい作品上げても、話下手だったら仕事無いのよ」とか「性格が悪くても作品さえよければイイっていうのは、プロじゃないよ」という発言が後に続く場合が多い様に思う。
陳腐な言葉だけども、アーティストである、という言葉がある。これは、表現する人であるという全く精神的な問題であるが故に、常に自己申告的であり、信頼度が低い発言の象徴であるように受け取られる場合が多い。 この経済的プロという言葉が指し示すものは、このアーティストという子供っぽい感傷をたしなめる存在である事が多いように思う。
でも、最近Hさんを見ていて「行動的プロ」という言葉があると思った。 それは、精神論ではなく、あくまでも「理想を妥協しない行動」であり、理想的なクオリティーに近づくためには絶対に努力を惜しまない行動そのものであると思った。
そして、経済的に成功しているかは別な問題として、確実に一定のクオリティーの結果を残し、それを一覧化・文章化して、長いスパンで人に訴えかけていく事ができる、準備が整っているということではないか、と思うようになった。
こうして書いてしまえば、実に当然のように思える事を、何故僕が今、こうして書いているかといえば、僕は、プロである無い、という事は、あくまでも精神的であり、自分の理想を追求するという気持ちそのものにプロの本質があると思っていた。
それは、なぜならば、僕は、今まで、非常に限られた時間的物質的リソースの中で、妥協をしないで活動する事が不可能であったためだと思う。 そこのなかで、創造性を気高く保つためには、結果を直視せずに精神面の限界に注目し続ける必要があったからだとおもう。
それが、今は、自由になったため、100%の力を『プロである』ことに注ぎ込めるようになったため、考え方を変える必要があると感じているのだと思う。
ある意味では、今までも僕はプロだった。 しかし、それは行動的ではなく常に精神的であった。
しかしそのような同じレベルの人の集まりの中にいて常に違和感を感じていたのは、なぜかといえば、僕の周囲にいた彼らは、自分とは違う、怠惰から来る「精神的プロ」(悪く言い換えれば「気持ちだけプロ」)であり、行動としてみれば、実際にはあちこちに妥協が散見されたからだと思う。
僕は、その彼らの妥協が許せなかった。 しかし、彼らはその妥協に甘んじており、妥協しても生きていける、ゆとりもあった。 僕は、それを怠惰であると断罪できる実力も権利もリソースもなかった。
僕は、彼らを、「アマチュアである」 と断罪できなかった。
だが、僕は、今、自由になり、彼らを「アマチュアである」と断罪できるようになった。 それは、僕が、今、ようやく、行動でプロである事を主張する事が出来るようになったからだ。
だが、しかし、今の状況になって一年と半分 ... 僕にはまだ何も成功体験が無い。 あるのは、厳しい状況での苦々しい失敗体験の山である。自分が理想と思っている状態に全てを持ち上げるまでは時間が掛かる...まだまだ走り足りない。
また、Hさんと一緒に歩いた秋葉原の街で「メジャー」「マイナー」という事についてほんとうにいろいろなことを考えた。
「メジャー」「マイナー」の違いというのは何だろう。僕は、それは、資本が入っているかいないかの違いではないだろうかと思った。 それは、単純に経済的な意味を超えて、その作品の規模に直接影響を与える要素だと思うからだ。
今、インターネットでコンテンツ商売をしている人には2種類の人種がいると僕は思う。 片方は、かつての「パソコンマニア」である。 昔からパソコンをやっており、パソコンを使った作業に明るい。 彼らは、パソコンを使えば、非常に安いコストで驚くべき効果をあげる事を良く知っている。 人目につかず、オタクマニアとさげすまされていた彼らはインターネット時代を迎えて、水を得た魚のように仕事をしている。
また、もう片方は、いわゆる「マスコミ」から来た人種だ。 彼らはこれまで人目につく場所で活動しており、コンピューターとは無縁の生活をしてきたが、インターネットの可能性を目の当たりにして、下ってきた人種だ。 彼らは、もともとコンテンツに大きな資本を投下して、その利益を独占する事でビジネスを成立させてきた。 そのビジネスモデルをインターネットの世界でも成立させようとしている。
インターネットというのは、基本的に平等になる性質がある。ラジオやテレビと異なり、全ての人が等しく情報を発信し受信する権利を持っているからだ。これは理想ではなく現実的な性質である。 これは、基本的にこれまでのマスコミの性質と相反する。
基本的に「コンピューター派」は インターネットをより開放する方向を好む。 そのほうが自分たちにとって有利な社会を築けるからである。 「マスコミ派」は、インターネットをより制約する方向を好む。 そのほうがかつてのビジネスモデルに近く利益も大きい。有利だからである。
僕は、資本的には「マイナー」である。人種的に「コンピューター族」である。 だからこそ「マイナー」のまま、大きな資本を肯定しないスタンスのまま、コンピューター技術による事態の打開の可能性を信じている。
しかし、こうしてタイから帰ってきて秋葉原を歩きながら、巨大画面の映像デモンストレーションを見ると、大きな資本を投下したコンテンツというのは、やはりスケールが大きくクオリティーも高いと思う。
「巨大なアマゾン川を飛行機で撮影。かわくだりした20日間を余すところ無く捉えた感動のノンフィクション...。」ところが、実際にかわくだりをするわけではないのだそうだ。アマゾン川でキャンプをするわけではなく、毎日、ヘリコプターで現在地まで通うのだそうだ。かわくだりしたらヘリコプターで一旦キャンプに戻り、翌日かわくだりしたところまでヘリコプターで戻るのだ、という事をHさんから聞いた。 すごい規模だと思った。
これを『コンピューター派』出身の人が、コンピューターとプログラミング技術を駆使して超低コストで実現できるか。 代替的な面白いものは出来るかもしれない。 だが、それは本質的に違うものであり、回答は否であるといわざるを得ない。
僕やHさんは やはり、どうかっこをつけても「コンピューター派」なのだと思う。
しかし、ここにきて、Hさんは、着実に成功を続け、今では メジャーの仕事も増えてきている。 Hさんは、考え方の転換の時期かもしれない、と言っていた。
僕はどうか。 僕は、これまで、やはり、立ち位置自体がマイナーであった。しかし、それでは、イカンと思うようになってきた。 着実に成果を出せる、資本を募れるメジャーになることを意識しなければ、妥協しているのとさほど代わりが無いと感じられるようになってきた。 それは、ようやく自分が自由になったからでもあるが...。
相当文章が長くなってしまった...。
今年は、僕は、目一杯走り続けなければいけない。 今年中にどこまで成果を出せるだろう...。
コメント一覧
さい 2006年08月14日 06:06
メジャーを意識できるなんてこと自体がすごいよ~
私はシンプルに「正社員」になりたい、くらいで~す
つかれるのやだし~。
お金ためてでっかい望遠鏡買いたいの。
っていうかタイがメインの生活場なの?
国籍変えたの?
タイ語のいい教科書知ってたら教えてください。
私はシンプルに「正社員」になりたい、くらいで~す
つかれるのやだし~。
お金ためてでっかい望遠鏡買いたいの。
っていうかタイがメインの生活場なの?
国籍変えたの?
タイ語のいい教科書知ってたら教えてください。
おかあつ 2006年08月14日 06:21
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896894405/
この本が一番好き。
結構長い本でマスターするのは時間が掛かるけど、最初から最後まで全部書いてある。
あと、例文のセンスがすごくよくて、いかにも「ありがち」な文章が沢山出てくる。 読んでいるだけで「あぁ!よくあるよくある!」と友達の顔が浮かんでくる。
ほとんど全部の文章がCDで録音されているので、実際に聞いてみる事ができるのもいいところ。 ゆっくり過ぎず、はっきりとはなしているし、やはりとてもありがちな話し方なので、とても参考になる。
この本が一番好き。
結構長い本でマスターするのは時間が掛かるけど、最初から最後まで全部書いてある。
あと、例文のセンスがすごくよくて、いかにも「ありがち」な文章が沢山出てくる。 読んでいるだけで「あぁ!よくあるよくある!」と友達の顔が浮かんでくる。
ほとんど全部の文章がCDで録音されているので、実際に聞いてみる事ができるのもいいところ。 ゆっくり過ぎず、はっきりとはなしているし、やはりとてもありがちな話し方なので、とても参考になる。
さい 2006年08月14日 08:49
本の紹介ありがとう!
妹がタイ語勉強していて、
なかなかいい本がないって嘆いてたの。
妹がタイ語勉強していて、
なかなかいい本がないって嘆いてたの。
矢本 2006年08月14日 11:42
メジャーを目指してマイナーでいたいわ。
人との差を目の当たりにすると、
劣等感でめちゃくちゃになってしまう。
なるほど。
そうやって、劣等感を感じたり、
反対に優越感を感じたりしながら、
ずうっとやっていくんだろうね。
人との差を目の当たりにすると、
劣等感でめちゃくちゃになってしまう。
なるほど。
そうやって、劣等感を感じたり、
反対に優越感を感じたりしながら、
ずうっとやっていくんだろうね。
おかあつ 2006年08月14日 15:28
>そうやって、劣等感を感じたり、
>反対に優越感を感じたりしながら、
>ずうっとやっていくんだろうね。
僕はそれじゃイカンって思うんだけどね。 子供っぽいけど、本質じゃないとおもうから。 最近、 http://www.faireal.net/fairyology/elfnews/を読んだり、すごく繊細な感覚の持ち主のWさんと再会して話ししたりして、そういうある種現実離れした思想に影響を受けすぎたのかもしれないけど ─── 他人の意見に惑わされず、自分が正しいと思う絶対的な価値観に基づいて、気高く作っていくしかないと思うからね。
ぶっちゃけ、僕と同時に出発した人は、もう結構メジャーになった人がたくさんいて、そういう人と比べると、ホント参るよ。
でもそれぐらいで自分を見失うようでは、まだまだなんだけどね。 でもまだ自分で結果を出せていないので、自信が無い。
>反対に優越感を感じたりしながら、
>ずうっとやっていくんだろうね。
僕はそれじゃイカンって思うんだけどね。 子供っぽいけど、本質じゃないとおもうから。 最近、 http://www.faireal.net/fairyology/elfnews/を読んだり、すごく繊細な感覚の持ち主のWさんと再会して話ししたりして、そういうある種現実離れした思想に影響を受けすぎたのかもしれないけど ─── 他人の意見に惑わされず、自分が正しいと思う絶対的な価値観に基づいて、気高く作っていくしかないと思うからね。
ぶっちゃけ、僕と同時に出発した人は、もう結構メジャーになった人がたくさんいて、そういう人と比べると、ホント参るよ。
でもそれぐらいで自分を見失うようでは、まだまだなんだけどね。 でもまだ自分で結果を出せていないので、自信が無い。
JUN 2006年08月14日 16:09
ネットビジネスとITって、商売と商品の関係ではないでしょうか。
前者がメジャーで後者がマイナーってことはないと思います。
エンジニアで分類すると、前者はWebクリエイター系、後者はバリバリのプログラマーが活躍している(大まかに)ということですね。
ネット商売を目論んで、IT商品を開発する、という組み合わせも有りだと思います。
ちょっと論点がズレていたらごめんなさい。
前者がメジャーで後者がマイナーってことはないと思います。
エンジニアで分類すると、前者はWebクリエイター系、後者はバリバリのプログラマーが活躍している(大まかに)ということですね。
ネット商売を目論んで、IT商品を開発する、という組み合わせも有りだと思います。
ちょっと論点がズレていたらごめんなさい。
おかあつ 2006年08月15日 00:13
これは、プログラミングとビジネスというよりは、コンテンツ作成について書いていたのかもしれません。
コンテンツ作成、といっても、もともとデザイナー・出版業界・マスコミなどにいたのがインターネットに来てコンテンツ作成している人たちと、もともとコンピューターが得意で、自宅でコツコツ作品を作ってきた人たちといるのではないか、と思います。
もともとコンピューター系の人は、お金が無くても技術があれば工夫次第で何でも出来る! 的に考えているところがある、と僕は思います。 僕もそう思ってフリーウェアとかを書きます。
こういうスタイルだと、往々にして、収支が良くない場合が多いものではないでしょうか。 そんな人をこの文章ではマイナーと呼んでいるのだと思います。
でも、資本がある大きなコンテンツホルダーは、もともとコンピューターを使わないところで、大人数でお金をかけて、それぞれ専門にデザイナ・ディレクタ・スタッフがいてロケ撮影があって... という風に大掛かりで、それを利用するリスナーの規模も大きい... この文章ではそれをメジャーと言っているような気がします。
コンテンツ作成、といっても、もともとデザイナー・出版業界・マスコミなどにいたのがインターネットに来てコンテンツ作成している人たちと、もともとコンピューターが得意で、自宅でコツコツ作品を作ってきた人たちといるのではないか、と思います。
もともとコンピューター系の人は、お金が無くても技術があれば工夫次第で何でも出来る! 的に考えているところがある、と僕は思います。 僕もそう思ってフリーウェアとかを書きます。
こういうスタイルだと、往々にして、収支が良くない場合が多いものではないでしょうか。 そんな人をこの文章ではマイナーと呼んでいるのだと思います。
でも、資本がある大きなコンテンツホルダーは、もともとコンピューターを使わないところで、大人数でお金をかけて、それぞれ専門にデザイナ・ディレクタ・スタッフがいてロケ撮影があって... という風に大掛かりで、それを利用するリスナーの規模も大きい... この文章ではそれをメジャーと言っているような気がします。
ウミガメ 2006年08月16日 02:09
何度も何度も読み返してしまいました。
行動的プロ いいですねー。
おかあつさんにかかってます。期待してますよ!!
行動的プロ いいですねー。
おかあつさんにかかってます。期待してますよ!!